2018年12月21日

いみじ


「いみじ」は,「忌む」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.html)とつながる。

「イ(忌)の形容詞形で,禁忌として決して触れてはならないと感じられるというのが原義。転じて極度に甚だしい意で,善にも悪にもいう。平安朝女流文学などでさかんに使われ,漢文訓読体や軍記物語ではほとんど使われない」

とある(『広辞苑第5版』)。で,

(忌避したいものの程度が大変甚だしい意)悲しい,つらい,困った,恐ろしい,情けない等々,
(讃美したいものの程度が甚だしい意)たいそううれしい,すばらしい,立派だ等々,
(修飾語として,被修飾語の持つ属性の程度の甚だしいことを示す)
はなはだしい,たいそうな,

と意味が載る。要は,いい意味でも悪い意味でも,凄い,という意味で,今日の,

やばい,

が,「あぶない」意から,「凄い」「酷い」という意へ転じたのと重なる。だから,

程度が甚だしい,普通でない,

意で,善悪問わず使うので,

(望ましい場合)たいそう…である,すばらしい,立派である。たいへんうれしい,

となるし,

(望ましくない場合)ひどく…である,ひどい,すさまじい,たいそうつらい,ひどく悲しい,

となる(『大辞林』)。

「中古においても訓点資料や歌集には使われず、多く物語や日記で用いられた。程度のはなはだしいさまを表わし、解釈上は前後の文脈から具体的に補って理解すべきことが多い。平安末期から良い意味に用いられることが多くなっていった」

とある(『日本国語大辞典』)ので,和語らしく,文脈に依存して,様々の意に使われる。文脈を見ないと,その正確な意味は,つかみ難いのは「やばい」と似ている。

『岩波古語辞典』は,

「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」

とし,「ゆゆし」と関連づけている。「ゆゆし」の項で,

「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」

とある。「いみじ」が,

避ける,

ニュアンスとすると,

「ゆゆし」は,

畏れ,

が強いが,その感情だけを抜き出せば,

甚だし,

となる。『岩波古語辞典』は「忌む」で,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味を並べた。

「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」

とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。

『大言海』は,「いみじ」の項で,

「斎(いみ),忌(いみ)を活用す。其事だつ意」

とする。「斎」「忌」は,

斎むこと,
忌むこと,

で,「斎む」とは,

穢れを避けて身を清める

意であり,「忌む」は,

穢れを避ける,

意である。結局,「穢れ」を畏れるから,「斎む」のであり,「忌む」のである。その心性は,同じである。「い(斎)」は,

「イミ(斎・忌)と同根。」

で,「神聖であること」「タブー」の意だが,「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」など,複合語としてのみ残っている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:いみじ 忌む
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2018年12月22日

ゆゆし


「ゆゆし(い)」は,

由由し(い),
忌忌し(い),

と当てる。『広辞苑第5版』には,

「神聖または不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」

とある。で,

神聖であるから触れてはならない,畏れ多くて憚られる,

言葉に出すのも畏れ多い,

穢れがあるので触れてはならない,

不吉である,縁起が悪い,

うとましい,いやだ,

恐ろしい, 気懸りである,

空恐ろしいほどに優れている,

物事の程度が甚だしい,容易でない,

豪勢である,すばらしい,

勇ましい,立派である,

等々と,「いみじ」と似た意味の変化の流れを示す(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』による)。

「いみじ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463306081.html?1545337411)で触れたのと重なるが,『岩波古語辞典』は,

「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」

とし,「ゆゆし」と関連づけ,「ゆゆし」は,

「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」

とする。「いみじ」が,

避ける,

ニュアンスとすると,

「ゆゆし」は,

畏れ,

が強いが,その感情だけを抜き出せば,共に,

甚だし,

となり,その価値表現は,善悪同じである。『岩波古語辞典』は「忌む」で,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味を並べた。

「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」です。

とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。

『大言海』は,「ゆゆし」を,

斎斎し,

と,

忌忌し,

と二項分けるという,「ゆゆし」の言葉の意味から「忌」だけではない,意味の幅を捕える見識を示している。「斎」と「忌」は,裏表である。「斎斎し」について,

「ゆゆは斎斎(いみいみ)の轉。斎み慎む意」

で,「畏れ多く忌み憚るべくあり,忌忌(いまいま)し(恐(かしこ)みても,嫌ひても云ふ)」の意味とし,「忌忌し」は,

「忌忌(いみいみ)しの約」

で,

畏れ多く忌み憚るべくあり,
いまいまし,きびわろし,
殊の外にすぐれたり,殊の外なり,甚だし,いみじ,おそろし,えらい,すさまじ,

等々の意味を載せる。つまり,「ゆゆし」の意味の転換には,

斎斎し

忌忌し,

と,漢字を当て替える段階があり,そこで,畏れから嫌いへ転じ,(良くも悪くも)甚だし,へと意味がシフトしたとみる。この見解が妥当だと僕には思える。漢字を当てるには,古代人は結構知識を駆使しているのだから,意味の変化に合わせて,「斎→忌」と当て替えた,その時点が意味の変化のテッピングポイントなのだと思われる。

だから,本来は,

「ゆ」(斎)を重ね、形容詞化したもの,

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%97)のが妥当なのだろう。

『大言海』が,「いむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.html)で触れたように,

斎む,
忌む,

の二項に分ける見識を示したこととつながる。「斎む」は,

「斎(い)を活用す」

とし,

「凶穢(けがれ)を避けて,身を浄め慎む。神に事振るに云ふ」

とする。「忌む」は,

「斎むの轉。穢事を避け嫌ふ意より移る」

とし,

(禍事を)嫌ひ避く→憚る→憎み嫌ふ,

という意味の転化を示している。この「いむ」と「ゆゆし」は重なるのである。単に,

甚だしい,
大変だ,

意となって以降,

由々しい,

と当てたものと思われる。「由」(呉音ユ,漢音ユウ,慣音ユイ)の字は,

「象形。酒や汁を抜き出す口のついたつぼを描いたもの。また,~から出てくるの意を含み,ある事が何かから生じて来たその理由の意となった」

とある(『漢字源』)。「由来」「由縁」といった言葉との関連の中で,「ゆゆしい」の言葉が意味を反映している気がするのは錯覚か?

『日本語源広辞典』も,

「ユ(斎)+ユ(斎)+シ(形容詞化)」

とし,「ユは,神聖な霊力です。ユユシで『触れるのが恐ろしい』『触れると災いを招く』ところから「不吉だ」の意です」

とするのが妥当に思える。

『日本語源大辞典』は,「ゆゆし」の意味の変化を,

「ゆ(斎)を重ねて形容詞化したもので,手に触れたり,言葉に出したりしては恐れ多く,あるいはそれが不吉であることを表す。上代の用法は『ゆ(斎)』の意識が濃厚で,死んで井出恐れ多い場合と,縁起が悪く不吉なものを表す場合とがある。中古以降は,単に程度のはなはだしさを表す用法もみられるようになるが,その場合でも不吉さを含んだものがみられる。中世には,非常にすぐれているのような,プラスの意味の程度の甚だしさをいうようになる。」

とまとめている。ついでながら,「ゆゆしい」の今の使い方は,

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%86/%E7%94%B1%E7%94%B1%E3%81%97%E3%81%84-%E7%94%B1%E3%80%85%E3%81%97%E3%81%84-%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

の,

「忌忌しい(由由しい)とは、ほうっておくととりかえしのつかない結果をまねきそうな、という意味。例えば、彼女とのデート中に、二股をかけている相手が向こうから歩いてくるような状況を『ゆゆしき事態』という。
 ゆゆしいの『ゆ(斎)』は、神聖なものや不浄なものを畏怖する気持ちを表し、それを重ねた『ゆゆし』は、神聖なので(または不浄なので)触れるのは恐れ多い、触れてはいけない、言葉をかけてはいけない、という意味で用いられていた。二股をかけている彼女たちが道で出くわしてしまったようなとき、触れるなどはもってのほか、言葉を発するのもはばかられるのはいうまでもない。」

が笑える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2018年12月23日

やばい


「やばい」は,

ヤバイ,

とも表記されるが,本来,

危険である,
不都合である,

といった,危ない,あるいは,芳しくない状態を表現する,いわば状態表現であった。しかし,今日の「やばい」は,明らかな価値表現に転じていて,

凄い,

という意味と,

圧倒される,

という意味と,

魅了される,

といった含意をこめた,主体表現に転じている。

「『ヤバい』は江戸時代の滑稽本・十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも『やばなこと』という表現が見られる。」

として,

「江戸時代の矢場(射的場)では隠れて売春が行われていたため、そこに下手に居合わせ、役人から目をつけられたら危ないという意味で、「ヤバい」と言われるようになったという説が有力。元々は盗っ人たちの隠語だったため、今でもテレビや新聞では使用を避けられる傾向がある。」

とか(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134),

「有力なのは江戸時代の射的場の「矢場」から来ている言葉だとする説が有力です。当時の矢場は遊興施設で時には売春が行われていました。矢場にいて役人に目を付けられたら危ない、ということでやばいと言う言葉が生まれたとしています。
他には、江戸時代は牢屋のことを厄場(やくば)と呼んでいて厄場に入れられるような状態をやばいと呼ぶようになったという説、江戸時代の盗賊や香具師が使っていた「いやあぶない」と言う言葉が転じたと言う説、などがあるようです。」

とか(https://fm0817.com/yabai-gogen),江戸時代に由来させる説が多い。

「牢屋説」は,『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/36ya/yabai.htm)。

「やばいとは『危ない』『悪事がみつかりそう』『身の危険が迫っている』など不都合な状況を意味する形容詞や感嘆詞として、江戸時代から盗人や的屋の間で使われた言葉である。その後、やばいは戦後のヤミ市などで一般にも広がり、同様の意味で使われる。1980年代に入ると若者の間で『怪しい』『格好悪い』といった意味でも使われるようになるが、この段階ではまだ否定的な意味でしか使用されていない。これが1990年代に入ると『凄い』『のめり込みそうなくらい魅力的』といった肯定的な意味でも使われるようになる。」

あるいは,

「『やばい』が文献に現れるのは、…19世紀末の『日本隠語集』に「ヤバヒ…危険なること則ち悪事の発覚せんとする場合のことを云ふ」とあるのが最初です。(中略)18世紀末の歌舞伎の台本などに『やばな』という形容動詞連体形として残っています。つまり、形容詞「やばい」よりも先に…「やば」という名詞が存在したということも想像できます。…「やば」…も文字として残っているものはいわゆる隠語(盗っ人言葉)であり、『看守』とか『刑事』を表す言葉です。やばり江戸の後期から使われていたようですね。しかし、それ以前に遡ることはできません。」

と(http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2011/11/post-8502.html),隠語として使われていたことをしのばせる。

臆説だが,「矢場」は「やばい」の「やば」からの連想にすぎないように思えるので,普通に考えれば,

牢屋,

か,それと関連した,

牢番,

の意と推測できる。

牢屋を厄場(ヤクバ)と呼んでいた,

とする説もある(https://www.yuraimemo.com/4800/)。

辞書にはほとんど載らないが,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1,「野馬(危険な馬)+い」。危ない意,「ヤバな」の形容動詞の用法もある,
説2,「矢場(遊技場)+い」。表向き矢場で,売春場の「ヤバ」は取り締まりが多く,特に官憲に追われたときの隠語にヤバイが遣われることが多かった,

とする。「矢場」は,

弓を射る場,弓場(ゆば)。楊弓場(ようきゅうば 料金を取りて,楊弓(小弓)の遊戯を成さしめる所),

だが,

(表面は楊弓店を営みながら矢取りの女に売春をさせていたことから)淫売,

の意味もある(『広辞苑第5版』)が,どうもしっくりこない。「野馬」は,「野飼いの馬」「のうま」の意。確かに荒々しいが,これもぴんと来ない。しかし,

矢場,

薬場,

説が大勢のようだ。いつもながら,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B0%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「やばいとは、警官が大挙して不法ギャンブル場にやってきて『中を拝見したいので入れてくれないか』とドアをノックするとき、そこに居合わせた裏社会の楽しい仲間たちがおおいにうろたえて照明を消しながら口々に発する言葉。つまり『危ない』という意味。近年では、いつでも裏社会からお誘いを受けそうな少女たちが「気持ちがうろたえるほど素晴らしい」という意味で気軽に用いている。」

と意味の転換を鮮やかに言い当てている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:やばい
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2018年12月24日

マジ


「マジ」は,

「まじめ」の略,

とある(『広辞苑第5版』)。「まじめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/434431032.html)は,すでに触れたように,語源的には,

マジ(擬態・まじまじ)+目

で,真剣な顔つき,誠実な態度,誠意があるなどの意味になる。

まじまじ

は,

「マジマジ(目の擬態語)」

で,「目を据えて一心に見る」

という意味になる。『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/31ma/maji.htm)には,江戸時代から使われていたとして,

「マジとは真面目の略で、『真面目』『本気』『真剣』『冗談ではない』といった意味で使われる。マジは江戸時代から芸人の楽屋言葉として使われた言葉だが、1980年代に入り、若者を中心に広く普及。『マジで』『マジに』といった副詞として、また『マジ○○(マジ話(まじばな)・マジネタ・マジ惚け・マジ面(まじづら))』といった形容詞的にも使われる。また、『本気』と書いてマジと読ませるマンガなどもある。」

としている。現に,『江戸語大辞典』には,

①「まじめ」の略。真面目,真顔(天明元年・にゃんの事だ「幸次郎と盃事すむ。お梅はしじうまじて居る」),
②本当,真(まこと)(寛永六年・一向不通替漸運「三かつ,まじにうけ,とんだ事をおめへいふもんだぞ」),
③まんじり(嘉永六年以後・柳之横櫛「二晩間睡(まじ)ともしねえところへお造酒(みき)がまはつて来たもんだから」),

と,意味が載る。「寛永」年間まで遡るようだ。

どうやら,「マジ」は江戸時代に芸人の楽屋言葉、いわゆる「業界用語」として生まれたものらしく,今と同じ「真面目に」という意味で、「マジになる」「マジな心」といった用法が確認されている(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134)という。同じ説は,『日本語不思議辞典』(https://wisdom-box.com/origin/ma/maji/)にも,「芸人の楽屋言葉」とある。

そこから,

「ほんに男猫も抱いて見ぬ、まじな心を知りながら」(歌舞伎当穐八幡祭)

