2019年01月23日

せわしい


「せわしい」は,

忙しい,

と当てる。

いそがしい,

という状態表現の意味から,

ゆったりしていない,
落ち着きがない,

という価値表現の意味になる(『広辞苑第5版』)。

忙しない,

という言い方をするが,「ない」は否定ではない。

「『ない』は甚だしいの意」

とあり(『広辞苑第5版』『日本語源広辞典』『岩波古語辞典』),接尾語で,

「性質・状態を表す語に添えて,その意味を強め,形容詞をつくる。『甚だしい』の意」

で,

はしたない,
せつない,

等々。で,「忙しない」は,

非常に忙しい,

意となる。もっとも,異説もあり,

ナシ(甚)はその状態にあることを強めた接尾語(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),
セハシの語幹に,状態のはなはだしい意を添える接尾語ナシが付いた語(角川古語大辞典),

以外に,

サマシナシ(小間无)の義(言元梯),
セハは狭の意,シはセリの反,ナシは無の意か(名語記),

という説もあるようであるが。

「忙」(漢音ボウ,呉音モウ)の字は,

「会意兼形声。亡は,無くなる,むいの意を含む。忙は『心+亡』で,あれこれと追われて,こころがまともに存在しない状態,つまり落ち着かない気持ちになること」

で,まさに「いそがしい」意である。

「せはし」について,『岩波古語辞典』は,

「セバシ(狭)と同根」

とし(「せば(狭)し」には「セシ(狭)・セメ(攻)という同根。『広し』の対」とある),

間をおかない感じだ,後から後から起こる感じだ,
追い立てられるように忙しい,
せかせかしている,

と,早瀬のイメージだから,「狭い」と同根としたと見える。用例に,

「岩間行くいさら小川のせはしきにわれて宿れるありがとうございました。有明の月」

を載せる。『大言海』も同旨で,「せはし」に,

「狭(せば)しより,急迫の意に轉ず,即ち,せはせはしの略」

とある。「せば(狭)し」の意に,

狭(さ)し,幅広からず,くつろぎなし,

とある。

狭い,

という状態表現が,

くつろぎなし,

と空間的に余裕のない状態表現へ転じ,それが,時間的なゆとりのない状態表現へ転じ,忙しいという価値表現へと転じていく道筋はよく見える。その象徴が『大言海』の,

せはせはし,

という表現になる。状態表現でもあるし,価値表現でもある。ちなみに,

せわせわし,

は,

せまっくるしい,
せかせかとしておちつかない,
こせこせしてしみったれている,

と(『岩波古語辞典』),「しみったれ」にまで価値表現が変ずる。「せわせはし」は,

そはそはし,

の転とある。「そはそは」は,

「江戸時代から見える語。…室町時代には『ろりろり』という言い方で『そわそわ』の意を表していた。『日葡辞書』…には『不安などで落ち着かなかったりろたえたりする様子』という解説がある」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。「そはそはし」が,擬態語のように使われるようになったものらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:せわしい 忙しい
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2019年01月24日

うら


「うら」は,

裏,

と当てるが,

心,

とも当てる。そのことは,「うらなう(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.html)」で触れたように,『大言海』は,「うら(占)」は,

「事の心(うら)の意」

とする。「心(うら)」は,

「裏の義。外面にあらはれず,至り深き所,下心,心裏,心中の意」

とある。『岩波古語辞典』は,「うら」に,

裏,
心,

と当て,

「平安時代までは『うへ(表面)』の対。院政期以後,次第に『おもて』の対。表に伴って当然存在する見えない部分」

とある。「かお」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/450292583.html)の項でも触れたが,「うら(心・裏・裡)」の語源を,『日本語源広辞典』は,

「顔のオモテに対して,ウラは,中身つまり心を示します」

とし,

「ウラサビシ,ウラメシ,ウラガナシ,ウラブレル等の語をつくります。ウチウラというごもあります。後,表面や前面と反する面を,ウラ(裏面)ということが多くなった語です」

とするが,これだと,「うら=心」を前提にしているだけで,なぜ「ウラ」で「心」なのかがわからない。『日本語源大辞典』は,「うら」に,

裏,
裡,

を当てて,

ウは空の義から。ラは名詞の接尾語(国語の語幹とその分類),
衣のウチ(内)ラの意のウラ(裡)か(和訓栞),
ウラ(浦)と同義か(和句解),

の諸説を載せる。「ウラ(浦)」と同義」というのが気になる。「心」という抽象的な概念が,和語において,先に生まれたとは思えない。何かを表した言葉に準えて,「心」に当てはめたというのが自然だからだ。『大言海』は,「うら(浦)」について,

「裏(うら)の義。外海の面に対して,内海の意。或は,風浪和らぎてウラウラの意。船の泊する所」

とし,『日本語源広辞典』は,

「『ウ(海,湖)+ラ(ところ)』。海や湖で,陸地に入り組んだところ」

とし,『日本語源大辞典』は,

ウラ(裏)の義。外海の面に対して,内海の意(箋注和名抄・名言通・大言海),
ウチ(内)ラの意(和訓栞・言葉の根しらべ),
風浪がやわらいで,ウラウラする意(大言海・東雅),
ウ(上)に接尾語ラを添えた語であるウラ(末)の転義(日本古語大辞典),
ムロ,フロ,ホラ,ウロ等と同語で,ここに来臨する水神をまつり,そのウラドヒ(占問)をしたところから出た語(万葉集叢攷),
ウは海,ラはカタハラ(傍)から(和句解・日本釈名),
ウラ(海等)の義(桑家漢語抄),
ウはワタツの約,ウラはワタツラナリ(海連)の義(和訓集説),
蒙古語nura(湾)から(日本語系統論),

