「とんま」は,
のろまの転,
と,『大言海』はした。その「のろま」は,
鈍間,
野呂松,
と当てるが,『江戸語大辞典』は,
野呂松人形の略(「のろまは可咲(おかしき)演劇(きょうげん)より発(おこ)る」(文化十一年・古今百馬鹿)),
転じて,
緑青を吹いた銅杓子(かなじゃくし)の形容(「銅杓子かしてのろまにして返し」(明和二年・柳多留)),
さらに別に,野呂松(野呂間)人形の意味より転じて,
愚鈍なもの,あほう,まぬけ,
さらに,遊里語として,
野暮,
という意味が転じたとする。野呂松人形の意味より転じたとする説は,
「寛文・延宝頃,江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が遣い始めたという,靑黒い変てこな顔つきの道化人形,滑稽な狂言を演じた」
というもので,この人形は,
「頭が平たく,顔が靑黒い愚鈍な容貌の古人形」
で,それに基づいて,
気のきかぬこと,
まぬけ,
の意に転じたとする。『江戸語大辞典』は,さらに,「野呂松人形」の項で,
「江戸和泉太夫座で野呂松(のろまつ)勘兵衛が遣い始めた操り人形。頭部扁平で顔面靑黒く,道化役を演じた。間の狂言で鎌斎左兵衛の遣う人形の賢役なるに対し,これは愚昧な人物を演じたので,ついに野呂松(のろま)が愚者の異称となったという」
と,念押ししている。
しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/no/noroma.html)が,
「のろまは、江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が演じた『間狂言』の『野呂間人形(のろまにん ぎょう)』に由来する。『野呂間人形』は平らで青黒い顔をし愚鈍な仕草をする滑稽な人形 なので、『のろま』になったとするものである。 『野呂松』や『野呂間』とも書くことから、『野呂松人形』の説は喩力と考えられる。」
としつつ,
「『のろ』は速度や動きが遅いことを意味する形容詞の『鈍(のろ)し』、『ま』は状態を表す接尾語『間』とする説もある。『のろろする』など動作が遅いことには『のろ』が用いられる」
とも付言している。『日本語源広辞典』は,その「のろ」を採る。
「ノロマのノロは,ノロイで,速度の遅い意です。ノロマは,『ノロ(形容詞ノロイの語幹)+マ(者の接尾語)』」
とする。接尾語「ま」は,
「形容詞語幹・動詞の未然形・打消しの助動詞『ず』,接尾語『ら』などに接続して状態を表す語」
である(『岩波古語辞典』)。『大言海』の,
「鈍間抜(のろますけ)の下略なるべし」
とやはり「のろ」は,「鈍」から来ているとみる。
同様に,『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E3%81%AE%E3%82%8D%E3%81%BE)も,
「形容詞『のろい(鈍い)』の語幹に、状態を表す接尾語の『ま』がついた語。「鈍間」は当て字。」
とみる。「のろい」は,あるいは,擬態語,
のろのろ,
のろくさ,
のろり,
等々からきたのかもしれない。『擬音語・擬態語辞典』には,
「この『のろい』は江戸時代,異性に甘いという意味もあり,『のろける』はそこから来た語」
とある。『江戸語大辞典』をみると,
のろ作,
のろ助,
のろつく,
のろっくさい,
のろっこい,
など,「のろさ」を嘲り,罵る語に事欠かない。この「のろ」を「野呂松人形」とつなげるのは,サカサマのように思える。つまり,「のろい」という言葉があったからこそ,
野呂松(間)人形,
の「のろ」の意味がよく伝わったはずなのである。あらかじめ,
「高さ一尺五寸許りにて,頭偏く,色靑黒き,木偶を舞はして,痴駭(たはけ)たる狂言を演ずる」(大言海)
「ふざけた狂言」と言っているようなものである。
野呂松勘兵衛,
という名も,そう考えれば,意味がよく伝わる。
(野呂間人形〈俳諧絵文匣〉 『日本語源大辞典』より)
因みに,「のろし」について,
「ヌルシ(緩し)はさらにヌルシ(鈍し)に転義して,『にぶい,愚鈍である』さまをいう。〈心のいとヌルキぞくやしき〉(源・若菜下)。さらには母交(母韻交替)をとげてノロシ(鈍し)になり,動作の鈍い様子をノロノロ(鈍々)という。」(『日本語の語源』)
とある。擬態語は,「鈍し」から出た,という説である。
「野呂松人形」は,人形浄瑠璃の間(あい)狂言を演じたが,「間(あい)狂言」とは,
「能では,シテの中入のあと狂言方が出て演じる部分をいうが,能のアイ(間狂言)のみならず近世初頭の諸芸能では,たて物の芸能の間々に,種々の雑芸が併せて演じられた。それを〈アイの狂言〉または〈アイの物〉と呼ぶ。歌舞伎踊や浄瑠璃操り,幸若舞,放下(ほうか),蜘(くも)舞などの諸芸能の間でも,それぞれ間狂言がはさまれ,物真似(ものまね)狂言,歌謡,軽業,少年の歌舞などが演じられた。」(『世界大百科事典 第2版』)
とある。「野呂松人形」と相次いで,「そろまにんぎょう」「むぎまにんぎょう」が起こったとある(大言海)が,今日,
「新潟県佐渡市の説経人形の広栄(こうえい)座、宮崎県都城市山之口町の麓文弥(ふもとぶんや)人形で、間狂言(あいきょうげん)として演じられている。石川県白山市の東二口(ひがしふたくち)文弥人形、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市東郷町の斧淵(おのぶち)文弥人形にも人形だけが遺存する。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
という。
「古浄瑠璃(こじょうるり)時代の道化人形芝居の一つ。浄瑠璃操りの成立以前には能操りがあって狂言操りも併演されていたが、明暦(めいれき)・万治(まんじ)(1655~61)ころに歌舞伎(かぶき)の猿若(さるわか)が道化方に変じ、人形芝居に影響して道化人形芝居が成立した。西六(さいろく)、藤六、万六(まんろく)、太郎ま、麦ま、米(よね)ま、五郎まなどいろいろあったが、延宝(えんぽう)(1673~81)ごろに上方(かみがた)に、そろま、江戸に、のろまが現れた。青塗りが愚鈍な容貌(ようぼう)の一人遣いの小人形で、愚直な主人公の展開する滑稽科白(こっけいせりふ)劇である。野呂松勘兵衛、のろま治兵衛らが知られているが、1715年(正徳5)の『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』上演からこれらの人形は除かれ、姿を消していった。佐渡へ伝わったのは享保(きょうほう)(1716~36)ごろという。」(仝上)
「人形は4体1組。木之助が彫像形式で、手足が紐(ひも)でぶらりとつけられている。芝居の最後に男根を出して放尿するので有名。」(仝上)
と,この出し物の品がわかる。「のろい」というより「とろい」「とろくさい」という感じかもしれない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95