2018年11月23日

告往知来


「告往知来」は,

こくおうちらい,

と訓ませる。類義語に,

一を聞いて十を知る,
挙一反三,
挙一明三,

等々がある。「挙一明三」以外は,『論語』が出典である。

「告往知来」は,『論語』学而篇の,

子貢曰、貧而無諂、富而無驕,何如,子曰、可也,未若貧時樂道、富而好禮者也, 子貢曰、詩云、如切如磋,如琢如磨、其斯之謂與,子曰、賜也,始可與言詩已矣,告諸往而知來者也。

の,

諸(これ)に往(おう)をつげて来(らい)を知るものなり,

から来ている。師の,

「未だ貧しくして道を楽しみ、富て礼を好むねのには若かざるなり」

に,子貢が,

「詩に『切するが如とく磋(さ)するが如ごとく、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如とし』と云へるは,それ其(こ)の謂か。」

と応じたのを,

「告往知来」

と評したのである。つまり,「往き道を教えれば,帰り道を知る」と喩えたのである。

彰往察来(しょうおうさつらい),
鑑往知来(かんおうちらい),
彰往考来(しょうおうこうらい),
数往知来(すうおうちらい),

とも言うらしい。因みに,子貢のいう「詩」とは,『詩経』衛風の淇奥(きいく)篇の,

「淇(き)という川の曲がりくねって奥まった,こんもりとしげった緑の竹藪のところに,目もあざやかに一人の貴族が立っている。この貴族は,衛の名君武公を象徴するとされ,その人格をたたえた」

詩という(貝塚茂樹)。この詩を引いて,

「富んでいながら,しかも礼を好む,いやがうえにも自己の向上をはかるものの境地が表現されていると解した」

のである(仝上)。

「一を聞いて十を知る」は,『論語』公冶長篇の,

子謂子貢曰、女與回也孰愈、対曰,賜也、何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二、子曰、弗如也、吾與汝弗如也。

の,

回は一を聞いて以て十を知る,

から来ている。で,顔回に比べて,子貢自身は,

一を聞いて以て二を知る,

評す。これを見ると,

告往知来,

の,という子貢の聡さは,

一を聞いて以て二を知る,

というレベルということになる。

「挙一反三(きょいちはんさん)」は,『論語』述而篇の,

子曰、不憤不啓、不非不発、挙一偶、不以三隅反、則不復也。

の,

一隅を挙げて,三隅を以て反(かえ)らざれば,則ち復(また)せざるなり,

から来ている。つまり,

一隅をあげて説明すれば,三隅を以て応答する,

という学ぶ側の姿勢を問うている。ここでは,ただ理解ではなく,

「自分で問題をもち,それを説こうとする」

姿勢が問われている。問題意識,探求心,と置き換えてもいい。『碧巌録』に據るという,

「挙一明三(こいちみょうさん)」は,

ほぼ同義だが,

「一を挙げて三を明らかにす」

とも読むので,「挙一反三」の一歩先を行くのかもしれない。その先に,

百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう),

が来るのかもしれない。

百尺竿頭に須く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし(長沙禅師),

は到底及ばない世界である。「百尺竿頭」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/426438375.html)についてはすでに触れた。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする