2018年10月15日

片腹痛い


「片腹痛い」は,

身の程知らずのな相手の態度を笑い飛ばす,
笑止千万,
ちゃんちゃらおかしい,

の意で,どの辞書を見ても,その語源は,

「『傍』のカタハラを片腹の意に誤ったことから起こった語」(『広辞苑第5版』)
「『傍(かたわ)ら痛し』の歴史的仮名遣い『かたはら』を『片腹』と解したところから生まれた語」(『デジタル大辞泉』)
「中世以降、文語形容詞『傍かたはらいたし』の『かたはら』を『片腹』と誤ってできた語」(『大辞林第三版』)

等々,大同小異である。しかし,本当に「誤った」のか? 「傍ら」より「片腹」の方が,実感に合う,そう意識的に代えたのではないか。既に,室町末期の『日葡辞典』に,

「カタハライタイ」

は載り,「傍ら痛い」は,

「傍らにいて心が痛む」

であり,

気の毒である,
傍で見ていて,嫌な気がする(「うへ人,女房などはかたはらいたしと,聞きけり」(源氏・桐壷),「かたはらいたきもの,よくも音弾きとどめぬ琴を,よく調べで,心の限り弾きたてる」

の意であり,さらに,

きまりが悪い,
はずかしい(「かたはらいたうて,音いらへなどをだえにし給はねば」(原子・柏木)),

という意であり,今日の,

笑止,

というは意味が違う。たぶん,「恥ずかしい」という心情表現が,「笑止」という価値表現へと転じたのではないか,その段階で,

片腹痛い,

と当て字した。『日本語源大辞典』は「片腹痛い」の項で,

「一般に語中の『ハ』が『ワ』に変化した平安末期ごろ以降も『カタハラ』の発音を残したもの」

とするが,「片腹痛い」の当て字は中世以降,とされるので,この時点で意味が転じている,と想像できる。想像するに,既に『日葡辞典』では,

片腹痛い,

の意味であったに違いない。『江戸語大辞典』は,

「(傍ら痛しの誤用)おかしくてたまらぬ。ちゃんちゃらおかしい」

の意味しか載らない。『大言海』の「かたはらいたし(傍痛)」は,

「振舞を傍(かたはら)に居て見て,痛く思ふ意なるべし」

とし,意味は,

傍観(わきめ)に見て,笑止なり,

とするが,『岩波古語辞典』を見ると,この,

傍ら痛し→片腹痛し,

の意味の転換(それに合わせた当て字の転換)がよくわかる。まず,「かたはら(傍ら)」の項で,

「カタは片。ハは端。ラは接尾語。物の一方の端・側面の意。類義語ソバは中心から逸れて,はずれたところの意。」

とし,その項に,「かたはらいたし(傍ら痛し)」を載せ,次のようにある。

①(傍らの人が自分をどう見るだろうと意識して)気がひける,恥ずかしい,気が咎める,

②(傍らの者として,他人のことが)気になる,他人事ながら苦痛である,見苦しい,

③(片腹痛しとするのは中世以降の当て字)おかしさの余り片腹が痛い,また,馬鹿馬鹿しい,

こう見ると,「傍ら痛い」の視点が,主観から,客観に変り,そこで意味が転じて,「片腹痛い」の字へと転じた。意味の転かにに合わせて,当て字(和語から見ればすべて漢字は当て字)を変えたということだ。

『日本語源大辞典』は,「片腹痛い」と「傍ら痛い」を別項にするという卓見を示す。

「傍ら痛い」は,

傍から見ていてはらはらする,気の毒に思う,
傍で見ていて,苦々しく思う,滑稽に感じる,

の意とし,

わたわらて振舞を見て,イタク(痛く)思う意から(安斎雑考・俗語考・大言海),

を挙げる。「痛い」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454441352.html)は,既に触れたように,『日本語源広辞典』が,

「イタイ(程度が甚だしい)」

が語源とし,激しい程度の意を先とするし,『日本語源大辞典』も,

「『痛む』と同根の,程度の甚だしさを意味するイタから派生した形容詞」

とする。つまり,必ずしも,痛みを指していたのではなく,

ひどい,
はげしい,
はなはだしい,

という状態全部を指していた状態表現から,「傷み」や「悼み」が分化してきた,ということになる。『岩波古語辞典』の「いた」では,

「極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形」

としてり,「傍ら痛し」は,傍らから見ていて,酷い状態,という状態表現にすぎない。それがだんだん,見苦しい,笑止である,へと転じたということになる。

『日本語源大辞典』の「片腹痛い」は,

大いに笑えば必ず脇腹が痛くなるというところから,偏腹痛の義(和訓栞),

としているが,既に「痛し」の意味が,痛覚へと転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:24| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする