2019年03月21日

おもねる


「おもねる」は,

阿る,

と当てる。「阿」(ア)の字は,

「会意兼形声。『阜(おか)+音符可(かぎ形に曲がる)』。かぎ型の台地。また,かぎ形に入り込んだ台地」

である(『漢字源』)。「阿諛」の「阿」である。どうやら本来は,

くま,

の意で,

おかのはざま,
山や川の曲がって入り組んだ所,

の意である。「くま」には,

隈,
阿,
曲,

が当てられている。そこから,

原則を曲げてつき従う,
おもねる,へつらう,迎合する,

の意に広がったようですある。

「おもねる」は,

「一説に,『おも』は面,『ねる』は練る,顔を左右に向ける意」

とあり(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』『日本語源広辞典』),

機嫌を取って相手の気に入るようにする,
へつらう,
追従する,

の意が載る。『大言海』は,

「おもへり(顔色)の轉にて,令色,阿容のいならむか」

とし,

他の意に靡きて媚ぶ,

とする。「おもへり」は,

面へり,

と当て,

「オモヒアリの約。心の中の情が面にあらわれる意」

とある(『岩波古語辞典』)。つまり,

顔つき,

の意である。『大言海』は,「おもへり」に,

顔色,

と当て,

「思ふの完了形のおもへりの名詞形(雄略記『神面不變(おもへらひ)』)。思ひ面にあらはるる意」

とし,やはり,

顔色,おももち,

とする。相手の顔色をうかがう意としても,「おもねる」とでは,行為主体と,その対象の表情と視点が違い過ぎる気がする。

大勢は,

面+練る,

だか,「ねる(練)」は,

「糸・布・金属・土・などを柔らかにし,粘り強さを与えるのが原義」

とあり(『岩波古語辞典』),

糸・布などを灰汁で煮て柔らかくする,
こねあわせてつくる,

意があるにしても,少し語呂合わせで,穿ち過ぎる気がする。他には,

おもなる(面馴)の轉(名語記),
オモナレアル(面馴在)の義(日本語原学=林甕臣),
オモヌメル(面滑)の義(名言通),
オモヒネル(思練)の義か(和句解),
オモ(懐)ニ・イル(入)の義(言元梯),

と,いずれも,

オモテ(面),

にこだわっている感じがある。そのながれでいうなら,

顔色をうかがう,

といういみで,

おもへり,

の転訛という説もありうるか,と結論は出ない。それにしても,

おもねる,
へつらう,
こびる,
とりいる,

類語が多い。この違いを,考えるのは,次項に譲る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:おもねる 阿る
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2019年03月22日

へつらう


「へつらう」は,

諂う,
諛う,

と当てる。

人の気に入るように振舞う,媚びる,おもねる,

意である。

「諂」(テン)の字は,

「会意兼形声。臽(カン・タン)は,くぼむ,穴に落すの意をあらわす。諂はそれを音符とし,言を加えた字。わざとへりくだって足いてを穴に落すこと」

とあり(『漢字源』),へつらう,人の気にいるようなことをいってこびる意である。

「諛」(ユ)の字は,

「改憲形声。臾(ユ)は,両手の間から物がくねくねとぬけることを示す会意文字。諛は『言+音符諛(くねくねとすりぬける)』」

とあり(仝上),意味は,へつらうだが,言葉を曲げて相手のすきにつけこむ,とあるので,「諂」より,多少作為が際立つのかもしれない。

『大言海』には,

「謙(へ)りつらふの略。…ほとりへつくやうの略。とかくに君の方によりそひて,心をとらむとする形容より云ふ」

とあり,

利のために,他の心を喜ばせ敬う,

意とある。さらに,「つらふ」において,

拏,

と当てて,

「万葉集『散釣相(サニツラフ)』同『丹頬合(につらふ)』の釣合(つら)ふにて,牽合(つりあ)ふの約(関合(かかりあ)ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり。」

と指摘し,

「争(すま)ふ。かにかくとあつかふ。此語,他語と熟語となりて用ゐらる。『引つらふ』(牽)。『挙げつせふ』(論),『関づらふ』『為(し)つらふ』『詫びつらふ』『言ひづらふ』『謙(へ)つらふ,へつらふ』(諂)などの類あり」

とする。「へ(謙)る」は,

減ると同根,

らしく(『岩波古語辞典』『大言海』),

おのれを卑下す,

つまり,

おのれを削る,

意である。こう見ると,

へつらう,

は,

おのれを引き下げて,相手を持ち上げ,あれこれと言葉と振舞いで「つらひ」て,媚びる,

意となり,同義の,

おもねる,

の,

迎合する,

意に比べると,かなり意図的に自分を下げ,相手を持ち上げている作為が目立つ。

諂う,
諛う,

の字を当てた所以である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「へ(謙)+つらふ」,
説2は,「へ(辺)+つらう(連なる),

『日本語源大辞典』は,これを,

「動詞『へる(謙)』の連用形『へり』に接尾語『つらふ』が結合した説」
「動詞『へつかふ』と語構成が類似し,意味にも共通性がかんじられるところから,『あたり』を意味する『へ(辺)』に『つらふ』が連接したとみる説」

と整理する。しかし「へつかふ」は,

そばにつく,
舟が岸につく,

意である。そこにへりくだる意はない。語呂からの類推に過ぎない気がする。

「『阿る』は『上司に阿る』『権力に阿る』といったように人に対しても見えないものに対しても使いますが、『諂う』は『権力に諂う』といったように見えないものに対しては使いません。『上役に諂う』『リーダーに諂う』と人に対して使います。『諂う』は『人に気に入られるように、自分を必要以上に卑下して振る舞う』と、マイナスな意味が含まれます。『阿る』よりも『諂う』の方が、自尊心の低さや偏屈さが感じられます。」

と比較している(https://eigobu.jp/magazine/omoneru)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2019年03月23日

こびる


「こびる」は,

媚びる,

と当てる。

相手の歓心を買うために,なまめかしい態度をする,
いろっぽくふるまう,

意で,それをメタファに,

相手に迎合しておもねる,へつらう,

意に広がったとみえる。

「媚」(漢音ビ,呉音ミ)の字は,

「会意兼形声。『女+音符眉(ビ 細く美しいまゆ)』で,細やかな女性のしぐさのこと」

とある。だから,

眉目秀麗,

と顔や姿のこまやかで美しいことをいい,

風光明媚,

と風景にそれを転用するが,

閹然媚於世也者是郷原也(閹然として世に媚ぶる者はこれ郷原なり)

