2019年02月21日

あそぶ


「あそぶ」は,

遊ぶ,

と当てるが,「遊」(漢音ユウ,呉音ユ)の字は,

「会意兼形声。原字には二種あって,一つは,『氵+子』の会意文字で,子供がぶらぶらと水に浮くことを示す。もう一つはその略体を音符とし,吹き流しの旗のかたちを加えた会意兼形声文字(斿)で,子どもが吹き流しのように,ぶらぶら歩きまわることを示す。游はそれを音符とし,水を加えた字。遊は,游の水を辶(足の動作)に入れ替えたもの。定着せずにゆれ動く意を含む」

とあり(『漢字源』),きまったところにむとどまらず,ぶらぶらする,という含意がある。

「あそぶ」は,

「日常的な生活から別の世界に身心を解放し,その中で熱中もしくは陶酔すること。宗教的な諸行事・狩猟・酒宴・音楽・遊楽などについて,広範囲に用いる」(『岩波古語辞典』)

「日常的な生活から心身を解放し,別天地に身をゆだねる意。神事に端を発し,それに伴う音楽・舞踊や遊楽などを含む」(『広辞苑第5版』)

「上代以来,管弦のほか,歌舞,狩猟,宴席などにもいい,本来は祭祀にかかわるものであったか。『日常性などの基準からの遊離』が原義か」(『日本語源大辞典』)

等々とあるが,

神遊び,つまり神楽を演じる(『岩波古語辞典』),
かぐらをする,転じて音楽を奏する(『広辞苑第5版』),

と,どうやら「あそぶ」は「遊」とは異なり,神事に由来する。「神遊び」という言葉があり,「あそび」は,

「神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事やそれに付随する芸能全体をさしていたと考えられる。その後平安時代にはやや限定的に楽舞を演じて楽しむことを意味し,『御遊 (ぎょゆう) 』ともいわれた。当時の宮廷社会には,定められた年中行事や儀式とは別に,『あそび』と称する響宴があり,そのありさまは『源氏物語』や『栄華物語』などの平安文学に叙述されている。なお,最も狭義には管絃の合奏をさす。」

とある(『ブリタニカ国際大百科事典』)。「あそび」の変化は,『大言海』の取り上げ方でよく分かる。『大言海』は,四項挙げ,いわゆる,

遊,
游,

の字を当てる,

己が楽しと思ふ事をして,心をやる,

という「あそぶ」(「あすぶ」)の他に,

漢籍訓(かんせきよみ)の語,遊(ゆう)の訓読,

として,遊学(イウガク 故郷を去り,他方に出でて,学問をすること)というような,

学術を学ぶ,

意の「あそぶ」を立てている。「遊ぶ」にある学術を学ぶのは,漢語由来らしい。この二つは,「遊」「游」の字を当てる。残りは,ひとつは,

神楽,

と当てて,

「喪葬の時にするは,天岩戸の故事の遺風にて,死者の,奏楽をめでてかへりたる事もやと,悲しみの余にするわざなりと云ふ」

とし,

神楽(かみあそび)す,神楽をす,

の意味とする。いまひとつは,

奏楽,

と当てて,

遊ぶより移る,楽は,遊ぶことの中に,最も面白きものなれば,特に云ふなりといふ」

とし,

絲竹の遊びをす,

の意を載せる。「絲竹」は,「絲竹(シチク)」の訓読で,

「絲は琴・琵琶などの弦楽器。竹は笙・笛などの管楽器」

で(『岩波古語辞典』),

楽器の総称,

である。「あそび」は,

神楽(かみあそび)→神楽(あそび)→奏楽(あそび)→遊び,

と転じてきたことになる。しかし,「あそぶ」は,そもそも天照大御神が,思ず,顔をのぞかせたり,死者が帰ってきたいと思ったりするほど,楽しいことであるのに違いはない。神事由来だが,天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし,神憑りして胸をさらけ出し,裳の紐を陰部までおし下げて踊ったことに淵源するように,厳かさよりは,底抜けの楽しさがある気配である。

となると,語源は,

足+ぶ(動詞化)(日本語源広辞典)
アシ(足)の轉呼アソをバ行に活用したもの(日本古語大辞典=松岡静雄),

辺りなのではないか。

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(岩戸神楽ノ起顕(三代豊国) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8より)


やはり,

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」

という『梁塵秘抄』の歌は,やはり「あそび」の本質を衝いているようである。+

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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2019年02月22日

もさ


「もさ」は,

猛者,

と当てる。というより,「猛者」の訓み,

まうさ,

の略轉とある(大言海)ので,「もさ」は,

猛者,

の訓みの転訛ということになる。つまり,

まうじゃ→まうさ→もさ,

という転訛したものらしい。

「猛」(漢音モウ,呉音ミョウ)の字は,

「会意兼形声。孟は『子+皿(ふたをしたさら)』の会意文字で,ふたをして押さえたのをはねのけて,どんどん成長することを示す。猛は『犬+音符孟』で,尾さえをきかずにいきなり立って出る犬。激しく外へ発散しようとする勢いを意味する」

とあり(『漢字源』),

猛虎,
猛犬,
猛士,
猛獣,

など,「たけだけしい」とか「はげしい」意であるが,

「猛者と書いて〈もさ〉と読みならわしているが,〈もうざ〉が略転したものとみられている。猛者(もうざ)の語は平安時代も後期に入ってからしだいに普及したようで,勇猛果敢な人,威徳のある人,有能な活動家,富裕な人などの意味で使われた。いわば〈男の中の男〉と同様の意味で,男性に対する美称の一つであった。特別の技能をそなえた勇者という点では新興の武士階級の〈名ある武者(むしや)〉をさすし,これに威徳・富裕ということもあわせみると,武力に富んで各地で威勢を張っていた〈富豪の輩(やから∥ともがら)〉が〈猛者〉像の中心をなしたのがわかる。」

とあり(『世界大百科事典 第2版』),どうも,単なる猛々しさ,

暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也

と孔子のいう,

暴虎馮河,

の類とはちょっと意味が違うようである。

『日本語源広辞典』は,

「猛者は,,近世語で日本人の造語かと考えます。杉本つとむ氏の,江戸方言の「もさ言葉」を語源とする説は,疑問です」

とする。「もさ詞」とは,

「終始語『もさ』を用いる方言」

とあり(『江戸語大辞典』),

文末にあって親愛の気持ちを表し,

「朝比奈だァもさ,一ばんとまつてくんさるなら,かたじけ茄子(なすび)の鴫焼だァもさのだぐひ猶あるべし,これをもさ詞といふ説うけがたし」(文化十四年・大手世界楽屋探)

の用例が載る。

「『歌舞妓年代記‐元祿元年』によると、中村伝九郎という役者が元祿年間(一六八八‐一七〇四)に朝比奈の役をつとめるにあたり、乳母の常陸弁をまねて『性はりな子だアもさア、いふことをお聞きやりもふさねへと、ちいちいに喰(かま)せるよ』と初めて歌舞伎の台詞の中に取り入れ、これが評判となって後に奴詞として定着したという。」

とある(『精選版 日本国語大辞典』)。

「申さん」の音変化か,

とされるが, その「もさ」が名詞化して,

「関東人をあざけっていう語。転じて,いなかもの」

というらしい。

「ヤイもさめ,この女郎こっちへ貰ふ」(女殺油地獄)

どう考えても,この「もさ」が,

猛者,

に転じるとは思えない。「もさ」は江戸期,「猛者」は平安で,由来を異にする。

むしろ「もさ」が,

盗人・てきや仲間の隠語として,

掏摸スル者ノコトヲ云フ,

とあり(『隠語大辞典』),その意味が,

「モサ(腹)立った俺は、矢萩のかわりにこの四・五・六を殺したくなった」(高見順)

という「腹をいう」意味で,いやな感じを指し,更に,

「俺のことか。モサナシ(度胸がない)とは俺のことか」(仝上),

と,度胸をいったりと隠語的に使われるのは,「奴詞」として普及した「もさ詞」の成れの果てである可能性は高い。そこから,「もさ」が,

懐中物ノコトヲ云フ,

に転じても,驚かない(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評
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ラベル:猛者 もさ
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2019年02月23日

太刀


かたな(http://ppnetwork.seesaa.net/article/450320366.html?1549439317)については既に触れたが,「太刀(たち)」は,

「太刀(たち)とは、日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するものを指す。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80

で,腰に佩くものを指す。腰に差すのは,

打刀(うちがたな),

と言われ,

「打刀は、主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀剣である。」

とされる(仝上)。

「馬上では薙刀などの長物より扱いやすいため、南北朝期~室町期(戦国期除く)には騎馬武者(打物騎兵)の主力武器としても利用された」

らしいが,騎馬での戦いでは,

打撃効果,

が重視され,「斬る物」より「打つ物」であったという。そして,腰に佩く形式は地上での移動に邪魔なため,戦国時代には打刀にとって代わられた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80)。

打刀(うちがたな),

は,

「反りは『京反り』といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている。」

といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80),やはり,これも,

「太刀と短刀の中間の様式を持つ刀剣であり、太刀と同じく『打つ』という機能を持った斬撃主体の刀剣である」

という(仝上)。ちなみに,

「通常 30cmまでの刀を短刀,それ以上 60cmまでを脇差,60cm以上のものを打刀または太刀と呼ぶ。打刀は刃を上に向けて腰に差し,太刀は刃を下に向けて腰に吊る。室町時代中期以降,太刀は実戦に用いられることが少い。」(ブリタニカ国際大百科事典)

とあり,「太刀」と「打刀」の区別は,例外があるが,「茎(なかご)」(刀剣の、柄つかの内部に入る部分)の銘の位置で見分ける。佩いた太刀の場合,名は,外側に位置する。

さて,その「太刀」は,何を見ても,

「『断ち』の義」

とあり,『広辞苑第5版』には,こうある。

「人などを断ち切るのに用いる細長い刃物。古くは直刀を『大刀』と表記し,平安時代以後のものを『太刀』と書く。儀仗・軍陣に用い,刄を下向きにして腰に帯びるのを例とする」

すでに,実戦向きではない。

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(太刀 備前長船祐定 付 青貝螺鈿太刀拵 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80より)


『岩波古語辞典』は,「断ち」は,

「タエ(絶)の他動詞形」

とあるが,「たえ(絶)」をみると,

「タチ(絶)の自動詞形。細く長くつづいている活動とか物とかが,中途でぷっつり切れる意。類義語ヤミ(止)は,盛んな活動や関係が急に衰えて終りとなる意。ツキ(尽)は,力が消耗しきる意」

とあり,意味はクリアになるが語源は循環している。『日本語源広辞典』は,

断つ,
絶つ,
裁つ,

は,

「タツ・タチ(切り離す)」

とするが,なぜ,「たつ」が切り離すのかが説明できていない。『日本語の語源』は音韻変化から,

「上代,刀剣の総称はタチ(断ち,太刀)で,タチカフ(太刀交ふ)は,『チ』の母韻交替[ia]でタタカフ(戦ふ)になった。〈一つ松,人にありせばタチ佩けましを〉(記・歌謡)。平安時代以後は,儀礼用,または,戦争用の大きな刀をタチ(太刀)といった。
 ちなみに,人馬を薙ぎ払うナギガタナ(薙ぎ刀)は,『カ』を落としてナギタナになり,転位してナギナタ(薙刀・長刀)に転化した。」

とする。「断ち」の語源は,これではわからない。『日本語源大辞典』は,

力を用いて切る音から(国語の語根とその分類=大島正健),
タツ(立)の義,刀の刄が入りたつ意から(名言通),
ヘダツ(隔)の義(言元梯),

等々が載る。「たつ」は,もともと漢字が無ければ,

立つ
も,
絶つ
も,
経つ
も,
建つ
も,
発つ
も,
断つ

も,みな「たつ」である。「立つ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/399481193.html?1549499218)は,既に触れたように,「立つ」は,の語源は,

「タテにする」
「地上にタツ」

らしい。「裁つ」「絶つ」「断つ」は,それとは別系統とされる。で,「かたな」の項では,

タチ切ル,

のタチから来ている,とした。その「タチ」は,臆説かもしれないが,

力を用いて切る音,

に関わらせるなら,「叩き斬る」の「叩く」なのではないか。太刀は,斬るのでは,「打つ」物であったのだから。

叩き斬る,

は,促音化すると,

たたっきる,

となる。

参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:太刀 たち かたな
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2019年02月24日

こうもり


「こうもり」は,

蝙蝠,

とあてる。「蝙蝠」(ヘンプク)は,中国語そのものである。「蝠」(ふく)の字が「福」に通じるので中国では縁起が良いものとされている(『漢字源』)とか。

「古代中国では漢字で『蝙hen、蝠fuku、蝙蝠hen-puku、服翼fuku-yoku(以上の4語は『説文解字』A.D.100年許慎編纂)、伏翼fuku-yoku(『神農本草経』漢時代(B.C206-A.D220)編者不明)と書き、『蝙蝠』は唐代の長安地方の発音である『漢音』で、『ヘンプク』と発音した。その字義は『蝙』が『(扁)は平たい、(虫)は動物』、『蝠』が『へばり付く動物』の義で、『飛ぶ姿が平たく見え、物にへばりつく生態から』の当て字。『伏翼』は『昼伏し(休憩し)翼あるものの義』である。蝙蝠は古代中国で本草(薬物)の一つとして用いられており、現存する中国最古の薬物書である『神農本草経』に『伏翼』としてその名がある。『時珍(1518-1593)』編纂の『本草綱目(1596年刊)』には、『伏翼は形が鼠に似て灰黒色だ。薄い肉翅niku-shiがあり、四足、及び尾を連合して一hitotsuのようになっている。夏は出て冬は蟄し、日中は伏して夜間に飛び、蚊ka、蚋buyoを食物とし』とある。薬効として、『 目瞑癢痛ku-mei-you-tsuu』目を明にし、夜間物を視るに精光あらしめる。久しく服すれば人をして熹樂ki-rakuし、媚好bi-kouし、憂無urei-naからしめるとある。』

