「くれなずむ」は,
暮れ泥む,
と当てる。
日が暮れそうでなかなか暮れないでいる,
意味である。
「日没どき、日が暮れかけてから暗くなるまでの間の様子。『暮れ泥む』と書く。多くは春の夕暮れを表す。『泥む』とは物事が停滞すること」
とある(『実用日本語表現辞典』)ので,
まだ,日は暮れていない,
状態を示している。だから,
「こちらはもうすっかり暮れなずんでおります」
という使い方はしない(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/078.html),という。
「暮れ」は,
「クラシ(暗)と同根」
とある(『岩波古語辞典』)。『岩波古語辞典』は,「くれ」に,
眩れ,
暗れ,
暮れ,
を当て,いずれも,「暗くなる」意としている。
『日本語源大辞典』は,「くれ」の諸説を,
クロ(黒)の義(日本釈名),
クラ(暗・昏)の義(東雅・言元梯・名言通),
日没のあとをいうことから,クラはクラキ,レはカクレか(和句解),
と,大勢は「暗い」とつなげている。
「なず(づ)む」は,既に触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.html?1549927590)ように,
泥む,
あるいは
滞む,
と当てる。
行きなやむ,はかばかしく進まない,滞る,
離れずに絡み付く,
悩み苦しむ,気分が晴れない,
拘泥する,こだわる,
かかずらわって,そのことに苦心する,
執着する,思いつめる,惚れる,
なじむ。なれ親しむ,
あるいは,
植物がしおれる。生気がなくなる,
という意味になる。『日本語源大辞典』は,
「原義は人や馬が前へ進もうとしても,障害となるものがあって,なかなか進めないでいる意で,主に歩行の様子等に関して用いたが,平安時代には心理的停滞をも表した。現在では『暮れなずむ』のような複合動詞の中にのみ生きている。『執着する』の意の中から,思いを寄せる意が生じたのは近世で,それとの意味の近さ,また『なじむ』との音の類似から,幕末には『なじむ』意が生じた」
と,意味の変遷をまとめている。今日は,「なずむ」は,
馴染む,
と当てる「なじむ」に取って代わられている気がする。
「なずむ」は,『岩波古語辞典』には,
「ナヅサヒと同根。水・雪・草などに足腰を取られて,先へ進むのに難渋する意。転じて,ひとつことにかかずらう意」
とあり,「泥む」と当てたのには,意味がある。「ナヅサヒ」は,
水に浸る,漂う,
(水に浸るように)相手に馴れまつわる,
意で,さらに,「ナヅミ」と同根の「なづさはり」という言葉があり,
なじみになる,
という意味が載る。すでに,「なづむ」は「なずさはる」を経て,「なじむ」と重なっているとみていい。
「なずむ」の語源について,『日本語源広辞典』は,
「ナ(慣れ)+ツム(動かず)」
とする。この「つむ」は「詰む」だろう。「水に浸る」意の,「なづさふ」よりは「なずむ」の原義に近い気がする。他には,
ナエシズミ(萎沈)の約(雅言考),
ナエトドム(萎止)の義(名言通),
ナツム(熱積)の義(柴門和語類集),
ナツウム(泥着倦)の義(言元梯),
等々,いずれもピンとこない。「暮れなず(づ)む」の語感に合う語源は,ちょっと見あたらなかった。勝手な臆説を述べるなら,「なじむ」(馴染む)に転じた意からみると,
昼と夜が馴染んでいる,
感覚である。
夜が昼に引っ張られているのか,昼が夜に引っ張られているのか,
というふうな感覚である。
(井上安治・東京真画名所図解 江戸橋之景 http://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=44566より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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