と諸説載せるが,「うら(心)」のアナロジーとして使うには,そういう意味が,「うら(浦)」に内包されていなくてはならない。とすれば,

外海⇔内海,

が,ぴたりとする気がする。しかし, 「うら」は,

表(おもて)の対,

上(うへ)の対,

の意があるが,

「うへ(表面)」の対から「おもて」の対へ,

と転じている(『岩波古語辞典』)ので,語源を考える場合,

うへ⇔うら

「うら」の対は,「うへ」である。「うち」と「うら」とが通じるのかどうか。「そと」は,「うち」の対だが,ふるくは,「と」と言い,「うち(内)」「おく(奥)」の対とある。「うち」について,『岩波古語辞典』は,

「古形ウツ(内)の転。自分を中心にして,自分に親近な区域として,自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは,人に見せず立ち入らせず,その人が自由に動ける領域で,その線の向こうの,疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい,後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは,中心となる人の力で包み込んでいる範囲,という気持ちが強く,類義語ナカ(中)が,単に上中下の中を意味して,物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い,中世以後『そと』または『ほか』と対する」

とする。かろうじて,

うら―うち,

がリンクするかに見える。ちなみに,「うらうら」は,擬態語で,万葉集にもある古い語で,

うららか,
のんびりした,

という意味になる。「浦」につながる気がする。因みに,「裏(裡)」(リ)の字は,

「会意兼形声。里(リ)は,すじめのついた田畑。裏は『衣+音符里』で,もと,たてよこのすじめの模様(しま模様)の布地。しま模様の布地は衣服のうら地に用いた。」

とある(『漢字源』)。物事の表面に現れない,というメタファとして,「裏話」「裏方」等々と,「裏」の字を用いるのは我が国だけである。「浦」(漢音ホ,呉音フ)の字は,

「形声。『水+音符甫(ホ)』で,水がひたひたと迫る岸」

で,水のほとり,水のひたよせる岸,の意で。海や湖などの陸地に入り込んだ「うら」の意で使うのは我が国だけである。「うら」の多いわが国独特の語幹である。やはり,

浦→裏,

と考えたくなる。

なお,「こころ」については別に(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454373563.html)触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年01月25日

凡下


「凡下(ぼんげ)」は,『大言海』には,ずばり,

おとりたること,平凡なること,
普通の人,凡人,

とある。要は,

身分なき人,

を指す。『広辞苑第5版』には,

令制上位を持たない人,
主として鎌倉幕府法に見える身分階層上の呼称,侍に属さない一般庶民,

を指した,とある。

甲乙人。

と同じ意である。

A_peasant1.JPG

(農民(『和漢三才図会』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%AE%B6より)


「鎌倉~室町時代の身分呼称。甲乙人ともいった。主として鎌倉幕府法において,侍身分に属さない一般庶民をさしていった言葉。刑法その他の面で,侍とは厳重に区別されていた。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とあるので,身分として侍に属さぬものを指したとみていい。

「凡」(呉音ボン,漢音ハン)の字は,

「象形。広い面積をもって全体をおお板,または布を描いたもの。」

とあり(『漢字源』),

一般的,

を意味する。つまり,「武家社会」にとって,

当たり前の人間より下,

という意味なのだろうか。『孟子』の

待文王而後興者,凡民也(文王を待ちて後に興る者は凡民なり)

が,引かれている。これは,

文王を待ちて後に興る者は、凡民なり,
夫の豪傑の士の若きは、文王無しと雖も猶興る。

と続く。勝手な妄想だが,こんなイメージで,「凡下」といったのではないか。しかし,所詮,侍も,農民である。そのことは,すでに触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461149238.html)。武家の棟梁とは,

「在地領主の開発した私領,とくに本領は,『名字地』と呼ばれ,領主の『本宅』が置かれ,『本宅』を安堵された惣領が一族の中核となって,武力をもち,武士団を形成した。中小名主層の中には,領主の郎等となり,領主の一族とともにその戦力を構成した。武士の中に,荘官・官人級の大領主と名主出身の中小領主の二階層が生まれたのも,このころからである。武門の棟梁と呼ばれるような豪族は,荘官や在庁官人の中でもっとも勢を振るったものであった。」

であった。

「甲乙人(こうおつにん)」というのは,

誰と限らずすべての人,あの人この人,
名をあげるまでもない者,一般の人,

の意である。「甲乙」とは,

甲某(たれがし)乙某(それがし)の義,

と『大言海』にある。つまり,

誰彼の人々,但し,武家の家人,武士ならぬ雑人の称なりしが如し,

とある。『大言海』に,村の制札を引き,

「軍勢甲乙人,還住之百姓家,不可陣取事」

に,「松屋筆記」は,

「甲は武士,乙は雑人也」

と注記している。誰彼の意味である。

この背景は,

「『甲』『乙』などの表現は、現代日本における『A』『B』や『ア』『イ』などと同じように特定の固有名詞に代わって表現するための記号に相当し、現代において不特定の人あるいは無関係な第三者を指すために『Aさん』『Bさん』『Cさん』と表現するところを、中世日本では『甲人』『乙人』『丙人』といった表現したのである。
そこから、転じて正当な資格や権利を持たず、当該利害関係とは無関係な第三者として排除された人々を指すようになった。特に所領・所職を知行する正当な器量(資格・能力)を持たない人が売買譲与などによって知行することを非難する際に用いられた。例えば、将軍から恩地として与えられた御家人領が御家人役を負担する能力および義務(主従関係)を持たない者が知行した場合、それが公家や寺院であったとしても『非器の甲乙人』による知行であるとして禁止の対象となった。同様に神社の神領が各種の負担義務のない者が知行した場合、それが御家人であったとしても同様の理由によって非難の対象となった。」

と歴史的な説明がされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E4%B9%99%E4%BA%BA)。通行人Aというように,誰彼でもいい人,という意味である。あくまで武家社会を中心に見ての,その埒外の人,という意味になる。で,

「『凡下百姓』または『雑人』と称せられた一般庶民は、無条件で所領・所職を知行する正当な器量を持たない人々、すなわち『非器の甲乙人』の典型であるとされており、そのため鎌倉時代中期には“甲乙人”という言葉は転じて『甲乙人トハ凡下百姓等事也』(『沙汰未練書』)などのように一般庶民を指す呼称としても用いられた。」

となる(仝上)。

「甲乙人に成候ふべき」
「甲乙人に成候ては」

という文言が見受けられるが,それは侍身分としての正当な資格を失う意でもある。だから,

「武士・侍身分においては、“甲乙人”と呼ばれることは自己の身分を否定される(=庶民扱いされる)侮辱的行為と考えられるようになり、悪口の罪として告発の対象とされるようになっていった。」

とある(仝上)。

これと似た言葉に,「地下」「地下人」がある。「甲乙人」の説明(『精選版 日本国語大辞典』)に,

「誰と限らずすべての人。貴賤上下の人。また、名をあげるまでもない一般庶民、雑人、地下人(じげにん)、凡下の者などをいう。」

とあり,凡下,甲乙人,地下人はほぼ意味が重なる。

「地下人」も身分制度から来ている。『大言海』に,

堂上,殿上に対して,五位以下の未だ清涼殿の殿上に,昇殿を聴(ゆるさ)れざる官人の称,

とあり,それが転じて,

禁裏に仕ふる公家衆よりして,其以外の人を云ふ称,

となり,

庶民,

となり,室町末期の『日葡辞典』には,

土着の人,

の意となる。本来五位以下を指したが,そこにも至らぬ公家以外を指し,対に,庶民を指すようになった。武家も,公家から見れば,地下である。しかし武家の隆盛とともに,地下は,

土着の人,

つまり,

地元の人,

という意になった。

「平安時代,殿上人に対して,昇殿の許されなかった官人をいった。地下人ともいい,また,殿上人を『うえびと』というのに対して,『しもびと』とも呼んだ。元来,昇殿は機能または官職によって許されるものであったため,公卿でも地下公卿,地下上達部 (かんだちめ) のような昇殿しない人や,四位,五位の地下の諸大夫もいたが,普通は六位以下の官人をさした。近世になると家格が一定し,家柄によって堂上,地下と分れた。その他,広く宮中に仕える者以外の人,農民を中心に庶民を地下と呼ぶ場合もあった。」

ということ(『ブリタニカ国際大百科事典』)らしい。

いまや,「地下人」「甲乙人」「凡下」は,死語である。とかく,身分を際立たせようとするところから生まれた語にすぎない。ま,そういう呼称のなくなった社会ではあるが,今日,日本では,かえって,貧乏か富裕かが,境界線らしい。何だか,貧しい社会である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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2019年01月26日

具足


「具足」は,

甲冑,

の意で用いられるが,本来は,

十分に備わっている,
揃っている,

意で,

円満具足,

などという。『大言海』は,二項に分け,一つを,

「具足する(ともなふ)ものもの意」

とし,

携へるもの,携行品,
携ふる意より転じて,所持品,調度,道具,

の意とする。この意から,

伴うもの,同行すること,

の意となり,

引き連れる家来,

の意もある。いまひとつは,

「(所持品,道具の)意にて,武士の所持品,調度,道具は,鎧を第一とするに因りての名なり,モノノグ(什器)を鎧と称し,調度を弓矢,道具を槍の名とすると,正に同意なり。甲冑,籠手,脛楯(はいだて)等,六具,具備する稱と云ふは,具足を,ソナハル意に解して,考へたる鑿説なり,何れの器か,所要の部分の備はらざるものあらむ」

として,

鎧,甲冑の異名,

とし,さらに,

後世は,鎧の脇楯(大鎧の胴の引き合わせの空間を塞ぐもの)なく,種々の付属品なく簡略なる制のもの,

とある。つまり,室町末期の,

当世具足,

を指すことになる。

「日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が『具足(十分に備わっている)』との言葉から。鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ資料が見られるが、一般的には当世具足を指す場合が多い。また鎧兜に対して、籠手などの副次的な防具は小具足とも呼ばれた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B7%E8%B6%B3

NanbanDo.jpg

(当世具足の一種「南蛮胴具足」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%86%91より)

当世具足とは,

「戦国時代に入ると、集団戦や鉄砲戦といった戦法の変化に伴って、大量生産に適しながらも強固さを具える鎧が求められた。それに応じて、当時の下克上の風潮を反映した、従来の伝統にとらわれない革新的改良がなされ、鎧の生産性・機能性が向上し、より簡便で堅牢なものとなった。しかしながら、胴や兜は堅牢なものになったが、手足を覆う部分は従来の形式を踏襲し、鉄の小片を綴ったり鎖帷子形式で動きやすさが重視されていた。西洋のラメラーアーマーと同じ構造原理である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E4%B8%96%E5%85%B7%E8%B6%B3)。

320px-Gomel_lamellar_armour.jpg

(薄片鎧、薄金鎧。日本の甲冑に見られる小札(こざね)と同じで、ラメラー・アーマーと違いはない。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BCより)