とか(http://www.yasei.com/koumori.html)。中国では蝙蝠も食した。

和語「こうもり」は,どうやら,古形は,

「かはほり(かはぼり、加波保利)」,

らしいが,

カハホリ(カハボリ)→カワボリ→カワブリ→カワモリ→カウモリ→コーモリ→コウモリ,

と変化してきたものらしい(『日本語源大辞典』)。こうある。

「古形のカハホリから現在のコウモリに至るまでの語形がさまざまに変化した。中古の文献では『カハホリ』の例が多いが,実際の発音はカハボリであった可能性が高い。その後,音韻の変化により,中古から中世にかけて,ハ行転呼によるカワボリ,オ段とウ段の交替によるカワブリ,バ行からマ行への変化によるカワモリ,カワ→カウの変化によるカウボリ,カウブリ,カウモリなどの変化が生じ,語形が揺れた。全体的には,中世にはカハホリよりもカウモリが多く行われるようになり,カワモリが普通語,カハホリは文章語という使い分けも行われた。中世から近世にかけては,カウモリからコーモリへと発音が変化し,近世には完全にコーモリとなったが,仮名遣いの規範意識によって,表記は『カウモリ』のものがほとんどである。近代に入って,カハホリは使われなくなり,コウモリのみが残って現在に至った。ただし,方言では様々な形がのこっている」

と。『日本語の語源』は,音韻変化については少し異説である。

「コウモリ(蝙蝠)の別名を畿内ではカクイドリ(蚊食鳥)といった。平安時代にはカワホリといった。(中略)蚊食鳥の名が示すとおり,コウモリの古名はカハフリ(蚊屠り)カハホリ・カワホリ・カワボリ・カワモリ・コウモリを経てコウモリ(蝙蝠)となった」

つまり,

カハフリ→カハホリ→カワホリ→カワボリ→カワモリ→コウモリ,

と転じたと,原初は,「蚊食鳥」の別名,

蚊屠り,

とする。

「『みなごろしにする』という意のホフル(屠る)は,古くは,ハフル(和名抄)」

というところからとする。と考えると,『日本語源広辞典』の,

「川+守り」

は,音韻変化の途中の「カワモリ」からの解釈に過ぎず,

「川辺の洞窟などにいて,川を守るものとみた」

というのは牽強付会となる。『岩波古語辞典』の「かはぼり」を,

川守の意,

も,『大言海』の「かはほり」を,

「川守(かはもり)の轉(守 (まぼ) る,まもる。『扇をかはもり』(壒囊抄))。井守(ゐもり),屋守(守宮 やもり)の例なり。河原の石間,橋下などに棲めば名とす。静岡にてカウブリという」

も,やはり音韻からみて,妥当とはいえない。

「平安時代はカハホリ(加波保利)と呼んでいたらしい。俳句の世界では過去形ではないが。
 かはほりや むかひの女房 こちを見る 蕪村
畿内ではカハボリと濁音化させたりしたようだ。それを考えると、語源をカワモリ(川守)と考えるのは一寸無理がありそう。イモリ(井守)、ヤモリ(家守)があるから、川守にしたくなる気持ちはわかるが。」

という(http://www.randdmanagement.com/c_japan/ja_108.htm)とおりである。

800px-Bats_in_Chinese_art_(Featured).JPG

(中国の伝統的な装飾におけるコウモリの図案 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%A2%E3%83%AAより)


「日本では蚊食鳥(カクイドリ)とも呼ばれ、かわほりの呼称とともに夏の季語である。蚊を食すため、その排泄物には難消化物の蚊の目玉が多く含まれており、それを使った料理が中国に存在するとされる。
『強者がいない場所でのみ幅を利かせる弱者』の意で、『鳥無き里の蝙蝠』という諺がある。また、織田信長はこれをもじって、四国を統一した土佐の大名、長宗我部元親を『鳥無き島の蝙蝠』と呼んだ。この『鳥無き島の蝙蝠』のフレーズは、古くは『未木和歌抄』巻第二十七に平安末期の歌人和泉式部の歌に『人も無く 鳥も無からん 島にては このカハホリ(蝙蝠)も 君をたづねん』とあり、鎌倉期の『沙石集』巻六にも『鳥無き島のカハホリにて』とあることから、少なくとも12世紀には記されていたものとわかる。」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%A2%E3%83%AA),

蚊屠り,

説(『日本語の語源』)が注目され,似たものに,

蚊を好むところから,カ(蚊)をホリ(欲)する義(日本釈名),
カモリ(蚊守)の義(柴門和語類集),
カ(蚊)ヲ-ホリの轉(和句解・滑稽雑誌所引和訓義解),
カハメリ(蚊食)の義(言元梯),

等々があるし,

「和語としては、1713年頃に寺島良安が編んだ江戸時代の百科事典ともいえる『和漢三才図会』に、<和名、加波保利(カハホリ)、今、加宇毛利(カウモリ)と云>とあり、当時既に方言は別として、二つの発音が流通していたといえよう。『コウモリ』の語源は岸田久吉氏(1924年)によると、『カハホリ』は『蚊(カ)、屠(ホフリ)』で、これが『カハホリ』と転じ、さらに転じて、『コウモリ』になったと、新井白石著(1719年)の「東雅」にあるという。」

も(http://www.yasei.com/koumori.html),

蚊屠り,

説だが(『東雅』の説はいつも当てにならないが),『語源由来辞典』は,

「『カハボリ』の『カハ』が『皮』のアクセントと一致することから,『蚊』に由来する説も難しい」

とし(http://gogen-allguide.com/ko/koumori.html),

「『皮(かは)』と『ほり』からなり,『ほり』は『張り』か『振り』が転じたもので,翼としている薄い皮膜に由来するものと考えられる」

と,自説を立てる。「皮」説は,

カハハリ(皮張)の轉(名語記・名言通),
カハハトリ(皮羽鳥)の義(和訓栞・日本語原学=林甕臣),

等々ある。しかし音韻ではなく,アクセントというのでは,「蚊食鳥」と呼び慣わしてきた流れを否定する根拠としては弱くはないだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:こうもり 蝙蝠
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2019年02月25日

から


「から」は,

うから,
やから,
ともがら,
はらから,

の「から」で,

族,
柄,

とあてる。『岩波古語辞典』には,

「満州語・蒙古語のkala,xala(族)と同系の語。上代では『はらから』『やから』など複合した例が多いが,血筋・素性という意味から発して,抽象てきん出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転」

とあり,

「この語は現在も満州族。蒙古族では社会生活上の重要な概念であるが,日本の古代社会には,ウヂ(氏)よりも一層古く入ったらしく,奈良時代以後,ウヂほどには社会組織の上で重要な役割を果たしていない。なお朝鮮語ではkyöröi(族)の形になっている」

とある。助詞「から」についても,

「語源は名詞『から』と考えられる。『国から』『山から』『川から』『神から』などの『から』である。この『から』は,国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに,それらの社会的な格をも意味する。『やから』『はらから』なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から,自然のつながり,自然の成り行きの意に発展し,そこから,原因・理由を表し,動作の出発点・経由地,動作の直接続く意,ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意,手段の意を表すに至ったと思われる」

とする。『大言海』は,「から」に,

自・従,

と当てて,

「間(から)の轉用」

とするが,『広辞苑第5版』も,

「万葉集に助詞『が』『の』に付いた例があり,語源は体言と推定でき,『うから』『やから』『はらから』などの『から』と同源とも。『国柄』『人柄』の『柄(から)』と同源とも」

とする。「柄」が「族」と同源なら,元は一つということになる。『日本語源広辞典』も,

「『うから,はらから,やから』と同源で,『血の繋がり』から転じた語です。転じて自然の繋がりを意味し,原因理由を示す接続助詞になった語です」

とする。

この「から」の由来は,諸説あり,

ツングース所族にける外婚的父系同族組織のハラ(xala)の系統をひくもの(日本民族の起源=岡正雄),
一族を意味する満州族のハラ(hara),ツングースのピラル,クマル,興安嶺方言のカラ(kala),オロチ,ゴルジ,ソロンの方言のハラ(xala)と同じ起源(日本語の起源=大野晋),
カラ(体),また,コラ(子等)の転義(大言海),
「系」の字音カに,ラ行を添えたもの(日本語原学=与謝野寛),

などの中で,「から(族)」について,

子等(こら)の轉(大御田子等(オホミタコラ),オホミタカラ),子族(みより),

記すのが,一番気になる。音は,ツングース系かもしれないが,僕には,和語の文脈依存性からみて,もっと身近なところから意味が由来している,と思うからだ。『大言海』は,「みより」(身寄)に,

うから,

の意を載せる。「うから」は,

親族,

と当てる。

「奈良時代はウガラ。カラは血族集団の意」

とする。『大言海』は,

「生族(うみから)の略。子孫(うみのこ)の意(うみぢ,うぢ(氏)。ヤカラは家族(やから)なり)」

とする。これにも,大言海説以外に,諸説ある。

ウムカラ(生属)の義(和訓栞),
ウマレカラ(生族)の意か(古事記伝),
ウカラ(生幹)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ウは生,カラは自・間の意(東雅),
ウジカラ(氏族)の義(言元梯・名言通・俗語考),
内族の義(日本語源=賀茂百樹),
ウは大,カラは幹で,幹の意から団体の義に転用(日本古語大辞典=松岡静雄),
『嫗系』(U-Ka)にラ行を゜添えたもの。ウカラの原義は同じ母系の子(日本語原学=与謝野寛),

等々。やはり「うむ(生・産)」と関わるとみていい。「うむ」は,

「生を訓みて宇牟(うむ)と云ふ」

とあり(古事記),「うむ」の語源は,

「子を生む時に発するうなり声から出た語(国語溯原=大矢徹・日本語原学=林甕臣・国語の語根とその分類=大島正健),
「ウの音は最も発音しやすい音であるため。自然に行われる動作について,ウの音を語根とした」(俗語考),

と,どうも生まれるときの声なのではないかと推定される。「うから」はその声を同じくするものの意ではあるまいか。

ついでに,「ともがら」「やから」をみると,

「『うがら』は血族を指すが,『やから』は語構成からみてそれより広い範囲の同族を指はたらしい。その分『ともがら』に近く,そこから見下した語感が生じた」

とある(『日本語源大辞典』)。

はらから→うから→やから→ともがら,

といった意味の広がりではあるまいか。「はらから」は,広く同胞の意味で使われるが,

同じ母親から生れた兄弟姉妹,

を指す。『大言海』は,

同胞,

とともに,

同母,

とも当てる。

腹続(はらから)の義,

とする。「ともがら」は,

輩,
儕,
儔,
徒,
儻,

等々と当てる。『大言海』は,

伴族の義,

とする。

友族(俚言集覧・菊池俗語考・日本語源=賀茂百樹),

なども同じである。「やから」は,

族,
輩,

と当て,

ヤは家,

とある(『岩波古語辞典』)。

一族,

の意である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2019年02月26日

あさまし


「あさまし」は,

浅まし,

と当てる。口語では,

浅ましい,

である。

「動詞アサムの形容詞形。意外なことに驚く意で,良いことにも悪いことにも用いる」

とある(『広辞苑第5版』)が,今日では,

なさけない,
見苦しい,
さもしい,
みっともない,

という含意で使うことが多い。意味の流れは,

意外である,驚くべきさまである(「思はずにあさましくて」),

(あきれるほどに)甚だしい(「あさましく恐ろし」),

興ざめである,あまりのことにあきれる(「つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり」),

なさけない,みじめである,見苦しい(「あさましく老いさらぼひて」),

さもしい,こころがいやしい(「根性が浅ましい」),

(あさましくなるの形で)亡くなる(「つひにいとあさましくならせ給ひぬ」),

と,驚くべき状態の状態表現から,その状態への価値表現へと転じたように見える。しかし,「あさまし」は,

「見下げる意の動詞アサムの形容詞形。あまりのことにあきれ,嫌悪し不快になる気持。転じて,驚くようなすばらしさにいい,副詞的には甚だしいという程度をあらわす」

とある(『岩波古語辞典』)ので,もともと,価値表現であった「あさむ」が,形容詞になって,状態表現へと転じ,再び,価値表現へとシフトしたということになる。

しかし『大言海』は,「あさまし」に,

驚歎,

と当て,

「元来,浅しと云ふ意の語なり,万葉集十四『遠江,引佐細江(イナサホソエ)の澪標(ミヲツクシ)(深きものに云ふ)我れを頼みて,安佐麻之(あさまし)ものを』(心の浅きを云ふ,空(むな)し車,悪し様などの用法なり)」

とする。「あさし」は,

浅し,

と当て,

「アは発語,ア狭しの義」

とあり(『大言海』),『岩波古語辞典』には,

「『深し』の対。アセ(褪)と同根。深さが少ない,薄い,低いの意」

とあり,当然予想されるように,浅いは,状態表現から,容易に価値表現へと転じ,

未熟,
地位が低い,
趣きがせ薄い,

という意味に轉ずる。だから,その動詞化,「あさむ(浅)」は,

人の行動を,浅い,情けないと見下げる,
あまりの出来事にあきれる,

という意になる。『大言海』になると「あさむ」は,

驚歎,

と当て,

あざむ,

と濁り,

「浅を活用シテ,アザムと云ふなり,あきれかえるに因りて濁る(淡い,あばむといふと同趣なり)。此語の未然形のアサマを形容詞に活用させてアサマシと云ふ(傷む,いたまし)。即ちアサマシク子なり,あざ笑ふもアザミ笑ふなり」

とするので,元々「あさまし」には,蔑み,見下す価値表現があることになる。

『日本語源広辞典』の,

「浅む(意外で驚く)の未然形+しい(形容詞)」

は,間違いではないが,そこに見下す含意があったことにふれなくては不十分ではあるまいか。

浅(あさ)を動詞化したアサムから生まれた形容詞,

ではなく,

アザム,

と濁った(『大言海』)ところから考えないと,「あさまし」の意味の幅は見えてこない気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:浅まし あさまし
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2019年02月27日

ゆうまぐれ


「ゆうまぐれ」は,

夕間暮れ,

と当てる。

「『まぐれ』は目暗れ」の意」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』も,

「目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか」

とし,『岩波古語辞典』も,

「目昏れの意」

とする。つまり,この「まぐれ」は,

目暗(昏)れ,

の意である。「昏」(コン)の字は,

「会意兼形声。民は,目を↑型の針でつぶしたさまを示す。目が見えず暗い意を含む。昏は『目+音符民』。物が見えないくらい夜のこと。のち,唐の太宗李世民が自分の名の民を含んでいるために,その字体を『氏+日』に代えさせた」

とあり(『漢字源』),暗につながる。「暗」(漢音アン,呉音オン)の字は,

「会意兼形声。音は,言の字の口に・印を加えた会意文字で,ものをいう口の中に何かを含んでくちごもるさま。諳(くちごもって明白に発音せず,頭の中で覚える)のものになる字。暗は『日+音符音』で,中に閉じこもって日光のささないこと」

とあり(仝上),闇につながる。この「まぐれ」は,

眩れ,

とあてる。

目が眩む,
眩暈,

意である。この「まぐれ」は,「まぐれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455971650.html)で触れたように,

紛れ,

と当てる「まぐれ」,

物の中に入り混じって目立たないようになる,しのび隠れる,
弁別できなくなる,
あれこれと事が多くて忙しい,
筋道が分からなくなる,
他の物事に心が移る,

という意味の「まぐれ」とつながる気がする。しかし,『大言海』は,

「目霧(まぎ)るの転訛と云ふ」

とし,他も,

目霧の義か(和訓栞),
メガヒアルル(目交荒)の義(日本語原学=林甕臣),
ミキレル(見切)の義(名言通),
マキル(間切)の義(言元梯・国語の語幹とその分類=大島正健)
マは間,ギは限を極めない意,マギルはマギ入の約(国語本義),

諸説,「紛れ」と「眩れ」は別とする。しかし,「眩れ」の語源,

マは目の義,クルはクラムの約,また暮れの義(名語記),
マグレ(目暗れ)ルの義(松屋筆記),
目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか(大言海),

と比べた見たとき,

眩しさ,

紛れる,

との差は,はっきりしない。「紛れ」を,

「『眼前に霧がかかる』という意のマギル(目霧る)は『区別しがたい』意のマギル(紛る)・マギレル(紛れる)・マギレ(紛れ)になったが,それぞれマグル・マグレル・マグレに転音した。マグレアタリ(紛れ当たり)」

といい(『日本語の語源』),「眩れ」を,

「『目を離さないでじっと見つめる』ことをメモル(目守る)といったのがマモル(守る)になった。『目くらむ,めまいを感じる』意のメクル(目眩る)はマクル(眩る)になった。」

とする(仝上)。一方は,眩しくて,「まぐれ(眩る)」,他方は,物の形が定かならなくて,「まぐれ(紛れ)」,いずれも,定かに物の区別がつかない状態であることに変りはない。

少なくとも,「ゆうまぐれ」の「まぐれ」は,

眩れ,

というより,

紛れ,

に思える。前にも触れたが,一方は,眩しさで,「まぐれ(眩れ)」,他方は,ぼんやりと「まぐれ(紛れ)」まったく区別をつけたのは,「眩」と「紛」の漢字ではなかったのか。光りが眩しくて弁別が付かないのか,影と陰の区別がつかずぼんやりとしていて弁別が付かないのかの区別はなく,いずれも,

まぐれ,

だったのではあるまいか。もともとは,

まぎれ,

だったのではないか。「眩」と「紛」を当てはめることで,光の眩しさと,夕暮れの眩しさとが,区別された。「夕間暮れ」ににつて,

「『まぐれ』は目暗れの意」(『広辞苑』)
「マグレはマ(目)クレ(暗)の意」(『岩波古語辞典』)
「マグレは目暗(まぐ)れにて,目のくれふたがりて物の見えぬ比を云ふ」(『大言海』)

とあるのは,「眩れ」よりも「紛れ」の「まぐれ」に思えてならない。

なお,逢魔が時(http://ppnetwork.seesaa.net/article/433587603.html)については,すでに触れた。

00378.jpg

(広重「東海道五十三次」沼津・黄昏 http://chisoku.jp/collection/au-0014/i00378/より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年02月28日

くれなずむ


「くれなずむ」は,

暮れ泥む,

と当てる。

日が暮れそうでなかなか暮れないでいる,

意味である。

「日没どき、日が暮れかけてから暗くなるまでの間の様子。『暮れ泥む』と書く。多くは春の夕暮れを表す。『泥む』とは物事が停滞すること」

とある(『実用日本語表現辞典』)ので,

まだ,日は暮れていない,

状態を示している。だから,

「こちらはもうすっかり暮れなずんでおります」

という使い方はしない(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/078.html),という。

「暮れ」は,

「クラシ(暗)と同根」

とある(『岩波古語辞典』)。『岩波古語辞典』は,「くれ」に,

眩れ,
暗れ,
暮れ,

を当て,いずれも,「暗くなる」意としている。

『日本語源大辞典』は,「くれ」の諸説を,

クロ(黒)の義(日本釈名),
クラ(暗・昏)の義(東雅・言元梯・名言通),
日没のあとをいうことから,クラはクラキ,レはカクレか(和句解),

と,大勢は「暗い」とつなげている。

「なず(づ)む」は,既に触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.html?1549927590)ように,

泥む,
あるいは
滞む,

と当てる。

行きなやむ,はかばかしく進まない,滞る,
離れずに絡み付く,
悩み苦しむ,気分が晴れない,
拘泥する,こだわる,
かかずらわって,そのことに苦心する,
執着する,思いつめる,惚れる,
なじむ。なれ親しむ,

あるいは,

植物がしおれる。生気がなくなる,

という意味になる。『日本語源大辞典』は,

「原義は人や馬が前へ進もうとしても,障害となるものがあって,なかなか進めないでいる意で,主に歩行の様子等に関して用いたが,平安時代には心理的停滞をも表した。現在では『暮れなずむ』のような複合動詞の中にのみ生きている。『執着する』の意の中から,思いを寄せる意が生じたのは近世で,それとの意味の近さ,また『なじむ』との音の類似から,幕末には『なじむ』意が生じた」

と,意味の変遷をまとめている。今日は,「なずむ」は,

馴染む,

と当てる「なじむ」に取って代わられている気がする。

「なずむ」は,『岩波古語辞典』には,

「ナヅサヒと同根。水・雪・草などに足腰を取られて,先へ進むのに難渋する意。転じて,ひとつことにかかずらう意」

とあり,「泥む」と当てたのには,意味がある。「ナヅサヒ」は,

水に浸る,漂う,
(水に浸るように)相手に馴れまつわる,

意で,さらに,「ナヅミ」と同根の「なづさはり」という言葉があり,

なじみになる,

という意味が載る。すでに,「なづむ」は「なずさはる」を経て,「なじむ」と重なっているとみていい。

「なずむ」の語源について,『日本語源広辞典』は,

「ナ(慣れ)+ツム(動かず)」

とする。この「つむ」は「詰む」だろう。「水に浸る」意の,「なづさふ」よりは「なずむ」の原義に近い気がする。他には,

ナエシズミ(萎沈)の約(雅言考),
ナエトドム(萎止)の義(名言通),
ナツム(熱積)の義(柴門和語類集),
ナツウム(泥着倦)の義(言元梯),

等々,いずれもピンとこない。「暮れなず(づ)む」の語感に合う語源は,ちょっと見あたらなかった。勝手な臆説を述べるなら,「なじむ」(馴染む)に転じた意からみると,

昼と夜が馴染んでいる,

感覚である。

夜が昼に引っ張られているのか,昼が夜に引っ張られているのか,

というふうな感覚である。

47235.jpg

(井上安治・東京真画名所図解 江戸橋之景 http://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=44566より)


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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