2019年02月01日

傾く


「傾く」は,

かたむく,

と読むが,

「古くは,カタブク。『片向く』の意」

とある(『広辞苑第5版』)。「かたぶく」の項には,

「中世以降カタムクと両用される」

とある。『岩波古語辞典』には,「かたぶく」は,

「カタは一方的で不完全の意。ブキはムキ(向)の子音交替形。安定直立から斜めにずれて倒れそうになる意」

とある。

『大言海』は,

「偏(かた)向くの義」

とする。『日本語源広辞典』も,

「カタ(片)+ブク(向く・寄る)」

で,

一定の基準(水平または垂直)から片方へそれる,

つまり,

斜めになる,

意だが,それをメタファに,

考えや気持ちがある方面に引きつけられる,
陽が西に沈みかける,
(首を傾げる意から)不審に思う,
不安定になる,

等々の意を持つ。「傾く」は,

カブク,

とも訓む。やはり,

かたむく,

意だが,その「傾く」をメタファに,

異様身なり,異端の言動など,常軌を外れている,
自由放恣な行動をする,
ふざける,戯れる,

意から,

歌舞伎を演ずる,

意へとつながり,名詞化して,

歌舞伎,
歌舞妓,

と当て字することになる。この「歌舞伎」は,

「天正時代の流行語で、奇抜な身なりをする意の動詞「かぶ(傾)く」の連用形から」

とある(『広辞苑第5版』その他)。

ただ,この「かぶく」は,

「片向く」

ではなく,『大言海』には,

「頭(カブ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾),頭(かぶ)る(被)同じ),まくらく(枕),かづらく(鬘)の例なり,頭重く,ウハカブキになる意より,傾く義となる」

とある。「うはかぶき(上傾き)」とは,

物の頭がちにて,傾くこと,

つまり,

頭でっかち,

であり,さらに,

派手で上っ調子なこと,

の意がある。この意が,

かぶきもの(傾者),

異様な風体をして大道を横行する軽佻浮薄の遊侠の徒,

を指すのにつながる。「かぶく」

には,

傾く,

つまり,

常軌を逸する,

意と,そこに,

自由奔放さ,

へのちょっとした憧憬も含意している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:傾く
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2019年02月02日

かぶく


「かぶく」は,「傾く」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463942949.html?1548965675)で触れたように,『大言海』は,

「頭(カブ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾),頭(かぶ)る(被)同じ),まくらく(枕),かづらく(鬘)の例なり,頭重く,ウハカブキになる意より,傾く義となる」

とし,「うはかぶき(上傾き)」とは,

物の頭がちにて,傾くこと,

つまり,

頭でっかち,

であり,さらに,

派手で上っ調子なこと,

の意がある(『岩波古語辞典』)。この意が,

かぶきもの(傾者),

異様な風体をして大道を横行する軽佻浮薄の遊侠の徒,

を指すのにつながる。「かぶく」

には,

傾く,

つまり,

常軌を逸する,

意と,そこに,

自由奔放さ,

へのちょっとした憧憬も含意しているように思える。

「『かぶく』の『かぶ』は『頭』の古称といわれ、『頭を傾ける』が本来の意味であったが、頭を傾けるような行動という意味から『常識外れ』や『異様な風体』を表すようになった。」

とある(http://gogen-allguide.com/ka/kabuki.html)のは飛躍で,「傾く」自体に,

一定の基準(水平または垂直)から片方へそれる,

という意があり(『広辞苑第5版』),「かぶく」のもつ「傾く」意そのものに,

外れている,

という含意がある。

sharaku026_main.jpg

(東洲斎写楽 市川男女蔵の奴一平 寛政6年(1794年)5月河原崎座で上演された演目「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の「奴一平」を描いた作品 https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/sharaku026/より)

むしろ,

「かぶくとは、どっちかに偏って真っすぐではないさまをいい、そこから転じて、人生を斜(しゃ)に構えたような人、身形(みなり)や言動の風変わりな人、アウトロー的な人などを『かぶきもの』と呼んだ。」

というほうが正確である(http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/kabuki/kabuki040111.html)。

で,そこから転じて,

「風体や行動が華美であることや,色めいた振る舞いなどをさすようになり,そのような身なり振る舞いをする者を『かぶき者』といい,時代の美意識を示す俗語として天正(1573~92年)頃流行した。」(仝上)

となる。「かぶき者(傾奇者、歌舞伎者とも表記)」は,

「戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%81%8D%E8%80%85)。その風体は,

「当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。しかし、かぶき者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大きな刀や脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が『かぶきたるさま』として流行した。」

という(仝上)織田信長も「かぶき者」といわれるだけの風体だったことになる。

これが,現代の歌舞伎となったのは,

「17世紀初頭,出雲大社の巫女『出雲の阿国(おくに)』と呼ばれた女性の踊りが,斬新で派手な風俗を取り込んでいたためも『かぶき踊り』と称されたことによる。」

という(仝上)。これは,

「その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。」

ことになる(仝上)。

『日本語源広辞典』は,「かぶき」の語源について,

「語源は,唐の時代の『仮婦戯(仮に女になる芝居)』で,中国語源です。通説は,『動詞カブクの連用形』ですが,疑問」

とする。しかし,唐代のものが,天正から,慶長にかけて流行った風体を「かぶき者」と呼んだ理由が,これでは説明が付かない気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:かぶく 傾く
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2019年02月03日

かぶり


「あたま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454155971.html)で触れたように,「あたま」は,

「『当間(あてま)』の転で灸点に当たる所の意味や、『天玉(あたま)』『貴間(あてま)』の意味など諸説あるが未詳。 古くは『かぶ』『かしら』『かうべ(こうべ)』と言い、『かぶ』は 奈良時代には古語化していたとされる。『かしら』は奈良時代から見られ、頭を表す代表 語となっていた。『こうべ』は平安時代以降みられるが、『かしら』に比べ用法や使用例が狭く、室町時代には古語化し、『あたま』が徐々に使われるようになった。『あたま』は、もとは前頭部中央の骨と骨の隙間を表した語で、頭頂や頭全体を表すようになったが、まだ『かしら』が代表的な言葉として用いられ、『つむり』『かぶり』『くび』などと併用されていた。しだいに『あたま』が勢力を広げて代表的な言葉となり、脳の働きや人数を表すようにもなった。」

と,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と変遷したということらしい(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/a/atama.html)。「かぶ」は,『岩波古語辞典』には,

「カブラ(蕪)・カブヅチノカブと同根。塊になっていて,ばらばらに離れることがないもの」

とあるが,『大言海』は,

「かうべと云ふも,頭上(かぶうへ)の轉なり」

とある。この「かぶ」の転訛のひとつ「かぶり」は,

「頭振(かぶふり),又首(かうべ)振の約(紙縒(かみより),こより。杏葉(ぎゃうえふ),ぎょえふ)。カフリを振るは,重言なれど,熟語となれば,語原は忘れらる,博打を打つの如し」

となる(『大言海』)。しかも,「かぶる(被る)」は,『大言海』は,

「頭(かぶ)を活用せしむ」

とあり,「かぶく(傾)」の項に,やはり,

「頭(かぶ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾く),頭(かぶ)る(被),同じ)」

とある。「かぶる」もまた,当たり前だが,頭とつながる。

「やぶれかぶれ(http://ppnetwork.seesaa.net/article/459884075.html)で触れたように,「かぶる(被)」は,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛している。この「かがふり」は,

冠,

につながる。「冠」の「かうぶる(冠・蒙)」は,

カガフリ→カウブリ→カウムリ→カンムリ→カムリ,

と転訛する(『岩波古語辞典』)。当然「かぶる」「かふり」は,

かぶと(兜),

につながる(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451755286.html)。「かぶと」には,

「朝鮮語で甲(よろい)をkap衣をotという。その複合語kapotを,日本語でkabutoとして受け入れたという」

ような(『岩波古語辞典』)朝鮮語源説もあるが,「かふり」「かぶ」との関連から見ると,

「カブ(頭,被る,冠)+ト(堵,カキ,ふせぐもの)」

と(『日本語源広辞典』)か,『日本語源大辞典』も,

カブは頭の意(古事記伝),
カフト(頭蓋)の音義(和語私臆鈔),
カブブタ(頭蓋)の約転(言元梯),
カブト(頭鋭)の意(類聚名物考),
カブは頭。トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典),
頭を守る大切なものという意で,カブ(頭)フト(太=立派なもの)か(衣食住語源辞典),
カブツク(頭衝)の義(名言通),

等々「『かぶ』は頭の意と考えるのが穏当であろうが,『と』については定説を見ない」が,「かぶ(頭)」とつながるとみていい。

次いでながら,「かずける」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460610794.html)で触れたように,

被く,

と当てる「かづく(かずく)」(下二段)の口語,「かづく(かずく)」は,

「『潜(かず)く』と同源で,頭から水をかぶる意が原義,転じて,ものを自分の上にのせかぶる意」

とある(『広辞苑』)。「潜く」は,

「頭にすっぽりかぶる意」

であり(『岩波古語辞典』),その名詞形,

「かづき」(被)

は,被り物の意だが,

被衣,

とも当て,

衣被(きぬかづき),

の意でも使われる。によると,「かづき」は,

「室町時代頃から,『かつぎ』へと移りはじめたらしい」

とあり(『岩波古語辞典』),「衣被」も,

きぬかづき→きぬかつぎ,

と転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2019年02月04日

かぶれる


「かぶれる」は,

気触れる,

と当てる。

漆にかぶれる,

の,「かぶれる」である。つまり,

漆または膏薬などの刺激で皮膚に発疹や炎症がおこる,

意であり,それをメタファに,

その風に染まる,感化される,

意でも使う。

あの思想にかぶれる,

という使い方をする。

『岩波古語辞典』は,

「黴と同根」

とする。「かび」は,

「ほのかに芽生える意」

とする。さらに,

「かもす,醸の字也。麹や米をかびざせて酒に造る也」(源氏物語・千鳥抄)
「殕,賀布(かぶ),食上生白也」(和名抄)

を引く。『大言海』は,「かび」の項で,

黴,
殕,

の字を当て,

黴(か)ぶるもの,

の意とするがどうも,この語源説は行き止まりに思える。

『大言海』は,「かぶれる」を,

「気触(けぶ)るの転」

とし,「か(気)」は,

気(け)の転,

ということらしい。

『日本語源広辞典』は,

「カ(感)+フレル(触)」

とする。「か」を,

気,

とするか,

感,

とするか,といなら,「気」に思える。その他に,

「蚊触」

とする説もある(和訓栞)し,

「香触」

といる説もある(俚言集覧)。「香」とするものに,

「カは香,ブルはクスブル,イブルのブルと同じ。またはカオブ(香帯)」

というのもある(音幻論=幸田露伴)。

「易林本節用集」も,

「蚊触」

と当てているらしく,「蚊」による仕業という認識があったらしい(『日本語源大辞典』)。

しかし,「感」はともかく,「香」はあるまい。ひとまず,『大言海』の,

「気触(けぶ)るの転」

を採る。この「かぶれる」をメタファにした,

思想にかぶれる,

の意は,「香」ではぴんとこまい。臆説かもしれないが,

被れる,

なのではないか,という気が少ししている。意味だけだが,「黴」が,

黴ぶる,

なら,

被る,

と重ねられる気がする。「かぶ(頭)」を活用させ,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛した「被る」と重なって仕方がない。むろん臆説だが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2019年02月05日

カビ


「カビ」は,

黴,

と当てるが,『大言海』は,「カビ」に,

黴,
殕,

の字を当てている。

黴(か)ぶるもの,

の意とする。「かぶれる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463986723.html?1549225818)で触れたように,『岩波古語辞典』は,動詞「かぶ(黴ぶ・上二 )」は,

「ほのかに芽生える意」

とする。さらに,

「かもす,醸の字也。麹や米をかびざせて酒に造る也」(源氏物語・千鳥抄)
「殕,賀布(かぶ),食上生白也」(和名抄)

を引く。『岩波古語辞典』がこれを引用したのは,

かぶ(黴),

かもす(醸),

との関連を示唆したかったからだろうか。現に,

「発酵する意のカモス(醸)の元のカム(醸)の異形カブ(醸)の連用形から名詞化したもの(語源辞典・植物篇=吉田金彦),

とする説もある。『岩波古語辞典』の「かむ(醸)」には,

「『かもす』の古語。もと米などを噛んでつくったことから」

とある。発酵と黴とが,

かぶ(黴),

かむ(醸す),

と同じであってもおかしくはない。

「バ行音(b)は鼻音のマ行音への転化,

はありる(『日本語の語源』)。ただ,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kabi.html)は,

「発酵する意味の『カモス(醸す)』の元の形『カム(醸)』の異形が『カブ(醸)』で、発酵して カビが生えることを『カブ』といい、その連用形から名詞に転じたとする説が有力。」

としつつ,

「ただし、『古事記』の『葦牙の如く萌え騰る物に因りて』に見られる『牙』は『カビ』と読み、植物の芽を意味しており、『黴』と同源と考えられる。『牙』が『黴』と同源となると、『醸す』を語源とするのは難しい。」

とする。

動詞「かぶ(黴ぶ)」の名詞形が,

カビ,

だが,『岩波古語辞典』には,まず最初に,

芽,

の意があり,

「葦かびの如く萌え騰(あが)るもの」(古事記)

の用例が載るのは,上記の理由と思われる。この「芽」との関連で,「カビ」の語源を,

カは上の意。ヒは胎芽を意味するイヒの原語(日本古語大辞典=松岡静雄),

とする説もある。また『日本語源広辞典』も,

「カブ(膨れる・芽)」

とし,「かぶれる」と同源とする。『語源由来辞典』も,

「『牙』を考慮すると、毛が立って皮のように見えるところから『カハミ(皮見)』とする説(名言通)や『カ』は上を表し、『ヒ(ビ)は胎芽を意味する『イヒ』とする説(日本古語大辞典=松岡静雄)が有力」

とする。この他に,

カはア(上)の轉。密生して物の上を被ところから(国語の語根とその分類=大島正健),
キサビ(気錆)の義(日本語原学=林甕臣),
クサレフキから。クサの反カ。レは略。フキの約ヒ(和訓考),
ケフ(気生)の義(言元梯),

等々があるが,

かぶ(黴),

かもす(醸),



麹,

とつながると見るのが妥当ではあるまいか。『大言海』は,「かうぢ(麹)」の項で,

「かびたち,かむだち,かうだち,かうぢと約転したる語」

としている。考えれば,「麹」も,

コウジカビ,

である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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ラベル:カビ
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2019年02月06日

かもす


「かもす」は,

醸す,

と当てるが,古語は,

か(醸)む,

である(『岩波古語辞典』)。

「もと,米などを噛んで作ったことから」

らしい。『大言海』は,

「カム(醸)は,口で噛むという古代醸造法」

である(『日本語源広辞典』)が,当然「か(醸)む」は「か(噛)む」に由来する。『岩波古語辞典』には,「噛む」は,

「カム(醸)と同根」

とある。

「カム(噛む)はカム(嚼)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた。〈すすこりがカミし神酒にわれ酔ひにけり〉(古事記)。(中略)酒を造りこむことをカミナス(噛み成す)といったのがカミナス(醸み成す)に転義した。カミナスは,ミナ[m(in)a]の縮約で,カマス・カモス(醸す)になった」

という転訛のようである(『日本語の語源』)。しかし,

石臼で米をかみつぶして酒を造るところから(俚言集覧),
かびさせて作るところから(雅言考・和訓栞),
カアム(日編)の約。日数を定め量って造るという義(国語本義),
カメ(甕)で蒸すところから(本朝辞源=宇田甘冥),

等々の異説もある(『日本語源大辞典』)。

では,「こうじ」からみるとどうか。「こうじ」は,

麹,
糀,

と当てるが,「糀」は国字である。両者の区別は,意味上ないが,

「糀」 : 米を醸造して作った物
「麹」 : 大豆・麦を醸造して作った物
「こうじ」を醸造するための元になる菌(種)のことも「麹」の漢字を使用しています。

と,ある味噌屋のサイトでは区別していた(http://www.izuya.jp/daijiten/kouji-a_5.html)。

漢字側からは,「こうじ」は,

「麹子(きくし)がなまって,こうじとなり日本語化した」

とある(『漢字源』)。因みに「麹」(キク)の字は,

「会意兼形声。『麥+音符掬(キク 掬手でまるくにぎる)』の略体。ふかした麦や豆をまるくにぎったみそ玉」

である。

「応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して,酒蔵法を伝えて,麹カビを繁殖させることを伝えた」

とある(『たべもの語源辞典』)ので,この説に説得力がる。

しかし,『大言海』は,「かうぢ」(麹・糀,)の項で,

「カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂと約転したる語」

とし,『日本語源広辞典』も,

「カビ+タチ」

とし,

「カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ→コウジの変化」

とする。『たべもの語源辞典』も,

「カムタチ(醸立)→カムチ→コウジ」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kouji.html)も,平安時代の漢和辞書『類聚名義抄』の,

「麹 カムタチ カムダチ」

とあるとして,

「カビダチ(黴立)→カムダチ→カウダチ→カウヂ」

の音変化が有力としつつ,

「中世の古辞書では『カウジ』しか見られず,『ヂ』の仮名遣いが異なる点に疑問の声もある。」

とする。しかし,

かもす(醸す)の連用形「かもし」の変化(『語源由来辞典』),
カムシの転(語簏),
カウバシキチリ(香塵)の意から(和句解),
キクジン(麹塵)の転(日本釈名)

等々の異説もある(『日本語源大辞典』)。ただ,「かも(醸)す」という言葉があったのだから,それを表現する「麹」があったとみる見方ができる。ただ,物事を抽象化する語彙力をもたない,我々の和語から考えると,

麹子(きくし)→こうじ,

の転訛は捨てがたい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:かもす 醸す
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2019年02月07日

かむ


「かむ」は,

噛(嚙)む,
咬む,
咀む,
嚼む,

等々と当てる。

「噛(嚙)」(コウ,漢音ゴウ,呉音ギョウ)の字は,

「会意。『口+歯』。咬(コウ)と近い。齧(ゲツ かむ)の字を当てることもある。」

で,かむ,意である。「齧」(ケツ,漢音ゲツ,呉音ゲチ)の字は,

「会意兼形声。丰は竹や木(|)に刃物で傷(彡)をつけたさまをあらわす。上部の字(ケイ・ケツ)はこれに刀をそえたもの。齧はそれを音符とし,歯を加えた字で,歯でかんで切れ目をつけること」

で,かむ,かんで傷をつける意である。

「咬」(漢音コウ,呉音キョウ)の字は,

「会意兼形声。『口+音符交(交差させる)』で,上下のあごや歯を交差させてぐっとかみしめる」

で,かむ,かみ合わせる意。

「咀」(ソ,漢音ショ,呉音ゾ)の字は,

「会意兼形声。且は,積み重ねた姿を示し,積み重ね,繰り返す意を含む。咀は『口+音符且(ショ・シャ)』で,何度も口でかむ動作をかさねること」

で,なんどもかむ意,咀嚼の咀である。

「嚼」(漢音シャク,呉音ザク)の字は,

「会意兼形声。爵は,雀(ジャク 小さい鳥)と同系で,ここでは小さい意を含む。嚼は『口+音符爵』で,小さくかみ砕くこと」

で,細かく噛み砕く意である。。

「かむ」意は,いわゆる「噛む」「噛み砕く」意から,舌をかむ,のように,

歯を立てて傷つける,

意,さらに,

歯車の歯などがぴったりと食い合う,

といった直接「噛む」にかかわる意味から,それをメタファに,

岩を噛む,
とか,
計画に関わる,

という意に広がり,最近だと,

台詞を噛む,

というように,台詞がつっかえたり,滑らかでない意にも使う。『岩波古語辞典』では,

鼻をかむ,

の「かむ」も「噛む」を当てているが,

洟擤(はなか)み,
擤(か)む,

と当てる(『大言海』は「洟む」と当てている)。あるいは,漢字を当て分けるまでは,同じ「かむ」であった,と考えられる。

「かむ」について,『岩波古語辞典』には,

「カム(醸)と同根。口中に入れたものを上下の歯で強く挟み砕く意。類義語クフは歯でものをしっかりくわえる意」

とする。『日本語の語源』は,「かむ」の音韻変化を,こう書いている。

「カム(噛む)は上下の歯をつよく合わせることで,『噛み砕く』『噛み切る』『噛み締める』などという。
カム(噛む)はカム(咬む)に転義して『かみつく。かじる』ことをいう。人畜に大いに咬みついて狂暴性を発揮したためオホカミ(大咬。狼)といってこれをおそれた。また,人に咬みつく毒蛇をカムムシ(咬む虫)と呼んで警戒した。
カム(咬む)はハム(咬む)に転音した。(中略)カム(噛む)はカム(嚼む)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を嚼くで酒をつくったことからカム(醸む)のごがうまれた。」

逆に言うと,「かむ」という語しかなかったということなのではないか。漢字を当てなければ,文脈を共にしなければ,意味が了解できない。

で,「かむ」の語源は何か。『日本語源広辞典』は,

「『動作そのものを言葉にした語』です。カッと口をあけて歯をあらわす。カ+ムが語源です」

とする。あり得ると思う。似ているのは,

カは,物をかむ時の擬声音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実),

という説がある(『日本語源大辞典』)。

かむ行為の擬態語,擬音語というのが一番妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2019年02月08日

隠物・預物


藤木久志『城と隠物の戦国誌』を読む。

ダウンロード (3).jpg


本書は,戦国時代,戦国武将目線ではない,その惨状を暴いてきた著者の連作の一つである。本書のテーマは,

「人びとは,どうやって家族を守り,家財を守ったか」

に焦点を当てる。先ず,身を守る手段としての,

戦国の城,

の,村人の避難所として,

地域の危機管理センター,

としての役割である。いまひとつは,

「戦場から逃げるとき,運びきれない大切な家具・家財や,農具・家畜,様々な食糧,あるいは米作の作に欠かせない大切な種籾」

等々をどうやって保全したか,その,

「村の隠物・預物」

に焦点を当てる。前者は,『戦国の村を行く』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463189273.html)などでも取り上げたが,ただ人が逃げ込むだげではなく,

「戦争が来ると,俵物(食糧)ばかりか,牛や馬まで連れて,領主の館や大寺などに避難していた。持ちこまれたものは『隠物』とか『預物』などと呼ばれていた。」

というように,家財もまた避難させていた。神社もその対象である。たとえば,

「織田信長か尾張(愛知県)の熱田神宮(熱田八ヶ村)に,『俵物』を神社の中に運ぶのを認める,と保障していた。また神社の中に避難している,他国や当国の敵味方や,奉公人・足弱(老人・女性・子ども)や,彼らの『預ヶ物』も,先例の通り,暗線を保障する,といっていた」

しかし,そした神社・城郭だけではなく,村々も互いに預け合っていた。

「山間の村々は里の村々との間に,村と村との契約として,無料で道具預かりをするのが,日常の習俗となっていた」

という。寺側も同じらしく,多聞院英俊は,日記に,

「こんど道具を預けたまわるにつき,一瓶・両種,送り給わり…」
「道具取りに来る…大根二十八給わり…」

等々,引き換えにさまざまな礼物が繰られているが,金銭による謝礼はない。

「関白(秀吉)殿より,当(春日)社へ奉加(寄付)米の代銀の皮袋二つ,預かり申し候,両三人符(ふだ 封)を付けられ候,(皮袋の)中の物躰は見ず,請け候」

とあり(多聞院日記),預けた側は封をし,請取証文を出す。それは民衆にとどまらず,たとえば,信長も,安土城に近い近江蒲生郡長命寺に米十石を預け,それについての指示が,

「その方へ預ヶ申し候,米十石,西川三郎左衛門二郎方へ,御うたがいなく,お渡しあるべく候,その方の預かり城は,尾張にござ候あいだ,まいらせず候,もし何方わり出し素とも,反故たるべく候」

とある。

しかし,そうして預けた家財も,

「そこが戦場になり,味方の軍が敗北し,敵軍が乗り込んでくると,せっかくの家財の保全や緊急避難の苦労も,たちまち水の泡となった。
 戦いに勝った占領軍は,戦場地帯にある敵方の預物・隠物を狙って,徹底した追及を行い,『預物帳』という台帳まで作らせて,すべてを没収した」

その追及・捜査は,

道具改め,
道具糺し,
道具尋ね,

等々と呼ばれた。

「原田(直政)が大阪の本願寺との合戦(石山合戦)で戦死すると,大和の筒井順慶は,奈良中の寺と町に『触れ』を回して,もし原田同類の『預かり物』があれば,『紙一枚,残さず出さるべし』と厳しく命じた。徹底した預物狩りであった。
 これを聞いた多聞院の英俊も,原田同類の塙小一郎から預かっていた米を,慌てて出し,『いまさら不便(不憫)の次第なり』と同情し,自分の非力を嘆いていた」

秀吉は,柴田勝家の越前に侵攻すると,三カ条の指令を出し,その冒頭に,

「兵粮ならびに,あづけ物」

の提出を命じ,

「秀吉,条数(三カ条)をもって申し出し候こと,みかえし候においては,その一町残らず,妻子以下,ともに成敗」

と恫喝していた。

戦国の必死の隠物,預物も,敗戦すると,敵にすべて没収されるリスクがあった。この中世の習俗は,中世に限ったことではなく,戊辰戦争に際しても,更に,先の大戦下,

防空壕への人びとの非常持ち出しの物の退避,

もそうした習俗の延長線上にある,と著者は推測する。

参考文献;
藤木久志『城と隠物の戦国誌』(朝日選書)

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2019年02月09日

かち


「かち」

徒,
徒歩,
歩行,

等々と当てる。

乗り物に乗らないで歩くこと,
陸路を行くこと,

の意で,

徒士,

と書くと,

徒士侍,

つまり,

騎乗を許されない武士,

の意となる。

『広辞苑第5版』には,「かち」は,

「『くがち(陸地)』の略『かち』の意が転じて」

とある。『大言海』も,

「陸(かち)の義,陸(かち)より行くと云ふべきを,略して云ふなり」

とあり,「かち(陸)」の項ては,

「陸地(くがち)の略ならむと云ふ。出雲(イヅクモ),イヅモ」

と載る。陸路を,

くがぢ,

と読む(『岩波古語辞典』)し,「陸」を,

くが,

と訓み,「くが」は,

「クヌガの約」

とあり(『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』),

「海・川などに対して」

陸地を指す(『岩波古語辞典』)。

歩行,

を,副詞的に,

かちより,

と訓ませる。万葉集に,「他夫(ひとづま)の,馬より行くに己夫(おのづま)の,歩従(かちより)行けば見る毎に.哭(ね)のみ泣(な)かゆ」という長歌があると『大言海』にある。『岩波古語辞典』には,

徒歩より,

と当て,

「ヨリは,ユに同じ」

つまり,

徒歩ゆ,

と同じで,

「ユは経過点・方法・手段を表す助詞」

で(『岩波古語辞典』)で,

歩いて,
徒歩で,

の意である

『日本語源広辞典』は,「かち」の語源を,

「カ(交,足の運び)+チ(道)」

とする。「交(か)ふ」というし,「道(ち)」もある(ただ,『岩波古語辞典』によれば,道を通っていく方向の意で,単独で使われた例はなく,大路(おおち)のように)ので,理屈は合うが,しかしちょっと理屈が過ぎまいか。

クガダチ(陸行)の反(名語記),
韓語カタ(行くの意)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
蹴分けて行く義(和訓集説),
カチ(駈道)の義(言元梯),

等々もあるが,

くが(陸),

にかかわる,

くがち(陸地),

の転訛とみていいように思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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2019年02月10日

徒士


「かち」に,

徒士,

と当てると,

徒士侍,
徒侍,
御徒(おかち),

の意である。今駅名に残る,御徒町は,この「御徒」に由来する。つまり,「徒士」は,

江戸時代,幕府・諸藩とも御目見得以下の,騎馬を許されぬ軽輩の武士,

を指すが,

御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する,

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BE%92%E7%94%BA)。

「江戸幕府における徒歩組(かちぐみ)は、徳川家康が慶長8年(1603年)に9組をもって成立した。以後、人員・組数を増やし、幕府安定期には20組が徒歩頭(徒頭とも。若年寄管轄)の下にあり、各組毎に2人の組頭(徒組頭とも)が、その下に各組28人の徒歩衆がいた。徒歩衆は、蔵米取りの御家人で、俸禄は70俵5人扶持。礼服は熨斗目・白帷子、平服は黒縮緬の羽織・無紋の袴。家格は当初抱席(かかえぜき)だったが、文久2年(1862年)に譜代となった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。この地名は城下町であればどこにでもある地名でもある,とか。