といように広く使われたとみられる(http://athena-minerva.net/seikatu/173/)。

ただ語源説には,この「真面目の業界用語」説以外に,

打消推量の文語体である「まじ」から,

というの説もある(https://matome.naver.jp/odai/2145706034644485501https://wisdom-box.com/origin/ma/maji/)らしい。

「『ただ今は見るまじ』とある『枕草子』、『この事は更に御心より漏らし給ふまじ』という記述がある「源氏物語」など(雑学解剖研究所),「ホントに??」と言うときの「マジで?」はこっちに近いですね。」

とする意見は,もっともらしく聞こえる。

この「まじ」は,

「『ましじ』(まじの古形。奈良時代に使われた)のつまった形で,平安時代以後にはじめて使われるようになった。これは,動詞・助動詞の終止形を承けるが,(中略)『べし』の否定形『べからず』に当たる意味を持ち,一人称の動作につけば『…ないつもりだ』の表現者の否定的意思を表し(枕草子『われはただ今は見るまじ』),二人称の動作につけば相手に対して『当然…ではいけない』という禁止の意を表し(枕草子『童より他にはすべて入るまじと戸をおさへて』),三人称の動作につけば,『…のはずがないだろう』という否定推量または『…できそうにない』という不可能の推量を表す(枕草子『(六位の)緑杉(ろうさう)なりとも雪にだにぬれなば憎かるまじ』)ことが多い」

とある(『岩波古語辞典』)。さらに,『日本語の語源』は,「ましじ」の由来を,

「オモフ(思ふ)の省略形モフ(思ふ)[m(of)u]を早口に発音するとき,ム(む)に縮約された。これを活用語の未然形に接続させて推量・意志の助動詞が成立した。(中略)『む』の未然形『ま』は助動詞を接続しない。その空き間性を利用して形容詞化の接続語『し』をつけたため『まし・べし・ましじ』が成立した」

としている。「まじ」には,否定,禁止,の意はあっても,「真面目」の意味はない。たんに「語感」や語呂だけで,類推したものというしか思えない。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BE/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,例によって,

「相手が一概には信用できない発言をしたとき『マジ?』と聞き返すことがある。同じような意味で『ウソ!』という聞き返し方もある。『マジ?』の方は『真実ですか?』と疑っているので疑問形のアクセントで、『ウソ!』の方は『ウソだ!』と決めつけているので肯定形のアクセントで用いる。このように、初心者が使用するにあたっては多少の練習が必要である。」

と皮肉っている。「マジ」は,あくまで,真面目,本当,の含意があってこそ,

マジ?

の問いが活きる。語呂だけからいうなら,『日本語源大辞典』に「まじ(真風)」,

まぜ(真風),

ともいい,

南風,
北風,
西風,

と地方によって意味が違うらしいが,

西南の方より吹く強き風,

の意らしい(大言海)。この語源説の他に,

よいマ(間)を意味する名か(方位考=柳田國男),

という説があるが,語呂でいうなら,いくらでも「マジ」に合わせて理屈はつく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:マジ
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2018年12月25日

ムカつく


「むかつく」は,

胸がむかむかする,

という状態表現だが,

「ムカつく」と表記すると,

癪にさわって腹が立つ,

という感情を表す価値表現へと轉ずる。

向かっ腹,

の意である(「向かっ腹」はhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/424241083.htmlで触れた)。

『大言海』には,

癪にさわる,

の意も載り,「京阪にて」という但し書きが付く。他にも,

「『ムカつく』は、『胃腸がむかつく』という言い方がされるように、昔から吐き気や胸焼けが起きていることを指して使われてきた言葉だ。そこから転じて、関西では江戸時代になって『癪に障る・腹が立つ』という現在見られる用法で用いられるようになった(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134)。

「むかつくとは『胃がむかつく』に見られるように、胸焼けや吐き気をもよおすことだが、関西などエリアによっては江戸時代から『癪に障る・腹が立つ』という意味でも使われる。」(http://zokugo-dict.com/33mu/mukatuku.htm

等々とあるので,関西方面から,意味が転じてきたというのは確かのようである。

「むかつく」という言い方に,とっさに,「むかむか」との関係が思いつく。「むかむか」は,『岩波古語辞典』には,

「はげしい感情が急激におこるさま。特に,急に腹が立ってくるさま」

とある(「むかつく」は載らない)。さらに,「むかむか」は,

「古くは『さる程に任(じん)氏はむかむかと楽しうなったぞ』(史記抄)のようにプラスの感情が込み上げてくる様子についても使われた」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。「むかむか」は,「むかっ」という擬態語とつながる。「むかっ」は,

急に怒りが込み上げてくる様子,
急に吐き気が込み上げてくる様子,

の意で,「向かっ腹」の「向かっ」とつながる気がする。「むかっ」は古くは「むか」で,「むかと腹が立つ」という言い方をしていたし,「向かっ腹」も「むか腹(ばら)」であったのだから,

「ムカムカ(擬態語)+パラ(腹が立つ)」

もおかしくはない(『日本語源広辞典』)。とすれば,「むかつく」も,

むかむか→むかつく,

の変化は,考えられる。『日本語源広辞典』は,

「ムカ(擬態語ムカムカ)+ツク(動詞化)」

とする。「ムカ」は,「むかむか」の「ムカ」ではなく,「むか(っ)」の「ムカ」でもあり得る。しかし,

「『むかつく』は、平安時代後期には既にあった言葉で、『胸がむかむかする。吐き気がする』という意味で使われていました。その点は現在もほとんど変わりませんね。ただ、『腹が立つ。頭に来る」という意味で使われるようになったのは、江戸時代以降のようです。昔は『むかづく』と濁って使われることもあったようです。『つく』は『付く』ではないでしょうか。
語源的には、『むかむか』を考えたくなりますが、文献を見る限り、『むかむか』が感情の高まり
を表す語として用いられた例は、室町時代(15世紀後半)までないようです。つまり、文献の範囲では、『むかむか→むかつく』ではなく、むしろ『むかつく→むかむか』という変化の方が可能性が高い、といえます。」

と否定している。ただ,日本語の特徴は,文脈依存度が高く,ということは,口頭で使われる言葉が,文字を介して,抽象度を上げていく傾向がある,と見ている。その意味では,擬態語・擬音語から動詞化の方が,考えられる気がする。逆の,なえる→なえなえ,と言うように,動詞から擬態語・擬音語もなくはないが。

やはり,

むかむか→むかつく,

というより,古形の「むか」の,

むか→むかつく→むか腹,

の変化と見ていいのではないか。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/33mu/mukatuku.htm)は,江戸時代以降として,

「1970年代後半のツッパリブーム時には不良が教師や親、警察、敵対する人・グループといった自分たちの自由や思惑の邪魔になる者を対象に、後者の意味で全国的に使うようになる。1980年代に入ると世代・エリアを超え、こちらの意味でも広く浸透。また、1998年に栃木県で起きた教師刺殺事件で犯人の中学生の発言に使われ話題となった。マンガなどではムカつくという表記も使われる。」

と,現在への変化を示しているし,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%80/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「ムカつくとは、吐き気がするとか胸が焼けるという意味だが、主に『吐き気がするほど腹が立つ、相手に嫌悪感を感じる』などといいたいときに用いる言葉。最近の心優しい若者たちは、めったに腹を立てたり、相手を嫌悪したりすることがないせいか、その種の語彙が非常に少なく、たまにそのような状況におちいると、バカの一つおぼえのように『ムカつく』という。」

と,揶揄する。確かに,「ムカつく」という言い回しには,「ヤバい」と同様,言語表現力の稚拙さを感じさせ,退化を感じるのは,老人の僻事か。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ムカつく
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2018年12月26日

びびる


「びびる」は,

ビビる,

と表記したりするが,

はにかむ,
気後れする,
尻込みする,

意である(『広辞苑第5版』)。「はにかむ」意ではあまり使わないが,気後れの意で使う。これは,

平安時代まで遡る,

という説がある。平安時代まで溯るかどうかは分からないが,『岩波古語辞典』に載り,

気おくれがする,

意の他に,

はにかむ,
恥じらう,
物惜しみする,けちけちする,

意が載る。「物惜しみする」意は,「志不可起」に,

「人の嗇(しわ)くて物惜しむをびびると云ふ」

とある。『江戸語大辞典』には,

はにかむ,はずかしがる,しりごみする,

の意が先ず載り,その用例に,

「引かれるとそのくせびびる浅黄うら」(明和八年川柳評万句合),

が載る。「浅黄(浅葱)色」とは,緑がかった薄い藍(あい)色)の木綿布を裏地に用いた着物の意で,

「実用性に富むことから、江戸時代に江戸庶民の間で一時流行した浅葱木綿の着物であったが、流行が廃れても田舎侍や生活が困窮していた下級武士などが羽織の裏地に浅葱木綿を使っていた。江戸っ子のいきとは反対で、表地だけ豪華に見えるが実際は粗末な服という意味の隠語である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%91%B1%E8%A3%8F)。「無粋野暮の骨頂として遊里のふられ者の標本となった」(仝上)者を揶揄している。「はにかむ」というより「尻込みする」意だろう。

その他に,

すねて素直でない,ぐずぐず言う,

意があり,

「びびる,小児の強(すね)てすなほならぬをビビルといふ」(俚言集覧),

の用例が載る。『江戸語大辞典』には,

びびりこ,

という言葉も載り,

はにかむ子,すねてぐずぐず言う子,

の意で,

びびりっこ,

とも言ったとある。

「びびる」は,どうやら,江戸時代の言葉と見られる。

「『びびる』の語源として広まっている『平安時代からあることばで、戦で鎧が触れ合う音に由来する』という説は誤りであると考えられる。『びびる』の用例が確認できるのは江戸時代から。この説は平成に入ってから突然現れたもので、どうやら1988年に出た本の誤読から生まれたようだ。『びびる』がオノマトペに由来しているという点はおそらく正しい。」

とあるhttp://fngsw.hatenablog.com/entry/2018/06/13/192334し,調べる限り,用例は全て江戸期の例のようだ。その誤解のいきさつは,上記サイトhttp://fngsw.hatenablog.com/entry/2018/06/13/192334に譲るとして,では語源は,というと,シンプルに,

びくびくするの簡約語,

である(『日本語源広辞典』)。つまり,

びくびくする→びびる,

で,これは,

びくびくする→びくつく

ともつながる。要は,和語らしく,擬態語由来ということだ。ちなみに,

びくっ,

は,

一回の動作,

びくびく,

は,

何回か連続した動作,

ということになる(『擬音語・擬態語辞典』)。びくつくは,

「『びく』に『ごたつく』『べたつく』などの『つく』が付いたもの,らしい。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/27hi/bibiru.htm)には,

「江戸時代には舞台前に緊張や気後れから萎縮することを意味する楽屋言葉として芸人の間で使われ、特に関西エリアでは一般にも普及。1970年代後半のツッパリブームになると、ケンカ前に相手におじけづくことや悪事をする前におじけづくことを指し、不良少年の間で重用される。1980年代には世代・エリアを超え、広く普及すると同時に、おじけづいている人や萎縮しやすい人を意味する名詞形のびびりも使われるようになる。」

と,70年代に急に復活した謂れが載る。『大言海』には載らないが,『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』には載るのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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書評
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ラベル:びびる ビビる
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2018年12月27日

ふね


「ふね」は,

船,
舟,
槽,

と当てる。「舟」(漢音シュウ,呉音シュ)の字は,

「象形。中国の小舟は長方形で,その姿を描いたものが舟。周(シュウ)・週と同系のことばで,周りをとりまいたふね。服・兪・朕・前・朝等の字の月印は,舟の変形したもの」

とある(『漢字源』)。さらに,

「船は,沿と同系で,流れに沿って下るふね。舶は,泊と同系で,沖にもやいして岸には着かない大ぶね。艇は挺(まっすぐ)と同系で,直進するはやぶね。艦(カン)は,いかめしいいくさぶね。」

とある。「船」と「舟」の違いは,あまりなく,

「漢代には,東方では舟,西方では船といった」

とある(『漢字源』)。「航」(コウ)も「船の別名」とある(『字源』)。「舫」(ホウ)は,「もやいぶね」「兩船を並べる」の意。今日,「舟」と「船」の違いは,

「動力を用いる大型のものを『船』,手で漕ぐ小型のものを『舟』」

と表記する(http://gogen-allguide.com/hu/fune.html)。

「『舟』や『艇』は、いかだ以外の水上を移動する手漕ぎの乗り物を指し、『船』は『舟』よりも大きく手漕ぎ以外の移動力を備えたものを指す。『船舶』は船全般を指す。『艦』は軍艦の意味である。(中略)つまり、民生用のフネは「船」、軍事用のフネは『艦』、小型のフネは『艇』または『舟』の字」

を当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9)とか。

「ふね」に当てる「槽」(漢音ソウ,呉音ゾウ)の字は,

「会意兼形声。『木+音符曹(いくつも並べる,ぞんざいに扱う)』で,いくつもあって,大切でない今日の容器」

であり,「かいば桶」の意である。これが「ふね」に当てられた理由は分からないが,「舟」に,

「水などを入れる桶」
「酒や醤油を絞る桶」

の意味で使うのは我が国だけで,「湯舟」「酒舟」等々という言葉もある。「槽」には,

酒を貯えておく容器,

の意味があり,「酒槽(シュソウ)」という言葉もある。このつながりで,「ふね」に当てたのではあるまいか。「槽」を当てるのは,

箱形の容器,

だけで,

酒槽(さかぶね),
紙漉槽(かみすきぶね),
馬糧桶(うまぶね)

等々と訓ませる。それとの関係だろうか,「棺」を「ふね」と訓ませ,

棺入り,

を「ふないり」などと訓ませる。我が国だけの言い回しである。

さて,和語「ふね」の語源である。『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』は,

「古形フナの転」

とする。他の例に洩れず,複合語に残る。

船乗り(ふなのり),
船べり(ふなべり),
船宿(ふなやど),
船人(ふなびと),
船足(ふなあし),
船遊び(ふなあそび),
船泊(ふなどまり),
船筏(ふないかだ),
船歌(ふなうた),
船路(ふなじ),
船出(ふなで),
船底(ふなぞこ),
船橋(ふなはし),
船便(ふなびん),
船盛り(ふなもり),

等々。とすれば,「ふな」から語源を考えるのが順当のはずである。しかし殆どは,それを無視しているようにに見える。

『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「フネ(容器)」説。曲げ物のフネ,岩船寺のフネなど,
説2は,「ヘ(容器)の転じたフに,ネ(接尾語,動くもの)を加えた,

と,「容器」由来説を採る。同趣は,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/fune.html)で,