と,もともと,

なまめなしさでたぶらかす,諂って人の気を引く,

の意味があるようだ。それを当てた。「こびる(こぶ)」に,媚の字を当てただけの謂れがあるはずである。

『岩波古語辞典』は,語源を載せないが,

相手の気にいるようになまめかしくふるまう,
相手に迎合しておもねる,
成熟する,
大人びる,こまっしゃくれる,
上品ぶる,

と意味の変化を載せる。これをみると,

「動詞の『こびる』は、何か下心があって、対等または下の者が喜ぶよう、褒めたり優遇したりする意に用いる。これに対して『へつらう』は、目上の者に気に入られようとして、お世辞を言ったりする意となる」

とする解釈(大辞林)は,意味が,「迎合しておもねる」に転じて以降の説明でしかない。「媚」の字を当てている意味がこれでは見えない。むしろ,

「『へつらう』『こびる』『おもねる』は、どれも相手に気に入られるように振る舞う意を表わし、非難する意がこめられている。『こびる』は、女性が男性の気をひこうとしてなまめかしく振る舞う意でも用いる。」

との説明のほうが,「媚」を当てた意味が見える。

『大言海』は,「こぶ(媚)」について,

「戀ぶるの約(言ひさかふ,いさかふ。哀ぶ,鄙ぶ)。戀ふる風(ふう)する意。和訓栞,こび『媚を讀めり,戀ぶり也』」

とする,

戀するふりする,

とは言い得て妙,上手過ぎて,ちょっと眉に唾付けたくなる。しかし,『日本語源広辞典』も,

「恋ヒ+ブ(動詞化)」

とし,
人の機嫌を取り,気に入るようにする,

意とする。

コビはコヒ(恋)ブリの義(和訓栞),
彼方よりコヒブ(恋)られんとすること(俚言集覧),
コヒベ(恋方)の義(名言通),
コフル(恋)から出た語(国語の語根とその分類=大島正健),

等々「恋」と絡める説は多い。しかし,「こふ(恋)」は,

「ある,ひとりの異性に気持も身もひかれる意。『君に恋ひ』のように助詞ニをうけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が『恋』を,『異性ヲ求める』ことでなく,『異性ニひかれる』受身のことと見ていたことを示す。平安時代からは『人を恋ふとて』『恋をし恋ひば』のように動詞ヲを受けるのが一般。心の中で相手ヲ求める点に意味の中心が移って行ったために,語法も変わったものと思われる。」

とある(『岩波古語辞典』)。「こふ(乞う・請う)」とは別語源で,「こふ(乞う・請う)」は,

「神仏・主君・親・夫などに対して,人・臣下・子・妻などが祈り,また願って何かを求める意」

とあり,この「こふ」でもない。

「こびる」の語源は,どうやら途切れてしまうようである。もし「こぶ(媚)」が,平安時代以降に始原をもつのなら,「恋」説は,ありえる。『岩波古語辞典』には,「こぶ」の用例が,

「その女,壮(おとこ)にこびなつき」(霊異記),
「いかなる知者かはこびたる形を見て目を悦ばしめざる」(発心集)

が載る。『日本霊異記』は平安前期,『発心集』は鎌倉初期である。恋説の可能性は残る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:こびる 媚びる
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2019年03月24日

ごまをする


「ごまをする」は,

他人におもねりへつらって,自分の利益を計る,

意だが,この語源は,

「昔商人が、お世辞をいいながら売り込むときに、もみ手をしていた。もみ手の様子を、左手をすり鉢、右手をすりこぎに見立ててごますりと称した。」

とする説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114763916)もあるが,

「炒った胡麻をすり鉢ですると、内側に胡麻がくっつくことから、人にべたべたと擦り寄り、へつらう意味に用いられるようになった。おべっかを使う人のことは『胡麻すり』という。」

とする説(http://yain.jp/i/%E8%83%A1%E9%BA%BB%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B)が,大勢のようだ。『大言海』も,

「擂鉢の内にて,炒れる胡麻の子(み)を擂り潰すに,鉢の四方につく,ミソスリに同じ」

とあり,

「あちらにも屬(つ)き,こちらにも屬(つ)き,彼人に諂ひ,此人に諂ふ者を呼ぶ,ウチマタガウヤク」

と載る。

「煎ったゴマをすり鉢 ですり潰すと,あちこちにゴマがくっつくことから,人にへつらう意味で用いられた言葉である。また,商人などの手を揉む仕草がゴマをする姿に似ていることから,その仕草を語源とする説もあるが,あまり有力とされていない。江戸末期の『皇都午睡(こうとごすい)』にもみられ,『追従するをおべっかといひしが,近世,胡麻を摺ると流行詞(はやりことば)に変名しけり』とある」

と,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/gomawosuru.html)も,揉み手説には否定的である。

『江戸語大辞典』によると,天保頃からの流行語とあり,

おべっか,

の意と,

告げ口,密告,

の意が載る。まあ,密告とは,権力者への諂いなので,あり得る意味と思う。

「種々(さまざま)胡麻をすりければ」(天保十五年『魂胆夢輔譚』)

の「ごますり」は,

「ごまをするといふは言告口をきく通言」

と注記がある(『江戸語大辞典』)。

Suribachi.MortarPestle.jpg

(擂りごまにする為のすり鉢とすり粉木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%9Eより)


では,「ごま(胡麻)」の語源は何か。『大言海』は,

「和名抄『胡麻,本出大宛,故地名之』,箋注和名抄『胡麻,載在本草経,恐非本出大宛,蓋胡之言,烏也,以其色黒,有是名』。さらば,ウゴマと云ふは,烏胡麻(ウゴマ)なるか,重言となれど,胡麻の語原は,知らず,又,忘れられたるなり。淡海(アフミ),雁音(かりがね)の声の類か」

と,諸説挙げ,分からない,とする。

『日本語源広辞典』は,

「中国語の『胡(えびす・西域)+麻』です。漢の張騫が西域から持ち帰った麻に似た植物」

とし,

「インド・エジプト原産で、漢の張騫(ちょうけん)が西域から持ち帰ったとされ、中国では西域の異民族を「胡」と呼び、「胡から伝わった麻の実に似た種子」 という意味から「胡麻」と名づけられた。」(『由来・語源辞典』)

