2018年12月01日

花火


「花火」は,

煙(烟)火,

とも当てる(『広辞苑第5版』)。

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(歌川広重『名所江戸百景』に描かれた両国花火。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%ABより)

今日は,

「黒色火薬に発色剤をまぜて筒につめ,または玉としたもの。点火して破裂・燃焼させ,光・色・爆音などを楽しむ」

という(『広辞苑第5版』),いわゆる「花火」であるが,はぜ「花」「火」なのか。『字源』の「花火」に(ということは「花火」は中国語らしい),

「經國雄略『梨花之製,捲紙為筒,如元宵之戯玩花火之類』」

とあり,

烟火,

と同じとある。「煙(烟)火」の項を見ると,

飯をかしぐ煙,

と同時に,

のろし,

とある。用例として引かれた,

「漢書『初北邉宣帝以来,數世不見煙火之警,人民熾盛,牛馬布野』」

を見ると,「烽火」の意である。日本でも,『大言海』の「花火」の項で,

「北條記,佐竹對陣『天正十三年,云々,敵陣に花火を焼立てければ,味方の若侍共,花火をくくりて,是も同じく焼立てける』」

とある。やはり「烽火」である。初めは,「のろし」として用いられていたことがわかる。「焼く」とは,

狼烟は,陣中にて焼く,

とあるので,烽火を上げることを,そう呼んだものらしい。

この「のろし」は,

狼煙,
烽火,

と当てる。『大言海』は,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とあり,『大言海』は,さらに付言して,

「北條流の軍學にては,地を掘ること一丈ばかり,底に薪をたきて,二間程の生木數本を,焼火の上に立つれば,煙,空に上がると云ふ(甲子夜話)。或は,これに狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とある。狼云々はこの謂いである。さらに,この「のろし」の意味に,

「江戸時代に,色々作りものを打ちあぐる火花,ちあげはなび」

と載る。打ち上げ花火が「のろし」の発展形といことである。「のろし」の語源は,『大言海』のノラシ説以外に,

野狼矢の義か(和訓栞),
ノボルシルシ(外記)の義か(名言通),
ノは火,ロは含み発する,シは通行の意(柴門和語類集),
ノシ(伸)の義,ロは助語(言元梯),

等々諸説ある(『日本語源大辞典』)が,『日本語源広辞典』の,

「『ノロシ(烽火・狼煙)』は,古く『飛ぶ火』といいました。『「ノル(宣・祝)+火」の音韻変化』が語源かと思われます。戦を宣言する合図の焚火で,煙を上げることをいいます」

が,「のろし」の意味からは,よく納得できる。

今日の「花火」は,日本では,

「室町時代の公家万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』の1447年5月5日(文安4年3月21日)条に、浄華院における法事の後に境内にて『唐人』が花火と考えられる『風流事』を行ったという記事が見えている。そこでは、竹で枠を作り、火で『薄・桔梗・仙翁花・水車』などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来するといったものや、『鼠』と称し火を付けると『走廻』るもの、手に持って火を付けると空中を『流星』のように飛ぶもの、などが披露されたという。時房は『希代之火術也』と賞賛し、褒美を与えている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB)のが最初のようにである。そして,

「1582年4月14日(天正10年3月22日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』)は、大友宗麟が花火を活用して聖週間の祭儀をキリシタンを増やすための盛大な公開イベントとしたものである。聖土曜日の夜から翌明け方までの復活徹夜祭では、三つの城楼から花火細工が出て来る仕掛けが、三千もの提燈(教会堂や日本の物語を象った夜高行燈)の行列に豪華さを加えた。さらに数々の花火が『空中で実にさまざまな形となった』ので人々は皆立ち止まって花火見物をした。」

とある(仝上)。さらに,

「『駿府政事録』『宮中秘策』『武徳編年集成』等の書物によれば現代の花火に繋がる花火を一番初めに見たのは徳川家康とされる。1613年8月、英国人ジョン・セーリスが国王ジェームズ1世の国書をたずさえ正式な使者として駿府城を訪れた際、花火を見せたとされる。」

江戸時代以降,花火が盛んになるが,『和漢三才図会』には,

鼠花火、狼煙花火,

等々が紹介されている,という(仝上)江戸時代以降の花火については,

http://www17.plala.or.jp/hanabi-sanpo/knowledge03.htm
http://www17.plala.or.jp/hanabi-sanpo/knowledge03.htm

等々にも詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2018年12月02日

のろし


「のろし」は,

狼煙,
烽火,

と当てる。「のろし」については,「花火」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463004553.html?1543609463)で触れたが,『大言海』は,「のろし」の項で,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とあり,『大言海』はさらに付言して,

「北條流の軍學にては,地を掘ること一丈ばかり,底に薪をたきて,二間程の生木數本を,焼火の上に立つれば,煙,空に上がると云ふ(甲子夜話)。或は,これに狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とある。狼云々はこの謂いである。さらに,この「のろし」の意味に,

「江戸時代に,色々作りものを討ちあぐる火花,うちあげはなび」

と載る。打ち上げ花火が「のろし」の発展形ということである。『大言海』が引用している「細川幽斎覚書」には,

「軍中にてノロシと申事有之,御先に罷在時に,御旗本より程遠く候て,俄に使いもやられざる處ならば,大将と約束申て,何と仕り候はば,其時にノロシを上可申候」

さらに,「和訓栞」には,

「ノロシ,烽煙をいふ。野狼矢の義にや,西陽雑俎に,狼糞煙直上,烽火用之と見えたり」

とある。「のろし」の語源は,『大言海』のノラシ(野ら気)説以外に,

野狼矢の義か(和訓栞),
ノボルシルシ(外記)の義か(名言通),
ノは火,ロは含み発する,シは通行の意(柴門和語類集),
ノシ(伸)の義,ロは助語(言元梯),

等々諸説ある(『日本語源大辞典』)が,『日本語源広辞典』の,

「『ノロシ(烽火・狼煙)』は,古く『飛ぶ火』といいました。『「ノル(宣・祝)+火」の音韻変化』が語源かと思われます。戦を宣言する合図の焚火で,煙を上げることをいいます」

が,「のろし」の意味からは,よく納得できる。

なお,狼の糞の由来は中国で,『大言海』に宋の陸佃云々とあるが,

「唐の段成式撰の『酉陽雑俎』に「狼糞煙直上,烽火用之」(狼の糞の煙を直上させ、烽火に用いた)と記され、「狼煙四起」の成語がある。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%BC%E7%85%99)。『広辞苑第5版』の「狼烟(煙)」(ろうえん)には,

「昔,中国で煙を直上させるために狼の糞をいれたからいう」

とある。「北条五大記」には,

「東國山嶺に狼烟を立つる事『狼烟と書て,ノロシとよむなれば,狼の子細有べき事也。扨又,火と書て,かがりとも,とぶ火ともよめり』」

とあり,その謂れが,

「狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とあることは,すでに触れた。日本では、

「8世紀初めに成立した『日本書紀』や『肥前国風土記』に『烽(トブヒ)』として記述が見られる。燃やす物は決められており、ヨモギやワラなどを穴に入れ、その中で燃やしたものと考えられている(狼煙用の穴とみられる遺構も確認されている)。そのため、中国式の台上で物を燃やす狼煙とは形式が異なるものだったとみられている(大陸と違い、動物の糞を用いていない点もあげられる)。」

ともある(仝上)。

「栃木県宇都宮市所在の飛山城跡から出土した9世紀中頃の土器片(須恵器の坏)には『烽家』と書かれた例がある。ここでの『家』とは、古代律令下における公的施設を意味し、9世紀頃に東北地方で活発化した蝦夷の反乱から東国の軍事体制整備の一環として、烽に関連した公的施設が築かれたと考えられている。」

とある(仝上)が,律令制で「烽(ほう)」の制があり,

「変事の急報のために設けた設備。また、その合図の煙や火。約20キロメートルごとに設置し、烽長と烽子を置いた。」

もの(『大辞林』)と関わる。『日本書紀』には,「烽」を,「とぶひ」と訓ませ,

「是年(天智称制三年(664年))対馬嶋・壱岐嶋・筑紫國等に,防と烽(とぶひ)というをおく」

とあり,その後,對馬金田城(き)より,壱岐島の峰,稲積城,三野城を経て大野城(大宰府)に至り,さらに長門城より,備後茨城・常城・讃岐屋島城などの瀬戸内海を経て,難波羅城に至り,高安城さらに高見峰,春日峰を経由して平城宮に至る大烽制が存在した(西ケ谷恭弘『城郭』),という。この制は,799年大宰府管内を除いて廃止されるが,対外防衛の烽火のシステムが出来ていたようだ。

その後は,戦国大名が通信手段として用い、

「『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた書)巻五「攻城・守城」には、『(攻めて来た敵勢が)小軍なら一つ、中軍なら二つ、大軍なら三つ狼煙をあげる』

との記述がある(仝上),ように国内戦でもっぱらもちいられた。

「のろし」に当てる,

烽火,

は,

ほうか,

と訓む。この「烽火」には,狼少年に似た寓意が籠められ,『平家物語』「烽火(ほうか)」においても平重盛の弁で,次のように語られる。

異国の習ひに、天下に兵乱(ひやうらん)の起こる時は、所々に火を上げ、太鼓を打つて、兵(つはもの)を召す謀(はかりごと)あり。これを烽火(ほうくわ)と名付く。ある時天下に兵革(ひやうがく)起こつて、所々に烽火を上げたりければ、后これを御覧じて、『あなおびたたし、火もあれほどまで多(おほ)かりけりな』とて、その時初めて笑ひ給へり。一度笑めば桃の媚ありけり。幽王これをうれしきことにし給ひて、その事となく、常は烽火を上げ給ふ。諸公来たるに仇(あた)なし、仇なければすなはち帰へりさんぬ。かやうにする事度々に及べば、兵も参(まゐ)らず。ある時隣国より凶賊(きようぞく)起こつて、幽王の都を攻めけるに、烽火を上ぐれども、例の后の火に習つて、兵も参らず。その時都傾(かたぶ)いて、幽王終つひに亡びにけり。さてかの后、夜間となつて走り失せけるぞ恐ろしき。かやうの事のある時は、自今以後、これより召さんには、皆かくのごとく参るべし。重盛今朝別して天下の大事を聞き出だして召しつるなり。されどもこの事聞き直なほしつつ、僻事(ひがごと)にてありけり。さらば疾(と)う帰れとて、侍ども皆帰されけり。まことにさせることをも聞き出だされざりけれども、今朝父を諫(いさ)め申されける言葉に従つて、我が身に勢の付くか、付かぬかのほどをも知り、また父子戦(いくさ)をせんとにはあらねども、かうして入道大相国(にふだうたいしやうこく)の謀反の心も、和(やはら)ぎ給ふかとの謀(はかりごと)とぞ聞こえし。君君たらずと言へども、臣もつて臣たらずんばあるべからず。父父たらずと言へども、子もつて子たらずんばあるべからず。君のためには忠あつて、父のためには孝あれと、文宣王(ぶんせんわう)ののたまひけるに違たがはず。君もこの由聞こし召して、今に始めぬことなれども、内府だいふが心の内こそ恥づかしけれ。仇あたをば恩をもつて報はうぜられたりとぞ仰おほせける。果報くわはうこそめでたうて、今大臣の大将だいしやうにいたらめ。容儀体佩ようぎたいはい人に優れ、才知才学さいかくさへ世に越えたるべきやはとぞ、時の人々感じ合はれける。国に諫いさむる臣あれば、その国必ず安く、家いへに諫むる子あれば、その家必ず正しと言へり。」

この例の「烽火」は,『史記』周紀に,

「犬戎攻幽王,幽王挙烽火徴兵,兵莫至,遂殺幽王驪山下」

とある例である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:のろし 狼煙 烽火
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2018年12月03日

あらし


「あらし」は,

嵐,

と当て,

荒く吹く風,もとは山間に吹く風をいうことが多く,のち一般に暴風・烈風ををいう,
さらに広く,暴風雨,台風,
(比喩的に)激しく平安を乱すもの,

の意で用いるが,『広辞苑第5版』には,

「『嵐』の字は,中国では,山に立ちこめるもや,または山のけはいの意」

とある。「嵐」(ラン)の字は,

「会意兼形声。『山+音符風』で,空気がぶるぶると震え動くこと」

で,

山の清らかな風や,空気,山気,もや,

の意である。当初「山間の風」の意で使っていたのは,漢字の原義に近いのかもしれない。

暁嵐(ギョウラン 朝の爽やかな山の風),
靑嵐(セイラン 澄み切った山の空気),
嵐氣(ランキ むし潤へる山の気),
嵐光(ランコウ 山気の蒸して光あるさま),
嵐翠(ランスイ 山の気の緑色なるさま),

等々という用語もある。

『大言海』は,「のろし」の項で,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とするが,「あらし」の項では,

「荒(あら)を活用せしむ」

とする。「シは気なり」として,「あら」は,『大言海』は,

「あら(荒) (嗟(あら)にて見て驚嘆する声にもあるか)①剛(こわ)き(柔き,和(にご)きに対剛も柔の意),②激しき,猛(たけ)き」

「あら(荒涼) (暴(あら)しより,ものすごきに移りたるものにあらむか)人気疎き,ものすごき,すさまじき」

どちらも接頭語であるが,後者は,

「荒野」「荒山「あら草(荒野の意)」「あら路(荒山の意)」

とあるので,後者の動詞化,という意図なのだと思われる。『日本語源広辞典』は,

「アラ(荒)+シ(風)」

とするので,「シ」の解釈は別に,「アラ」説と思われる。ただ,『岩波古語辞典』は「し」を,

息,
風,

と当て,

「複合語になった例だけに見える」

とし,

息,
風,

の意とする。転じて,

方角,

の意となる,とする。例えば,西風(にし)。『大言海』も「し」で,

風の古名,

とし(「荒風(あらし)」「廻風(つむじ)」「風巻(しまき)」),転じて,

ち,
て,

とし,「東風(こち)」「速風(はやち)」「疾風(はやて)」の例を挙げる。前述の「風雨(あらし)」の「シは気なり」は「息」のことなのかもしれない。

『日本語源大辞典』には,

アラシ(荒風)。シは風の意(箋注和名抄・雅言考・和訓栞・大言海),
アラはアライキ(荒気),シはイキ(息氣)の意(松屋棟梁集・柴門和語類集),
形容詞アラシ(荒)から(和訓栞・滑稽雑誌所引和訓義解・名言通),
アラ(荒)ク-フ(吹)キシキル義(桑家漢語抄),
悪魔の別音a-siに諧調のラ行音を挿んだ語。悪魔の義(日本語原学=与謝野寛),

等々を上げるが,

「語源として,『アラ(荒)+シ(風)』と見るのが通説であるが,アクセントから『おろし』との関係を考える説もある」

とする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/a/arashi.html)も,

「嵐は、『あらし(荒風)』と考えられる。形容詞『荒し』が名詞化とも考えられるが、『かぜ( 風)』の『ぜ』と同じく『シ』は『風』の意味であろう。古くは、山から吹きおろしてくる風を『あらし』と呼んでおり、『万葉集』などでは、『山風』『下風』『山下』などの漢字が当てられている。山から吹き下ろす風を『あらし』と言い、アクセントも『おろし(颪)』じであることから、『おろし』との関係も考えられる。」

とする。古く,

もとは山間に吹く風をいうことが多い,

からこそ,「暴風」の意ではない漢字「嵐」を当てたのだと思われる。僕には,「おろし」は単純に,

下ろし,

ではないか,と思う。「下ろす」には,

吹き下ろす,

意があり,

みむろ山下ろす嵐のさびしきにさびしきに妻呼ぶ鹿の声たぐふなり(千載集)

という歌もある。

で,区別するために,国字,

颪,

を作字したのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:あらし
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2018年12月04日

きらう


「きらう(ふ)」は,

嫌う,
斥う,

等々と当てる。『大言海』の意味の説明がいい。

①棄て退ける,
②心に適わずとす,好まず,
③忌む,憚る,

『大言海』は,

「切るの延なるべし(取る,とらふ(捕)。遣る,やらふ)。」

とし,『広辞苑第5版』も,

「切ると同源か」

とし,『日本語源広辞典』も,

「『キラ(切るの未然形)+フ(継続反発)』です。感情的に切り続ける意味の動詞です。その連用形キライは形容詞として使います。いやにおもい,離れたい心情を,対人関係を切り続けたいと表した語です。」

とする。

『岩波古語辞典』もやはり,

「キリ(切)と同根か」

としつつ,

「切り捨てて顧みない意。類義語イトヒは,避けて目を背ける意」

と,「いとう」と対比している。「いとう」については,

「いやだと思うものに対しては,消極的に身を引いて避ける。転じて,有害と思うものから身を守る意。類義語キラヒは,好きでないものを積極的に切りすて排除する意」

とある。「きらう」が積極的に排除するのに対して,「いとう」は遠ざかる感じである。

「きらう」の語源は,「切る」説が大勢だが,その他に,

キリアフの約。切顕れ進む義(国語本義),
キイナム(気呑)の転(言元梯),
アキハラフ(飽払)の義(日本語原学=林甕臣),

とあるが,「いとう」との関連から見ても,「切る」と同源でいいのではないか,と思われる。

「きらう」の類語で,「毛嫌い」がある。これは,

「鳥獣が相手の毛なみによってすききらいすることから」

と『広辞苑第5版』にはあるが,『大言海』は,「板阪卜斎記(慶長)」の,

「鶏を合わせ候に,向こうの鶏,一方の鶏を見て退き候,是れを下々にて,毛嫌と申し候」

と,鶏のこととする。しかし,『日本語源広辞典』は,

「毛の色+嫌い」

とし,

「馬を交尾させるとき,好みが激しく,全く相手を寄せ付けない場合,博労たちが『毛嫌い』といったことによります」

とする。鶏が先か馬が先かは別だが,鳥獣の選り好みを指していたものだろう。この場合,

嫌い,

は生理的ないし,感覚的なものと見ていい。理屈ではなく,膚が合わない感じである。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/kegirai.html)は,

「毛嫌いの語源は、鳥獣が相手の 毛並みによって好き嫌いをすることからといわれる。また、闘鶏で相手の鶏の毛並みを嫌って戦わないことから出たとする説や、雌馬が雄馬の毛並みを嫌って馬の種付けがうまくいかないことから出た言葉など、『毛嫌い』の出所を示す説もある。ただし、『毛嫌い』の細かな出所は定かではないため、鳥獣が毛並みによって相手を嫌うことを元に、後から付け加えられたものと考えられる。」

とする。そんなことかもしれない。

似た言葉に,「忌み嫌う」というのがある。「忌む」は,『岩波古語辞典』に,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,穢れ,畏れ,の意が含まれている。汚らしい,憚られる,という感じであろうか。この場合も,生理的,感覚的だが,その感覚は,他の人も共有できる何かを含んでいる。

虫唾が走る,

という言い回しが,それに近いのかもしれない。理屈が少し勝れば,

蛇蝎の如く嫌う,

となる。

唾棄,

が近い。むしろ,避ける感覚が強ければ,

顰蹙,

程度で済む。

「嫌」(漢音ケン,呉音ゲン)の字は,

「会意兼形声。兼(ケン)は,禾(いね)を二つ並べ持つ姿。いくつも連続する意を含む。嫌は『女+音符兼』で,女性にありがちな,あれこれ気兼ねし,思いが連続して実行を渋ることをしめす。」

とある。「しぶる」という含意がある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:斥う きらう 嫌う
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2018年12月05日

いむ


「いむ」は,

忌む,
斎む,

と当てる。

「禁忌と思い,身を慎む意」

と『広辞苑第5版』にはあり,

「けがれを避けて身を浄め,慎む」

意とある。「忌」(漢音キ,呉音ゴ)の字は,

「会意兼形声。己(キ)は,はっと目だって注意を引く目じるしの形で起(はっと立つ)の原字。忌は『心+音符己』で,心中にはっと抵抗が起きて,すなおにうけいれないこと」

とある(『漢字源』)。「よくないことをするとさしさわりがあるとして,そのことを避ける迷信,タブー」の意とある。「恐れきらふ義。いやがる。嫌忌,忌憚と用ふ。小學『如護病而忌醫也』」(『字源』)ともある。

「斎(齋)」(漢音サイ,呉音セ)の字は,「斎」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.html)で触れたが,

「会意兼形声。『示+音符齊(きちんとそろえる)』。祭りのために心身をきちんと整えること」

であり,「祭りの前に酒や肉を断ち,きまったところにこもって心を一つにして準備する」意である。物忌の意ではあるが,我が国で,「いつく」として,「心身を浄め神に仕える」意とは,微妙に違うようだ。「斎」は,「ととのる」と訓ませるので,精進潔斎,斎戒沐浴,と使うように,心身をそれにふさわしく「ととのえる」意である。別の由来では,

「会意兼形声文字です(斉+示)。『穀物の穂が伸びて生え揃っている』象形(『整える』の意味)と『神にいけにえを捧げる台』の象形(『祖先神』の意味)から、『心身を清め整えて神につかえる』、『物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)』を意味する『斎」という漢字が成り立ちました。」

ともあり(https://okjiten.jp/kanji1829.html),やはり,心身を浄め整える意味がある。

「忌む」について,『岩波古語辞典』は,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味が並ぶ,どこかに,「畏れ」と相反する「穢れ」の含意がある。