「水槽や大きな容器を表す古語『ふね(槽)』からとする説が有力とされている。しかし、浴槽の『湯船』や魚介類などを盛る容器をいう『舟』は船の形からきたものであるため、 古語の『ふね(槽)』も同様のたとえから派生した語とも考えられる。『ふね』の『ね』は 接尾語で、『ふ』は水に浮かぶことから『浮』とする説や、帆を張ることから『帆』とする説がある。」

しかし,僕は逆なのではないか,と思えてならない。容器を船に準えるよりは,壺や甕といった容器一般ではなく,大きな槽タイプは,「フネ(舟)」に準えた,と見るのが妥当ではないか,と思うのだが,「容器」説は少なくない。

フネは容器の称(海上文化=柳田國男・日本の言葉=新村出),
物を載する器の意(和訓栞),
フは容器の意のヘの転。ネは接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々。しかし,「へ」については,「かめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462616670.html)で触れたように,

「カ(瓮)メ(瓶)の複合語。メはベの転」(『岩波古語辞典』),
「甕(か)と瓮(へ)と合したる語ならむ」(『大言海』)

で,「カメ」を構成する「へ」は,

瓮,

の字を当て, 「酒や水を入れたり,花を挿したりなどする底の深い容器」

である。「へ」は,「フ」になったのではなく,「瓮(ヘ→カ)」と「甕」へと転じていく。水・酒などの容器である甕があるのに,その「へ」を「フ」に転じて,容器に使うのかどうか,ちょっと疑問符が付く。

他は,「浮く」に絡める説が多い。

フカキニウカヘル(深浮)の略フへの転(日本釈名・類聚名義抄),
ウカブメグルの上下略に通ず。またネは根の義で岩根にウカブ意(滑稽雑誌所引和訓義解),
浮かぶ意で,ネは根の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ウクナ(浮名)の義(言元梯),
フはウカムの約転。ネはノレの約(和訓集説),

どちらかを選べ,というなら,ぼくは,「浮」の「フ」を採る。

800px-Arakebune_in_Hizen_Nagoya_Castle_byobu.jpg

(『肥前名護屋城図屏風』に描かれている安宅船(佐賀県立博物館蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9より)


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ラベル: ふね
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2018年12月28日

うく


「うく」は,

浮く,

と当てる。「浮」(フ,呉音ブ,漢音フウ)の字は,

「会意兼形声。孚は『爪(手を伏せた形)+子』の会意文字で,親鳥がたまごをつつむように手でおおうこと。浮は『水+音符孚』で,上から水を抱えるように伏せて,うくこと」

とある。沈の対である。我が国でのみの使い方は,「浮いた考え」とか「金が浮く」とか「浮いた気持ち」とか「考えが浮かぶ」とか「歯が浮く」というように,本来の「浮く」の意味に準えたような,「うかぶ」「うかれる」「あまりがでる」「うすぶ」等の意味での使い方は,漢字にはない。しかし,

浮生,
浮言,
浮薄,

といった「とりとめない」意はあるので,意味の外延を限界以上に拡げたとは言える。

『岩波古語辞典』には,「うく」について,

「物が空中・水中・水面にあって,底につかず,不安定な状態でいる意。『心が浮く』とは,平安時代には不安な感じを伴い,室町時代以降には陽気な感じを表した」

とあるので,「宙空にある」意を元々持っていたようである。だから,

模様や織り目が地から高く離れているように見える(「紅梅のいと文(あや)うきたる葡萄(えび)染の御小袿(こうちぎ)」(源氏物語)),
とか,
よりどころが鳴く不安である(たぎつ瀬に根ざしとどめぬ浮き草の浮きたる恋も我はするかも(古今集)),
とか,
不誠実である(浮たる心わが思はなくに(万葉集),「この浮きたる御名をぞ聞し召したるべき(源氏物語))
とか,
不確かである(あま雲の浮きたることと聞きしかど猶ぞ心は空になりにし(後撰和歌集)),
とか,
ふらふらと固定していない(歯浮候て(細川忠興文書)),
とか,
心がうきうきとはずむ(心の浮いたお地蔵とみえたほどに)

等々の「浮く」心の状態表現にシフトした使い方がされている。これは,和語「うく」と「浮」の違いから来ているのではあるまいか。

『日本語源広辞典』は,「うく」の語源を,

「ウク(浮く)。本来二音節語と考えます。『水面または空中にある』意です。ウカレル(浮か+レル)は,他の刺激により心理的に浮いた状態になる意です。ウカブは『浮カ+ブ(継続)』で,浮いた状態になることを表します。ウカベルはもその一段化で,いずれも同源です」

とする。

『日本語源大辞典』は,「浮く」「浮かぶ」「浮かれる」を,別項に立てて,それぞれ記載している。当然,「浮かぶ」「浮かる」「浮かれる」は同源である。

「浮く」は,

ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),
ウヘク(上来)の義(日本語原学=林甕臣),
ウは海,または上か。クはかろくの上略か(和句解),

とあるが,「うえ(上)」は,古形は,

ウハ,

である。『岩波古語辞典』には,

「『下(した)』『裏(うら)』の対。稀に『下(しも)』の対。最も古くは,表面の意。そこから,物の上方・髙い位置・貴人の意へと展開。また,すでに存在するものの表面に何かが加わる意から,累加・繋がり・成行き等の意を示すようになった」

とある。

ウハ→ウヘ→ウエ,

の転訛である。ならば,

ウハ→ウク,

もありそうな気がするが,音韻的には無理らしい。

「浮かぶ」は,

ウカム(上所)の転(言元梯),
ウケベ(受け方)の転。ウケは水が物を受けること(名言通),
ウキアラハルル(浮顕)の義(国語本義),

「浮かれる」は,

浮くの再活用(萬葉集辞典=折口信夫),
浮き荒るるの義(日本語原学=林甕臣),
サル(戯),カル(謔)と同意語。ウカルはカが語根で,本質的には魂の去就が定まらない状態,漂蕩倡遊等の意を有していたらしい(物語文学序説=高橋正秀),
ウクは波の義か。在所のさだまらないところからか(名語記),

等々。

僕には,「うは(上)」にかかわると思えてならない。

ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),

に与したい。

なお『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%86/%E6%B5%AE%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,いつものように,「浮く」について,

「浮くとは、空中や水中において、ものが重力とは逆の方向に動いたり、その結果としていちばん上(水面など)に達したり、重力に逆らって空中や水中にとどまっていたりする状態を表現する動詞。そのさい、空気や液体の持つ浮力によってその動きをしているように感じられることが『浮く』と呼ばれる条件であり、一見浮力など関係なさそうに上昇する飛行機や鳥は『浮く』とはいわず『飛ぶ』という。おばかな格好や言動により仲間から敬遠されているやつは、仲間の『空気』の浮力により『浮いて』いるのである。」

と皮肉をきかせている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:浮く うく
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2018年12月29日

城郭


西ケ谷恭弘『城郭』を読む。

img133.jpg


「城」の由来は,「城」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463204819.html)で触れたように,本書の主張する,

「城は,貯蔵機能をもち垣檣(えんしょう)で区画した空間であった。すなわち憑(より)シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロなどにみられるようにシロは,場所・区画であり,宿り,集まり,集置の粮所の区域をいう。シロはシルシスナワチ標(しるし)が語源であるとされる」

という説が, 『岩波古語辞典』が,

「シリ(領)の古い名詞形か。領有して他人に立ち入らせない一定の区域」

や, 『日本語源広辞典』の,

「知る・領るの名詞形のシロ(国見をする場所)」

であり,

「シロは,場所で,まつたけのシロ,ナワシロ,ヤシロなどのシロと同源」

と重なる。その「シロ」について,『日本書紀』の

葛城,
稲城,

から,幕末の,

五稜郭,

までを辿る。「はしがき」で,

「城のイメージである天空に聳える天守・櫓や石垣・堀が,いかにも近世に忽然と出現したかのような」

従来の城郭史の点と線を繋ぐ,具体的な,感状山城,一乗谷,山中城などの壮大な城郭群によって,

「中世から近世への空白を埋める城郭形態の変遷(編年)」

を描けた,とするように,本書は,城郭の歴史である。

御所ヶ谷神籠石_.jpg

(神籠石式山・御所ヶ谷神籠石(福岡県行橋市)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%A0%E7%9F%B3


弥生期の,高地性山城,大和王権下の神籠石式山城(こうごいししきやまじろ),朝鮮式山城,蝦夷対策の城柵,武士の登場から,悪党の山城,守護大名,国人領主の築城から戦国時代の城郭への大きな流れを辿りつつ,安土城が,城郭史のエポックとなる。そのプロセスの変化を細かく辿る。

800px-KasugayamaCastle-print.jpg

(戦国期の山城を描いた絵図(春日山城・越後国) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E

正確な数ははっきりしないが,元和一国一城令で,城割り(城の破壊)が進んだとはいえ,なお残った城もあり,

260以上の城郭が明治維新時に存在した,

とされる。しかし,廃城令,その後のずさんな管理によって,破壊されたもの,荒廃したもの等々によって,存置城郭は58となり,結局,20城のみ残り,その後,戦災などによって,現在天主のみ残るものを含めて,松本城,犬山城,姫路城,等々12城しかない(その写真は,http://heiwa-ga-ichiban.jp/oshiro/index.htmlに詳しい)。明治期,興福寺の国宝級の仏像が路傍に放りだされていたという作為の廃仏毀釈にしろ,この貴重な城々を廃棄した廃城令にしろ,文化というものにほとんど斟酌しなかった,明治政権の作為・不作為の暴虐ぶりがよくうかがえる。

800px-安土城.jpg



参考文献;
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)


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ラベル:城郭 西ケ谷恭弘
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