「ごまは 中国を経由して日本に伝わった植物で,漢語の『胡麻』を音読みしたものが『ごま』である 。中国では西域の諸国を「胡」といい,『胡瓜(きゅうり)』『胡椒(こしょう)』『胡桃(くるみ)』と同じく,胡から持ち帰ったものには『胡』が冠される。ゴマの実は,麻の実に似ていることから,胡から持ち帰った麻に似た植物ということで『胡麻』と称されるようになった」(『語源由来辞典』)

等々,

胡麻→こま→ゴマ,

という中国由来ということのようである(和名抄,五万,訛云,宇古末(うごま))。『岩波古語辞典』は,「うごま」の項で載る。

「奈良時代には濁音で始まる和語は極めて少なかったので,gomaと発音しにくかったため,前に母音uをつけてugomaとしたものであろう」

とある。とすると,

胡麻→うごま→ごま,

の転訛なのかも知れない。

「胡という字は烏のことで,黒いところからつけられた名であるとの説もあるが,ゴマは黒ばかりではないから,面白くない。(中略)古名のウゴマは烏胡麻だというが,またゴマの音を訛ってウゴマという説もある。コミアサ(コミアサ)がゴマになったとの説もあるが良くない」

とし,張騫が西域から持ち帰った「胡の「麻に似た植物の名を胡の麻」とした,としている。

W_goma2081.jpg



参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評
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ラベル:ごまをする 胡麻
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ごまをする


「ごまをする」は,

他人におもねりへつらって,自分の利益を計る,

意だが,この語源は,

「昔商人が、お世辞をいいながら売り込むときに、もみ手をしていた。もみ手の様子を、左手をすり鉢、右手をすりこぎに見立ててごますりと称した。」

とする説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114763916)もあるが,

「炒った胡麻をすり鉢ですると、内側に胡麻がくっつくことから、人にべたべたと擦り寄り、へつらう意味に用いられるようになった。おべっかを使う人のことは『胡麻すり』という。」

とする説(http://yain.jp/i/%E8%83%A1%E9%BA%BB%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B)が,大勢のようだ。『大言海』も,

「擂鉢の内にて,炒れる胡麻の子(み)を擂り潰すに,鉢の四方につく,ミソスリに同じ」

とあり,

「あちらにも屬(つ)き,こちらにも屬(つ)き,彼人に諂ひ,此人に諂ふ者を呼ぶ,ウチマタガウヤク」

と載る。

「煎ったゴマをすり鉢 ですり潰すと,あちこちにゴマがくっつくことから,人にへつらう意味で用いられた言葉である。また,商人などの手を揉む仕草がゴマをする姿に似ていることから,その仕草を語源とする説もあるが,あまり有力とされていない。江戸末期の『皇都午睡(こうとごすい)』にもみられ,『追従するをおべっかといひしが,近世,胡麻を摺ると流行詞(はやりことば)に変名しけり』とある」

と,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/gomawosuru.html)も,揉み手説には否定的である。

『江戸語大辞典』によると,天保頃からの流行語とあり,

おべっか,

の意と,

告げ口,密告,

の意が載る。まあ,密告とは,権力者への諂いなので,あり得る意味と思う。

「種々(さまざま)胡麻をすりければ」(天保十五年『魂胆夢輔譚』)

の「ごますり」は,

「ごまをするといふは言告口をきく通言」

と注記がある(『江戸語大辞典』)。

Suribachi.MortarPestle.jpg

(擂りごまにする為のすり鉢とすり粉木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%9Eより)


では,「ごま(胡麻)」の語源は何か。『大言海』は,

「和名抄『胡麻,本出大宛,故地名之』,箋注和名抄『胡麻,載在本草経,恐非本出大宛,蓋胡之言,烏也,以其色黒,有是名』。さらば,ウゴマと云ふは,烏胡麻(ウゴマ)なるか,重言となれど,胡麻の語原は,知らず,又,忘れられたるなり。淡海(アフミ),雁音(かりがね)の声の類か」

と,諸説挙げ,分からない,とする。

『日本語源広辞典』は,

「中国語の『胡(えびす・西域)+麻』です。漢の張騫が西域から持ち帰った麻に似た植物」

とし,

「インド・エジプト原産で、漢の張騫(ちょうけん)が西域から持ち帰ったとされ、中国では西域の異民族を「胡」と呼び、「胡から伝わった麻の実に似た種子」 という意味から「胡麻」と名づけられた。」(『由来・語源辞典』)

「ごまは 中国を経由して日本に伝わった植物で,漢語の『胡麻』を音読みしたものが『ごま』である 。中国では西域の諸国を「胡」といい,『胡瓜(きゅうり)』『胡椒(こしょう)』『胡桃(くるみ)』と同じく,胡から持ち帰ったものには『胡』が冠される。ゴマの実は,麻の実に似ていることから,胡から持ち帰った麻に似た植物ということで『胡麻』と称されるようになった」(『語源由来辞典』)

等々,

胡麻→こま→ゴマ,

という中国由来ということのようである(和名抄,五万,訛云,宇古末(うごま))。『岩波古語辞典』は,「うごま」の項で載る。

「奈良時代には濁音で始まる和語は極めて少なかったので,gomaと発音しにくかったため,前に母音uをつけてugomaとしたものであろう」

とある。とすると,

胡麻→うごま→ごま,

の転訛なのかも知れない。

「胡という字は烏のことで,黒いところからつけられた名であるとの説もあるが,ゴマは黒ばかりではないから,面白くない。(中略)古名のウゴマは烏胡麻だというが,またゴマの音を訛ってウゴマという説もある。コミアサ(コミアサ)がゴマになったとの説もあるが良くない」

とし,張騫が西域から持ち帰った「胡の「麻に似た植物の名を胡の麻」とした,としている。

W_goma2081.jpg



参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ごまをする 胡麻
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2019年03月25日

おべんちゃら


「おべんちゃら」は,

口先ばかりで実意のないお世辞を言う,

意である。あまり辞書には載らないが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/o/obenchara.html)は,

「おべんちゃらは、『べんちゃら』に接頭語の『お(御)』が付いた語。『べんちゃら』は江戸時代、『おべんちゃら』は明治以降に見られる。べんちゃらの『べん』は、『ものの言いよう』『話しぶり』を表す『弁(べん)』。『ちゃら』は、『出まかせを言うこと』『でたらめ』の意味の『ちゃら』である」

とする。似た説は,

「『べん』は漢字にすると『弁』で…。話しぶりなどを意味する表現です。『ちゃら』はでまかせやでたらめなどの意味…。元々は江戸時代から使われていたと言われており、『べんちゃら』=『でたらめやでまかせを言う』という意味で使われていました。それが、明治時代には接頭語の『お』がついて、今の形のおべんちゃらになりました。」

とある(https://memolog.info/archives/2351)。ちょっと異説は,

「阿はオと読み『迎合する、おもねる』の意味です。…弁はビィエン、講はチャンと読み、共に『話す、語る、いう、しゃべる』などの意味であり、孌はランと読み『美しい』の意味です。つまり、オベンチャラとは、阿弁講孌の多少の訛り読みであり、直訳すると「迎合していう美しいこと」、少し意訳すると「迎合して美味しいことをいう」の意味であり、これがこの言葉の語源です。」

と,ある(https://ameblo.jp/chandan-neko/entry-12387444011.html)。少し曲芸的な論で,如何かとは思うが,説としては面白い。

弁口たくみに言うチャラの意。チャラはでたらめ・冗談の意(上方語源辞典=前田勇)

とあるのが,正当な説なのだろう。「ちゃらい(http://ppnetwork.seesaa.net/article/419761791.html)」で触れたように,「ちゃら」は,

口からでまかせに,出鱈目をいうこと,また,それを言う人,
偽物,
差し引きゼロにすること,

の意で,『江戸語大辞典』にも,

ごまかし,うそ,でたらめ,

という意味が載る。そのせいか,「ちゃら」にかかわる言い回しは,

ちゃらかす(出鱈目を言う,冗談を言う)
ちゃらくら(口から出まかせを言う)
ちゃらける(チャラを言う,出鱈目を言う)
ちゃらつかす(出鱈目を言ってごまかす,ちゃらちゃら音を立ててある意思を示す)
ちゃらっぽこ(でたらめ,うそ。またでまかせを言う人)
ちゃらほら(「ほら」は接尾語。口から出まかせを言う)

等々,碌な意味はない。「ちゃら」は,『岩波古語辞典』には,

ちゃり,

として,

ふざける,

という意味が出ており,その名詞は,

茶利,

と当て,

滑稽な文句または動作,ふざけた言動,おどけ,
(人形浄瑠璃や歌舞伎で)滑稽な段や場面,または滑稽な語り方や演技,

という意味がある。「ちゃり」の動詞化の「ちゃら」という連想も捨てがたい。「ちゃら」に関わる語は,「おべんちゃら」以外にも,

べんちゃら(口先だけで上手いことを言ってへつらうこと)
へいっちゃら(ものともしないさま,平気)
へっちゃら(ものともしないさま,平気)

と,まあ,口先三寸,でまかせ,無責任,という意味が,一貫している。

どうも,「ちゃら(い)」は,類語で言うと,

うすっぺら,
ぺらぺらな,
浅はかな,
軽い,
安っぽい,

というよりは,

嘘っぽい,
無責任,

というニュアンスが強い気がする。ご破算のいの「ちゃら(http://ppnetwork.seesaa.net/article/439115094.html)」も,それとつながる。

「ちゃら」は, 江戸時代以降に使われているとして,こう解説されている。

「 [1] ちゃらとは出鱈目(でたらめ)・出任せ(でまかせ)といった信頼に値しないいい加減な軽口・嘘といった意味で江戸時代から使われている。ちゃらんぽらんのちゃらはここからきたものである。またここから、偽物のこともいう。
 [2] ちゃらとは発生している貸し借りや損得を差し引きゼロの状態にすることやなかったことにすることを言う。『ちゃらにする』という言い方をするが、大抵は交換条件を満たした上でなかったことにする場合が多い(例:欲しい情報や人・物などを渡す代わりに借金はなかったことにするなど。逆に心意気からちゃらにするといったような、交換条件なしで行う場合もある。)」(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/17ti/chara.htm


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:おべんちゃら
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2019年03月26日

お べっか


「お べっか」は,

へつらうこと,また,そのことば,

とある(『広辞苑第5版』)が,

上の人の御機嫌をとったり、へつらったりすること,おべんちゃら,

というのが正確かもしれない。対等な相手に言うのではない。

『江戸語大辞典』には,

語源不詳,

と載る。その他に,「お べっか」の動詞化で,

お べっかう,

という言葉もあったらしい。『大言海』は,

諂諛,

の字を当てている。へつらう(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464750030.html?1553197894)で触れたように,

「諂」(テン)の字は,

「会意兼形声。臽(カン・タン)は,くぼむ,穴に落すの意をあらわす。諂はそれを音符とし,言を加えた字。わざとへりくだって足いてを穴に落すこと」

とあり(『漢字源』),へつらう,人の気にいるようなことをいってこびる意である。

「諛」(ユ)の字は,

「改憲形声。臾(ユ)は,両手の間から物がくねくねとぬけることを示す会意文字。諛は『言+音符諛(くねくねとすりぬける)』」

とあり(仝上),意味は,へつらうだが,言葉を曲げて相手のすきにつけこむ,とあるので,「諂」より,多少作為が際立つのかもしれない。

『大言海』は,「お べっか」の項で,

「顔見世狂言の初めに,役者,囃子方,皆別火(べっか)にて斎戒(ものいみ)して,式三番を勤めたり。何事のときにかありけむ,囃子方の頭某に,常に諂ふ性の者あり,座元の許に行き,例に因りて御別火(おべっか)にて勤めます,頻りに云ひしより,楽屋詞に,御別火を云ふとて,諂ふ意とせしに起ると,或書にて見たることあり。又或は越前にてアベコキとも云へば語原は別にあるか」

と,結局曖昧である。「別火(ベッカ)」とは,

「神事を行う者が,穢れにふれないように別にきり出した火で食物を調理して食すること。また,穢れのある人が炊事の火を別にすること」

とある(『広辞苑第5版』)。「式三番」(しきさんばん)は,

「能・狂言とならんで能楽を構成する特殊な芸能の一つ。能楽の演目から転じて、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ芸能である。なお、現代の能楽師たちはこの芸能を、その文化を共有する人たちにだけ通じる言葉、いわゆる符牒として『翁』『神歌』(素謡のとき)と呼んでおり、『式三番』と呼ぶことはほとんど無い。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E4%B8%89%E7%95%AA)。「翁」というのは,