『大言海』は,「いむ」を,

斎む,
忌む,

の二項に分ける見識を示す。「斎む」は,

「斎(い)を活用す」

とし,

「凶穢(けがれ)を避けて,身を浄め慎む。神に事振るに云ふ」

とする。「忌む」は,

「斎むの轉。穢事を避け嫌ふ意より移る」

とし,

(禍事を)嫌ひ避く→憚る→憎み嫌ふ,

という意味の転化を示している。

『日本語源広辞典』も,「いむ」は,

「イ・ユ(忌・斎・諱)+ム(動詞化)」

としている。これだと,「イ」「ユ」の活用の意味がはっきりしないが,

イ(斎)の活用(大言海・国語の語根とその分類=大島正健),
ユ(斎)に活用語尾をつけたものの転呼(日本古語大辞典=松岡静雄),

と二説に分かれる。同じと言えば同じだが,「い(斎)」は,

「イミ(斎・忌)と同根。」

で,「神聖であること」「タブー」の意だが,「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」など,複合語としてのみ残っている。

「ユユシなどのユの母韻交替形。イとユの交替例は,イキ・ユキ(行),イツキ・ユツキ(斎槻)など」

とある(『岩波古語辞典』)。「ユ(斎)」は,やはり,

「ユユシ(斎・忌)と同根。接触・立入が社会的に禁止される意」

で,「神聖である」「触れてはならない」意を意味する。やはり,「斎笹」「斎つ岩群」「斎槻」等々の複合語に残る(仝上)。

「ゆく」と「いく」で少し含意が違うように,「イ」「ユ」は交替しつつ,微妙な意味差がある気がする。

基本的には,「いむ」は,

神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒,→(転じて)→忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり,

の意味の幅だが,

「生活圏に悪影響を及ぼす穢れを嫌い排除する事」

のようである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E3%81%BF)。しかし,それは,「畏れ」故である。

「台風や大雨、日照り、地震等自然災害も不浄、穢れ」

とされ(仝上)、「火」も,穢れとされた。祓えの儀式で清めるのはそのためである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
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ラベル:斎む 忌む いむ
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2018年12月06日

けがれ


「けがれ」は,

穢れ,
汚れ,

と当てる。漢字で「汚」と「穢」は微妙に違う。

「汚」は,「汗」に同じ。「汗」は,たまり水なり。濁水不流と註す。轉じて人の行の濁りて,清からぬをいふ,
「穢」は,畑の草だらけにきたなきをいふ。蕪穢,荒穢と連用す。また轉じて,穢徳,穢行などと用ふ。汚より重し,

とある(『字源』)。確かに,「汚(けが)れ」と汚(よご)れだが,「穢れ」は,洗っても落ちない感覚がある。

「『けがる』と『よごる』の違いは、『よごる』が一時的・表面的な汚れであり洗浄等の行為で除去できるのに対し、『けがる』は永続的・内面的汚れであり『清メ』などの儀式執行により除去されるとされる汚れである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C)のも,その感覚である。

で,「けがれ」は,「よごれ」ではあるが,少し広げて,「神前に出たり勤めにつくのを憚られる出来事」となり,より広げて,名誉を傷つけられる,汚点の意ともなる。

『大言海』は,「けがる」の項で,

「清離(きよか)るの約か,清(きよ)ら,けうら」

とする。『岩波古語辞典』は,

「ケ(褻)カレ(離)の複合か。死・出産・月経など異常な状態,触れるべきでない不浄とされる状態になる意」

とする。「褻」は,「晴」と「褻」という使い方で,「日常」「平生」の意で使うが,中国語にはない。「褻」(漢音セツ,呉音セチ)の字は,

「会意兼形声。『衣+音符熟(身近い,ねばりつく)の略体』」

とあり,「はだぎ」「ふだん着」の意味で,そこから「けがれる」意をも持つ。

「けがれ」は,「い(忌)む」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.html?1543954637)対象と言うことになる。例えば,「火」は,

「神宮等では、神事の際、忌火(いみび)と呼ばれる火を起こす。これは火がそもそも持つ性質、すなわち「他を焼き無くしてしまう」という性質が、一般的なケガレの概念、つまり「不浄」「不潔」同様、神や人間の結界、生活圏を脅かす「ケガレ」であるため、これを用いる際にそう呼ばれる。また火がケガレを伝染媒介すると考えられていた為、かまどを別にするなどの措置がとられた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E3%81%BF

とある。「けがれ」とは,

「忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

ものとなる。

「清離(きよか)るの約」と「ケ(褻)カレ(離)の複合」は,似ているが,微妙に違う気がする。

「け(褻)」について,『岩波古語辞典』は,「晴れの対」とした上で,

「ケ(日)と同根」

とし,

「日常的なこと。ふだん」

の意とする。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。「複数だけを表す単語は,日本語には他例がない」とある。しかし,『大言海』は,「け(褻)」について,別の説を立てる。

「け(來經)の義にて,日常の意ならむ。褻の衣は,常の衣なり」

と,漢字「褻」の意から解釈する。ま,日常というのに代わりはない。

「清」から離れる,
のと,
「日常」から離れる,

のでは,「清さ」から離れているのと,日常から外れているのとでは,「けがれ」の穢れ度が,結構違う。「晴れ」から離れていると言うのと,「ケ(日常)」から離れていると言うのとの違いと言うと分かりやすい。「けがれ」を,

日常に悪影響を与えるもの(こと),

清らかさ(神聖さ)から離れること,

の二面があり,いずれも,「けがれ」なのかもしれないが,

日常から外れた,つまり異常か,
清らかさ(清浄)から外れた不浄か,

は,微妙に意味が違うが,「けがれ」の意味の幅を押さえているとも言える。

『日本語源広辞典』は,「けがす」で,三説挙げる。

説1,「ケガ(怪我)と同源,
説2,「ケ(あなどる)+カル(離る)」。見下げて遠ざける意,
説3,「ケ(食)+カル(離る)」。食物が汚れ,口にできなくなる,

ただ,「怪我」は「仮我」という仏教語由来らしいので,後世と見られる。他の説は,「けがれ」が,意味の変化をとげて以降の解釈に見える。

『日本語源大辞典』は,「清」離説,「褻」離説以外に,

気枯の義(白石先生紳書・和訓栞),
ケカル(気枯)の義。穢は雑草の意で,雑草が多く生ずると,諸草すなわち毛が荒廃するところから(類聚名義抄),
ケ(気)に,不快感を表すだろう君ガをつけたものか(国語の語根とその分類=大島正健),
ケ(気)の物に触れる義から(国語溯原=大矢徹),
ケカカル(気懸)の義(言元梯),
ケガ-アレ(生)の約。ケはキエ(消)の約で気,ガは身に染む義(国語本義),
悪い気ガアルの約(和句解),

等々諸説あるが,とても,「けがれ」の持つ奥行が視野に入っているとは思えない。結局,

キヨカル(清離)説(大言海・名言通),

ケ(褻)カル(離)説(岩波古語辞典)。

に軍配を上げるほかない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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ラベル:けがれ 穢れ 汚れ
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2018年12月07日

いとう


「いとう」は,

厭う,

と当てる。「厭」(エン,オン)の字は,

「会意文字。厭の中の部分は,熊の字の一部と犬とをあわせ,動物のしつこい脂肪の多い肉を示す。しつこい肉は食べ飽きていやになる。厂印は上から被さる崖や重しの石。厭は,食べあきて,上からおさえられた重圧を感じることをあらわす」

とあ(『漢字源』),「あきる」「しつこくていやになる」という意で,「厭」の字は,「飽」の字と比較されて,

「飽」は物をいっぱい食ふ義にて,いやになるまで過食にはあらず。転用して飽徳・飽仁義などと用ふ,
「饜」は,あき満るほど,大食するなり。孟子「饜酒肉而後反」
「厭」は,饜に通用す。左傳「食淋無厭」

とあり,「厭」は,飽きる意である。ただ,厭離穢土,と仏教用語では,この世をいとう意で用いている。この辺りが意味のシフトの因かも知れない。

『岩波古語辞典』には,「いとひ」の項で,「きらう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463051261.html?1543868601)で触れたように,

「いやだと思うものに対しては,消極的に身を引いて避ける。転じて,有害と思うものから身を守る意。類義語キラヒは,好きでないものを積極的に切りすて排除する意」

とある。「きらう」は,

「キリ(切)と同根か」

で,

「切り捨てて顧みない意。類義語イトヒは,避けて目を背ける意」

と,「いとう」は「きらう」と比べ,身を避ける含意のようである。

「キラ(嫌)ウが相手を積極的に切り捨て遠ざける意であるのに対して,イトウはいやな相手を避けて身を引く意」

と,『広辞苑第5版』にもある。

『大言海』は,

「傷思(いたくも)ふの約か。腕纏(うでま)く,うだく(抱)。言合(ことあ)ふ,こたふ(答)」

とする。この語源だと,

好まないで避ける

この世を避けはなれる

害ありと避ける

いたわる,かばう,大事にする,

という意味の変化がよく見える。

身をお厭いください,

という言い方は,

「危なきを厭ひ護る意より転じて」(大言海)

自愛,

の意に変っていく流れがよくわかる。

臆説かもしれないが,

いたはし,

と関わるのかもしれない。「労わる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451205228.html)の項で触れたように,「労わる」と同根とされることばに,

いたはし(労はし),

という形容詞があるが,『岩波古語辞典』は,

「イタは痛。イタハリと同根。いたわりたいという気持ち」

とあり,

(病気だから)大事にしたい,
大切に世話したい,
もったいない,

といった心情表現に力点のある言葉になっている。この言葉は,いまも使われ,

骨が折れてつらい,
病気で悩ましい,
気の毒だ,
大切に思う,

と,主体の心情表現から,対象への投影の心情表現へと,意味が広がっている。

『大言海』は,「いたはし」について,

「労(いたは)るの語根を活用せしむ(目霧(まぎ)る,まぎらわし。厭ふ,いとわし)。」

とし,「労(いたは)る」は,自動詞と他動詞を別項にし,前者については,

「傷むの一転なるか(斎(い)む,ゆまはる。生(うま)む,うまはる)。労(いたづ)くは,精神の傷むになり。爾雅釋詁『労,勤也』」

とあり,後者については,

「前條(つまり自動詞)の語意に同じ。但し,他動詞となる。同活用にして,自動とも他動ともなるもの。往々あり,いたづく,ひらく,の如し。務めて懇ろに扱う意となる。和訓栞,イタハル『人の労を労ねきとしてねぎらふ』,廣韻『労,慰(なぐさむる)也』」

とある。「いたはし」の転として,

いとほし,

がある。

「お厭いとい下さい」

の「厭い」には,そんな言葉の奥行があるような気がしてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:いとう 厭う
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2018年12月08日

いとなむ


「いとなむ」は,

営む,

と当てる。「営(營)」(漢音エイ,呉音ヨウ)の字は,

「会意兼形声。營の上部は炎が周囲をとり巻くこと。營はそれを音符とし,宮(連なった建物)の略体を加えた字で,周囲をたいまつでとり巻いた陣屋のこと」

とある(『漢字源』)。「ぐるりととり巻く」の意から,

「直線の区画を切るのを經(ケイ)といい,外側を取り巻く区画をつけるのを營(エイ)という。あわせて,荒地を開拓して畑を区切るのを『經營』といい,転じて,仕事を切り盛りするのを『經營』という。」(『漢字源』)

とあるが,「「造営」「築造」ともいい,「いとなむ」「いとなみこしらえる」という意もある(『字源』)。

『広辞苑第5版』の「いとなむ」には,

「イトナ(暇無)シの語幹に動詞を作る語尾ムの付いたもの」

とある。『デジタル大辞泉』も,

「形容詞『いとなし』の動詞化」

とある。『岩波古語辞典』の「いとなみ」の項も,同様に,

「形容詞イトナシ(暇無)の語幹に動詞を作る接尾語ミのついたもの。暇がないほど忙しくするのが原義。ハカ(量)からハカナシ・ハカナミが派生したのと同類」

とある。「はか」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/431282570.html)については,触れた。

どうやら,「營」の字を当てたが,測るとかつくる,などという抽象的なことではなく,ただ,

忙しく仕事をする,
暇がないほど忙しい,

という状態表現にすぎなかったとみられる。「いとなし(暇無し)」自体が,

休む間がない,たえまない,

という意で,

ひぐらしの声もいとなく聞ゆる,

というようなたんなる状態表現であったことから由来している。こんにちの,辞書の意味にも,

忙しく仕事をする,せっせと努める,

の意味が最初に載る。そこから,

(行事・食事などの)準備をする,
神事・仏事をおこなう(日葡辞典「ブツジヲイトナム」),

と,忙しい特定の部分に限定されていったとみられる。

『日本語源広辞典』も,同じく,

「イト(暇・休み)+ナシ(無)+ム(動詞化)」

とするし『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/itonamu.html)も,

「営むは、『暇 がない』『忙しい』という意味の形容詞『いとなし(暇無し)』の語幹に,動詞を作る語尾『む』が付いた語で,元々は『忙しく物事をする』『せっせと務める』という意味であった。怠ることなく物事に努める意味から,営むは『執り行う』『準備する『こしらえる』『経営する』という意味が生じた。』

とする。僕は,この意味の変化は,「營」の字を当てた結果,その字の持つ意味から来たと見るべきだと思う。ま,ともかく,上記の諸説と,『大言海』は,少し違う解釈で,

いとなし,暇無し,いそがわし,
いとなみ(營),いとなむこと,仕事,つとめ,
いとなむ(營),「いとなみ」の語根,イトナを動詞に活用せしなり。ハカナシの,ハカナムとなり,タシナシ(困窮)の,タシナム(窘)となると同趣なり,

としている。

形容詞いとなし→名詞いとなみ→動詞いとなむ,

の変化として,名詞を介在させている。

「いとなむ」の語源は,

いとなし→いとなむ(あるいはいとなみ→いとなむ),

で尽きていると思うが,他にも諸説がある。

縄ナヒ糸ナフ手業の暇が無い意から一語となった(両京俚言考),
イトナム(最嘗・痛嘗)の義(和訓栞・柴門和語類集),
イトアム(糸編)の転(名言通),
イトはイタツク(労)のイタと同語。ナミはナリ(業)(日本語源=賀茂百樹),

等々あるらしい(『日本語源大辞典』)が,いずれも,『語源由来辞典』が言うように,

「いずれも音から当てただけである。」

と同感で,語呂合わせに思える。言葉には,意味の奥行があり,その奥行の果てには,文脈があるはずである。特に和語は,文脈に依存した(文字をもたない)言語である。必ず,その使われた古えの状態,状況が見えるはずである,と僕は思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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ラベル:いとなむ 営む
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2018年12月09日

いとま


「いとま」は,

暇,
遑,

と当てる。「暇」は「ひま」とも訓むが,「ヒマ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/400075750.html)については触れた。中国語では,「暇」(漢音カ,呉音ゲ)の字は,

「会意兼形声。右側の字(音カ)は『かぶせる物+=印(下にいた物)』の会意文字で,下に物を置いて,上にベールをかぶせるさま。暇はそれを音符とし,日を加えた字で,所要の日時の上にかぶせた余計な日時のこと」

で(『漢字源』),まさに「ひま」「仕事がなくて余った時間」の意である。「遑」(漢音コウ,呉音オウ)の字は,

「会意兼形声。『辶+音符皇(大きく広がる)』で,大きい意を含む。(あわただしいという)意味は,大きいことから。むやみに動きまわる,うろうろする意になったもので,狂(むてっぽうな犬)・往(むやみに前進する)に近い。(ひまであるという)意は,広い,ゆったりしているという方向に派生した意味で,ゆとりがあること」

とある(仝上)。

「いとなむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463115296.html?1544213943)で触れたように,「いとなむ」は,「イトナ(暇無)シ」に由来した。つまり,「忙しい」という意味であった。

『岩波古語辞典』は,

「イトはイトナミ(營)・イトナシ(暇無)のイトと同根。休みの時の意。マは間。時間についていうのが原義。類義語ヒマは割目・すき間の意から転じて,する仕事がないこと」

と,「ひま」=空間,「いとま」=時間,と区別する。「ひま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/400075750.html)で触れたように,「ひま」は,

暇,
閑,
隙,

の字を当てる。空間を意味する「すき」との差はあまりない。語源的には,

ヒ(すいたところ)+マ(すきま)

とあり,空間的なヒマから時間的なヒマへと変化した。逆に「いとま」も,「隙」に「いとま」と訓読させる場合は,

「さけめ・われめ,なかたがい」

の意と,時間的イトマから空間的イトマへと変化する(仝上)。

『大言海』は,

「暇(いと)の間の義」

とする。しかし「いと(暇)」についての説明がない。臆説を逞しくするなら,「いと」を,

甚,

と当てる「いと」として見るとどうだろう。「いと」は,

「極限・頂点を意味するイタの母韻交替形」

とあり(『岩波古語辞典』),

非常に,甚だしい,

という副詞であるが,

イタ間→イト間,

と。「いと」は,

「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。ドマンナカ(甚真中)・ドテッペン(甚天辺)・ドコンジョウ(甚根性)・ドショウボネ(甚性骨)・ドギモ(甚肝)・ドエライ(甚偉い)・ドデカイ(甚大きい)・ドギツイ(甚強い)・ドヅク(甚突く)など。」

となる強調の接頭語「ど」とも通じる(『日本語の語源』)。

どひま,

の「ど」とも通じる,のではないか,と。ま,臆説である。しかし,『日本語源大辞典』をみると,「イトノマ(暇間)の意」(大言海)以外にも,諸説紛々なのである。

イトはイトナム,イトナシの語根と同じで多事の意。イトマはそのヒマ(間)をいう(万葉集辞典=折口信夫)
イトナムマ(営間)の略(古言類韻=堀秀成・日本語原学=林甕臣),
イトナヒ(営)ノ-ヒマ(間)の略(両京俚言考),
イトナミノマの略。またはイ-トマ(手間)か(日本語源=賀茂百樹),
出ル間の義(和訓栞),
イトマ(小時間)の意(言元梯),
イトフマ(厭間)の義(名言通・柴門和語類集),
暫時の間の意の,ヒトマヘ(一間)の転(和語私臆鈔),
イ-タマ(足間)の転。イは接頭語(日本古語大辞典=松岡静雄),
奉公人が衣類のほころびなどを縫う間の意でイトマ(糸間)か(和句解),

何れも「音」をよすがに考えているようだが,意味は奥行がある。その意味では,

いとなむ(營む),
いとなし(暇無し),

という意味の流れから離れるのは無理があるように思われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:いとま
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2018年12月10日

いどむ


「いどむ」は,

挑む,

と当てる。「挑」(チョウ,トウ)の字は,

「会意兼形声。兆は亀甲・獣骨を焼いて占うとき,ぱんと割目が生じたさま(ひび割れの形)を描いた象形文字。割れて離れる意を含む。挑は『手+音符兆』で,くっついているものを離すこと。ぴんとはねて離す意に用いる。」

とあり(『漢字源』),「いどむ」「こちらから仕掛ける」といった意で,「挑発」「兆戦」といった使い方をするが,意味からは,「かかげる」意で,「挑灯」という意が強い。『字源』は,

「挑」は,はねあげる,また,かきたてる義。挑燈と用ふ,
「掲」は,髙く上げる意,掲竿為旗(文選),

と「掲」と比較している。「挑撥」というように,かかげあげる意から,しかける,という意味があるので,「挑」の字には,

静かにしているものを引っかけて起こす,

という含意があるのだろう。その意味から,「掲げる」意も,「いどむ」意も派生するように思える。

『大言海』は,「いどむ」を,

「射響動(いどよ)むの約にてもあるか。戦ひより起りて,争ふ意に移りたるならむ」

とする。「響動」は,

どよめく,

に当てられる(『広辞苑第5版』)。しかし,射て響き動く,というあからさまなイメージは「いどむ」にはなく,『岩波古語辞典』を見ると,

相手の気持ちを戦闘へとそそりたてる,挑発する,
(戦意を燃やして)張り合う,
相手の恋心をそそり立て,誘いかける,

と意味が載り,「挑」の字の「けしかける」と重なる。その意味では,

チャレンジ,
果敢に取り組む,
(今日の意味する)挑戦する,

とはいささか含意が異なり,「挑戦」という表立った戦い宣言よりは,策謀,陰謀めいて陰にこもって戦うように相手側に仕掛けていく,

仕組む,

という含意に思える。せいぜい,

張り合う,

という意味までの射程に思える

『日本語源広辞典』は,「いどむ」の語源を,二説挙げ,ひとつは,『大言海』の,

「イ(射)+ドム(響動)」

とし,

「弓を射るときのように,集中して仕事にかかる」意とする。しかし,「いどむ」の持つ意味とは乖離が大きい。いまひとつは,

「イド(息止)+ム」

で,

「息を止め気合を込めて仕事を仕掛ける意味」

とする。しかし,いずれも,「いどむ」の意味の,今日のチャレンジの含意で考えているように思えてならない。どうしても,音から当てはめて語源を考えているのではないか,と思えてならない。『日本語源大辞典』も,