「徒士」つまり,徒歩の侍は,鎌倉・室町時代の,

走衆(はしりしゅう),

に由来する。

「将軍出行の際,徒歩で随行して,警固および諸雑用にあたる下級の職。徒士衆(かちしゆう),歩走(かちはしり)ともいい,…鎌倉将軍の上洛や出行などの供衆の行列の中に,しばしば〈歩走〉〈歩行衆〉とみえ,すでに鎌倉期の将軍出行に,徒歩で従う警固の士の存在がうかがわれるが,室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった。将軍の外出に際しては護衛として供奉(ぐぶ)し,つねにその身辺を警戒して狼藉(ろうぜき)者を取り締まる。」

とあり(『世界大百科事典 第2版』),室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった,という。

「走衆」は,

徒士衆,
歩衆,

とも言い,

「歩とは江戸時代に徒士と書き,江戸幕府では将軍直属の歩兵隊員で,御譜代格の下級武士であるから御家人といい直参の総称に含まれる。安土桃山時代の各大名も用いている大名直属の歩兵隊員で,長柄組・鉄砲組・弓組と同格でありながら,矢張り直属という重みで待遇,格を異にする」

とある(『武家戦陣資料事典』)。要は,「徒士」は,

「主人直属の歩卒。歩衆は常に旗本にあって、警衛雑用を務める。室町幕府の走衆は、戦時に主君の旗本に備え、平時には行列供方(ともがた)の先導や主人の身辺警固にあたった。」

という(仝上)。この統率者を徒士頭、歩頭(ほがしら)という。これは,

「歩頭は物見使番の役たるべし。…歩者を預かる人は第一に物見、第二に伏、第三に夜討の心懸けあるべし、或は御馬のあたりを心掛け、退口、或は馬の不及(およばぬ)所をも、自由に働き潔し、されは歩(ほ)の衆といふ」

とある(軍侍用集)。伏(ふせ)は、伏兵。伏隠、待伏の意。

「近代軍制でいうと、馬上の資格がある侍(馬廻組以上)が士官に相当し、徒士は下士官に相当する。徒士は士分に含まれ、士分格を持たない足軽とは峻別される。戦場では主君の前駆をなし、平時は城内の護衛(徒士組)や中間管理職的な行政職(徒目付、勘定奉行の配下など)に従事した。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。足軽とは区別される。
足軽(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462895514.html)については触れた。

武士の身分,士分は,

「『侍』と『徒士(かち)』に分けられる。これは南北朝時代以降、戦場への動員人数が激増して徒歩での集団戦が主体となり、騎馬戦闘を行う戦闘局面が比較的限定されるようになっても、本来の武士であるか否かは騎馬戦闘を家業とする層か否かという基準での線引きが後世まで保持されていったためである。」

「侍」は,

「本来の武士であり、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で『御目見え』の資格を持つ。江戸時代の記録には騎士と表記され、これは徒士との比較語である。また、上士とも呼ばれる。『徒士』は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、『御目見え』の資格を持たない。下士、軽輩、無足などとも呼ばれる。」

という区別である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。

「『侍』の内、1000石程度以上の者は大身(たいしん)、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。それ以下の『侍』は平侍(ひらざむらい)、平士、馬乗りなどと呼ばれる。」

諸藩は多く、騎士(上士)・徒士(かち)(下士)・足軽(卒)と藩士を分け、

将・士・卒,

という言い方をするが,将とは,

上士,

を指し,


下士,

が,「徒士」に当たる。

卒,

は足軽で,足軽以下は軽輩と呼ばれ、士分とは見なされない。たとえば,

幕府の旗本は「侍」、御家人は「徒士」,
幕府の役所で,与力は本来は寄騎、つまり戦のたびに臨時の主従関係を結ぶ武士に由来する騎馬戦士身分で「侍」、同心は「徒士」,
代官所の下役である手付は「侍」、手代は「徒士」,

等々である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。この差は,維新後も,

一門以下平士ニ至ル迄総テ士族ト可称事,

とし,足軽以下は,

卒族,

とされた。それ以下は,

平民,

である。

20160503053813292.jpg

(長州藩(萩藩)の13代藩主毛利敬親の参勤交代行列を描いた錦絵。総勢1,000人といわれる行列が、江戸高輪付近を通る様子を表す。https://oyakochoco.jp/blog-entry-1359.htmlより)


参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

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2019年02月11日

ところてん


「ところてん」は,

心太,
瓊脂,

と当てる。

「『心太(こころぶと)』をココロティと呼んだものの転か」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』も,

「心太(ココロブト)を心太(ココロティ)と讀みたることより轉ず」

としている。ただ,これは,「心太」と当てた以降の転訛をいっているだけで,なぜ「心太」と当てたかはこれでは,わからない。

summer20_m.jpg

(『新文字絵づくし』(明和3年〈1766〉刊)よりhttps://edo-g.com/blog/2016/06/summer.html/summer20_mより)


そもそも「ところてんは」,

「テングサを煮 溶かす製法は遣唐使が持ち帰った」

とされる(http://gogen-allguide.com/to/tokoroten.html)が,

「中国から伝わったとされる。海草を煮たスープを放置したところ偶然にできた産物と考えられ、かなりの歴史があると思われる。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A6%E3%82%93)。

「古く『和名類聚抄』(承平4年(934)頃成立。醍醐天皇第4皇女・勤子の依頼で作成した百科事典)にも読まれていますが、その語源はところてんの原料である天草(テンクサ)が煮るとドロドロに溶け、さめて煮こごる藻であるところから、こごる藻葉(コゴルモハ)と呼ばれ、これからできる製品を「ココロブト」と呼んでいました。」

とあり(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213754542),

「和名で『凝海藻(こるもは)』といい,また『こごろも』ともいう。これを煮るとこごる(凝る)からである。コゴロモをココロブトと訛って,俗に心太の二字を用いて,室町時代にはココロブトを訛ってココロティ,それをさらに訛ってココロテン,これがさらに訛って江戸時代にはトコロテンとなった」

とある(『たべもの語源辞典』)。「こるもは」というのは,

「『十巻本和名抄-九』に,『大凝菜 楊氏漢語抄云大凝菜(古々呂布度)本朝式云凝海藻(古流藻毛波 俗用心太読与大凝菜同)』とあるように凝海藻で作った食品を平安時代にはコルモハといい,俗に心太の字をあてて,ココロフトと称していたのである。この『凝海藻』の文字は古くは大宝令の賦役令にあらわれる。」

とある(『日本語源大辞典』)。この「こころふと」が,室町時代,

「『七十一番職人歌合-七十一番』の「心太うり」の歌には,

「うらぼんのなかばの秋のよもすがら月にすますや我心てい(略)右は,うらぼんのよもすがら,心ぶとうることしかり。心ていきく心地す」

と,ココロティとある(仝上)。で,

コゴルモハ→コルモハ→コゴロモ→ココロブト→ココロフト→心太→ココロティ→ココロテン→トコロテン,

という転訛,ということになる。「心太」と当ててから,

「ココロフト→ココロタイ→ココロテイ→→ココロテン→トコロテン,

と訓みが転訛しているだけだから,そもそも「こころぶと」となった謂れが,問題になる「ココロブト」となったのは,

「『こころふと』の『こころ』は『凝る』が転じたもので,『ふと』は『太い海藻』を意味していると考えられている」

ものの未詳(http://gogen-allguide.com/to/tokoroten.html)とし,それに「心太」と当て,湯桶読みで「こころてい」と呼ばれるようになった,とする。湯桶読みとは,

「日本語における熟語の変則的な読み方の一つ。漢字2字の熟語の上の字を訓として、下の字を音として読む「湯桶」(ゆトウ)のような熟語の読みの総称」

をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%A1%B6%E8%AA%AD%E3%81%BF)。

『日本語源広辞典』は,

「凝る(コゴル・トゴル・音韻変化トゴォロル)+テン(天・てんぐさ)」

とする。『日本語の語源』は,独自に,

「煮て溶解した天草のことをトクルテングサ(溶くる天草)といったのが,ク・ルの母交(母韻交替)[uo],クサの脱落で,トコロテン(心太)になった」

とするが,トクルテングサからいきなりトコロテンは,歴史的に見て,飛躍が過ぎる気がするが,

「古くは正倉院の書物中に心天と記されていることから奈良時代にはすでにこころてんまたはところてんと呼ばれていたようである。」

とも言われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A6%E3%82%93)ので,なかなか難しい。

一応,

コゴルモハ→コルモハ→コゴロモ→ココロブト→ココロフト→心太→ココロティ→ココロテン→トコロテン,

という転訛になったとしておく。

summer_gourmet20_l.jpg

(『絵本江戸爵(えどすずめ)』より 喜多川歌麿 画) https://edo-g.com/blog/2017/08/summer_gourmet.html/summer_gourmet20_lより)


江時代,暑さがやってくるころ「ところてん売り」が街中を歩いた,という。その売り声は、「ところてんや、てんや」。この売り声を,
心天(ところてん)売は一本ン半に呼び(『誹風柳多留』)
詠(よ)んだ川柳があるとか。ところてんを数えるのを1本、2本と言ったようで、呼び声が一度と半分であることをうがった句であるとか(https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p042/)。

「幕末近くの上方生まれの喜多川守貞(きたがわもりさだ)は随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』で、京都や大坂では砂糖をかけて食べ、ところてん1箇が1文(もん)で、江戸では白糖(精製した砂糖で贅沢品)か、醤油をかけて食べ、1箇が2文だと伝えている。今でも関西では、ところてんに甘い蜜をかけて食べるというが、江戸時代以来の食べ方である。」

という(仝上)江戸時代,「ところてんや」は,こんな売り声だったらしい。寅さんの口上である。

さあつきますぞ/\
音羽の滝のいとさくら
ちらちらおちるは星くだり
それ天上まてつきあげて
やんわりうけもち
すべるはしりもち
しだれ柳にしだれ梅
さきもそろうてきれぬをしようくわん
あいあい 只今 あげます/\

等々(https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/11-kinseiryukosyonin/20.html

20.jpg

(曲亭馬琴『近世流行商人狂哥絵図』「曲突心太売り(きょくづきところてんうり)」仝上)


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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2019年02月12日

ところで


「ところで」は,

所で,

と当てる。

「名詞『ところ』に助詞『で』のついたもの」

である(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』には,「連語」として,

~ほどに,~ゆえに,

で,例えば,

「無いトコロデ進ぜぬ」(ロドリゲス大文典),

の用例が載る。さらに,「接続詞」として,

ところが,然るに,

で,例えば,

こなたへは参り候まいと云ふぞ。トコロデ三度まで行かれたぞ」(蒙求抄)

が載る。接続詞としての使い方は,今もある。多くは,

(別な話題を持ち出す時に使う)時に,それはそれとして,

という使い方が多いのではあるまいか。前者の意味は,『広辞苑第5版』には,

~によって,~ので,

で,たとえば,

「終に持た事が御ざらぬトコロデ持ちやうを存ぜぬほどに」(狂言・鹿狩),

という使い方をする。これだと,「ところ」を,「~の場合の意から転じて,接続詞的に用いる」のに似て,

きっかけになる事柄を示すのに用いる,~すると,

で,たとえば,

「拝見仕候トコロ皆々様には」
「交渉したトコロ承諾した」

と似ており,さらに,「ところで」が,

(~たところでの形で)仮定の事態を述べ,後にそれに反する事態が続くことを述べる語。もし~としても,たとえ~でも,~したからといって,

で,たとえば,

「私が意見したしたトコロデ,彼は耳をかすまい」

という使い方をする。この遣い方は,今もするが,これも,「ところ」で,

(『~どころか』『~どころの』『~どころではない』の形で多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらずもっと進んでいると強調する,

という使い方,たとえば,

「こどもドコロか大人まで」
「びた一文出すところか舌も出さない」

等々の使い方と重なるところがある。

「(形式名詞『ところ』+格助詞『で』から)過去の助動詞「た」の終止形に付く。ある事態が起こっても、何もならないか、または、好ましくない状態をひき起こすことを予想させる意を表す。…しても。…たとしても。『警告を発したところで聞き入れはすまい』『たとえ勝ったところで後味の悪い試合だ』」

とし(『デジタル大辞泉』),

「『ところで』は中世後期以降用いられ、初めは順接の確定条件を表した。『人多い―見失うた』〈虎明狂・二九十八〉。近世後期になって、逆接の確定または仮定条件が生まれた。近代以降は、もっぱら逆接の意にのみ用いられ、『ところが』の領域をも占めるようになった。現代語では、『たとえ』『よし』『よしんば』などの副詞と呼応して用いられることが多い。

とする(『デジタル大辞泉』)。「ところで」は「ところが」と重なるのである。

「ところが」は,

「~したところ(が)」の形で後のことが続くことを示す,順接にも逆接にもなる。~する,~したけれども,

と,

仮定の逆接を表す,たとえ~しても,

の意があり,そのため,接続詞「ところが」は,

然るに,そうであるのに,

という意味になる。「ところで」とほぼ重なるのである。この意味の変化の幅は,もともと,

「ところ(所)」

そのものの用い方の変化に内包されていたのではないか。「ところ」は,

「トコ(床)と同根。ロは接続語。一区画が高く平らになっている場所が原義。イヘツドコロ・オクツキドコロ・ミヤドコロ・ウタマヒドコロなど,髙くなっている区画にいう。転じて,周囲よりも際立っている区域,特に区別すべき箇所の意」

とあり,空間を意味した。それが,地位や貴人を示したが,

話題として取り上げる部分,
場合,

のような抽象的な使い方(「今日のところは大目に見る」というように)に広がり,

更に,漢文訓読で,

「受身を示す助字『所』をそのままトコロと訓んで,受身の意を示す」

使い方から,「ところ」が,

こと(事柄)の意となり,「~の場合が転じて接続詞的」に用いて,

~すると,
~どころか,
~どころではない,

など,

「(多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらず,もっと進んでいると強調する」

使い方となり,「ところで」「ところが」の意味の変化に強い翳を落していると思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)


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ラベル:ところで
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2019年02月13日


「某」と書いて,

それがし,
なにがし,
くれ,

と訓ませる。「其」(漢音ボウ,呉音ム・モ)の字は,

「会意。『木+甘(口の中に含む)』で,梅の本字。なにがしの意味に用いるのは当て字で,明確でない意を含む」

とあり,

「人・物・時・所など,はっきりわからないときにもちいることば,また,わかっていても,わざとぼかすときに用いることば」

で,まさに,なにがし,それがし,の意で,某日,某所といった使い方をする。

「それがし」は,

「ガシは接尾語,ガは助詞,シは方向を示す語」

で(『岩波古語辞典』),本来,

「名の知れない人・物事を指し,または名をあげずに指す場合に用いる」

ので(『広辞苑第5版』),

誰それ,

の意味で使われる。その意味では,

なにがし,

と同意である。それが転じて,自称,

わたくし,

の意味で使うようになる。

「中世以降の用法。謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。主に武士の一人称として用いる。戦国時代などに多く使われた。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E

男性が少し謙遜して用いる「それがし」は,

「鎌倉時代以後。室町時代以後は(自称)の意のみとなり、(だれそれ)の意には『なにがし』が用いられる。」

という(『学研全訳古語辞典』)。つまり,「それがし」が自称の意に転じて以降は,本来の「だれそれ」の意は,

なにがし,

が受け継ぐことになったようであるが,

「『それがし』が自称にも用いられ始めたのは,『なにがし』の場合よりやや遅い」

とある(『日本語源大辞典』)ので,「なにがし」が自称に用いられるのに引きずられて,「それがし」も「自称」に用いられたのかもしれない。

「なにがし」は,

「ガシは接尾語,事物や人の名を明確に言わずに,おおよそその方をさしていう語」

とある。だから,「それがし」の誰それとはちょっと異なり,

なんとか,なにやら,

と,

「人・事物・場所・方向などで、その名前がわからないとき、また、知っていても省略するとき用いる。」

には違いないが,敢えてぼかす含意が強いように思える(『岩波古語辞典』)。だから,「なにがし」が自称に転じて,

わたし,

の意味になっても,

「男性が自己をへりくだっていう」

含意が強く(『岩波古語辞典』),

「かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。たとえば諸葛亮(諸葛孔明)の出師の表では、皇帝にたてまつる文章であるので『臣亮もうす』という書き出しになっており、四庫全書総目提要は全て皇帝への上奏文であるから『臣ら謹んで案ずるに…編纂官、臣○○。臣☓☓。臣△△…』と自らの名(もしくは姓名)の前に『臣』を付けて名乗っている。かつての日本でもその影響で天皇に対する正式の自称は「臣なにがし」であった。」

(仝上)という使い方がよくわかる。

さて,「それがし」の語源であるが,『大言海』は,

「夫(そ)れが主(ぬし)の約かと云ふ」

とし(『日本語源広辞典』も「ソレガヌシ」とする),「なにがしも」も,

「何が主(ぬし)の約と云ふ」

とする)。『日本語源広辞典』は,

「ナニ(疑問)+カシ(接尾語,ぼかす)」

とするので,同趣旨と見ていい。「なにがし」「それがし」は,似た語源と考えると,『大言海』説に惹かれるが,『岩波古語辞典』の,

それ+接尾語かし,
なに+接尾語かし,

と同趣旨から,音韻変化を辿る『日本語の語源』の説明で見ると,『岩波古語辞典』の,

それ+かし,
なに+かし,

説に軍配を上げたくなる。ただし「かし」の解釈は,両者全く異なるが。

『日本語の語源』は,こう展開している。

「平安初期に成立した終助詞『かし』は『…よ。…ね』と強く念を押し意味を強める作用をする〈深き山里,世離れたる海づらなどに,はひ隠れぬカシ(コッソリ隠れてしまうのですよ)〉(源氏・帚木)。
 人・物事・場所などの名がはっきりしないか,または,わざとぼかしていうとき,不定代名詞のナニ(何),ダレ(誰),指示代名詞のソレ(其),コレ(此),カレ(彼)に,終助詞をつけて強めたため,多くの不定呼称が成立した。
 『ナニ(何)・ソレ(其)』を強めたナニカシ・ソレカシは有声化してナニガシ(某)・ソレガシ(某)になった。〈富士の山,ナニガシの岳など,語り聞ゆるもあり〉(源氏・若紫)。〈帯刀の長ソレガシなどいふ人,使ひにて,夜に入りてものしたり〉(蜉蝣日記)。
 不定呼称のナニガシ・ソレガシは,ともに『わたくし。拙者』という自称代名詞(謙意をふくむ)の語義をはせいした。〈ナニガシに隠さるべきことにもあらず〉(源氏・夕霧)。〈ソレガシの烏帽子が剥げてあったが何とした物であらうぞ〉(狂言・烏帽子折)。
 ナニガシには数のほからないときにいう『いくら。若干』の意味も生まれた。
 ナニガシ・ソレガシの両語は平安中期に成立し,『源氏物語』から使用頻度がにわかに増大した」

なお,和語の一人称は,様々,膨大なバリエーションがあるが,その詳細は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E

に詳しい。

某,

を,「くれ」と訓むのは,

是れの轉(此者(こは),くは。此奴(こやつ),くやつ),

とあり(『大言海』),

何某(なにくれ),

と,

「何と云ふ語と幷べて用ゐて,その名を知らぬ人,又は其と定めぬに代えて云ふ」

とある(『大言海』)ので,「なにがし」と意味が重なる。「何某」と書くと,

なにくれ,

なにがし,
か,

その区別は,文脈に依るが,

「何の御子,くれの源氏と数たたまひて」(源氏物語)
「御隠身共もありし,何がし,くれがしと数へしは」(枕草子)

と,はっきり分かる形で用いられるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2019年02月14日

無理


「無理」は,文字通り,

道理のないこと,理由の立たないこと,

の意(「無理もない」)よりは,

強いて行うこと,

の意の,

無理強い,
無理やり,
無理がきかない,

という使い方や,

することが困難なこと,

の意の,

無理な要求,
無理難題,
無理酒,
無理無体,

等々という使い方をすることが多い。この他に,さらに,「無理をして買った」とか「無理のないダイエット」というような,

心身や経済的能力などに過度の負担をかけること,

という意味を加えるものもある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1%E7%90%86)が,これは,強いるの延長戦上,ともいえる。

この意味の広がりは,

道理に合わないこと,

道理を逸脱して強引なこと,

(名詞に冠して)強いて行う意を表す,

過度の負担をかけること,

という流れで見ると(『岩波古語辞典』),意味の広がりが,理不尽な状態表現から,それを逸脱する価値表現に転じ,それを強いる(強いられる)主体的な(価値)表現にシフトしていくのがよく見える。

「理」(リ)の字は,

「会意兼形声。里は『田+土』からなり,すじめをつけた土地。理は『玉+音符里』で,宝石の表面に透けて見えるすじめ。動詞としては,すじをつけること」

とある(『漢字源』)。で,「玉理」というように「宝石のもよのすじめ」の意。そこから,「条理」というような「物事のすじみち」,「ことわり」の意。他方で,「きめ」の意は,宝石から来たのかもしれない。動詞は,「理財」のようでに,おめる,ただす意。その違いは,

修は,飭(ただす)なり,葺理なり,屋宅道路を修理する類,あしき所をなほす義。修身修道の類にも用ふ。
治は,乱の反。いり乱れたる事の,おちつきてをさまるなり,
理は,玉を治むる義。筋道を正してをさむるなり。理髪訟理の類,
収は,取り入るるなり,収蔵・収斂と連用する,
納は,いるるとも訓む。をさむと訓むときは,先方へ入れをさむるなり,
蔵は,見えぬやに蔵へかくし入るる義,

とある(『字源』)。筋道を正しておさめる意は,「理」のみのようである。「無理」の元々意味が,良く見える。中国の諺に(https://ja.wikiquote.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%AB%BA),

有理贏,無理輸

理があれば勝ち、理が無ければ負ける,

というのがあるそうだが,元来は,

筋が通らない,

ゐであったと思える。それが,和語では,「理」を,

強いる,

と受け止める,というのも,なかなか日本人を象徴している気がする。『大言海』の,

道理なきこと,

という意味も,状態表現よりは価値表現へシフトしていて,少し日本化した解釈に思える。『精選版 日本国語大辞典』も,

道理に反すること,

とする(文明本節用集)。しかし,引用されている『史記抄』の,

「竇嬰灌夫二公は、無理なる罪に逢たぞ」( 韓愈‐答柳柳州食蝦蟇詩),

と比べると,ちょっと齟齬がある気がするのは,僕だけだろうか。

ただ,この意味解釈の流れからの方が,

強いる,

という感覚に近づくのかもしれない。因みに,「無理やり」というのは,

「『やり』を『矢理』と書く のは当て字で、本来は『遣る(やる)』の連用形『遣り(やり)』。『遣る』は、人を派遣したり物を送るといった意味であったが、中世頃より、何か事をなす意味で使われるようになった。この『無理』と『遣り』が合成され、近世頃から『無理やり』と使われ始めた。」

とある(http://gogen-allguide.com/mu/muriyari.html)。「無理強い」の関連語である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:無理
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2019年02月15日

なく


「なく」は,

泣く,
鳴く,
啼く,

と当てる。

「ネ(音)の古形ナを活用させた語か」

とある(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』)。

「人間が声を立てて涙を流す」意では,

泣く,

を当て(『大言海』は,哭,ともする),「鳥・獣・虫などが声を立てる」意は,

鳴く,

と当てる(『岩波古語辞典』)。「啼く」については,他は触れないが,『大言海』は,

「赤子,声を出す」

の意を載せ,その後に,

「禽,獣,蟲など,聲を出す」

意を載せる。漢字は,明確な区別がある。

「鳴」(漢音メイ,呉音ミョウ)の字は,

「会意。『口+鳥』で,取りが口で音を出してその存在をつげること」

で,鳥,獣のなくのを指す。

「啼」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は,

「形声。『口+音符帝』。次々と伝えてなく,あとからあとから続けてなく」

で。鳥獣にも,人にも用いる。

「泣」(漢音キュウ,呉音コウ)の字は,

「会意。『水+粒の略体』で,なみだを出すことを表す。息をすいこむようにしてせきあげてなく」

で,「哭」(大声をあげてなく)の対。日本語では,「泣」と「哭」の区別をしない。

「哭」(コク)の字は,

「会意。『口二つ+犬』で,大声でなくこと。犬は大声でなくものの代表で,口二つはやかましい意を示す」

漢字のそれぞれの区別は,,

「鳴」は,鳥獣のなくなり,悲鳴にも,和鳴(鳥が声を合わせて鳴く)にも通じ用ふ。なると訓むときは,万物の声ををだしたること,又,名声の世上に聞ゆる意,
「啼」は,嗁(テイ さけぶ)と同時,声をあげてなくなり,悲しむ意あり,
「泣」は,涙を流し,声を立てずしてなくなり,
「哭」は,涙を流し,声をあげて,深く悲しみなくなり,

とあり(『字源』),「なく」の漢字は,かなり明確に区別されている。

「なく」は,「ね(音)」の活用というから,すべて,

音,

であったとも言えるが,面白いことに,「音」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/457490864.html?1548829619)で触れたように,「音」の字を当てていても,

「おと」

は,

「離れていてもはっきり聞こえてくる,物のひびきや人の声,転じて,噂や便り。類義語ネ(音)は,意味あるように聞く心に訴えてくる声や音」

とあり(『岩波古語辞典』),

「ね」

は,

「なき(鳴・泣)のナの転。人・鳥・虫などの,聞く心に訴える音声。類義語オトは,人の発声器官による音をいうのが原義」

とあり,

「おと」は「物音」,
「ね」は,「人・鳥・虫などの音声」

という区分していた。「なく」は,

物音,

ではなく,

声,

とした。「こえ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463713379.html)で触れたように,漢字「声」にはひろく,

「人の声,動物の鳴き声,物の響きを含めていう」

とあり,「音声」であるが,「こえ(ゑ)」は,

をみると,和語「こゑ」は,

人や動物が発する音声,

を指した(『岩波古語辞典』)。和語では,「こえ」と,

なく,

はかさなる「ね」なのである。「ね」が「なく」であり,「なく」が「ね」であり,「ね」が「こえ」であった。物の音とは区別しても,人も,鳥獣も,蟲も,「ね」であり,「なく」であった。虫の「ね」を愛でたことと通じる。

「音(ネ・ナ)+く」(『日本語源広辞典』)

であり,どういうなき声も区別しなかったのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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ラベル:なく 泣く 鳴く 啼く
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2019年02月16日

むたい


「むたい」は,

無体,
無代,
無台,

と当てる。

「中世ではムダイとも」
「古くは『むだい』とも」

とある(『広辞苑第5版』『デジタル大辞泉』)。意味の外延は,

形がないこと。無形(「無体物」)

道理に合わない・こと(さま)(無法。無理。「無理無体」「無体な要求」)

ないがしろにする・こと(さま)(人の世にある,誰か仏法を無体にし逆罪を相招く(盛衰記)」)

無駄にすること。かいのないこと。またそのさま(「起請に恐れば日頃の本意無体なるべし(盛衰記)」)

といった派生と考えると分かりやすい(『大辞林』)が,『大言海』は,

「無(ない)が代(しろ 蔑)を音讀したる語。多く,當字に無體など書す」

とする。「精選版 日本国語大辞典」の意味を,

(名詞)ないがしろにすること。無視すること。軽蔑すること。無にすること。むだにすること(「色葉字類(1177‐81)抄)

(形動) 無理なこと。無法なこと。また、そのさま。「よもその物、無台にとらへからめられはせじ、入道に心ざしふかい物也」(平家,十三世紀前半)

(形動) とりわけはなはだしいさま。むやみ。また、副詞的に用いられて、少しも。全然。「琴にはたまのことちに、あなを、あけて、絃をつらぬきたるとかや。無題にたふるることもなくて、よきにこそ」(塵袋(1264‐88頃))

(無体) 体をなさないこと。まとまった形になっていないこと。体系的でないこと。「二曲三躰よりは入門せで、はしばしの物まねをのみたしなむ事、無躰(ムタイ)枝葉の稽古なるべし」(至花道(1420))

仏語。実体がないこと。実在しないもの。無。「神は無方無体なれとも、人心に誠あれは、必す感応する所あり」(清原宣賢式目抄(1534))

(形動) 全くできないさま。「むだッ口やへらず口は、わる達者だが、少しまじめな事は無体(ムテヘ)なもんだぜ」(滑稽本・八笑人(1820‐49))

と,出典の時代別に並べてみると,「ないがしろ」の意味の用例が古いことがわかる。

ただ,「無体」の語源については,『大言海』の,

「『ないがしろ』に『無代』を当てて音読したという説と仏教語の『無体』に由来するという二説がある。後者は、法相宗で論理上許される法を『有体』、論理上許されない法を『無体』といい、ここから広く『道理の通らないこと』の意で『無体』が用いられ、その結果、「無理無体」といった表現も現われたとする。」

とあり(精選版 日本国語大辞典),『日本語源広辞典』は,

「『仏教語で,無体(論理上許されない法)』です。論理上許される法の有体に対する語です」

を採る。

しかし,

「無体」

を,ムダイと訓んだとされる以上,「無体」を「ムダイ」と訓むのは,何か訳があるのではないか,と思が,「大衆部」の説明で,

「仏陀の没後100年ほどして、十事の非法、大天の五事などの『律』の解釈で意見が対立して引き起こされた根本分裂によって生じた部派の名で、保守的・形式的な上座部と革新的な大衆部とに分裂して、部派仏教時代と呼ばれる。大衆部は、上座部の過去・現在・未来の三世にわたって法の本体は実在しているとする三世実有(じつう)・法体恒有(ほったいごうう)説を否定して、法は現在においてのみ実在し、過去・未来には非実在であるという現在有体(げんざいうたい)・過未無体(かみむたい)を主張し、大乗仏教の萌芽となった。大衆部からは一説部(いっせつぶ)・説出世部(せつしゅっせぶ)・鷄胤部(けいいんぶ)・多聞部(たもんぶ)・説仮部(せっけぶ)・制多山部(せいた せんぶ)・西山住部(せいせんじゅうぶ)・北山住部(ほくせんじゅうぶ)などに分派した。」

とあり(「仏教用語集」http://www.bukkyosho.gr.jp/pdf/%E4%BB%8F%E6%95%99%E7%94%A8%E8%AA%9E%E9%9B%86.pdfより)

過未無体,

から来たとする説にはちょっと説得力がある。「過未無体」とは,説一切有部の「三世実有,法体恒有」の説に対し,

「人間存在ないし現象界を構成するもろもろの要素 (法) は,現在現れているかぎりにおいては実有であるが,過去,未来においては無であるという」

主張である。ついでに,三世実有説とは,

「説一切有部の基本的立場は三世実有・法体恒有と古来いわれている。森羅万象(サンスカーラ、梵: saṃskāra)を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8

『日本語源大辞典』も,

「語源については,『ないがしろ』に『無代』をあてて音讀したともいうが,仏教語の『無体』に由来すると考えたほうがよい。法相宗で論理上許される法を『有体』,論理上許されない法を『無体』といい,ここから広く『道理の通らないこと』の意で『無体』が用いられ,その結果,『無理無体』といった表現も現れた」

としている。

無理無体,

は,

強いて行うこと,
無法に強制すること,

の意で,

「乱暴、暴行、無法なさまなどについて言う表現。『ご無体』は主に目上の人に対して用いる。名詞を形容して『無体な仕打ち』『無体なこと』などと言うところを略した表現。『あまりに酷い』といった意味で『無体な仕打ち』などと表現することもできるが、時代劇で女中が悪代官に手籠めにされかけ……というようなシチュエーションが典型的な使用場面としては想起されやすいといえる。」

とある(『実用日本語表現辞典』)。どうやら,

ないがしろ,

は,

道理にあわない,

ことに対する主体的表現に転じて後の,使い方ということになる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年02月17日

もののふ


「もののふ」は,

武士,

と当てるが,

サムライ,

とは由来を異にする。サムライ(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463927433.html)はすでに触れた。

NasunoYoichi.jpg

(平安時代の武士、那須与一を描いた画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%ABより)


『実用日本語表現辞典』には,「もののふ」は,

「武士」の読みの一種。武道を修めた戦士を指す語,

と,

「物部」の読みの一種,ニギハヤヒミコトを祖神とし、飛鳥時代前後に栄えた豪族,

の意が載る。ついでならが,知らなかったが,

「カタカナ表記で『モノノフ』と表記する場合は、女性アイドルグループ『ももいろクローバーZ』のファンならびにライブの観客を指すことが多い」

ともある。確かに,『岩波古語辞典』は,「もののふ」に,

武士,

物部,

を当てている。で,

「モノはモノノベのモノに同じ。はじめ武人の意。後に文武の官の意に広まった」

とある。枕詞の,

もののふ(物部)の,

は,

「武人の射る矢から『八十(やそ)』『矢野』『矢田野』『弓削』に『射(い)』から同音の地名『宇治』などにかかる」

とある(『広辞苑第5版』)。

『広辞苑第5版』に,

「上代,朝廷に仕えた官人」

とあるのはその意である。そこから,

「武勇をもって仕え,戦陣に立つ武人」

に広がり,

つわもの,
武士,

に意味が広がったものと思われる。

『大言海』は,

「兵器をモノと云ひ,フは丈夫の夫,即ち,物の夫の意。物の具と同趣。」

とある。『日本語源広辞典』も,

「モノ(兵器・武)+ノ+フ(夫)」

とする。この「モノ」の言い方は,

物頭(足軽大将),

の「物」と重なる。『大言海』は,

兵器,

を,

つわもの,

と訓ませている。

「物になるとは,然るべきものになる意,物のきこえとは,物事のきこえ人聞き,世情の評判」

と。「物」の項で書いている(『大言海』)。「もののふ」とは,

「古へ,武勇(たけ)き職を以て仕ふる武士(タケヲ)の称。一部となりて物部と云ひ,転じては,凡そ朝廷に仕ふる官人の称となれり」

とある。で,「物部(もののべ)」とは,

「武士部(もののふべ)のフの略。また,ベを略して,モノノフとも云ふ,共に兵器(つわもの)の羣(むれ)の義」

とある。

「初,饒速日(にぎはやひ)命,天上より率ゐられし廿五部の物部を獻りしより,武官の棟梁,輔佐の重職は,此氏の人,御代御代統べ来つれば,其職に就きて云ひしが,後,神武天皇の御時,可美眞手(うましまで)命,天(あまの)物部を率ゐて仕へ奉る。是れ物部氏の遠祖なり」

と,物部氏の由来とつながる,とする。ただ,『日本語源大辞典』は,

「『もの』は兵器の意かというが明らかではなく,『ふ』も未詳だが,上代,軍事警察の任に当たっていた『もののべ(物部)』と関係深い毎考えられる」

としている。ただ,「もののふ」という言葉は,必ずしも,

サムライ,

とはイコールではなかったらしく,サムライhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/463927433.htmlでも触れたように,「サムライ」を,

「地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。 17世紀初頭に刊行された『日葡辞書』では、Bushi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ『武人』『軍人』を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(サブライ)は『貴人、または尊敬すべき人』と訳されており、侍が武士階層の中でも、特別な存在と見識が既に広まっていた。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。

これは,サムラヒが,その振る舞いに由来(主君の側近くで面倒を見ること、またその人)するのに対して,「もののふ」は,「武」や「兵」や「兵器」という手段に由来してきた差ではないか,という気がする。ただ,『日本語源大辞典』は,「つわもの」の項で,

「古くは兵よりも武器そのものをさす(武器の)の場合が多かった。兵をさす場合は,類義語『もののふ』が『もののけ』に通う霊的な存在感を持つのに対して,物的な力としての兵を意味していたらしい」

とある。「もの」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462101901.html?1549066837)で触れたように,「もの」は,

「形があって手に振れることのできる物体をはじめとして,広く出来事一般まで,人間が対象として感知・認識しうるものすべて。コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるに対して,モノは推移変動の観念を含まない。むしろ変動のない対象の意から転じて,既定の事実,避けがたいさだめ,普遍の慣習・法則の意を表す。また,恐怖の対象や,口に直接指すことを避けて,漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。人間をモノと表現するのは,対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている。」

であったが(『岩波古語辞典』),大野晋の言うように,

「『もの』という精霊みたいな存在を指す言葉があって、それがひろがって一般の物体を指すようになったのではなく、むしろ逆に、存在物、物体を指す『もの』という言葉があって、それが人間より価値が低いと見る存在に対して『もの』と使う、存在一般を指すときにも『もの』という。そして恐ろしいので個々にいってはならない存在も『もの』といった。」

としている(http://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/onitoyobaretamono.htm)と考えると,「もののけ」は,「もの」から分化したものと考えるべきで,「もののふ」の「もの」は,やはり,武器と見なすべきであろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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2019年02月18日

つわもの


「つわもの」は,

兵,

と当てる。

武具,武器,

の意であり(『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』),

それが転じて,

武器をとり戦争に加わる人,兵士,

武士,

の意に転じ(『広辞苑第5版』),

武士,

の意となった(『岩波古語辞典』),と見ることが出来る。武器庫を,

つはものぐら(兵庫),

と呼ぶのはかなり古い。

つはもののつかさ(兵司),

とも言う。律令制下の八省の一つ,

兵部省,

を,

もののふのつかさ,
つわもののつかさ,

と呼ぶ(和名抄には「都波毛乃乃都加佐」)のは,

軍政(国防)を司る行政機関,

であり,武器の意味よりは,軍隊の意に転じていると見ていい。因みに,八省とは,

中務省・式部省・治部省・民部省(左弁官局管掌),
兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省(右弁官局管掌),

である。「つわもの」に,

強者,

とあてるのは,後の当て字である。

Sengoku_period_battle.jpg

(川中島の戦い https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%ABより)


『大言海』には。「つはもの」を,

「鐔物(つみはもの)の略にて,兵器,特に鐔(つば)あれば云ふとぞ」

とある。字類抄には,

「兵,ツハモノ,兵仗劒戟也,物名也」

とある,とか。「兵仗」は,兵器,「劒戟」はつるぎとほこ,の意。「鐔(つば)」の呼名は,「ツミハ(ツミバ)」といい,

「刀劒の金具。扁(ひらた)くしてアナり,形,方,圓,種々なり。刀心(こみ)を貫きて刅(み)と柄との間に挿(は)めて,縁,四方へ余り出ヅ。握る手の防ぎとするなり」

とあるので,まさに「鍔」である。

『日本語源広辞典』は,

「ツワ(固い・強い)+者」

で,強い兵士の意とするが,

強者,

と当てた後の「強者」からの解釈に思える。『日本語源大辞典』の,

「古くは兵よりも武器そのものをさす…場合が多かった。兵をさす場合は,類義語『もののふ』が『もののけ』に通う霊的な存在感を持つのに対して,物的な力としての兵を意味していたらしい」

というように,「力」としての「つわもの」が始源であったとみていい。その意味で,

ツハモノ(器物)の略(日本釈名・草蘆漫筆・和訓考・語簏・ことばの事典=日置昌一),
ツミハモノ(鐔物)の略(古事記伝・俗語考・大言海),
ツはト(鋭)の転,ハモノは刃物の義(日本古語大辞典=松岡静雄),
打刃物の義(雅言考),

と,武器系の語源説に軍配だろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:つわもの 強者
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2019年02月19日

武士


「武士」は,

もののふ,

と訓ませたりするが,由来は,漢語だと思われる。「史記」蘇秦傳に,

「武士二十萬」

とある(『字源』)らしい。『大言海』には,

「高祖令武士縛信,載後車」(漢書・韓信傳)
「先以詔書告示都,密徴求武士,重其購買,乃進軍」(後漢書・功都夷傳)

の例が載る。「武士」は,

武夫,

と同じらしい。「武夫」に,

もののふ,

の意として,周南の,

「赳赳武夫,公侯干城」

の詩句がある(『字源』)という。ただ,「武夫」は,

玉に似た美石,

の意もあるらしい(仝上)。「武人」も,

もののふ,

の意で,

「武人東征」

の詩句(小雅)がある。

武士,武夫,武人,

は,ほぼ同意である。

「武」(漢音ブ,呉音ム)の字は

「会意。『戈(ほこ)+止(あし)』で,戈をもって足で堂々と前進するさま。ない物を求めてがむしゃらに進む意を含む」

とあり,たけだしい意で,「猛」「勇」と類似する。当然,戦争や武器の意もある。まさに「武」である。

「士」(漢音シ,呉音ジ)の字は,

「象形。男の陰茎の突きたったさまを描いたもので,牡(おす)の字の右側にも含まれる。成人として自立するとこ」

とあり,我が国では,

サムライ,

の意で使うが,周代の諸侯―大夫―士の「士」であり,春秋・戦国以降の知識人を指す。「論語」に出る「士」は,

「士不可以不弘毅」(士は以て弘毅ならざる可からず)

サムライの意ではない。中国でいう,

士農工商,

の「士」は,「無論大家小家士農工商」(曾国藩)と,

知識人,

を指す。我が国では,「士」を,

サムライ,

とするが,「武士」と「サムライ」はイコールではなかったらしい。

「武士といふは,朝廷武官の人の総称にて,上古の書にも,武士といふ名目あり」

とある(安斎随筆)。「武士」という言い方は,

官人,

を指した。

「同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、『武士』に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者など)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB。「サムライ」は,「サブラフ」から平安時代に「サブラヒ」という名詞に転じたが,

「その原義は『主君の側近くで面倒を見ること、またその人』で、後に朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候した中下級の技能官人層を指すようになり、そこからそうした技能官人の一角を構成した『武士』を指すようになった。つまり、最初は武士のみならず、明法家などの他の中下級技能官人も「侍」とされたのであり、そこに武人を意味する要素はなかったのである。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D

で,「サムライ」も,

「「朝廷の実務を担い有力貴族や諸大夫に仕える、通常は位階六位どまりの下級技能官人層(侍品:さむらいほん)を元来は意味した。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D

武士も,

「奈良時代に武士は『もののふ』と呼ばれ、朝廷に仕える『文武百官』のことで あった。」http://gogen-allguide.com/hu/bushi.html

つまり,「武士」も「サブラフ者(サムライ)」も,

地下人(じげにん),

であり,

清涼殿殿上(てんじょう)の間に昇殿することを許されていない官人,

であり,あるいは転じて,

位階・官職など公的な地位を持たぬ者,

の意であった。「武」の地位向上とともに,「サムライ」が,

武士,

「武士」が,

サムライ,

の意と重なる。

320px-Samurai_on_horseback0.jpg

(大鎧と弓で武装した武士 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8Dより)


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評

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2019年02月20日

べそ


べそをかく,
なきべそをかく,

の「べそ」は,

こどもなどの泣き顔,

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』には,

「べし(壓)の轉か」

とあり,

小児の泣き顔になること,

の意と共に,

壓口(べしくち)をつくること,

の意が載る。「俚言集覧」には,

「へし口とは,口を壓へつくること也。能の面に大壓(オホヘシ)あり,口を結びたるを云,小児泣かんとする時の面つきを,ベソを作ると云ふも是也」

とある。

押し合いへし合い,

の「へし(圧)」という説である。

へしぐち(壓し口),

という言葉があり,

不興にて,強いて口をへの字に噤みて居ること,

とある(『大言海』)。

能面に,「小べし見」というのがあり,荒々しい力を宿す恐ろしい神を表した鬼神の面の1つで,「べし見」は、口を強くつぐむことを「へしむ」と言ったことに由来するとあるhttp://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2018/08/ca9fee3afa90d79ee664ce7abb9a33b5.pdf

『岩波古語辞典』には,

べしめん(壓面),

が載り,

べし口の表情の面,

とある。

kobeshimi04f.jpg

(能面「小べし見」 鬼神の面の1つ。「べし見」は口を強くつぐむことを「へしむ」と言ったことに由来する。http://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2018/08/ca9fee3afa90d79ee664ce7abb9a33b5.pdfより)

「べそ」が,

ベシクチ(圧口)の轉(嬉遊笑覧・松屋筆記),
ベシ(圧)の転か(大言海),
ベレクチの訛。また口をへの字形にして泣くところから(ことばの事典=日置昌一),

という子供の泣き顔から来たのか,

能面のベシミ(圧面)の口のように口を結んでいるのをベシということから(俚言集覧),

の二説のいずれか,ということのようである。他に,

「べそ」 は 「めっそう(滅相)」 が転訛したもの,

という説もあるらしい(https://mobility-8074.at.webry.info/201501/article_6.html)が語呂合わせに思える。普通に考えれば,顔の形から来て,それをなぞって面が出来たということだろう。

「『へしくち』の『へし』と『べしみ』の『べし』は同源で,への字に曲げることを表しているため,これらの説を別物として扱う必要はない」

と『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/na/nakibesowokaku.html)であろう。方言に,

「『押す』ことを『おっぺす』と言うところがあります。この『ぺす』は『へす(圧す)』であり、強く押さえるという意味です。泣き出すときに口をゆがめるのが、口を押さえつけたようであることから『へし口』という言葉ができ、泣き出しそうになることを『へし口を作る』というようになって、『へし口を掻く(表現する・・・の意)』に転じ、『べそをかく』に変化したようです。」

という(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109875995)のが妥当である。ちなみに,「べそをかく」の「かく」は,

「漢字では『掻く』と書く。『掻く』は爪などで表面をこするという動作から,『事をなす』という意味でも使用し,『汗をかく』『いびきをかく』『恥をかく』など,好ましくないものを表面に出す表現で多く使われる」

とする(http://gogen-allguide.com/na/nakibesowokaku.html)。

「書く(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456827888.html)で触れたように,「掻く」は「書く」と同源で,

「爪を立て物の表面に食い込ませてひっかいたり,絃に爪の先をひっかけて弾いたりする意。『懸き』と起源的に同一。動作の類似から,後に『書き』の意に用いる」

とあり(『岩波古語辞典』),「懸き」も,

「物の端を対象の一点にくっつけ,そこに食い込ませて,その物の重みを委ねる意。『掻き』と起源的に同一。『掻き』との意味上の分岐に伴って,四段活用から下二段活用『懸け』に移った。既に奈良時代に,四段・下二段の併用がある。」

としている。つまり,「書く」も「掻く」も「懸く」も「掛く」も「舁く」も「かく」で,幅広く動作を表現しており,

「好ましくないものを表面に出す表現」と強いていう必要はなく,「掻く」の,

「手を動かして目につく動作をする」

意から転じて,

「動作などが外に大きく現れる」

意の流れで,「鼾をかく」「恥をかく」と,たとえば「胡坐をかく」という動作になぞらえた表現とみていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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