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(本小板胴具足 東京国立博物館 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%86%91より)

しかし,「具足」は,

「事物の完備充足を示す呼称で,恒例臨時の儀式,遊宴,祭祀,法会,軍陣などに際しての用具を総括して,物の具,装束,調度などの名目と同様に広く用いられる。《伊勢貞助雑記》にも〈具足とは物の惣名(そうめい)なり,楽器具足,女の手具足,又射手具足,三具足などと申候也〉とみえる。《宇治拾遺物語》に〈家の具足ども〉,《徒然草》に〈何となき具足とりしたため〉とあるのもその例であり,《御産所日記》には産屋(うぶや)の調度を御産所具足としており,仏供(ぶつぐ)の花瓶,香炉,燭台は一そろいとして三具足(みつぐそく)とよんだ。」

という(『世界大百科事典 第2版』)ように,あらゆる場面での,用具全般を指したと思われる。それを武家の装備に転じて,

甲冑一式,

を指すようになったということではあるまいか。

「初め物事が充足しているさま,儀式,宴などの道具,調度品をさしたが,武士階級の興隆に伴い,鎧(よろい)を意味するようになり,室町時代には大鎧,室町末には胴丸をさした。のち槍(やり),鉄砲の多用により新形式の鎧が出現,在来のものと区別して当世(とうせい)具足と呼ばれた。」

との説明が当を得ている。「具足」自体は,

「具(そなわる)+足(十分)」

の意なのである(『日本語源広辞典』)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2019年01月27日

よほど


「よほど」は,

余程,

と当てるが,当て字である。

よっぽど,

とも言う。

「ヨキ(善)ホドの転。『余』は江戸中期以後の当て字」

とある(『広辞苑第5版』)。意味が変わっての当て字の転換と思われる。

程よきさま,

が『広辞苑第5版』には先ず載り,

「当年ほど瓜の見事に出来た事は御座らぬ,是はよほど色付た」(狂言・瓜盗人)

の例が載る。その後に,

かなり,ずいぶん,

の意が載り,

すんでのところで,よっぽど,

の意が載る。これは,

「よほど注意してやろと思った」

という最近の使い方になる。『江戸語大辞典』は,すでに,

だいぶ,かなり,

の意しか載らず,

よほど置いてきた代物,

という諺が載る。これは,

「だいぶ多量に知恵をどこかに居てきた人物」

という意味らしい。また,

よほどよりか,

という言い回しも載るが,

普通以上に,なみなみならぬ,

意で,今日は使わない。たとえば,

「三味線の手が余ほどよりか面白く付けてある」

という例が載る。『岩波古語辞典』には,「よっぽど」に,

「ヨキホドの転」

として,「よきほど」のいみにふさわしく,

ちょうどよいていど,頃合い,
いい加減に見当をつけたていど,おおよそ,

が載って,

かなりの程度,

の意が載る。もともとは,

程度や数量が適当するさま,よい程度であるさま,ほどよいさま。ちょうどよいさま,

適度を越えてかなりな程度であるさま,

となり,

ずいぶん,たいそう,

と転じ,

度を越えて十分すぎるのでもうやめたい,やめてもらいたいさま,

と意味が変じて,

大概,いいかげん,

の意に行き着く(精選版 日本国語大辞典),というところだろうか。

「『よっぽど・よほど』の意味は、古くは『良い程、良い頃合、適度』という本来の『よきほど』の意味を保っているが、近世に入ると次第に『適度を越えたかなりの程度』の意になっていく。」

ようである(仝上)。この変化の経緯は,

「中世以降の文献に現われ、意味的な関連から『良き程』の変化したものと考えられる。室町時代の抄物資料では『えっぽど』の形も見られる。『よほど』の形も中世から見られるが、これは、『よっぽど』の促音が、ヤッパリ⇔ヤハリ、モッパラ⇔モハラ等の対に類推して強調の表情音ととらえられたところから、その非強調形として『よほど』の語形が生まれたものと考えられる。近世以降現代に至るまで『よっぽど』が強調ニュアンスを伴うのに対して『よほど』は平叙的である。」

とか(仝上)。『笑える国語辞典』によると,江戸時代が転換点に見える。

「もとは『良き程』、つまり『よい程度』「適度」という意味の言葉だったものが、江戸時代に『適度を超えたはなはだしい程度』に変化したらしい。この変化は、もとはちょうどよい程度を意味していた『いい加減』や『適当』が、『あまりよくない程度』を意味するようになった変化を連想させる。」

とある。音韻の変化は,『日本語の語源』にこうある。

「平安時代には,物事を評価するばあいに,ヨシ(良し。すぐれている)・ヨロシ(宜し。悪くない)・ワロシ(悪し。よくない)・アシ(悪し。わるい)の四段階にわけるのを常とした。したがって,ヨキホド(良き程)といえば『すぐれた程度』という最上級をあらわす評語であった。<三月ばかりになるほどに,ヨキホドなる人になりぬれば>(竹取)は,竹の中から見つけてわずか三か月後にはカグヤ姫は早くも一人前の娘になったことをいう。
 ヨキホド(良き程)の語は,キを落としてヨホド(余程)になり,あるいは,キの促音便でヨッポド(余程)になった。物事の程度が非常・完全・最高・多数であるさまを示す副詞として『非常に。たいへん。立派に。すこぶる。たくさん』という意に用いられた。<今の針で痛みがヨホドニなおった>(狂言・針雷),<いやはや,これはヨッポドの系図でおじゃる>(狂言・酢はじかみ),<花のあと今朝はヨホド節も覚えたが>(浄瑠璃・二枚絵草子)。
 四段階の区別が乱れて,ヨキホド(良き程)がヨロシキホド(宜しき程)と同義語になると,ヨホド・ヨッポドは『だいぶ。相当。かなり。ずいぶん。いい加減。程よく』に転義した。<ヨホド待った。さあ汝持て>(狂言・荷なひ文),<ヨッポドにあがけよ,そこなぬくめ(ノロマメ)>(浄瑠璃・鑓権三)。
 『すぐれた程度の事』という意味のヨキホドノコト(良き程の事)は,ヨホドノコト,ヨッポドノコトに転化した。前者を早口に発音するときには,ホ・トを落とし,ドの撥音便化で,ヨンノコ・ヨンノクに転化した。(以下略)」

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年01月28日

随分


「随分」は,文字通り,

分に随う,

で,

「随(したがう)+分(身の程)」

とある(『日本語源広辞典』)。

「分相応の意で,転じて,大変,非常に等の意を表す」

とある。

この「分」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/424082581.html)は,すでに触れたように,

分を弁える,

の意味で使う。意味は,

各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任など,

の意味で,分限・分際,応分・過分・士分・自分・性分・職分・随分・天分・本分・身分・名分等々という使われ方をする。

「分」(漢呉音フン,ブ,呉音ブン)の字は,

「八印(左右にわける)+刀」

で,二つに切り分ける意を示す(『漢字源』)。ここでの意味で言えば,

ポストにおうじた責任と能力

の意だが,「区別」「けじめ」の意味も含む。「身の程」「分際」という言葉とも重なる。それはある意味,

「持前」とも重なる。

分を守る,
とか
分を弁える,

という場合,上にか天にか神にか,分を超えたことへの戒めととらえることができる。

「身」という字は,

「女性が腹に赤子を身ごもったさまをえがいたもの。充実する,一杯詰まる,の意を含む」

とある。「身の程」は,身分がらとか地位の程度を指すようだが,

天の分,

を指すのではあるまいか。つまり,

天から分け与えられた,性質・才能,

の意味のそれではなく,

天から与えられた分限,職分,

の意である。

死生命有
富貴天に在り(『論語』)

の意である。

「随(隨)」(漢音ズイ,呉音スイ)の字は,

「会意兼形声。隋・墮(=堕,おちる)の原字は「阜(土盛り)+左二つ(ぎざぎざ,參差[シンシ]の意)の会意文字で,盛り土が,がさがさとくずれちることを示す。隨は『辶(すすむ)+音符隋』で,惰性にまかせて壁土がおちて止まらないように,時制や先行者のいくのにまかせて進むこと。もと,上から下へ落ちるの意を含む」

で,「したがう」という意ではあるが,

「なるままにまかせる」「他の者のするとおりについていく」「その事物やその時のなりゆきにまかせる」

という含意である。

とすると,「随分」は,

身分にしたがう,

とはいうが,

身分相応,
あるいは,
分相応,

と,逆らわず,そのままに,という含意になる。それが,

可能な限りぎりぎりの限界,

と意味の範囲を拡大し,そこから,調度視点を変えたように,価値表現に転じ,

程度が甚だしい,
ひどい,

という意味になる。既に『江戸語大辞典』には,

「助詞『と』を伴うこともある。かなり,相当」

と,意味を転じている。『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E9%9A%8F%E5%88%86)は,

「古くは文字通り『分(ぶん)に随(したが)う』、身分相応の意で使われていた。これが、分に応じてできる限り、極力の意になり、大いに、非常にの意にも使われるようになった。ひどいの意は明治時代に生じた。」

としている。江戸期には,まだ,

かなり,相当,

であったが,明治期,ついに,

ひどい,

にまで価値表現が深まった,ということらしい。つまり,

身分相応,

分に応じてできるかぎり,極力,

かなり,はなはだ,

ひどい,

と意味が変化した(『語源由来辞典』)。いまでは,

滅法(めっぽう),
物凄い(ものすごい),
やけに,
矢鱈(やたら),
余程(よほど ),

と同義語となっている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
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ラベル:随分
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2019年01月29日

はなはだしい


「はなはだしい」は,

甚だしい,

と当てるが,副詞に,

甚だ,

がある。形容詞「はなはだしい」は,

普通の程度をこえている,はげしい,

意であり,副詞「はなはだ」は,

程度が著しいこと,たいそう,非常に,

の意である。当てている「甚」(漢音ジン,呉音シン)の字は,

「会意。匹とは,ペアをなしてくっつく意で,男女の性交を意味する。甚は『甘(うまい物)+匹(色ごと)』で,食道楽や色ごとに深入りすること」

とあり(『漢字源』),「はなはだしい」の意である。これだと分かりにくいが,「匹」(漢音ヒツ,呉音ヒチ,慣ヒキ)の字は,

「会意。『厂(たれた布)+二つのすじ』で,もとは匸印を含まない。布ふた織りを並べべてたらしたさまで,ひと織りが二丈の長さだから,四丈で一匹となる。二つの物を並べてペアを成す意を含む」

とあり,対の意である(『漢字源』)。

『岩波古語辞典』は,「はなはだ」は,

「ハダ(甚)を重ねた語の転か。平安時代には漢文訓読体に使われた」

とし,

程度を大きく超えているさま,非常に,
全く,全然,
(打消の語を伴って)たいして,

の意とある。「はだ」には,

「ハナハダ(甚)のハダと同根」

とある。『語源辞典・形容詞篇=吉田金彦』も,

「上代,極端にの意を表す副詞ハダがあり,これはハ=端,ダ=接尾語である。このハダを重ねたハダハダからの変化」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ha/hanahadashii.html)も,

「甚だしいは,副詞「甚だ(はなはだ)」を形容詞化した語。上代に『極端』の意味を表す『は だ(甚)という語があり,それを重ね合わせた『はだはだ』が変化して『はなはだ』になったと考えられている。『はだ(甚)』の『は』は『端』の意味で,『だ』は接尾語である。また『はな(花)』は目立つものの形容にも用いられる語なので,甚だしいの『はなはだ』は『はな(花)』に『はだ(甚)』を合わせた合法俱考えられる。』

とする。ただ,『語源由来辞典』の,「『はな(花)』は目立つものの形容にも用いられる語なので,云々」は意味不明た。「はな」については,すでに触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/449051395.html?1547249553)が,

「はな(鼻・端)」は,ともに,

「著しく目立つ意の,ハナ」

で,顔の真ん中で著しく目立つ,ところからとする。それが転じて先端の意となる,「はな(端)」も,

鼻の義(言元梯),

とされるほど,端と鼻は,ほぼ同源で,「はな(花)」は,

著しく現れ目立つ意で,ハナ(端)の義,

と,つまりは,

鼻→端→花,

意と転じている。目立つのは,「花」ではなく「鼻」であった。「はな」が,「はだ」とつながるのでなければ,この説明は意味を成さない。

『大言海』は,形容詞「はなはだし」と副詞「はなはだ」を別語源とする。副詞「はなはだ」は,

「華やかなる意かと云ふ,或は,噫程(あなほど)の轉か」

とし,形容詞「はなはだし」は,

「はだはだしの轉。いたたき,いなたき。へたたり,へなたり。したたり,しなたりと同趣」

とする。「はだはだし」は,

「いたしの重語のいたいたしの転」

とする。「いたし」は,

甚し,

と当てる。甚だしい意である。意味の流れから見れば,

甚し→甚甚し→甚だし,

と一見通るが,

いた→(はだ)→はなはだ,

の転だと,ちょっと無理がある気がする。「いた(甚)し」という語が,

いた(甚)し→いた(甚)→いと(甚),

と転嫁する流れはあるが(『日本語の語源』)。副詞「はなはだ」と形容詞「はなはだし」を別語源とするには,少し無理があるように思える。

副詞「はなはだ」について,『大言海』と同趣なのは,『日本語源広辞典』で,

「「ハナヤカの意のハナの繰り返し,『ハナハナ』の音韻変化です。」

とする。『日本語源大辞典』は,この他に,

ハナクハシ(花曲)の転か,またハナハダ(花膚)の義か,またハナバナシ(花々し)の転か(菊池俗語考),
ハナハタ(花発出)の義か(柴門和語類集),
アナアナ(呼那々々)の義(言元梯),
ハナヤカナルハダ(肌)の義か(和句解),
ハナホド(端程)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
アナガチ(強)の転か,また,アマハタ(天機)と同じか(和語私臆鈔),
ハタハタの転(日本古語大辞典=松岡静雄),
ハナレハナレシキ(離々如)の義(名言通),

等々。また『日本語の語源』は,音韻変化から,

「ハタ(将)は『その上にさらに加わること。その上また。さらにまた。』の意の副詞である。(中略)『たいそう。はなはだ』の意の副詞,ハダに転音・転義した。(中略)これを重ねたハダハダはハナハダ(甚だ)に転音した」

と,「ハダ(甚)」を,

ハタ(将)→ハダ(甚),

とする。諸説あり,決めてはないのだが,やはり,

「ハナハダ(甚)のハダと同根」

とする,上代の副詞ハダ(甚)の重語ハダハダがハナハダへ転訛したとみるのが,一番納得がいく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
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コトバの辞典;
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2019年01月30日

いちじるしい


「いちじるしい」は,

著しい,

と当て,

はっきりとわかる,
顕著である,

という意である。「著」(チョ,漢音チャク,呉音ジャク)の字は,

「会意兼形声。者(シャ)は,柴をもやして,加熱をひと所に集中するさま。著は『艸+音符者』で,ひと所にくっつくの意を含む。箸(チョ 物をくっつけてもつはし)の原字。チャクの音の場合は,俗字の着で代用する。著はのち,著者の著の意味に専用され,チャクの意に使うときは,着を使うようになった」

とあり(『漢字源』),「あらわれる」「いちじるしい」の意である。「著し」について,

「近世以降シク活用も。古くはイチシルシと清音。一説に,イチはイツ(厳・稜威)の轉。シルシは他とまぎれることなくはっきりしている意」

で,また「著しい」は「シク活用」で,

語尾が「しく・しく・し・しき・しけれ・○」

と変化するが,もとは「ク活用」で,

語尾が「く・く・し・き・けれ・○」

と変化した。「著し」の意味は,

神威がはっきり目に見える,
(思いあたるところが)はっきりあらわれている,
思っちとおりである,
思ったことや感情をはげしくむき出しにする性質である,

と(『岩波古語辞典』),今日の意とは少し異なり,「はっきりわかる」ものが,具体的である。

「室町時代まで清音。イチはイツ(稜威)の轉。シルシははっきり,隠れもないの意」

とある(『岩波古語辞典』)。「いちしろし」が清音「いちしるし」の古形で,

イチシロシ→イチシルシ→イチジルシ,

と転訛したとする(『岩波古語辞典』)。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/ichijirushii.html)は,

「上代には『いちしろし』の形もみられるが,『いちしるし』の母音交替と見られる」

と,「いちしるし」の変形とみているようであるが。「稜威(いつ)」とは,

「厳霊なる威光」

の意で,

「漢書,李廣傳『威稜憺平隣国』注『李奇曰,神霊之威曰稜』

としている(『大言海』)。

その『大言海』は,

「最(いと)著(しる)しの轉。いちじろしは音轉(あるじ,あろじ。わるし,わろし)」

とし,「逸(いち)」の項で,こう述べる。

「最(イト)と音通なり(遠之日(ヲチノヒ),一昨日(ヲトトヒ)),イチジルシも,最著(いとしる)しなるべし,和訓栞,イチジルシク『著を訓めり,最(イト)白き義なり』,案ずるに,優れたる意にて,一なるべきかとも思はれ,又,普通に用ゐらるる逸(いつ)の字も,呉音は,イチなり(一(イツ),いち),正字通りに『逸,超也』とありて,逸才,逸品等々とも云ふ。然れども,上古にも見ゆる語なれば,漢字音を混ずべきにあらず」

「いちじるしい」は,「最」といっている。

『日本語源広辞典』は,しかし,三説挙げ,

説1,「イチ(いっそう)+シルシ(目立つ・著しい)」,
説2,「イト(たいそう・甚)+シルシ」
説3,「イチ(稜威)+シルシ」

『日本語の語源』,

「いとしるし(甚著し)はイチジルシ(著し)になった」

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/ichijirushii.html)は,

「著しいの『いち』は、『いとうつくし』『いとおいし』 の『いと』や、『いたく(甚く)感銘した』の『いたく』と同源で、程度が激しいことを表す「いち( 甚)」。」

と説2の「甚」を採る。「甚」と「最」と当てる漢字は違うが,「いと(甚)」は,

「極限・頂点を意味するイタの母音交替形」

で,「いた(甚)」は,

「イタシ(致)イタリ(至)イタダキ(頂)と同根」

とする。「イタ」と「イツ(チ)」と繋がりそうな気がする。『大言海』は,「いと」に,

最,
甚,
太,

の字を当てている。では,「しるし」は,何だろか。『岩波古語辞典』は,「しるし」に,

徴し,
標し,
記し,
銘し,

と当て,

「シルシ(著し)と同根」

とする。「しるし(著し)」は,

「シルシ(徴・標)と同根。ありありと見え,聞え,また感じ取られて,他とまがう余地が無い状態」

とする。その「しるし」を『大言海』は,

「知るの活用,効(しるし)と通ず,明白の義」

とする。「しるし(印・標・徴・籤・符・約・證)」は,

「記すの活用,記(しる)しの義」

とある。「効(しるし)」は,「効・験」と当て,

「著しに通ず」

とする。敢えて,順序づければ,

しるし(記)→しるし(印・標)→しるし(著)→しるし(効)→しるし(知),

という意味が転じたことになる。

『日本語の語源』は,

「『知る』を形容詞化したシルシ(著し)は「いちじるしい。はっきりしている」意である。これを強めたイトシルシ(甚著し)は,「ト」の母交(母韻交替)[oi]でイチジルシ(著し)に転化した」

とする。

「いと(甚・最)・しるし(著し)」

が,

いちじるし,

に転じた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2019年01月31日

サムライ


「さむらい」は,

侍,
士,

と当てる。

「サブラヒの転」

とある(『広辞苑第5版』)。「さぶらひ」は

「主君のそば近くに仕える」

意であり,その人を指した。

「平安時代,親王・摂関・公卿家に仕え家務を執行した者,多く五位,六位に叙せられた」

つまり,「地下人」である。「地下(じげ)」とは,

「昇殿を許された者、特に公卿以外の四位以下の者を殿上人と言うのに対し、許されない者を地下といった。」

のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E4%BA%BA)。さらに,

「武器をもって貴族まったく警固に任じた者。平安中期,禁裏滝口,院の北面,東宮の帯刀などの武士の称」

へと特定されていく。

「さむらい」に「士」と当てると,

「武士。中世では一般庶民を区別する凡下と区別される身分呼称で,騎馬・服装・刑罰などの面で特権的な扱いを受けた。江戸時代には幕府の旗本・諸般の中小姓以上,また士農工商のうちの士分身分の物を指す。」

とあり(『広辞苑第5版』。凡下(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463837199.html?1548362109)については触れたが,

「鎌倉幕府では、侍は僕従を有し、騎上の資格ある武士で、郎従等の凡下と厳重に区別する身分規定が行なわれた。しかし、鎌倉中期以降、その範囲が次第に拡大、戦国時代以降は、諸国の大名の家臣をも広く侍と称するようになり、武士一般の称として用いられるようになる。」(仝上)

という。

それをメタファとして,「さむらい」というと,

なかなかの人物,

の意で使うらしいが,「さむらい」を褒め言葉と思うのは,僕は錯覚だ思っている。かつて,いちいち言わなくても,侍は,侍であった。

「武家」という言い方をすると,

「日本における軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称。江戸時代には武家官位を持つ家系をいう。」

のも(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6),そこから来ている。

「平安時代中期の官職や職能が特定の家系に固定化していく『家業の継承』が急速に進展していた。しかし武芸を職能とする下級貴族もまた、『兵の家』として武芸に特化した家柄を形成し、その中から軍事貴族(武家貴族)という成立期武士の中核的な存在が登場していった。これらの家系・家柄を指して『武家』もしくは『武勇の家』『武門』とも呼ばれている。」

ということになる。「さぶらふ」者に変わりはない。「さぶらひ」は,

侍ひ,
候ひ,
伺ひ,

と当て,

「サモラヒの転。じっと傍で見守り,待機する意。類義語ハベリは,身を低くして貴人などのそばに坐る意」

とある(『岩波古語辞典』)。「さもらふ」は,

「サは接頭語。見守る意のモリに反復・継続の接尾語ヒのついた形」

とある(仝上)。接尾語「ひ」は,

「四段活用の動詞を作り,反復・継続の意を表す。例えば,『散り』『呼び』といえば普通一回だけ散り,呼ぶ意を表すが,『散らひ』『呼ばひ』といえば,何回も繰り返して散り,呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アヒ(合)で,これが動詞連用形のあとにくわわって成立したもの。その際の動詞語尾の母音の変形に三種ある。①[a]となるもの。例えば,ワタリ(渡)がウタラヒとなる。watariafi→watarafi。②[o]となるもの。例えば,ツリ(移)がツロヒとなる。uturiafi→uturofi。③[ö]となるもの。例えば,モトホリ(廻)がホトホロヒとなる。mötöföriai→mötöföröfi。これらの相異は語幹の部分の母音,a,u,öが,末尾の母音を同化する結果として生じた」」

とある(仝上)。とすると,「モリ(守)に反復・継続の接尾語ヒのついた形」の

「もり+ひ」

つまり,「もらふ」である。「さ(sa)」を付けると,

samöriafi→samörafi→samurafi→saburafi→samurai,

といった転訛であろうか。その経緯は,

「「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、鎌倉時代から室町時代にかけては『サブライ』、平安時代には『サブラヒ』とそれぞれ発音されていた。『サブラヒ』は動詞『サブラフ』の連用形が名詞化したものである。以下、『サブラフ』の語史について述べれば、まず奈良時代には『サモラフ』という語形で登場しており、これが遡り得る最も古い語形であると考えられる。『サモラフ』は動詞『モラフ(候)』に語調を整える接頭辞『サ』が接続したもので、『モラフ』は動詞『モル(窺・守)』に存在・継続の意の助動詞(動詞性接尾辞ともいう)『フ』が接続して生まれた語であると推定されている。その語構成からも窺えるように、『サモラフ』の原義は相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた。この『サモラフ』が平安時代に母音交替を起こしていったん『サムラフ』となり、さらに子音交替を起こした結果、『サブラフ』という語形が誕生したと考えられている。『サブラフ』は『侍』の訓としても使用されていることからもわかるように、平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。『侍』という漢字には、元来 『貴族のそばで仕えて仕事をする』という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。

サモラヒ→サムラヒ→サブラヒ→サムライ,

と転訛したことになる(『日本語源広辞典』)。

「『初心仮名遣』には、『ふ』の表記を『む』と読むことの例の一つとして『さぶらひ(侍)』が示されており、室町期ころから、『さふらひ』と記してもサムライと発音していたらしい。一般的に『さむらひ』と表記するようになるのは、江戸中期以降である。」(『精選版 日本国語大辞典』『日本語源大辞典』)

「さぶらふ」(その名詞形「さぶらひ」)の原義,「主君の側近くで面倒を見ること、またその人」が,

「朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候した中下級の技能官人層を指すようになり、そこからそうした技能官人の一角を構成した『武士』を指すようになった。つまり、最初は武士のみならず、明法家などの他の中下級技能官人も『侍』とされたのであり、そこに武人を意味する要素はなかったのである。…『サブラヒ』はその後『サブライ』→『サムライ』と語形変化を遂げていったが、地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。 17世紀初頭に刊行された『日葡辞書』では、Bushi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ『武人』『軍人』を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(サブライ)は『貴人、または尊敬すべき人』と訳されており、侍が武士階層の中でも、特別な存在と見識が既に広まっていた。」

その時代,「凡下」も意味を変える。

「元は仏教用語で『世の愚かな人たち』『世の人』(『往生要集』)などを指す語として用いられていた。これが一般社会においては官位を持たない無位の人々(白丁)の意味で使われた。後に武士(侍)が力を持ち始めると、武士の身分と官位には関連性が無かったために武士の中には有位の者も無位の者もいた。そのため、無位を含めた武士層と対置する無位の庶民に対する身分呼称として雑人とともに凡下が用いられるようになった。」

武士の台頭によって,相対的に他を呼ぶ呼称が変わったことになる。

かつては,武家の従者の,地位の高い者を郎党、低い者を従類といった。武家の従者で主人と血縁関係のある一族・子弟を家子と呼んだ。従類は、郎党の下の若党、悴者(かせもの)を指す。家子・郎等・従類は、皆姓を持ち、合戦では最後まで主人と運命を共にする。この下に,中間、小者、あらしこ、という戦場で主人を助けて馬を引き、鑓、弓、挟(はさみ)箱等々を持つ下人がいる。身分は中間・小者・荒子(あらしこ)の順。あらしこが武家奉公人の最下層。中間(ちゅうげん)、小者(こもの)、荒子(あらしこ)まで武士身分に位置づけられる(天正19年(1569)の秀吉の身分統制令)。ここまでを武家奉公人と呼び,「士」とした。凡下ではないのである。だから,江戸時代以前では主家に仕える(奉公する)武士も含めて単に奉公人と呼んだが,江戸時代以降は中間や小者は非武士身分とされた。まあ,戦のない時代,武家にとって無用となったということだろか。

「江戸時代の法制面では、幕臣中の御目見(おめみえ)以上、即ち旗本を侍と呼び、徒(かち)・中間(ちゅうげん)などの下級武士とは明確に区別した。諸藩の家臣についても、幕府は中小姓以上を侍とみなした。」(仝上)

とある。江戸時代,「さむらい」の意味をまた変えたのである。

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(後三年の役における源義家主従 (飛騨守惟久『後三年合戦絵巻』、国立博物館所蔵)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8Dより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
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