イヒトムの義,又,イは射か(和訓栞),
イドヨム(射動)の約(名言通),
弓射ることか(和句解),
イヒタム(言廻)の約か(日本古語大辞典=松岡静雄),
イは発声,ドムはトム(尋)(俚言集覧),
イキダムの約,イキは気,ダムは濁る意(両京俚言考),
イトム(息敏)の義(日本語源=賀茂百樹),
イタス(致)の転声(和語私臆鈔),
アヒツヨムの約(万葉考),
イは怖くないというので歯を出してイということをする意か。ドムは何か音を発すること(国語史論=柳田國男)

等々,諸説挙げるが,「いどむ」に「挑」の字を当てたには,当てた理由がある。古代人は,それなりの見識で,和語にピタリの漢字を,必死で探し当てた。その意図に鑑みれば,「挑」の字のもつ,

静かにしているものを引っかけて起こす,

という含意を示す語源説でなくては説得力はない。どうも語源不詳とみるしかないようである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:いどむ
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2018年12月11日

ケガ


「ケガ」は,

怪我,

と当てるが,当て字のようである。

「一説に,ケガは『けが(汚)る』の語幹という。『怪我』は当て字」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』にも,

「穢(けが)るの語根,血に穢れたる意(和訓栞)。觸穢(しょくゑ)に,血氣穢(けっきゑ)あり,月經を,ケガレと云ふ,醫心方,十八廿九『月經血(けがれのもの)』」

とあり,「穢(汚)れ」と関わるらしい。「けがれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463084713.html?1544041056)で触れたように,「けが(汚・穢)れ」の語源には,,

「清離(きよか)るの約」

「ケ(褻)カレ(離)の複合」

の,二説ある。似ているようで,両者は微妙に違う。

「け(褻)」は,「晴れの対」で,

「ケ(日)と同根」

であり,

「日常的なこと。ふだん」

の意である(『岩波古語辞典』)。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。しかし『大言海』は,「け(褻)」を,

「け(來經)の義にて,日常の意ならむ。褻の衣は,常の衣なり」

と,漢字「褻」の意から解釈する別の説を立てる。ま,日常というのに代わりはないのだが。

「清」から離れる,
のと,
「日常」から離れる,

のでは,「清さ」から離れているのと,日常から外れているのとでは,「けがれ」の穢れ度が,結構違う。「晴れ」から離れていると言うのと,「ケ(日常)」から離れていると言うのとの違いと言うと分かりやすい。「けがれ」を,

日常に悪影響を与えるもの(こと),

清らかさ(神聖さ)から離れること,

の二面があり,いずれも,「けがれ」なのかもしれないが,

日常から外れた,つまり異常か,
清らかさ(清浄)から外れた不浄か,

は,微妙に意味が違うが,これが,「けがれ」という言葉の意味の幅なのかもしれない。

『日本語源広辞典』は,「けがす」の語源で,説の一つ として,

説1,「ケガ(怪我)と同源,

と挙げていたが,「怪我」は,

「仏教語『仮我(本来の我が,仮になるもの)』ケガ」

からきてり,和語「ケガ」は,

「ケガ(ケガス・ケガルの語根ケガ)」

とし,

「思わぬ過失で出血して,ケガれる意」

とする。これによれば,「怪我」は,「仮我」から来た当て字ということになる。『岩波古語辞典』をみると,「ケガ」の意味は,

思いがけない過ち,過失,
思いがけなく傷つくこと,

の意で,考えれば,意図して傷つくことはないが,

思いがけない,

というところに力点がある。だから,

けがの高名(功名),

は,過失,または偶然したことが意外な手柄となること,

と,思いがけなさに力点がある。だから,出血することは,想定外ということになる。『日本語源大辞典』は,

思いがけなく傷つくこと,

の「血」が不浄とするところからきているとしているが,「あやまち」はともかく,それで血を見ることが問題視されていることになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/kega.html)は,

「漢字で『怪我』と書くのは当て字。『怪我の功名』や『慣れないことに手を出して怪我をする』など、『思わぬ過ち』や『過失』、『思いがけない災難』などの意味で『けが』は用いられる。これらの表現は『負傷』の意味から喩えたものではなく、本来『過ち』などの意味に用いた言葉で、そのために不注意のため体に傷つけることや,その傷の意味で使われるようになったのである。」

としている。その「ふつつか」さを咎める意もあるのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評
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ラベル:ケガ 怪我
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2018年12月12日

ふつつか


「ふつつか」は,

不束,

と当てる。

ふつつかですが,

というように,

行きとどかないさま,ぶしつけな,

意で使うことが多いが,

太くてしっかりしていること(太くどっしりしていること[岩波古語辞典]),

(ごつごつして)不格好なこと(太くて感じが悪いさま,不恰好に太っている[仝上]),

(ごつごつして)風情がないこと(優美でなく野暮臭いさま[仝上]),

雑なさま,軽はずみなさま(大まかでざつなさま[仝上]),

拙いこと,行き届かないこと,

といった意味の流れのようである(『広辞苑第5版』)『岩波古語辞典』。つまり「太くてしっかりしている」という単なる状態表現が,価値表現へと転じ,その価値の中身が変転する。

その辺りを,『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E4%B8%8D%E6%9D%9F)は,

「古くは単に太くて丈夫なさまの意で、非難の意は含まれていなかった。平安時代ごろから、『ふつつか』は情趣に欠け、野暮くさいの意を含むようになった。中世以降は、風情のなさや無風流なさまが意味の中核になり、近世に、不調法なさまの意に変化していった。」

と書き,また『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/futsutsuka.html)も,

「古くは、『太く丈夫なさま』を意味し、非難の意味を含む言葉ではなかった。平安時代に入り、優美繊細の美意識が浸透したため、太いものをさす『ふつつか』は、情緒に欠け野暮ったい意味を含むよう になった。さらに中世以降は風情のなさや風流ではないさまが意味の中核をなすようになり、近世に入り、現代のような不調法者を『ふつつか者』と言うようになった。」

と,変化の流れを整理している。『大言海』が,

「轉じて,何事も,たをやかに,やさしきを好む世となりてより,賤しく,げすげすしく」

と書く通りなのだろう。太くて丈夫なのが下卑てきたということか。今日では,

行き届かない,

意を,どちらかというと謙遜して使うが,『江戸語大辞典』では,

身持ちのおさまらぬこと,

と,行き着き,江戸時代の,

叱り・手鎖・過料に処すべき裁判の宣告文の終りに書く罪名の上に付けた語,

ともあり(『広辞苑第5版』),

不埒,
不届き,

と同義になっている。『大言海』は,

「太き意と云ふ。太束の意にや」

としている。『岩波古語辞典』も,

「フト(太)ツカ(束)の転か」

とする。この説が大勢のようであるが,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1,「不束(まくたばねられない)」が語源,太くて不細工な意,
説2,「太束(太くて束ねられない)が語源,才能がなくて十分ではない,行き届かない,不調法の意,

しかし,いずれも「ふつつか」が価値表現へと転じた後の意で,当て字である「不束」(『語源由来辞典』)をもとに解釈している後知恵のように思われる。

『日本語源大辞典』は,「太い」に関わる説を。

太の義(河海抄),
フトツカ(太束)の義(俚言集覧・言元梯・俗語考・日本語源=賀茂百樹),

と挙げて,なお,もうひとつ,

フト(不図)に奈良時代語ウツ(棄)が付いたフトウツに副詞を作る接尾語カが付いてフトウツカとなり,それが変化した語(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

を挙げている。「うつ」も「ふとうつ」も手元の辞書には載らず,是非の判断はできない。

太束→不束,

という流れは,どうもしっくりこない。「不束」が当て字なら,その当て字から,「太束」と推測している気配で,納得しかねる。もし,

太い束,

というなら,「束」は当て字ではないことになる。

「束の間」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/458802835.html)で触れたように,「束(そく、たば、つか)」は,

(そく、たば)ひとまとめにすること。花束(ブーケ)など。
(つか)建築用語で、梁と棟木との間に立てる短い柱。束柱の略。
(つか)製本用語で、本の厚みのこと。
(そく)古代日本で用いられた稲の単位。→束 (単位)。
(そく)束 (数学): 日本語で束と訳される数学上の概念は複数ある,

等々とあり,束と呼ばれる単位にも,

束(そく/つか)→穎稲の収穫量を量る容積単位,
束(そく/たば)→同一物をまとめた計数単位,
束(そく/つか)→矢などの長さを表す長さ単位,

等々がある。「束の間」で使われたのは,原始的な測定の単位,

握った指四本の長さ,

である。握るほどの長さの意である。「尺」が,「人の手幅の長さ」としたのと,類似である。『岩波古語辞典』には,

束,
柄,

と当て,

ツカミと同根,

とある。「束」が握った手なら,「つか(摑)み」と同じであるのは当然と思えるし,「柄(つか)」とつながるのも自然である。で,

「一握り四本の幅。約二寸五分」

と『岩波古語辞典』にはある。『大言海』は,

柄,
握,

を別項を立てている。「握」の字を当てているのが「束」に当てたもので,

「四指を合わせて握りたる長さの名」

とある。とすると,「太い束」は,握った太い「掌」を意味し,それが価値表現として,

無粋,
野暮ったい,

となり,

行き届かない,

となったことになる。聊か悲しい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:ふつつか 不束
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2018年12月13日

サバイバル


藤木久志『戦国の村を行く』を読む。

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戦国時代,農民は,ただ逃げ惑っていたわけではない。濫妨狼藉の被害者であっただけではない。彼らもまた武装し,時に落人狩もした。さらに,

「戦国の世には村も城をもっていた」(はしがき)

のである。本書は,村の,

自力の生き残り策,

を探る。これまで欠けていた

村から領主をみる

視点での「領主・農民関係」を探ることと,飢餓と乱取りの中での,

村の地力生き残り策,

を見ること,これが本書のテーマである。乱取りは,

人間の略奪,

あるいはぶっちゃけ,

奴隷狩り,

であった。それは,上杉謙信(景虎)は常陸小田城を攻め落とした際の,

「小田開城,景虎より,御意をもって,春中,人を売買事,二十銭,三十二(銭)程致し候」

というような人買いによって売り買いされるだけではなく,武田信玄軍の大がかりな人取りのように,

「男女生取りされ候て,ことごとく甲州へ引越し申し候,さるほどに,二貫,三貫,五貫,十貫にても,身類(親類)ある人は承け申し候」

と,身代金目的でもあった。

秀吉が,戦場での「濫妨取りの男女」の人返し(返還・解放)と「人の売買一切相止むべく候」と指示し,「人を売り買う義,一切これを停止すべし」と再三命じ,バテレン追放を命じた背景に,ポルトガル船による奴隷売買が絡んでいたと見なされる所以である。

そんな中,村も自衛する。その一つは,

「敵軍におくの米や錢を支払って『濫妨狼藉停止(ちょうじ)』の禁制や制札」

を買い取ることであり,さらに,境目の村々が,

「敵対する双方の軍に,年貢を半分ずつ払って両属(半手・半納)の関係」

を結ぶことで,

「村の平和」

を買い取っていた。しかし,制札は,

もし当郷の者,手柄に及ばざれば,旗本へ来たりて申上ぐべし,
見逢いに搦め取り,申上ぐべし,

との付記があり,要は,軍兵が濫妨を働いたら,

村の自力で逮捕し,連行せよ,

というのであり,保障された平和は,

当事者の村が自力=手柄(濫妨狼藉の実力排除)によって実現すべきもの,

であった。あくまで,禁制は,

「それを手にした村がその大名から『味方の地』として認定され(もし制札なしに山の城に避難すれば,敵対とみなされ激しい追及にさらされました),禁制に背く濫妨狼藉に公然と実力で防御・抵抗しても,敵対とはみなされなかった」

というところに効力があった。では,にもかかわらず村が戦場になったらどうするのか。戦禍を避けるために,

領主の城の近くの村々は城に籠り,
遠くの村々は山籠り,

をしたという。

山上り,
小屋上り,

とも言い,この「山小屋」が,

村人の籠る自前の城,

つまり,

村の城,

であると,著者はいう。それは,時に,

「幅が七,八間(14メートル前後)もある大きな堀を掘って大名軍に抵抗した」

という例もあるほどで,文献でも,

百姓ら要害をかたく構え,
一味同心して要害をこしらえ,

という「村の城」が知られており,

「中世の社会は,武装権築城権が,領主だけでなく,村や町を含む諸集団にも,広く分有された『自力社会』だった」

ことがよくわかる。中世の終りに,

刀狩り,

城破(わ)り,

が秀吉によって打ち出された背景がよく見えてくる。

参考文献;
藤木久志『戦国の村を行く』(朝日選書)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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書評
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2018年12月14日


「城」(呉音ジョウ,漢音セイ)の字は,

「会意兼形声。成は『戈(ほこ)+音符丁(うって固める)』の会意兼形声文字で,とんとんたたいて,固める意を含む。城は『土+音符成』で,住民全体をまとめて防壁の中に入れるため,土を盛って固めた城のこと。『説文解字』には『城とは民を盛るもの』とある」

とある(『漢字源』)。

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中國では,日本と違い,町全体を城壁でとり巻き,その中に住民をまとめて住まわせる。四方に城門があり,場外の街道沿いに発達した市街地には,さらに郭(外城)をめぐらして,外敵から守る(仝上)。

Edo_hori.png



ただ,日本でも,戦国末期,

総構え(そうがまえ),
総曲輪(そうぐるわ),

といい,

「城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ、日本の城郭構造」

のものもある。

「後北条氏の拠点、小田原城の総構えは2里半(約9km)に及ぶ空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものであった。大坂城の外郭も周囲2里の長さで、冬の陣では外郭南門の外側に出丸が造られ(真田丸)、徳川方は外郭内に1歩も侵入できなかったという。また江戸時代の江戸城外郭は最大で、堀・石垣・塀が渦状に配されて江戸市街の全てを囲んでいた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%A7%8B%E3%81%88

さて,「しろ」の語源である。

「城」は,「柵」とともに,元来,

キ,

と発音され,漢字が普及すると,

呉音ジョウ,

と専ら撥音された(西ケ谷恭弘『城郭』),とある。

「城(き)は、城を表す古語。上代特殊仮名遣ではキ乙類。」

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E_(%E3%81%8D))。さらに,その「キ」は,

「『三国史記』地理志に、「悦城県本百済悦己県」(今の『悦城』県はもと百済の『悦己』県である)、『潔城県本百済結己郡』(今の「潔城」県はもと百済の『結己』郡である)という記述が見られる。これらの例は、“城”の意味を表す百済の言葉(百済語)が、漢字『己』の音で写されていたことを示している。藤堂明保の推定によれば、『己』は上古音 [kɪəɡ],中古音 [kɪei] となる。李基文は、百済語で“城”を意味する語が [kɨ] であったことは確実とし、上代日本語の『城(き乙)』を百済語からの借用語と考える。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E_(%E3%81%8D))。この「城(き)」は,

葛城,
稲城,
茨城,

ということばに,かつての築城形態の痕跡が見える。

「忽ち稲を積み城を作る,其堅くして破られず,此稲城と謂ふ也」(書紀)
「茨を以て城を造り,以て地名に便(よろ)しく,茨城と謂ふ」(常陸風土記)

等々。

その「城(き)」を,『大言海』は,

「山背(やましろ)國を,延暦年中に,山城(き)國に改められしを,舊稱に因りて,シロと訓み来たりしに起こる云ふ」

と,「シロ」と訓んだとするし,『日本語源大辞典』も,

「延暦十三年(794)に桓武天皇が平安京に遷都したときに,山背國を山城国に改めてから『城』に『しろ』の訓が生じたとする説が有力である。」

とするが,しかし,それは「城」を「しろ」と訓んだというだけの意味だから,

「『しろ』を城郭の意に用いた確例は中世以前には見当たらない」

ようである(西ケ谷恭弘・仝上)。確かに,

「シロと読まれるのは,収穫物,兵粮,衛士(えじ)を集置する所と,区画としての選地状況が結びついたもので,南北朝争乱期もしくは室町中期ころからではないか」

とするのが正確のようである(西ケ谷恭弘・仝上)。

とすると,「城」を「シロ」と訓む経緯とは別に,今日の「城郭」の意で「城」を「シロ」と呼ぶようになったのには,上記の山背→山城とは別に,語源を考えなくてはならない。

「城は,貯蔵機能をもち垣檣(えんしょう)で区画した空間であった。すなわち憑(より)シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロなどにみられるようにシロは,場所・区画であり,宿り,集まり,集置の粮所の区域をいう。シロはシルシスナワチ標(しるし)が語源であるとされる」

というのは一つの見識である(西ケ谷恭弘・仝上)。

『岩波古語辞典』は,「シロ」は,

「シリ(領)の古い名詞形か。領有して他人に立ち入らせない一定の区域」

とするが,それなら「標」の意と同趣である。

『日本語源広辞典』は,

「知る・領るの名詞形のシロ(国見をする場所)」

としつつ,

「シロは,場所で,まつたけのシロ,ナワシロ,ヤシロなどのシロと同源」

とも考えられると,上記西ケ谷恭弘説をも挙げる。山城説は,「城」の訓みの語源であって,「城」の意の語源ではないので,省くとして,『日本語源大辞典』は,諸説を次のように羅列する。

遠いところからでもイチジルシク見えるところから,シルキの略転か(日本釈名),
白土を塗るところからシロ(白)の義(日本釈名・名言通・和訓栞),
土地をならして平らにする意のシロ(代)から(延喜式祝詞解・類聚名物考),
それと定め区(かぎ)ったところをいうシロ(代)の意から(古事記伝),
シキシメ(敷標)定めたトコロ(処)の意(日本語源=賀茂百樹),
領地の意か(和訓栞),
シル(知る)の義(言元梯),
下地の意(俚言集覧),
シロ(仕呂)の義で,シは作り成す意,メは覆い包み集まり含む醫(柴門和語類集),
ヌシ(主)のトコロの意か(和句解),
シマリノトコロの略(本朝辞源=宇田甘冥),
シはシキナラシ(重平均)の約。ロはヅラ(連)の約ダの転(和訓集説),

等々明らかに,後世一般化した織豊系の白壁の城を前提に考えていると思われる語源説は,笑うしかない。「織豊系」とは,今日見る城で,

「中世・戦国時代初期の城郭は、土塁の上に掘り立ての仮設の建物を建てたものがおもであったが、鉄砲、大砲の普及によって室町末期から安土桃山時代には、曲輪全体に石垣を積み、寺院建築や公家などの屋敷に多用されていた礎石建築に加えて壁に土を塗り籠める分厚い土壁の恒久的な建物を主体として建設され、見た目も重視して築かれたものが現れた。
こうした城は室町末期以降、特に松永久秀が多聞山城や信貴山城を築いたころや、織田信長が岐阜城や安土城を築城したころに発生したと考えられている。その後豊臣秀吉により大坂城や伏見城などが築かれ、重層な天守や櫓、枡形虎口を伴う城門に代表される、現在見られるような『日本の城』が完成した。この形式の城郭を歴史学上、『織豊系城郭』と呼ぶ。織豊系城郭はその呼称で表されるように織田信長、豊臣秀吉麾下の諸大名がおもに建設したが,(中略)
豊臣政権や徳川幕府は、政権が直轄する城の築城を、各地の大名に請け負わせた(天下普請)。このことにより、織豊系城郭の技術が諸大名に広まり、各地に織豊系城郭の要素を取り入れた城が多く現れた。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9F%8E)。

「城」は,たぶん,別に意図していた「しろ」をあてはめたものと考えるのが自然だと思う。とすれば,

「憑シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロ」

などにみられる「しろ」と同じ,場所・区画を意味すると考えるのが妥当に思える。たとえば,「悪党」は,荘園に侵入すると,

「城郭を構え,当國,他国の悪党等を籠め置」

いたとされる。それは,「この荘園はおれのものだ」という意思表示でもあった,という(藤木久志『戦国の村を行く』)。まさに,標である。

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参考文献;
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)
藤木久志『戦国の村を行く』(朝日選書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年12月15日

ふで


「ふで」は,

筆,

と当てる。

「筆(ふで)とは、毛(繊維)の束を軸(竹筒などの細い棒)の先端に付けた、字や絵を書くための道具である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86)。まさに,「筆」(漢音ヒツ,呉音ヒチ)の字は,

「会意。『竹+聿(手で筆をもつさま)』で,毛の束をぐっと引き締めて,竹の柄をつけた筆」

とである(『漢字源』)。なお,『漢字源』には,

「訓の『ふで』は,『文(ふみ)+手(て)』から」

ともある。ついでながら,「文」(漢音ブン,呉音モン)の字は,

「象形。もと,土器に付けた縄文の模様のひとこまを描いたもので,こまごまとかざりたてた模様のこと。のち,模様式に描いた文字や,生活の飾りである分化などの意となる」

とあり,そのため,

「象形文字や指事文字のように描いた文字のこと」

を「文」という(象形・指事などを親文字という)。「説文解字」に,

「依類象形,故謂之字」(類に依り形に象る,故にこれを文といふ)

とあり,対して,「字」は,

「形声文字や会意文字など,後に派生した字」

を指す(形成・会意文字は子文字という)。

さらに,詩文という場合の「文」は散文,文・筆と相対するときは,文は韻文,筆は散文のことを意味するらしい(仝上)。さらについでながら,「字」(呉音ジ,漢音シ)の字は,

「会意兼形声。子は,孳(ジ)と同系で,子をみ繁殖する意を含む。字は『宀(やね)+音符子』で,やねの下で,たいせつに子を育てふやすことをあらわす」

とある。

和語「ふで」の語源は,

文(ふみ)+手(て),

らしく,「和名抄」に,

「筆,布美天(ふみて)」

とあり,『岩波古語辞典』も,

フミテ(文手)の転,

とし,『大言海』も,

フミテ→フンデ→フデ,

と転じたとする。

「手は書くこと」

の意とする。「て」の項(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453160543.html?1543708692)で触れたように,「て」(古形「タ」)は文脈依存の和語から見れば,動作の,

取る,
執る,
捕る,

等々に関わる,と想像できるので,手先の働きの「手を働かせて仕事や世話をする」意味の中に,

「文字を書くこと」

の意がある(『岩波古語辞典』)。だから,

筆跡・文字,

を「手」という。

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もともと文字を持たない民族なので,手の動作そのものを意味する「文手」が,道具そのものの意に転じたということなのだろうとも思われる。

しかし『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「文(字や絵)+手(道具)」。フミテ,フンデ,フデの変化。フ(文・書)は文箱・文机・文月のフ。テは方法・手段・用具の意。
説2は,音韻の面から「筆,ヒツヅ,フヅ,フドゥ,フドェ,フデと転訛(金澤庄三郎説),

を挙げるし,『日本語源大辞典』も,

フミテ(文手・書手)の義(箋注和名抄・天朝墨談・名言通・菊池俗語考・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健・国語學論考=金田一京助・国語の語彙の特色=佐藤喜代治),

が大勢だが,その他,

フミイデの義(日本釈名),
幣束のホデ(梵天)に形が似ているところから(折口学への招待=高崎正秀),
フデ(秀支)の義(日本文学説=黒川真頼),
「筆」の音ヒツの転(国語学通論=金沢庄三郎),
フクテーケ(毛)の反(名語記),

等々ある。筆の音の,

ヒツ→ヒツヅ→フヅ→フドゥ→フドェ→フデ,

は,文字を持たない先祖が,文字と道具を一緒に輸入したと考えると妥当に思えるが,決め手がない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2018年12月16日


「日」とあてる「ひ」は,「火」と当てる「ひ」とは別語らしい。「ひ(火)」は古形が「ほ」ということもあるが,上代「ひ(日)」は,

Fi,

「ひ(火)」は,

Fï,

の音であった(『岩波古語辞典』)。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hi/hi_day.html)が,それを,

「『太陽』は燃え盛っているもので,『名義抄』には『日,陽,火,ヒ』とあるので,語源は『火』もしくは『火』と同源と考えることができる。しかし,上代特殊仮名遣いで『日』の『ひ』は『甲類』,『火』の『ひ』は『乙類』である」

と説明している。

『岩波古語辞典』は,「ひ(日)」について,

「太陽を言うのが原義。太陽の出ている明るい時間,日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。ヒ(日)の複数はヒビというが,二日以上の長い期間を一まとめに把握した場合には,フツカ(二日),ミカ(三日)のようにカという」

とする。

「元来は、日没から日没まで、あるいは日の出から日の出までをひとつの『日』としている。人はもともと1日のスケジュールは、太陽の動きをもとに決めているのである。『日没が1日のはじまり』と考える習慣がある。。ユダヤ暦では、日没をもって1日のはじまり、日付の変り目とする。キリスト教の教会暦も、このユダヤ暦を継承している。ユダヤ暦や教会暦では、1日は闇で始まり、やがて光に満ちるのである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5)ので,ほぼ人類共通らしい。『大言海』によると,

「明け六つ(午前六時)を一日の初とし,次の明け六つを終とせしを,夜九つ(午前十二時)よりと改むる由,元文五年の暦の端書に見えたり」

とあるので,江戸時代の元文四年(1740)に一日を今日の,零時からと替えたと知れる。時計の影響かもしれない。

800px-日-oracle.svg.png

(殷,甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5より)

800px-日-bronze.svg.png

(西周,金文 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5より)


「日」(呉音ニチ,漢音ヅツ)の字は,

「太陽の姿を描いた」

象形文字。

さて,「ひ(日)」の語源である。

『日本語源広辞典』は,

「ピカピカのピ。古代音ピィが,フィ,ヒと変化した語」

とし,「ヒナタは,『日+太陽+ナ(の)+タ(方角)』で,太陽の当る側です。転じて日出から日没までの間」と付言する。

和語は,擬音語・擬態語が多いのは,文字を持たず,文脈に依存し,その場,その時に居合わせた人との会話だからだと思っている。その意味で,言語の抽象度が低い。「太陽」という概念よりは,その光っている状態を表現するという意味で,

ぴかぴか,
あるいは,
ひかひか,

という擬態語から来たというのは説得力がある。「ひかひか」は,「ぴかぴか」の古形とするが,ただ,

「室町末期から用例が見える」

と(『擬音語・擬態語辞典』),時代が遡れないのが難点。

『日本語源大辞典』は,

ケフ(今日)・キノフ(昨日)のフと同源語(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀),
ヒ(靈)の義(東雅・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ヒカリ(光)のヒから(国語の語根とその分類=大島正健),
ヒ(火)の義(和句解・言元梯・名言通・日本語原学=林甕臣),

等々挙げるが,「ひ(火)」説は上代特殊仮名遣いから,「ひ(日)」とは別語なので,消えるし,少し気になる,

ひ(靈),

は,

「原始的な霊格の一。活力のもととなる不思議な力。太陽神の信仰によって成立した観念」

とある(『岩波古語辞典』)ので,「ひ(日)」と関わるが,たぶん,「ひ(日)」の成立によって,「ひ(靈)」に当てたと考える方が順序ではあるまいか。

なお,「ひ」は,

陽,

とも当てるが,「陽」(ヨウ)は,

「会意兼形声。易(ヨウ)は,太陽が輝いて高く上がるさまを示す会意文字。陽は『阜(阝=おか)+音符易』で,明るいはっきりした,の意を含む。」

とあるが,陰陽の「陽」で,易學上語。

「動・生・開・上・前・南・天・男・君・日・晝などすべて積極性の意を有するもの」

で(『字源』),「陰」の対としての,抽象度の高い概念語。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2018年12月17日


「火」は「ひ」でも「日」の「ひ」とは,上代特殊仮名遣いで『日』の『ひ』は『甲類』(Fi,),『火』の『ひ』は『乙類』(Fï)で,別語というのは「ひ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1544905611)で触れた。「火」(カ,唐音コ)の字は,象形文字。

「火の燃えるさまを描いたもの」

である(『漢字源』)。

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(殷,甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%ABより)

「火」の古形は,「ほ」とし,『岩波古語辞典』は,

「朝鮮語p ïlと同源か」

とするが,それでは古形「ほ」と矛盾しないか。「ほ」は,

火影,
ほむら(炎),
ほくち(火口),
ほや(火屋),
ほづつ(火筒),
ほたる (火垂),

のような複合語に残っていることは,「ほむら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460679616.html)で触れたよに,「ほ」(火)は,

穂,

にも通じる。「ひ・ほ(火)」について,『日本語源広辞典』は,

「抜きん出て燃え上がるもの」

とし,「ほ(穂)」,

「抜きん出ているもの」

の意とし,麦,稲の穂の意とする。『大言海』は,「ほ(穂)」を,

「秀(ほ)の義,分明にあらわるるより云ふ」

とある。際立つ,という含意であろうか。「ほ(秀)」では,

「物の秀でたるに云ふ語」

とある。臆説かもしれないが,「ひ」は「ほ」,「ほ(火)」は,「穂」「秀」に通じるのではないか。『岩波古語辞典』は,「ほ(穂・秀)」について,

「山の峰のように突き出ているもの。形・色・質において他から抜きん出ていて,人の目にたつもの」

とする。価値表現を除くなら,

突き出ているもの,

という状態表現を指していたのではないか。

『日本語源大辞典』には,「穂」を,

ホの義(箋注和名抄・言元梯),
ホはものの立ち上る意(松屋棟梁集),
ホは物のあらわれ出る意(古今集注・和句解・万葉代匠記・日本語源=賀茂百樹),
「穂」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),

という説もあるが,

火の義,穂の出始める色が赤いところから(和訓栞・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

とする説もある。「穂」「火」は漢字でしかない。「ほ」は,穂でもあり,火でもあり,秀でもあったのではないか。

火の穂の義(国語本義),

とする説もある。ただ,「ほ」を「ひ」の古形と見なさないとすると,たとえば,

「ひ」は,

火がヒーと発するという音から(日本語原学=林甕臣),
「火」の中国音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),
ヒカル(光)ところから(和句解),

という諸説があるが(『日本語源大辞典』),複合語に多く,古形が残ること,さらに,

「キ(木)に対して,複合語に表れる「コ」(木立,木の葉)と平行的な関係」

で(「木の間」という言葉もある),この「こ(木)」も,

「き(木)の古形。複合語に残っている」

という(『岩波古語辞典』)ことからも,やはり,古形「ほ」とみていいのではないか。

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参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2018年12月18日

ついたち


「ついたち」は,

一日,
朔日,
朔,

等々と当てる。「朔」(サク)の字は,

「会意文字。屰は,逆の原字で,さかさまにもりを打ち込んださま。また大の字(人間が立った姿)を逆さにしたものともいう。朔はそれと月を合わせた字で,月が一周して元の位置に戻ったことを示す」

とあり(『漢字源』),「晦(みそか,つごもり)」の対で,

「ひと月が終って,暦の最初に戻った日」

で,陰暦の月の第一日のこと。だから,『広辞苑第5版』は,

「ツキタチ(月立)の音便。こもっていた月が出始める意」

とし,

「西方の空に,日の入った後,月が仄かに見え始める日を初めとして,それから10日ばかりの間の称」

とある。つまり「月の上旬」を意味した。そこから,

月の第一日,

を意味したが,古くは,

ついたちの日,

という言い方をしたらしい。『大言海』は,

「月立」とあてる「ついたち」
と,
「朔」とあてる「ついたち」

を,別項としている見識を示す。

「ついたち(月立)」は,

「(ツキタチの音便)西の方の空に,陽の入りぬるあとに,月のほのかに見え初むる日を初として,それより十日ばかりかけたる程の称」

とし,「ついたち(朔)」は,

「正しくは,ツイタチの日。陰暦に,月の第一の日。

とある。この意味の変化が,正確なのだろう。

「つきたち(月立)の転化した語で、月の初め、月の上旬をいったが、月の第一の日をいい、とくに正月の第1日(元日)をいうこともある。江戸時代には、『ついたちの雪』(八朔(はっさく)、八朔の雪)といって、陰暦8月1日に、江戸の新吉原の遊女が一斉に白無垢(しろむく)の小袖(こそで)を着用する風習があった。また、陰暦6月1日には、加賀の前田家から将軍家に雪献上があったが、これは真夏のこととて、雪室(ゆきむろ)での貯蔵以上に道中がたいへんであった。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

と,「ついたち」は特別の日であった。

「一日」と当てると,

いちじつ,
いちにち,
いっぴ,

とも訓ませる。「いちじつ」「いちにち」はある日(の一日),終日の意のように,その他の意味もあるが,

「月のはじめの日」

の意味で通じる。こんな多種の,ある種いい加減な訓み方は,文脈に依存し,「ことば」で通じ合うということからきているのではないか。最初「文字」からの意味ではなく,通用「言葉」に「文字」を当てた,持たなかった故なのではないか,と思える。

「ついたち」の語源は,

「月+立つ」

が通説だが,類似の説がある。『日本語源大辞典』は,

ツキタツ(月起)の転(日本釈名・和語私臆鈔),
ツキヒタツ(月日立)の略か(カタ言),
ツキタチイズルの略(関秘録),
ツタツの義(安斎雑考),

と挙げているが,「月+立つ」が大勢である。な,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/tu/tsuitachi.html)は,

「ついたちは、『ふつか(二日)』『みっか(三日)』などとは異なり、『か(日)』を用いない特殊 な語である。平安や奈良時代には、『一日』は『ひとひ』と呼ばれ、『ひとひ、ふつか、みか …』と数えられた。しかし、『一日』は『ある日』『二四時間』などの意味も含み、混同しやすいことから、『ついたち』に呼び方を変えたようである。
 ついたちの語源は、『つきたち(月立ち)』の音韻変化と考えられる。『月立ち』の『立ち』は、『出現する』『現れる』といった意味で、陰暦では月の満ち欠けによって月日を数え、新月が現れる日がその月の最初の日にあたることに由来する。
 ついたちの語源は『月立ち』の意味でほぼ間違いないが、動詞や形容詞では『キ』や『ギ』がイ音便化された例があるのに対して、名詞『つき(月)』の『キ』がイ音便化された例はなく、『つきたち』という語の実例疑問がも認められていないため残る。」

とする。このネット上の『語源辞典』は,いささか,上から目線のくせに,時に外すのが可笑しいが,『大言海』は,「ついたち(月立)」の項で,

「故四月(うづきの)上旬(つきたちの)頃」(古事記・仲哀),
「月立(つきたち)二日」(天智紀),

の用例を挙げている。また,

「『一日』は『ある日』『二四時間』などの意味も含み、混同しやすいことから、『ついたち』に呼び方を変えた」

というのも説明が変だ。むしろ陰暦からきた「ついたち」の概念が浸透したからではないか。「ひとひ」と「ついたち」では,そもそも言葉の由来と発想を異にしている。その奥行が認知されたとみるべきではないか。言葉は,文字が入ることで,それの思想(観念)が入った,ということではないのか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2018年12月19日

にち


「にち」は,

日,

と当てるが,「日」は,

「ヒ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで,

太陽,

で,「日没」「日の出」「日光」「日差し」「日輪」等々。

「ヒ」「ニチ」「ニッ」「ジツ」等々と訓んで,

地球が1周の自転をするのにかかる時間の単位。おもに平均太陽日。暦日,

で,「日々」「半日」「終日」「過日」「先日」「その日」「毎日」等々。

「ヒ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで,

太陽が観測できる時間帯。昼,

で,「昼日中」「日中」「日暮れ」「日夜「等々。

「ひ」「ニチ」「ニッ」「ジツ」等々と訓んで,

特定の一日,

で,「ひにち」「祭日」「日時」「縁日」「吉日」等々。

「ひ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで,

日数,日々,

で,「日が浅い」「日延べ」等々(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5に加筆)。

まあ,それにしても,いい加減に見える。しかし,文字を持たなければ,その場にいる人に通じればいいので,様々に訓んでも支障はない。しかし,「日」を当てて,ややこしくなった。

「日(ひ)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1544905611)の項で触れたように,『岩波古語辞典』は,「ひ(日)」について,

「太陽を言うのが原義。太陽の出ている明るい時間,日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。ヒ(日)の複数はヒビというが,二日以上の長い期間を一まとめに把握した場合には,フツカ(二日),ミカ(三日)のようにカという」
とし,

「日本語では、単独では『ひ』、漢語の数詞に続く場合は『にち』、和語の数詞に続く場合は『か』と読む。大和言葉での『ひ』と『か』の使い分けは、『一日』(ひとひ)、『二日』(ふつか)、『三日』(みか)、『四日』(よか)、『五日』(いつか)、『十日』(とをか)、『二十日』(はつか)、『三十日』(みそか)のように単数の日は『ひ』、複数の日は『か』が用いられる。」

としている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5)。しかし「か」は,「け(褻)」と関わらせると,ただの複数の意とは違って見える。

「け(褻)」について,『岩波古語辞典』は,「晴れの対」とした上で,

「ケ(日)と同根」

とし,

「日常的なこと。ふだん」

の意とする。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。「複数だけを表す単語は,日本語には他例がない」とある。「か」は「け」なのである。つまり「晴れ(晴)」とは違う日常に日々なのである。複数なったのには意味があるのではないか。

さて「ニチ」と訓ませる「日」である。「ニチ」は,

ニツ,
ジツ,

とも訓ませる。漢字「日」は,「ひ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1544905611)。で触れたように,

「太陽の姿を描いた」

象形文字だが,呉音で,ニチ,漢音でジツと発音する。「ニチ」の「日」は,漢字「日」そのものから由来していることになる。

上記に触れたように,

太陽の「ニチ(ジツ)」
昼の「ニチ(ジツ)」
昼間の「ニチ(ジツ)」
一日の「ニチ(ジツ)」
特定の日の「ニチ(ジツ)」

である。「太陽」を意味し,それが,「太陽の出ている間」を意味し,それが「一日」となり,抽象化された「日にち」になった,という意味の抽象化の流れはよく見える。『漢字源』の意味をみても,

太陽→昼間→一昼夜→ひとひ→暦日,

という意味を転じていくのが見える。それと重なるのは,漢字「日」を採り入れた影響と見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ラベル:にち
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2018年12月20日

家紋


「家紋」は,日本固有の紋章で,「古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた」が,

「241種、5116紋以上の家紋がある」

とか(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)で,2万近くの家紋があるとか。そもそも家紋の起こりは何か。

「『源平藤橘(げんぺいとうきつ)』と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)のが一つの説明だが,似たのは,

「古くより家系や、家柄・地位を表すために用いられていた家紋。元々は同じ氏族の人間と区別を図るために、土地の名前などを自分の屋号として作り、それが後の名字になりました。」

という(http://db-shop.jp/magazine/2017/09/5528)のもそうだが,「家紋」の由来の説明にはなっていない。

Sekigahara_Kassen_Byōbu-zu_(Gifu_History_Museum).jpg

(合戦場を埋め尽くす家紋入りの幟 岐阜市歴史博物館蔵収蔵『関ヶ原合戦屏風』(江戸時代後期) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8Bより)


一つのヒントは,

「家紋は、もともと天皇や皇族が着物につけた柄から生まれ、 その柄を決まった紋様にし、自分の牛車につけたものが家紋の始まりといわれています。」

とあるのだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そして,どうやら,牛車に付けたのは,

白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いた,

のを嚆矢とするらしい。

「家紋の起源は、平安時代中期に遡る。『愚管抄』(1220年)に白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いたと記されているのが最古の記録だ。自分の牛車を探す際の目印に用いたといわれ、ほかの貴族たちも真似て、独自の紋を作り、牛車や衣類などにつけるようになった。」

とある(https://www.news-postseven.com/archives/20140516_255939.html)。

しかし,すでに家紋があったから,それを牛車に付けたまでのことだ。では,「家紋」はどこから来たか。

『大言海』は,「紋」の項で

「其初めは衣,袴の織模様,染模様に,家々一定の形を用ゐたるに起こる。即ち,菊桐の御紋も,御衣の織模様に起これるなり。幕の紋,旗の紋より,車,鎧,衣服,諸調度,皆目標として着く(源平の戦の頃,幕,旗などに付けて目標としたるが如し)」

とある。つまり,最初は,家系ごとの織模様,染模様だったというのである。その文様は,

「文様の原型は大陸から伝来してきた文化・仏教の影響を色濃く受け、飛鳥時代にはすでに用いられており、平安時代にはすでに広く普及していたようです。家紋は文様の意匠を取り入れながら、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものからスタートして、室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化していきました。」

ということらしい(http://kamondb.com/history.html)。たしかに,直垂のところで,文様について,

「格子,筋,引両等の染物から,忍摺,沢瀉摺,島摺,などの摺物,あるいは萩,竜胆,鶴丸等の各種の文様の織物」

と説明があり(『有職故実図典』),そこから家紋へと純化されていった,と思える。

「熊谷直実のしていた直垂模様に『鳩に寓生(ほや)』を出して,『家の紋なれば』(源平盛衰記)とした」

とある(『武家の家紋と旗印』)のは,その一例だろう。そこから,

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」(仝上)

とあるが,源平合戦では,

「へいけのあかはた三十よながれ,大うち(内裏)にはげんじのしらはた二十よながれ」(『平治物語』)

と,赤旗,白旗が目印であった。武士が,明らかに,意識して用い始めているのは,土佐坊昌俊が源義経討伐のため,

「二文字に結雁(むすびかりがね)の旗をたまわりけりとかや」(源平盛衰記),

とか,

「武蔵…の児玉党を称した有力武士団の団扇じるしが『こ玉とうすとおぼしくて,うちわのはたさいたるものども十き(騎)ばかり』(平家物語)とでてくる」

という(仝上)のは,すでに旗印に用い始めている例である。で,

「西欧では家紋が先に整って,それを旗に拡大したパターンとして,髙く示す風から,旗印が展開した。日本は逆で,まず旗が働き出して,そこへつけた目印から,家紋へとエスカレートした」

とい見解になる(仝上)。それは,地方に蟠踞した地ばえの武士モドキにとって,おのれを顕示する格好のツールだったということだろう。とりわけ,戦の中でこそ,おのれを示す絶好の機会だから,旗で,おのれを自己アピールする絶好の機会でもあった。

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」

ということだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そこから,鎧,着物へと広がっていく。

我が家は,横木瓜らしいが,それは,

「胡瓜の切り口から案出されたという。が、本当は地上の鳥の巣をあらわしている。もっこうと 呼びならされてきたのは、多くの神社の御簾の帽額(もこう)に使われた文様だからという。この紋は鳥の巣であるから、 卵が増えて子孫が繁栄し、また神社で用いられる御簾から、神の加護があるというめでたい紋といえそうだ。」

とある(http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/mokkou.html )。

参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
高橋賢一『武家の家紋と旗印』(秋田書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:家紋
posted by Toshi at 05:25| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする