2018年10月25日

かわや


「かわや」は,便所の意だが,

厠,
圊,
溷,

等々と当てる。

「川の上に掛けて作った屋の意,また,家の側の屋の意ともいう」

とあり(『広辞苑第5版』),『日本語源広辞典』も,

説1は,「川+屋」。汚物,排泄物を川に流した小屋,
説2は,「カワ(側)+屋」。本屋に対し,傍らに小屋を立てた,

の二説を挙げる。また,

「かわやが『川屋』であるか『側屋』の意であるかは議論のわかれるところである。けれども側屋は竪穴住居を考えればいささか無理のある表現とも考えられる。『古事記』の丹塗矢の物語から考えても,川屋を否定することはできない。同じく『古事記』には,素戔嗚尊の話の中に『くそへ』という重い罪穢れを犯し罰せられる記事がある。『くそへ』とは糞を放(ひ)る意であるが,昔から日本民族は糞尿を穢らわしいものとし,これを水に流し去ることを願っていたのかもしれない」

と(楠本正康『こやしと便所の生活史』),「川屋」に軍配を上げている。因みに,『古事記』の丹塗矢の物語は,三輪山の大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ,丹塗矢と化して溝を流れ,用便中にほとを突いた,という話で,川で用を足していたということになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kawaya.html)は,

「厠は数ある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られる。 712年『古事記』には、水の流れる溝の上に設けられていたことが示されており、川の上に掛け渡した屋の意味で、『川屋』の説が有力とされる。また、現代では住居の中に便所を作るのが一般的だが,少し前までは,母屋のそばに設けるのが一般的であったところから,『側屋』とする説もある。」

と,やはり「川屋」説に傾いている。『岩波古語辞典』も,

「川の上に架した屋の意」

を採る。『大言海』は,

「側屋(カハヤ)の義。家の傍に設くる意。後架の,屋後の架設なると,同意なり。裏とも云ふ。川に架し作れば云ふとの説あれど,川なき地にはいかがすべき」

と,「川屋」説をを批判するが,古代,水辺に住まいするのは当然なので,ちょっと的外れかもしれない。鳥浜貝塚(縄文時代前期、約5500年前 福井県若狭町)では,

「2000点を超える多量の糞石(ふんせき)が出土している。特に杭の打たれた周辺では他の場所と比較して、より多くの糞石が出土することから、この遺跡に暮らした当時の人々は湖に杭を打ち桟橋を作っていたと考えられ、桟橋からおしりを出して用を足していただろうと推測される。このような構造のトイレ(桟橋形水洗式(さんばしがたすいせんしき)トイレ、いわゆる『川屋』)は現在でも環太平洋地域で広くみられる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。やはり,「川屋」の字が妥当かどうかは別として,川で用を足していたのに違いはない。

『日本語源大辞典』は,「側屋」説,「川屋」説以外に,

かわるがわる行くところから,カハヤ(交屋)の義(万葉代匠記・万葉考),
カハは糞の意(海録),
クサヤ(臭屋)の義(三樹考),
カワルキヤ(香悪屋)の義(和句解・日本釈名),

を載せるが,やはり,「側屋」説,「川屋」説のいずれかだろう。

漸く,藤原京・藤原宮(7世紀末、都としては694年~710年)では,

「藤原宮の南面西門から外に出てすぐの南東、右京七条一坊西北坪の遺跡から土坑形汲取式(どこうがたくみとりしき)トイレを検出している。(中略)公的な機関(役所)があったと想定され、このトイレは、その内部に設置された共同便所だったと考えられている。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。そして,

「藤原宮の宮殿の東側、官庁街との間を南北に走る幅5m、深さ1mの基幹排水路が東大溝(ひがしおおみぞ)である。この溝の両岸の傾斜面には、向かい合う位置に大小の柱穴が交互に13.5mにわたって並んでいた。初めは幅広の橋とされていたが、その南16.5mの地点からも同様の遺構が発見され、橋ではなくトイレではないかと考えられるようになった。溝の中からは籌木も出土している。このトイレは、柱穴の検出状態から、溝をまたいで長屋のように建てられた溝架設形水洗式(みぞかせつがたすいせんしき)トイレではないかと想定される。」

とうある(仝上)。やはり「川屋」説に軍配のようである。溝の中から出土した籌木(ちゅうぎ、ちゅうぼく)とは,

「古代から近世初頭にかけて用いられた、排泄の際に用いられた細長い木製の板のことである。糞箆(くそべら、くそへら)ともいう。トイレ遺構の便槽から出土する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8

これについては,「べらぼう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/421256499.html)で触れた。

貴族,役人はともかく,庶民は,中世になっても,路上で用を足している。

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(旧河本家本『紙本著色餓鬼草紙』第3段「食糞餓鬼図」/平安京域内(洛中)の小路で排便する人間達(庶民)と、人間の糞便を食いたくてたむろしている食糞餓鬼が描かれている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8より)

面白いことに,きちんとしてトイレであっても,路上でも,一様に,籌木を使っていることだ。

ただ,「糞尿」を「こやし」として使うようになると,少し事情が変わるようだ。

「人糞尿が貴重な肥料として使われるよになると,これを一ヵ所に蓄えておかなければならない。そのために,直接耕作にたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を蓄えた便所を設けるようになったのであろう。だが,当時の住居の構造,たとえば武家造といわれる建物の平面図からはこれを立証することはできない。しかし,禅寺では東司(とうす)と呼んで,大きな外便所を持つものが多くなってきた。便所は,このような家の外側に設けられたので,『側屋』と考えるべきだと主張する人もいる。」(楠本正康・前掲書)

「川屋」から「側屋」へと,便所の位置の変化から,当てる字が変わっただけのように思える。

なお,トイレ名の変遷に付いては,

「日本には便所を意味する呼称や異称が多い。現在でも使用される『厠(かわや)』は、古く『古事記』にその例が見え、施設の下に水を流す溝を配した『川屋』に由来するとされる。あからさまに口にすることが『はばかられる』ことから『はばかり』、最後の手を清めることから『手水(ちょうず)』がある。厠の異名となる『雪隠(せっちん)』は、従来より茶会等で厠を意味する表現である。茶室の庭(内路地)に客専用の砂雪隠や飾雪隠を設けて、日常的の使用する厠(外路地)と別の清潔な厠で茶会の客をもてなした。後にこれが転じ、茶室以外の場でも上品な表現として雪隠が使用されることになった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80)。

トイレの遺構については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B

に詳しい。

最後に漢字にあたっておくと,「厠(廁)」(シ,漢音ソク,呉音シキ)の字は,,

「广(いえ)+音符則」で,屋敷の片隅に寄せて作った便所」

「溷」(漢音コン,呉音ゴン)は,

「□印(かこい)+豕(ぶた)」で,きたない豚小屋,転じて便所。溷は,それを音符として水を加えた字。汚い汚水。」

「圊」(セイ)は,「かわや」の意。『漢字源』には載らない。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評
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