2019年02月26日
あさまし
「あさまし」は,
浅まし,
と当てる。口語では,
浅ましい,
である。
「動詞アサムの形容詞形。意外なことに驚く意で,良いことにも悪いことにも用いる」
とある(『広辞苑第5版』)が,今日では,
なさけない,
見苦しい,
さもしい,
みっともない,
という含意で使うことが多い。意味の流れは,
意外である,驚くべきさまである(「思はずにあさましくて」),
↓
(あきれるほどに)甚だしい(「あさましく恐ろし」),
↓
興ざめである,あまりのことにあきれる(「つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり」),
↓
なさけない,みじめである,見苦しい(「あさましく老いさらぼひて」),
↓
さもしい,こころがいやしい(「根性が浅ましい」),
↓
(あさましくなるの形で)亡くなる(「つひにいとあさましくならせ給ひぬ」),
と,驚くべき状態の状態表現から,その状態への価値表現へと転じたように見える。しかし,「あさまし」は,
「見下げる意の動詞アサムの形容詞形。あまりのことにあきれ,嫌悪し不快になる気持。転じて,驚くようなすばらしさにいい,副詞的には甚だしいという程度をあらわす」
とある(『岩波古語辞典』)ので,もともと,価値表現であった「あさむ」が,形容詞になって,状態表現へと転じ,再び,価値表現へとシフトしたということになる。
しかし『大言海』は,「あさまし」に,
驚歎,
と当て,
「元来,浅しと云ふ意の語なり,万葉集十四『遠江,引佐細江(イナサホソエ)の澪標(ミヲツクシ)(深きものに云ふ)我れを頼みて,安佐麻之(あさまし)ものを』(心の浅きを云ふ,空(むな)し車,悪し様などの用法なり)」
とする。「あさし」は,
浅し,
と当て,
「アは発語,ア狭しの義」
とあり(『大言海』),『岩波古語辞典』には,
「『深し』の対。アセ(褪)と同根。深さが少ない,薄い,低いの意」
とあり,当然予想されるように,浅いは,状態表現から,容易に価値表現へと転じ,
未熟,
地位が低い,
趣きがせ薄い,
という意味に轉ずる。だから,その動詞化,「あさむ(浅)」は,
人の行動を,浅い,情けないと見下げる,
あまりの出来事にあきれる,
という意になる。『大言海』になると「あさむ」は,
驚歎,
と当て,
あざむ,
と濁り,
「浅を活用シテ,アザムと云ふなり,あきれかえるに因りて濁る(淡い,あばむといふと同趣なり)。此語の未然形のアサマを形容詞に活用させてアサマシと云ふ(傷む,いたまし)。即ちアサマシク子なり,あざ笑ふもアザミ笑ふなり」
とするので,元々「あさまし」には,蔑み,見下す価値表現があることになる。
『日本語源広辞典』の,
「浅む(意外で驚く)の未然形+しい(形容詞)」
は,間違いではないが,そこに見下す含意があったことにふれなくては不十分ではあるまいか。
浅(あさ)を動詞化したアサムから生まれた形容詞,
ではなく,
アザム,
と濁った(『大言海』)ところから考えないと,「あさまし」の意味の幅は見えてこない気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95