「ところで」は,
所で,
と当てる。
「名詞『ところ』に助詞『で』のついたもの」
である(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』には,「連語」として,
~ほどに,~ゆえに,
で,例えば,
「無いトコロデ進ぜぬ」(ロドリゲス大文典),
の用例が載る。さらに,「接続詞」として,
ところが,然るに,
で,例えば,
こなたへは参り候まいと云ふぞ。トコロデ三度まで行かれたぞ」(蒙求抄)
が載る。接続詞としての使い方は,今もある。多くは,
(別な話題を持ち出す時に使う)時に,それはそれとして,
という使い方が多いのではあるまいか。前者の意味は,『広辞苑第5版』には,
~によって,~ので,
で,たとえば,
「終に持た事が御ざらぬトコロデ持ちやうを存ぜぬほどに」(狂言・鹿狩),
という使い方をする。これだと,「ところ」を,「~の場合の意から転じて,接続詞的に用いる」のに似て,
きっかけになる事柄を示すのに用いる,~すると,
で,たとえば,
「拝見仕候トコロ皆々様には」
「交渉したトコロ承諾した」
と似ており,さらに,「ところで」が,
(~たところでの形で)仮定の事態を述べ,後にそれに反する事態が続くことを述べる語。もし~としても,たとえ~でも,~したからといって,
で,たとえば,
「私が意見したしたトコロデ,彼は耳をかすまい」
という使い方をする。この遣い方は,今もするが,これも,「ところ」で,
(『~どころか』『~どころの』『~どころではない』の形で多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらずもっと進んでいると強調する,
という使い方,たとえば,
「こどもドコロか大人まで」
「びた一文出すところか舌も出さない」
等々の使い方と重なるところがある。
「(形式名詞『ところ』+格助詞『で』から)過去の助動詞「た」の終止形に付く。ある事態が起こっても、何もならないか、または、好ましくない状態をひき起こすことを予想させる意を表す。…しても。…たとしても。『警告を発したところで聞き入れはすまい』『たとえ勝ったところで後味の悪い試合だ』」
とし(『デジタル大辞泉』),
「『ところで』は中世後期以降用いられ、初めは順接の確定条件を表した。『人多い―見失うた』〈虎明狂・二九十八〉。近世後期になって、逆接の確定または仮定条件が生まれた。近代以降は、もっぱら逆接の意にのみ用いられ、『ところが』の領域をも占めるようになった。現代語では、『たとえ』『よし』『よしんば』などの副詞と呼応して用いられることが多い。
とする(『デジタル大辞泉』)。「ところで」は「ところが」と重なるのである。
「ところが」は,
「~したところ(が)」の形で後のことが続くことを示す,順接にも逆接にもなる。~する,~したけれども,
と,
仮定の逆接を表す,たとえ~しても,
の意があり,そのため,接続詞「ところが」は,
然るに,そうであるのに,
という意味になる。「ところで」とほぼ重なるのである。この意味の変化の幅は,もともと,
「ところ(所)」
そのものの用い方の変化に内包されていたのではないか。「ところ」は,
「トコ(床)と同根。ロは接続語。一区画が高く平らになっている場所が原義。イヘツドコロ・オクツキドコロ・ミヤドコロ・ウタマヒドコロなど,髙くなっている区画にいう。転じて,周囲よりも際立っている区域,特に区別すべき箇所の意」
とあり,空間を意味した。それが,地位や貴人を示したが,
話題として取り上げる部分,
場合,
のような抽象的な使い方(「今日のところは大目に見る」というように)に広がり,
更に,漢文訓読で,
「受身を示す助字『所』をそのままトコロと訓んで,受身の意を示す」
使い方から,「ところ」が,
こと(事柄)の意となり,「~の場合が転じて接続詞的」に用いて,
~すると,
~どころか,
~どころではない,
など,
「(多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらず,もっと進んでいると強調する」
使い方となり,「ところで」「ところが」の意味の変化に強い翳を落していると思える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:ところで