2019年02月13日
某
「某」と書いて,
それがし,
なにがし,
くれ,
と訓ませる。「其」(漢音ボウ,呉音ム・モ)の字は,
「会意。『木+甘(口の中に含む)』で,梅の本字。なにがしの意味に用いるのは当て字で,明確でない意を含む」
とあり,
「人・物・時・所など,はっきりわからないときにもちいることば,また,わかっていても,わざとぼかすときに用いることば」
で,まさに,なにがし,それがし,の意で,某日,某所といった使い方をする。
「それがし」は,
「ガシは接尾語,ガは助詞,シは方向を示す語」
で(『岩波古語辞典』),本来,
「名の知れない人・物事を指し,または名をあげずに指す場合に用いる」
ので(『広辞苑第5版』),
誰それ,
の意味で使われる。その意味では,
なにがし,
と同意である。それが転じて,自称,
わたくし,
の意味で使うようになる。
「中世以降の用法。謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。主に武士の一人称として用いる。戦国時代などに多く使われた。」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E)。
男性が少し謙遜して用いる「それがし」は,
「鎌倉時代以後。室町時代以後は(自称)の意のみとなり、(だれそれ)の意には『なにがし』が用いられる。」
という(『学研全訳古語辞典』)。つまり,「それがし」が自称の意に転じて以降は,本来の「だれそれ」の意は,
なにがし,
が受け継ぐことになったようであるが,
「『それがし』が自称にも用いられ始めたのは,『なにがし』の場合よりやや遅い」
とある(『日本語源大辞典』)ので,「なにがし」が自称に用いられるのに引きずられて,「それがし」も「自称」に用いられたのかもしれない。
「なにがし」は,
「ガシは接尾語,事物や人の名を明確に言わずに,おおよそその方をさしていう語」
とある。だから,「それがし」の誰それとはちょっと異なり,
なんとか,なにやら,
と,
「人・事物・場所・方向などで、その名前がわからないとき、また、知っていても省略するとき用いる。」
には違いないが,敢えてぼかす含意が強いように思える(『岩波古語辞典』)。だから,「なにがし」が自称に転じて,
わたし,
の意味になっても,
「男性が自己をへりくだっていう」
含意が強く(『岩波古語辞典』),
「かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。たとえば諸葛亮(諸葛孔明)の出師の表では、皇帝にたてまつる文章であるので『臣亮もうす』という書き出しになっており、四庫全書総目提要は全て皇帝への上奏文であるから『臣ら謹んで案ずるに…編纂官、臣○○。臣☓☓。臣△△…』と自らの名(もしくは姓名)の前に『臣』を付けて名乗っている。かつての日本でもその影響で天皇に対する正式の自称は「臣なにがし」であった。」
(仝上)という使い方がよくわかる。
さて,「それがし」の語源であるが,『大言海』は,
「夫(そ)れが主(ぬし)の約かと云ふ」
とし(『日本語源広辞典』も「ソレガヌシ」とする),「なにがしも」も,
「何が主(ぬし)の約と云ふ」
とする)。『日本語源広辞典』は,
「ナニ(疑問)+カシ(接尾語,ぼかす)」
とするので,同趣旨と見ていい。「なにがし」「それがし」は,似た語源と考えると,『大言海』説に惹かれるが,『岩波古語辞典』の,
それ+接尾語かし,
なに+接尾語かし,
と同趣旨から,音韻変化を辿る『日本語の語源』の説明で見ると,『岩波古語辞典』の,
それ+かし,
なに+かし,
説に軍配を上げたくなる。ただし「かし」の解釈は,両者全く異なるが。
『日本語の語源』は,こう展開している。
「平安初期に成立した終助詞『かし』は『…よ。…ね』と強く念を押し意味を強める作用をする〈深き山里,世離れたる海づらなどに,はひ隠れぬカシ(コッソリ隠れてしまうのですよ)〉(源氏・帚木)。
人・物事・場所などの名がはっきりしないか,または,わざとぼかしていうとき,不定代名詞のナニ(何),ダレ(誰),指示代名詞のソレ(其),コレ(此),カレ(彼)に,終助詞をつけて強めたため,多くの不定呼称が成立した。
『ナニ(何)・ソレ(其)』を強めたナニカシ・ソレカシは有声化してナニガシ(某)・ソレガシ(某)になった。〈富士の山,ナニガシの岳など,語り聞ゆるもあり〉(源氏・若紫)。〈帯刀の長ソレガシなどいふ人,使ひにて,夜に入りてものしたり〉(蜉蝣日記)。
不定呼称のナニガシ・ソレガシは,ともに『わたくし。拙者』という自称代名詞(謙意をふくむ)の語義をはせいした。〈ナニガシに隠さるべきことにもあらず〉(源氏・夕霧)。〈ソレガシの烏帽子が剥げてあったが何とした物であらうぞ〉(狂言・烏帽子折)。
ナニガシには数のほからないときにいう『いくら。若干』の意味も生まれた。
ナニガシ・ソレガシの両語は平安中期に成立し,『源氏物語』から使用頻度がにわかに増大した」
なお,和語の一人称は,様々,膨大なバリエーションがあるが,その詳細は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E
に詳しい。
某,
を,「くれ」と訓むのは,
是れの轉(此者(こは),くは。此奴(こやつ),くやつ),
とあり(『大言海』),
何某(なにくれ),
と,
「何と云ふ語と幷べて用ゐて,その名を知らぬ人,又は其と定めぬに代えて云ふ」
とある(『大言海』)ので,「なにがし」と意味が重なる。「何某」と書くと,
なにくれ,
か
なにがし,
か,
その区別は,文脈に依るが,
「何の御子,くれの源氏と数たたまひて」(源氏物語)
「御隠身共もありし,何がし,くれがしと数へしは」(枕草子)
と,はっきり分かる形で用いられるようである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95