「姑息」は,
「『姑』はしばらくの意」
で,
一時の間に合わせ,
その場逃れ,
の意味である(『広辞苑第5版』)。「姑」(漢音コ,呉音ク)の字は,
しゅうとめ,
の意であるが,副詞として,
しばらく,そのままで,とりあえず,
とか,
手を付けず,そのままにしておく,
といった意味で,「姑息」は,「手を付けずそのままにしておく」意とある。「姑」と似た意味の副詞を,
「暫」は,不久也と註す。少しの間の意なり,暫時と熟す,
「姑」は,且也と註す,暫の意はなし,まあ,と譯す。孟子「姑舎汝所學而従我」,
「且」は,姑に近し,
「少」は,少しの間といふ義,小時の時を省きたるなり,
「薄」は,今しばしの義,いささかとも訓む,
と区別する(『字源』)。「且」には,しばらくという意味はなく,
まづ(先)しばらく(姑)未定の意をあらわす,
という意味(『字源』),あるいは,
まあまあという気持ちを示す言葉,取りあえず,
という意味(『漢字源』)が含意を伝えているかもしれない。「息」(呉音ソク,漢音ショク)の字は,息の意で,
「会意,『自(はな)+心』で,心臓の動きに連れて,鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって,いきが出入りすること。すやすやと平静に息づくことから,安息・生息などの意となる。」
とあり,ここでは,「やすむ」「やめる」という意味である。
『大言海』は,
「姑(しばら)く息(や)むなり,姑は婦女なり,息は小児なりといふ説はあらじ」
として,
「仮初(かりそ)めにことをすること,間に合わせ」
の意を載せる。『日本語源広辞典』も,同様に,
「姑(しばらく)+息(やすむ)」
とし,
しばらくの間,息をつくこと,
としている。つまり,
「しばらくの間息をつく」
という状態表現が,少し価値表現を加味して,「間に合わせ」となり,さらに価値表現を加えて,「一時逃れ」「その場しのぎ」へと意味が悪い価値を高めていく,とみることができる。
出典は,『禮記・檀弓』。
曾子寢疾,病。樂正子春坐於床下,曾元、曾申坐於足,童子隅坐而執燭。童子曰:「華而睆,大夫之簀與?」子春曰:「止!」曾子聞之,瞿然曰:「呼」曰:「華而睆,大夫之簀與」曾子曰:「然,斯季孫之賜也,我未之能易也。元,起易簀。」曾元曰:「夫子之病帮矣,不可以變,幸而至於旦,請敬易之。」曾子曰:「爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。吾何求哉?吾得正而斃焉斯已矣。」舉扶而易之。反席未安而沒。
の,
君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。
君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす,
から来ている。その解釈は,
孔子の門人,曽子の言葉に由来します。病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なすのこを敷いていました。お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にすのこを取り替えるよう命じます。曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす。」(君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)
その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてすのこを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。」
とある(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。「礼記」だから,こんな感じの説教になる。ここでは,確かに,「一時しのぎ」の意味で使われている。しかし,
「姑息」には、「卑怯」や「狡(ずる)い」の意味は含まれない。「姑息な手段」を「卑怯な手段」と解するのは誤解,
というのは如何であろうかか。言葉は人が使ってはじめて生きる。生きている言葉がすべてではないか。僕には,
「しばらくの間息をつく」という状態表現
↓
「間に合わせ」
↓
「一時逃れ」「その場しのぎ」
↓
「卑怯」「ずるい」「けち」
と,価値表現が変化していくのは,他にも例のある言葉の意味の変化の王道に見える。しかし,この誤解を大袈裟に言い立てたがる。それは,文化庁の調査が拍車をかけた。
「姑息について尋ねた「国語に関する世論調査」では,
「『本来の意味とされる「一時しのぎ」という意味』と答えた人は2割に届かず,本来の意味ではない『ひきょうなという意味」と答えた人が7割を超える』
という(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。
(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15.0%
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70.9%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.9%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%
しかし,今日「姑息」を7割を超る人が「ひきょうな」の意味としているということは,既に,意味が変じたのであって,「一時しのぎ」の意味で使っても,伝わらないということを意味する。言葉は伝わってこそ意味がある。今に,辞書に意味として「卑怯な」が載ることになるだろう。
『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kosoku.html)は,
「姑息の『姑』は『しばらく』、『息』は『休息』の意味。『しばらくの間、息をついて休む』ところから、姑息は『その場しのぎ』の意味となった。 姑息が『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられるのは、『姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする』など,良くない場面で多く用いられる言葉であることや、『小癪』と音が似ていることから,その混同によるものと考えられる。」
あるいは,『笑える国語辞典』
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%93/%E5%A7%91%E6%81%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
「姑息(こそく)とは、一時の間に合わせ、その場しのぎという意味で、『姑息な手段をとる』などと用いる。ところがほとんどの日本人は『姑息な手段』を『卑怯な手段』とか『ズルいやり方』という意味に誤解していて、話す方も聞く方も誤った認識で合致しているから、『姑息なヤツだね』『ほんとうに姑息なヤツだ』などと応答して、会話になんの齟齬も来さないという無法状態になっている。おそらく『こそく』という言葉の響きが、『こそこそ』とか『こせこせ』とか『小癪(憎らしい)』といった言葉の響きと似ているところから生まれた誤解ではないかと思われる。」
等々とするのはこじつけではないか。価値表現はどんどん意味を変ずるものだ。「やばい」がそうなように,真逆の意味になったものすらあるのが言葉である。
言葉は生きている。
その文脈で通じれば,それが重なれば意味も変わる。当たり前のことを,誤解などと言っている人は,いまの生きている言葉から目を背けている。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:姑息