2018年10月06日

知己


「知己」の語源は,

士為知己者死
女為説己者容

『史記列伝』の,

士は己を知る者の為に死す,

に基づく。豫譲の話は,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AB%E8%AD%B2に詳しいが,敗死した主君智伯の仇を単身討とうと,趙襄子を二度狙う。趙襄子,一度目は「智伯が滅んだというのに一人仇を討とうとするのは立派である」と、豫譲の忠誠心を誉め称えて釈放するものの,二度目は許さない。覚悟した豫譲は,あなた様の衣服を賜りたい。それを斬って智伯の無念を晴らしたいと願い,許される。豫譲はそれを気合いの叫びと共に三回切りつけ、「これでやっと智伯に顔向けが出来る。」と自決した,という。

その豫譲が,語るのが,

士は己を知る者の為に死す,

であり,趙襄子は智伯への積年の遺恨があり、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒盃として酒宴の席で披露した(厠用の器として曝したという説もある)。辛うじて山奥に逃亡した豫譲がそれを耳にして誓った言葉が,これだという。

その「己を知る」とは,

初めは六卿の筆頭である范氏に仕官するが、厚遇されず間もなく官を辞し,次いで中行氏に仕官するもここでも厚遇されず、智瑶(智伯)に仕えた。智伯は豫譲の才能を認めて、国士として優遇した,

ということ(仝上)による。これは,『史記列伝』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/447234854.html)の刺客列伝の三人目に載る。

「知己」は,だから,

自分の心をよく知っている人,

という意味だが,単なる親友,とも違う。もちろん,知人とも違う。

「知己」の類義語・同義語について,『goo辞書』は,『類語例解辞典』(小学館)によって,知り合い/知人/知己を比較して,

【1】「知り合い」「知人」は、顔と名前を知っているだけでなく、ある程度つきあいのある人をいう。
【2】「知己」は、自分の気持ちや考えをよく理解してくれる人。話し言葉では、あまり用いない。

とし,こんな対比表を示す。

…を頼って上京する この間…になった人 挨拶あいさつする程度の… 二十年来の…百年の…を得た思い
知り合い   ○        ○         ○          △          -
知人     ○        -         △          △          -
知己     ○        -         -          ○          ○

まあ,使用例として,参考にはなるが,僕には,

知己,

知音,

の違い,の方が気になる。「知音」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461615668.htmlで触れた)は,

子期死して伯牙復琴をかなでず,

断琴の交わり,

伯牙絶絃,

とも言うような,相手が死ぬと,

世に復た琴を鼓すに足る者無し,

と言わしむるような友を指す。

己の心をよく知る,

という意味では,似ているが,「心」が,

詩,

志,

の違いは大きい。『大言海』は,どちらも,

心の友,

の意も載せるが,「こころ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163490.htmlで触れた)は,意志や知識とは別の,もっと情緒的なもののような気がしている。言ってみると,Mindやspiritではなく,heartが近い。

しかし,空海は『秘密曼荼羅十住心論』で,「心」の段階を10の層に分けて,最後の密教的な境地への悟りが深まる道筋を説いたそうだ。

異生羝羊心 - 煩悩にまみれた心
愚童持斎心 - 道徳の目覚め・儒教的境地
嬰童無畏心 - 超俗志向・インド哲学,老荘思想の境地
唯蘊無我心 - 小乗仏教のうち声聞の境地
抜業因種心 - 小乗仏教のうち縁覚の境地
他縁大乗心 - 大乗仏教のうち唯識・法相宗の境地
覚心不生心 - 大乗仏教のうち中観・三論宗の境地
一道無為心 - 大乗仏教のうち天台宗の境地
極無自性心 - 大乗仏教のうち華厳宗の境地
秘密荘厳心 - 真言密教の境地

「こころ」は,ここでは,境地ないし心境というのが近い。それは,「志」に近くなる。

「志」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/402717305.htmlで触れた)は,『漢字源』に,

「この士印は,進みゆく足の形が変形したもので,「之」(ゆく)と同じ。士・女の士(おとこ)ではない。志は,心が目標をめざして進み行くこと」

とある。

心の之(ゆ)くところ,

である。『論語』の

吾十有五にして学に志し

に,「志」が使われている意味は,当然,『近思録』の由来となった,

博く学びて篤く志(し)り,切に問いて近くに思う,仁はその中にあり

の「志」を,知るに当てるには,それなりの重みがある,と見なせる。因みに,貝塚訳注では,

「志」を「識」つまり記憶するという解釈に従った。「学」は他人に習うことであり,この習ったことを「篤く志る」

とある。

ここまで来ると,「心」と「志」は,かなり違うことがわかる。辞書だと,「こころ」は,

人間の精神作用のもとになるもの,
人間の精神の作用そのもの,
知識・感情・意志の総体,
おもわく,
気持ち,
思いやり,
情け,

と,意から情まで幅が広い。

同じ「心の友」でも,心の意味の,意と情の振幅のうち,「知音」は,情に振れ,「知己」は意に振れる,ということかもしれない。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:05| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする