2018年12月21日

いみじ


「いみじ」は,「忌む」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.html)とつながる。

「イ(忌)の形容詞形で,禁忌として決して触れてはならないと感じられるというのが原義。転じて極度に甚だしい意で,善にも悪にもいう。平安朝女流文学などでさかんに使われ,漢文訓読体や軍記物語ではほとんど使われない」

とある(『広辞苑第5版』)。で,

(忌避したいものの程度が大変甚だしい意)悲しい,つらい,困った,恐ろしい,情けない等々,
(讃美したいものの程度が甚だしい意)たいそううれしい,すばらしい,立派だ等々,
(修飾語として,被修飾語の持つ属性の程度の甚だしいことを示す)
はなはだしい,たいそうな,

と意味が載る。要は,いい意味でも悪い意味でも,凄い,という意味で,今日の,

やばい,

が,「あぶない」意から,「凄い」「酷い」という意へ転じたのと重なる。だから,

程度が甚だしい,普通でない,

意で,善悪問わず使うので,

(望ましい場合)たいそう…である,すばらしい,立派である。たいへんうれしい,

となるし,

(望ましくない場合)ひどく…である,ひどい,すさまじい,たいそうつらい,ひどく悲しい,

となる(『大辞林』)。

「中古においても訓点資料や歌集には使われず、多く物語や日記で用いられた。程度のはなはだしいさまを表わし、解釈上は前後の文脈から具体的に補って理解すべきことが多い。平安末期から良い意味に用いられることが多くなっていった」

とある(『日本国語大辞典』)ので,和語らしく,文脈に依存して,様々の意に使われる。文脈を見ないと,その正確な意味は,つかみ難いのは「やばい」と似ている。

『岩波古語辞典』は,

「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」

とし,「ゆゆし」と関連づけている。「ゆゆし」の項で,

「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」

とある。「いみじ」が,

避ける,

ニュアンスとすると,

「ゆゆし」は,

畏れ,

が強いが,その感情だけを抜き出せば,

甚だし,

となる。『岩波古語辞典』は「忌む」で,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味を並べた。

「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」

とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。

『大言海』は,「いみじ」の項で,

「斎(いみ),忌(いみ)を活用す。其事だつ意」

とする。「斎」「忌」は,

斎むこと,
忌むこと,

で,「斎む」とは,

穢れを避けて身を清める

意であり,「忌む」は,

穢れを避ける,

意である。結局,「穢れ」を畏れるから,「斎む」のであり,「忌む」のである。その心性は,同じである。「い(斎)」は,

「イミ(斎・忌)と同根。」

で,「神聖であること」「タブー」の意だが,「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」など,複合語としてのみ残っている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:いみじ 忌む
posted by Toshi at 05:23| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする