2019年03月14日

高持百姓


渡邊忠司『近世社会と百姓成立―構造論的研究 』を読む。

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「近世では一人前の男が一年に消費する米の量は一石(玄米で一五〇キロキグラム)から二石、また夫婦と子供・親の五人から六人の家族が自らを自力で維持していくことのできる標準的な規模は、裏作も可能な田畑を合わせて五反五畝程度、石高にして八石前後の所持であった。表作の米は年貢・諸役(貢租)として徴収され、裏作の麦を主食としながら。である。麦は米とほぼ同じ収量を期待できるから、五反以上の高持百姓は再生産が可能で、上手くやれば、いくらかの蓄積も可能なる。但し、これは裏作の不可能な地域では通用しない。それに反して、五反(約八石)以下の百姓はかなり苦しい。」

と,大石久敬が『地方(じかた)凡例録・下』で試算したように,

五反,
八石,

程度の田畑所有がないとやっていけない。にもかかわらず,

「近世の土地台帳である検地帳や名寄帳,あるいは免割帳などに記載された高持百姓あるいは本百姓のち所持石高や田畑の反別が一石未満,また一反未満を中心に零細な百姓が圧倒的に多い」

本書の問題意識は,こうした

自立できない零細な階層,
一石・いったん未満の高持百姓,

の再生産を可能とした条件は何か,

である。高持百姓とは,名請百姓。高請地(たかうけち)(検地帳に登録され年貢賦課の対象とされた耕地 (田畑) および屋敷地)を所持し、年貢・諸役を負担し、村の一人前の構成員としての権利・義務を持つ農民,つまり「天下の根本」とされる徳川時代の幕藩体制を支える基礎が,この高持百姓と呼ばれる人々である。その多くが,零細農家であるということである。

いま一つ,本書本書の問題意識は,「百姓」という概念について,

「少なくとも領主側の法令や記録には,百姓は当たり前のように出てきても『農民』という用語はほとんどでてこない」

ので,「百姓と農民をなんら検討もなしに同義」とは出来ない,ここの解明である。「百姓成立」と本書のタイトルが鳴っている所以でもある。

「あらゆる姓氏を有する公民」の意,あるいは,凡下,地下人であった「百姓」は,凡下,地下が侍以外を指したのと同様,侍以外を指した。そこでは,農民とイコールではない。百姓を農民と重ねることになった端緒は,秀吉の「定」(天正十四年),「条々(刀狩令)」(天正十六年)によって,「領主と百姓の基本関係が年貢の賦課と徴収関係にあることを規定した」が,その前提になっているのは,「『百姓』の社会的役割が年貢米の生産と納入」という秀吉の百姓像である。この条例で,

「農民という用語が用いられておらず,年貢米納入者が(百姓),給人(領主)と対峙する者が『百姓』であり『百姓』の社会的責務が年貢・夫役の納入であると規定されていることである。」

ここにあるのが,近世に踏襲される百姓像の原型である。そして,刀狩は,

「兵と農との完全な分離によって中世以来の在地領主制の解体を完全なものとし,在地には侍を住まわせない」

のが主眼であった。結果,「百姓」とは,

「検地名請人(高持百姓)だけとなった」

が,そのため,

「一つは,兵農分離後の村の居住者すべてを『百姓』と見なしたために,農を業とする者以外も百姓概念に含ませたことである。これによって,実際の居住者には商人・職人などがいながら百姓と位置づけられ覆い隠される事態をもたらした」
「もひとつは,村居住者の多様性が隠された結果,領主も他の諸階層も一様に村には農耕に専念するものしか居住しないという予断と錯覚を産み出す事態をもたらした」

とする。この百姓像は,徳川時代にも引き継がれていく。

これは,地ばえの国人,土豪,地侍を,鉢植化し,移封,転封していくことと裏腹に,村落に残ったものを,侍以外を凡下といったように,百姓といったと言い直してもいい。しかし,そうして,検地を通して,それまでの中小の領主から解き放たれて,領主と向き合う「百姓」は,

「名請高が一石以下,名請反別が一反以下の名請人が圧倒的であること,また家屋敷だけの名請人や田だけ・畑だけの名請人」

となり,

「それぞれの名請高・反別だけでは生活も農業経営の維持も不可能」

な小農民が沢山いることになる。彼らも含めて農業を可能にし,生活を支えてきたのは,独特の村ごとのシステムであったことを,本書は,

第一に,分付主と分付百姓で編成される生産と年貢納入の構造が,単に中世以来の支配・隷属関係ではなく,相互の再生産の扶助構造になっていること,
第二に,用役牛の共同保有(これをベースに五人組が形成されている)によって扶助構造となっていること,
第三に,質入れを利用した融通の仕組み,

を挙げていく。しかし,最後の質入れは,一年の決算に質屋を利用して,

「不勝手之百姓ハ例年質物ヲ置諸色廻仕候」

というように,それは,

「春には冬の衣類・家財を質に置いて借金をして稲や綿の植え付けをし,秋の収穫で補填して質からだし,年貢納入やその他の不足分や生活費用の補填は再度夏の衣類から,種籾まで質に入れて年越しをして,また春になればその逆をするという状態にあった」

ことの反映で,

「零細小高持百姓の経営は危機的であった」

ことを記している。これは摂津国を例にしているが,寒冷地では,もっと厳しい状態で,近世慢性的に飢饉が頻発した背景が窺い知れるのある。近世の飢饉(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462848761.html)についてはすでに触れた。

参考文献;
渡邊忠司『近世社会と百姓成立―構造論的研究 』(佛教大学研究叢書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:42| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする