2018年11月10日
のぞく
「のぞく」は,
覗く,
覘く,
臨く,
と当てる。恐らくは,「のぞく」の持つ多義性を,漢字で当て分けたのだ,と思われる。
「覗」(シ)の字は,
「会意兼形声。司(シ)の上部は人の変形であり,その下の口印は,穴。細かい穴からのぞくことを示す会意文字。覗は『見+音符司』で,狭い穴を通して内部をみようとすること」
で,
うかがう,
隙間からのぞいてみる,
転じて,
のぞいて様子を見る,
の意となる。「覘」(テン)は,
「会意兼形声。『見+音符占(せん・テン じっととどまる)』」
で,
うかがう,
目標から視線を動かさないで,じっと見る,
転じて,
じっと様子を見る,
意となる。「臨」(リン)の字は,
「会意。臣は,下に伏せて俯いた目を描いた象形文字。臨は『臣(臥せ目)+人+いろいろな品』で,人が高い所から下方の者を見下ろすことを示す」
で,
高い所から下を見る,
面と向かう,
のぞむ,
という意味になる(以上『漢字源』)。どうやら,視点が,
透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨),
と転じていく感じである。和語の「のぞく」も,
間を隔てる生涯をとりのけてみる,隙間から見る,
↓
わずかに一部分だけ見る,
↓
高い所から見下ろす,
という意味の流れである(以上『広辞苑第5版』)。
『岩波古語辞典』は,「のぞむ」を,
「ノゾミ(望)と同根か」
とする。髙い位置の視点を,横の距離に置き換えれば,
高い所から見下ろす,
↓
はるか遠くまでみる,
と転じても,転換としてはわかる。
透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨)→遠望(臨・望),
という視点の移動だろうか。『大言海』は,「のぞく」を,
覘く・覗く,
と
臨く,
と分けているが,「のぞく(覘く・覗く)」は,
臨(のぞ)くようにして見る,
意図し,「のぞく(臨)」を,
「伸(の)すに通ず」
とし,
「のぞむ(臨)」を,
「伸(の)し見る」
とする。「視線を伸ばす」という意味だろうか。
『日本語源広辞典』は,「のぞく(覗く)」は,
「ノゾ(臨み)+ク(動詞化)」
で,「都合の良い所に臨んで見る」意,とし,「のぞむ(臨む)」は,
「ノゾ(あるものに対す)+ム(動詞化)」
とし,「距離を置いて対す」意とする。しかし,この意味は,
「《漢字『臨』をノゾムと訓読したことから》向かう,直面する」
意が生まれたとする(『岩波古語辞典』)ところから見ると,前後が逆ではあるまいか。
『日本語源大辞典』の「のぞく(覗く・覘く・臨く)」をみると,
ノゾム(望)の義(言元梯),
ノゾム(望)と同根(小学館古語大辞典),
ノゾミミル(臨睨)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ノはノゾム(望),クはクラキの義(和句解),
ノゾミオク(望)の義(国語本義),
と,ほぼ「望む」と関わり,逆に「のぞむ(望む・臨む)」を見ると,
ノゾク(覗)と同根か(岩波古語辞典),
ノゾム(望・臨)はノゾク(覗・覘)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏),
ノゾキソムの義(和句解),
ノビソルメ(伸反目)の義(名言通),
ノビススム(伸進)の義(言元梯),
ノソミ(伸見)の転(和語私臆鈔),
ノシミル(伸見)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
と,「覗く」と関わる。和語「のぞく」は,節穴から,遠くを望むまで,多義的であった。それこそ,
伸す,
と関わったのかもしれない。それを漢字で当て分けることで,
透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨)→遠望(臨・望),
と,区別ができた。近くを覗くことも,遠くを「臨む」ことも,区別がつかない言葉「のぞく」が,漢字という言葉て,見える世界の違いを知った。まさに,ヴィトゲンシュタインの,
持っている言葉によって見える世界が違う,
のである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95