「能が成立する以前の翁猿楽(老人の面を付けた神が踊り語って祝福を与えるという芸能)の様式を留める芸能が式三番である。」(仝上)

800px-春日神社ー篠山ー翁奉納P1011774.jpg

(春日神社 (篠山市)に奉納される「翁」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E4%B8%89%E7%95%AAより)


『日本語源広辞典』は,方言説を採り,

「お(接頭語)+ヘツ(諂 ヘツラウ)+か(人)」

とし,

「過度に諂う人を軽蔑する意の方言オヘツが現在,中部近畿,南部四国にあります。近畿中北部のオベッカと語原が通じるのでしょう」

としている。

しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/o/obekka.html)は,

「おべっかの語源は、口のきき方・言い方のほか、口のきき方がうまいことを意味する『弁 口(べんこう)』に、接頭語の『御(お)』が付いた『御弁口(おべんこう)』が変化した言葉で あろう。 北海道の方言で、おべっかを『べんこ』というのも、『弁口』からと思われる。」

とし,

「神事・祭事の際に炊事の火を別にすることをいう『別火』(べっか)に由来し,別火を知らない人が,調子よく「おべっか」と言ったことからとする説や,服従する意味の英語『obey』からという説もあるが,考え難い」

とする。「おべんちゃら」は,

弁がちゃらい,

の意で良いが,

弁口,

は,

口のきき方を言っているだけの状態表現で,そこに,価値表現はない。それを,

御弁口,

と言い,それが,

御弁巧,

の意へと,

転じた経緯がはっきりしなければ,ただの語呂合わせでしかないように思える。『大言海』がいうように,方言の可能性が高いが,『江戸語大辞典』に載る以上,それが一般に通用していた,ということだろう。そう考えると,

ヘツラフ→オヘツラヒ→オベッカ,

の転訛があり得る気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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ラベル:お べっか
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2019年03月27日

さかい


「大阪で生まれた女やさかい」という歌詞があったが,その「さかい」である。

さかひ,

とも書く。

さけ,
しゃけ,

ともいったりする(『広辞苑第5版』)らしい。

「上方で,サカイニ・サカイデのニ・デを省いて用いるもの」

とあり(『岩波古語辞典』),

~ので,~から(「本になさるとおっしゃるさかい,随分吟味致しました」(咄・枝珊瑚集)),

の意味である。

「畿内近国の助詞にサカイと云ふ詞有り。関東にて,カラと云ふ詞にあたる也」

ともある(物類称呼)。で,「さかいで」と使うと,

~ので,~から(「今まで宮崎殿に逢ひましたサカイ,(アナタニ遭ウコトガ)なりませなんだ」(評判・難波鉦)),

という意味で,「さかいに」と使うと,

「サカヒ(境)ニの意」

で,

時に,場合に(「習ふまいさかい」(ロドリゲス大文典)),
(理由をあらわす)~ので,~から(「さしのぶる事を得いで仕ったさかい,あまり気にかかりませらせぬ」(コリヤード懺悔録),
「その事をさうしたさかいと云ふべきを,さかいでと云ふは如何」(俳・かたこと)),

という意味で使うとある(仝上)。この区別の語感は,文脈依存なので,よく分からないが,しかし,

「『堺(境)』からしょうじたのか。上方語」

として,

「物事の理由・原因を表す語。によって,ので,から」

と括ってしまう(『広辞苑第5版』)と,上記の差異が消えてしまわないか,と思うが,

「室町時代、名詞『さかい(境)』から転じたという。『さかいで』『さかいに』(『で』『に』ともに格助詞)の形でも使われる。近世、上方語として用いられ、現在では主に関西地方で用いられる。」

という(『デジタル大辞泉』)のが大勢のようである。『大言海』も,
「境の義にて,書状文に,何何に候間(アヒダ)と用ゐると同じかるべし」

とする。「語源に関しては、名詞「境」から転じたものという。」として,

「そしてまた上方の『さかい』とはなんだへ」「『さかい』とはナ、物の境目じゃ。ハ。物の限る所が境じゃによって、さうじゃさかいに、斯(かう)した境(サカイ)と云のじゃはいな』」(『滑・浮世風呂‐二』)

の例は近世の語源意識をうかがわせる(『精選版 日本国語大辞典』),とする。

物事の切れ目,

が,

その流れで,という経緯で,

と,その理由にも,言い訳にもなるし,

その境目,

が,時間的にも,場所的にも,使われる,ということか。とすると,事態は,

境,

のメタファとして接続詞化したということになる。

「境(さかひ)と言う単語は、『境界』そのものを意味する単語でしたが、やがて、『境界で区切られた領域』を意味するようにもなりました。そして、更に抽象度が高まり、『境遇』『境地』という意味へ発展しました。この結果、『…さかいで』『…さかいに』などの語が『・・・と言う境遇につき』と言う意味で用いられるようになったようです。これが理由を示す接続助詞『さかい』の発生と見られています。」

との説明(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10156745325)もある。

「『けに』の誤れる回帰である『かいに』に、『し』と同系語の『さ』がついて生まれた。『よって』と同様。雨降るさかいきょうはやめとき、あした行くさかいな、せやさかいに、など後に続く言葉を省略することも可能。理由、説明、念押し、言い訳、納得、などの意味が含まれる。古くは『さかいで』とも言った。京都では『さけ』と訛るが、大阪では『はかい』『さかえ』『はかえ』と訛る。南大和で『すかい』、播磨や紀北、近江などで『さけー』、紀伊で『さか』、但馬で『しけー』、北陸や北西奥羽で『さけー』『はけー』、越後で『すけー』が話され、和泉や大和で『よって』、越中呉東で『さからいに』、『から』は関東や南東奥羽、甲斐、伊豆の言葉で、日向で『かり』『かい』、北近畿や伊勢、東海、東山、南九州などでは『で』、信濃で『で』『に』、中国、四国、北九州では『けん』『けー』『きに』『きー』など『けに』系が使われる。奄美、宮古で『ば』、沖縄で『くとぅ』『く』、八重山で『きい』『ば』『ふいりゃあ』など。上方では東京との交流が西日本の他の地域と比べて多かったため、若者だけでなく年輩層でも『から』を使う割合が高くなっている。」

とある(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%AB)が,『日本語の語源』は,

「カラニ(故に)は『ゆえに。ために』という意味の接続助詞である。〈などかは女と言はむからに世にある事の公私につけて無下に知らず至らずしもあらむ〉(源氏・帚木)。このカラニ(故に)は,カの母交(母韻交替)[ae],ラの脱落の結果,ケニに転音し,『故。ので。から』という音の方言として,四国・岡山・鳥取・出雲・壱岐でおこなわれている。〈あなたが言ったケニわかった〉。ニが撥音化して備中(俚言増補)・鳥取・出雲・岡山県小田郡・広島・四国・九州ではケンという。四国ではまたケが母交(母韻交替)[ei]をとげてキニ・キンという。」

とケニ系を辿るが,「さかい」は,それとは別に,次のように音韻変化を遂げたものとする。

「『…でございます故』という丁寧語のサウラフカラニ(候ふ故に)を早口でいう場合,サ・カ・エだけが残り,ニのイ音便でサカイに変化した。」

とし,さらに,「さかい」の,

「サカイはカイ[kai]の母韻の融合でサケに転音し,(中略)サカイはまた,サが子交(子音交替)[sh]をとげてハカイになり,…サケもマタハケに転音」

と地域ごとの転訛に触れている。

丁寧語のサウラフカラニ(候ふ故に),

は『大言海』の,

書状文,

と通じるようである。境の転訛というよりは,

候ふ故に,
あるいは,
候ふ間に,

の転訛の方が説得力がある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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2019年03月28日

ハコベ


「ハコベ」は,

繁縷,
蘩蔞,

と当てる。ナデシコ科ハコベ属(Stellaria)の総称。別名,コハコベ(小繁縷)。茎が緑色なのでミドリハコベともいう。ただ,漢字名の「繁縷(ハンロウ)」は、生薬の名前だとか。

ハコベラ,
または,
アサシラゲ,

の古名がある。

芹なずな 御形はこべら 佛の座、すずなすずしろ これぞ七草,

の歌にある,

春の七草,

の一つである。ちなみに,「御形」はハハコグサ、「佛の座」はコオニタビラコであるとするのが定説,とか。

800px-Chickweed_(aka).jpg

(コハコベ (Stellaria media) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B3%E3%83%99より)


「平安時代の後期の文献に『君がため 夜越しにつめる 七草の なづなの花を 見てしのびませ』の歌があるとされるので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあったと考えられます。ただ、七草の対象となっていた草本はまちまちで、地方によっても異なっていたようです。」

とある(http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/kohakobe.html)し,

「平安時代から食用の記録が残り、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には野菜(当時は文字どおりの野の菜)の一つとして、波久倍良(はくべら)の名が載る。鎌倉後期の『年中行事秘抄』には、宮中で用いる七種菜(ななくさのな)に(はこべら)の名があがる。ハコベは異名や方言が多いが、ハコベの名は『下学集(かがくしゅう)』に初見する。江戸時代には種子を播(ま)いて育てたことが『百姓伝記』にみえ、はこべ汁(『料理物語』)などにして食べられた。また、干して粉にしたのを塩と混ぜたハコベ塩を歯みがきに使う習俗もあり、現在も歯茎の出血を防ぐ目的で使われることがある。」

とあり(日本大百科全書(ニッポニカ)),

「花期の3~6月に地上部の茎葉を刈り取り、水洗い後、天日干しにしたものを生薬名『繁縷(ハンロウ)』といい、産後の浄血薬、催乳薬、胃腸薬や湿疹などの皮膚炎の治療薬として用いられてきました。また、同粉末に適量の塩を混ぜたものを『ハコベ塩』と呼び、これを指に付けて、歯茎をマッサージすることにより、歯茎からの出血、歯槽膿漏の予防に用いられてきました。江戸時代には既に使われていた葉緑素入りのハコベ塩はまさしく『歯磨き粉の元祖』とも言えます。」

ともあり(https://www.pharm.or.jp/flowers/post_6.html),古くから馴染みがある。

『大言海』は,「はこべら」の項で,

はくべら(繁蔞)に同じ,

とする。名義抄には,

「繁蔞,はこべら,ハクベラ」

と載る。「ハクベラ」の項で,「ハコベ」の古名で,

「葉配(ハクバリ)の転かと云ふ」

とある。倭名抄には,

「繁蔞,鶏腸草,八久倍良」

本草和名には,

「繁蔞,一名,鶏腸,波久邊良」

和訓栞には,

「はくべら,…葉をくばりしくりーの義にや,いまは,ハコベといへり」

等々とあるという(仝上)。「鷄腸草」も「蘩蔞」と同じく,由来のようである。どうやら,

波久倍良(ハクベラ)→ハコベラ→ハコベ,

という転訛らしい。微妙に違うのは,

「ハビコルナ(蔓延る菜)は,ルナ[r(un)a]が縮約されてハビコラに転音し,『ビコ』の転位でハコビラ・ハコベラ(繁蔞)・ハクベラ(和名抄)などの語形を経てハコベになった」

とする(『日本語の語源』)説だ。しかし,繁茂しているさまは,確かに,蔓延(はびこ)る感じではある。

はびこる→はこびる→はこべら→はこべ,

の転訛もある。同じく生態をとらえた、

はいずる→へえずるの派出とみられるへずる、ひずる系の方言,

が西日本に多い(日本大百科全書(ニッポニカ)),とある。

茎は柔らかく地表をは,

という生態からの見方の方が自然に思える。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ha/hakobe.html)は,

「ハコベは,『ハクベラ』が転じた『ハコベラ』が更に転じた語で,春の七草のひとつとして挙げる際には『ハコベラ』と呼ぶことが多い。ハクベラ(ハコベ)の語源は諸説あり,『葉配り』の轉とする説。『ハク』は『帛』で茎から出ている白い糸を『帛(絹)』に見立てたもの,『ベラ』は群がる意の古語とする説。『ハク』は漢字の『繁』の漢音『ハン』で草が茂ること,『ベラ』は漢字『婁(ル)』で茎が長く連なった草の意のことで,漢語『ハンル(繁婁)』の音変化とする説。『ハク』は二股に分かれた茎に小さな葉がつき,小さな飾りの袴を腰に穿いているようであることから,『穿く・佩く(はく)』の意味,『ベラ』は股の外側に付いた葉っぱを指したもので『花弁(はなびら)』や『草片(くさびら)』の『びら』と同源とする説がある。漢語『ハンル(繁婁)』の説は,ハコベの漢字『繁縷』にも通じ,意味も分かりやすく発音も近いように思えるが,『ハクベラ』への音変化は難しい。『ベラ』は『花びら』などの『びら』と同源とするのが一番自然に思えるが,『ハク』については判定が難しい」

と,諸説を挙げるが,「はこべ」は花ではなく,葉の方に人の関心が向いている。花びらとつなげるのは,食用ハコベ実態と離れている。

「ユーラシア原産で、農耕に伴って世界中に広まった史前帰化(しぜんきか)植物とされています。ハコベの和名は古名の『はこべら』や『はくべら』が転訛したものですが、語源は『蔓延芽叢(はびこりめむら)』、『歯覆(はこぼるる』、『葉采群(はこめら)』などの諸説があります。ハコベは食用や薬用にしたり、柔らかい草質からニワトリや小鳥のえさとしてよく知られており、『ハコビ』、『ヒズリ』、『ヘズリ』、『アサシラベ』、『ヒヨコグサ』など各地でそれぞれの方言で呼ばれています。英語でもハコベを「chickweed(=ヒヨコの草)」と呼んでいます。」

とする(https://www.pharm.or.jp/flowers/post_6.html)説から見て,

はびこる,

と絡めるのが妥当に思えてならない。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ラベル:ハコベ 繁縷 蘩蔞
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2019年03月29日

なでしこ


「なでしこ」は,

撫子,

と当てる。当て字である。当て字から解釈する,

撫で撫でして、いつくしみ、かわいがる子。それほどかわいい花,

というのは,ほぼ切り捨ててよいと,僕は思った。ところが,

ナデシコの由来

「花が小さくて色も愛すべきところから、愛児に擬して『撫でし子』となった」

という説が有力だという。

「花が小さく色も愛すべきところから,愛児に擬した『撫でし子』が有力である。万葉集の和歌には,撫でるようにしてかわいがる子(女性)と掛けて詠んだものがみられるが,それは現在でいう『カワラナデシコ(河原撫子)』を指した。古くは,夏から秋にかけて花をつけることにちなみ,『トコナツ(常夏)』とも言った」

とか(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/na/nadeshiko.html),

「ナデ(撫でる)+シ+子」

とか(『日本語源広辞典』),正に絵に描いたように,この字を当てた者の罠にはまっている。『大言海』も,

「家経朝臣和歌序『鐘愛抽衆草,故撫子,艶色契千年,故曰常夏』,又此草の花,形,小さく,色愛すべきものゆゑ,愛児に擬し,ナデシコと云ふ」

と,珍しく何も語源の根拠を示せていない。

800px-カワラナデシコ_Dianthus_superbus_var._longicalycinus.JPG



因みに,

和撫子(やまとなでしこ),

というのは,

唐撫子(石竹),

に対していう(仝上),とある。

800px-DianthusChinensis11.jpg



セキチク(石竹.)は,原産は中国で,日本では平安時代には栽培されてきた,という。

どうしても,撫子という当て字に引きずられた解釈が多く,愛児に擬して,ナデシコが大勢で,それ以外に,

ナデサスリクサ(撫擦草),
ナテチクソウ(南天竺草),

もあるが,同類である。しかし当て字解釈よりは,

密集するところからナヅミンゲ(泥茂),

と,草の生態の方がました。漢字を当てると,その意味に引きずられるのはやむをえないとしても,

「『撫でし子』と語意が通じることから、しばしば子どもや女性にたとえられ、和歌などに多く参照される。古く『万葉集』から詠まれる。季の景物としては秋に取り扱う。『枕草子』では、『草の花はなでしこ、唐のはさらなり やまともめでたし』とあり、当時の貴族に愛玩されたことがうかがえる。また異名である常夏は『源氏物語』の巻名のひとつとなっており、前栽に色とりどりのトコナツを彩りよく植えていた様子が描かれている。」

と,すでに,撫子からの解釈から出られなくなっている。当否は別にしても,

「淡紅色の花の優雅さを眺めて,アテサク(貴咲く)花といったのが,子音[n]を添加してナデサクとなり,『サ』の母交(母韻交替)[ai]でナデシコ(撫子)になった。〈野辺のナデシコの散らまく惜しも雨な降りそね〉(万葉集)」(『日本語の語源』)

という解釈の方を採りたい。

「あて(貴)」は,

「『いやし』の対。高い血筋にふさわしい上品さ。必ずしもヤンゴトナシのような第一級の尊貴をさすものではない」

とある(『岩波古語辞典』)。

上品,

という意味である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ラベル:撫子 なでしこ
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2019年03月30日

なずな


「なずな」は,

薺,

と当てる。春の七草の一つである。田畑や荒れ地、道端など至るところに生える,

ぺんぺん草,
三味線草,

である。

「若苗を食用にする。かつては冬季の貴重な野菜であった。貝原益軒は『大和本草』で宋の詩人蘇軾を引用し『「天生此物為幽人山居之為」コレ味ヨキ故也』(大意:『天は世を捨て暮らしている人の為にナズナを生じた』これは味が良いためである)と書いている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BA%E3%83%8A)。ただ,「曾丹集(十一世紀初)」に,

「み園生のなづなのくきも立ちにけりけさの朝菜に何を摘ままし」

とあり,

「朝の菜として食したことがわかる。ただし、この詞書には『三月終』とある。『万葉集』には見えず、八代集でも『拾遺集‐雑春』の『雪を薄み垣根に摘めるからなづななづさはまくのほしききみ哉〈藤原長能〉』の一首が見えるだけであるが、これは『なづさふ』を導き出す序詞なので、平安前期は和歌の景物、春の七草という意識はなかったらしい。その後、和歌に用いられる時は『摘む』物として取り上げられ、平安後期になって『君がため夜ごしにつめるなな草のなつなの花を見て忍びませ』〔散木奇歌集‐春〕のように、七草の一つと考えるようになったらしい。」

とある(『精選版 日本国語大辞典』)ので,七草入りは,平安後期以降らしい。

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「薺」(漢音セイ,呉音ザイ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符齊(セイ そろってならぶ)』で,小さな花をつけた茎が揃って並ぶ,なずな」

の意である。

「ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した史前帰化植物と考えられている」

とあり(仝上),かなり古くからある。

「民間薬として陰干ししたのちに煎じたり、煮詰めたり、黒焼きするなどしたものは肝臓病・解熱・血便・血尿・下痢・高血圧・止血・生理不順・腹痛・吐血・便秘・利尿・目の充血や痛みに効き、各種薬効に優れた薬草として用いられる。」

ともある(仝上)。なかなか重宝な植物である。

「薺は生ゆること済々たり故に之を薺と謂う」

と『本艸』にあるとか。で,

「ナズナを行燈につり置くと虫よけになるという」

とか(『たべもの語源辞典』)。

『大言海』は,

「撫菜(なでな)の義にて,愛ずる意かと云ふ」

とある。「撫子」を「愛児に擬し」愛ずる意としたのに似て,いささか,いかがわしい気がする。「倭名抄」には,

「薺,奈都那」

とある。『語源由来辞典』も,諸説挙げつつ,

「ナズナの歴史的仮名遣いは『ナヅナ』で,その語源には、撫でいつくしむ草の意味で『撫で菜』とする説。ナズナは夏に枯れるところから,『夏無(なつな)』とする説。苗が地について縮まっているところから,『滞(なず)む菜』の意味とする説。『野面菜(のつらな)』が変化し,『ナヅナ』になったとする説がある。ナズナ(ナヅナ)の後方の『ナ』は『菜』のことと考えるのが自然で,枯れる時期が名前になることはまずないため,『夏無』の説は考え難い。断定は難しいが,ナズナは古くから薬用として食べられ,音変化も自然なことから『撫で菜』の説がゆうりょくであろう。」

と,撫菜説を権威ぶって請け合うが,「薬用として食べ」ることと「撫ぜる」こととどうつながるのか,ほとんど説明がない。この説の根拠を説明するのは,

「菜を摘んで細かく刻んで七草粥に入れた。ナヅ(ズ)ナは,菜が美味なところから,撫で愛でる菜の意の『なで菜』からである。」

という(『たべもの語源辞典』)ことだろう。薬用ということだけと撫でたとは思えない。『たべもの語源辞典』が,夏無説,夏無き説,と並んで挙げた,

ノツラナ(野面菜),

が,僕には生態をよく示していると感じられてならない。

『日本語源広辞典』は,

「ナヅ(撫で愛ず)+ナ(菜)」

説以外に,

「朝鮮語nasi nasinの変化」

を挙げる。大勢は,

撫で愛ずる説,

のようだが,「撫子」にも使った語源説で,撫でるのはナズナやナデシコだけではあるまい。僕は,

ノツラナ(野面菜),

に与する。こんなにあちこちに見かける草はない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2019年03月31日

ホトケノザ


「ホトケノザ」と今日いうのは,

サンガイグサ(三階草),

とも呼ばれる,シソ科オドリコソウ属の,

仏の座(学名: Lamium amplexicaule)

である。この「ホトケノザ」は,

「子供が花びらを抜き取り、それを吸って蜜を味わって遊ぶことがある」

らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%82%B1%E3%83%8E%E3%82%B6が,この「ホトケノザ」は,春の七草の「ほとけのざ」と異なり,食用ではない。

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いわゆる,春の七草,で知られる,

せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草,

の,

ほとけのざ,

と別である,ということになっている。

ごぎょうはハハコグサ,
はこべらはハコベ,
ほとけのざはタビラコ,
すずなはカブ,
すずしろは大根,

とされている(『世界大百科事典 第2版』)。「タビラコ(田平子)」は, キク科ヤブタビラコ属,

コオニタビラコ(小鬼田平子),

ともいい,

ホトケノザ(仏の座),

ともいうとされるのが紛らわしい。春の七草の一つとして知られているのは,この「ホトケノザ」である。

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コオニタビラコ,

は,キク科ヤブタビラコ属である。これは,食用にされた。

「正月7日の朝に粥(かゆ)に入れて食べる7種の野草、もしくはそれを食べて祝う行事。この日、羹(あつもの)にした7種の菜を食べて邪気を避けようとする風は古く中国にあり、おそらくその影響を受けて、わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる。七草の種目は、一般にはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種だとされているが、時代や地域によってかならずしも一定せず、そのうちのいくつかが含まれていればよいと考える所もある。」

とか(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

今日の「ホトケノザ」は,その形をみると,納得できるが,コオニタビラコは,なぜ「ほとけのざ」と言われたのかがはっきりしない。

「『ホトケノザ』という名は、ロゼット葉の姿からつけられたものと思われるが、現在ではシソ科の雑草であるホトケノザ(Lamium amplexicaule L.)に与えられ、そちらが標準和名となっている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A9%E3%82%B3)。ロゼッタ葉というのは,

「バラの花の形を意味する言葉であるが、『ロゼット葉』は地面に葉が広がって立ち上がっていない状態を指している。」

とか(http://had0.big.ous.ac.jp/ecologicaldic/r/rozetto/rosette.htm),

「短い茎の部分に多数の葉が密集し全体として丸い形状をなすもの」

とある(https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=226),あるいは,

「若葉はもっとしっかり地面に貼りついている。もう少し仏様が座りやすい形にも見えるだろう。」

とある(http://www.mokichi.net/flowers/annex/koonitabirako.html)ので,葉の形なのかもしれない。しかし,他にも,タンポポなどのキク科植物やキャベツなどのアブラナ科の植物など身近にある。あえて「ホトケノザ」とこれを比定したのは何によるのだろう。昔の人の観察眼は,細かくて,鋭いときがある。葉の広がった状態ではなく,この花そのものに,謂れがあるのではないか,とふと思った。

この花は,

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「一つの花に見えるのは6~9個ほどの花の集まりだ。花びらのように見えるのが花だ。一つの花には合着した5枚の花弁があり、雄しべとめしべがある」

とある(https://kobehana.at.webry.info/201403/article_28.html)。つまり,花弁状に見えるのが,一つの花で,だから,雄しべとめしべは,花弁の数だけある。そうみると,花弁状の花(舌状花)についた雄しべ(黒い部分)とめしべ(黄色の部分)が仏に見えなくもない。

「たびらこ」の謂れは,

「『タビラコ(田平子)』の名は、田面に張り付くように放射状に根生葉を広げる様子を現した名であるというのが通説です。」

と(http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/koonitabirako.html),

地面にはいつくばった姿,

を指していて,分かりやすい。

ホームページ;
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コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評
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