2019年04月21日

あつい


「あつい」は,

暑い,
熱い,

と当てる。「暑」(ショ)の字は,

「会意兼形声。者は,こんろで柴を燃やすさま。火力を集中する意を含み煮(にる)の原字。暑は『日+音符者』で,日光のあつさが集中すること」

とある。まさに「暑い」と当てたわけである。「熱」(呉音ネツ・ネチ,漢音セツ)の字は,

「形声。埶は,人がすわって植物を植え育てるさま。その發音を借りて音符としたのが熱の字。もと火が燃えてあついこと。燃の語尾がつまったことば」

とある。まさに「熱い」と当てたわけだ。

和語は,

あつ(暑)い(あつし),

あつ(熱)い(あつし),

と同源とされている。和語では,「暑い」と「熱い」は区別がない。

ryougoku_hanabi_10.jpg

(歌川貞房 東都両国夕涼之図 https://mag.japaaan.com/archives/6973より)


『大言海』も『岩波古語辞典』も語原を載せない。『日本語源広辞典』は,

「アツイは,『火熱のアツ』が語源」

とし,

「中国では,『太陽の暑さ』と,『火の熱さ』は区別しているのですが,日本では,古くは,区別していなかった」

とする。しかし,これでは,

アツ,

がなんだか分からない。『日本語源大辞典』は,「アツ」について,諸説挙げる。

まず,アツ=当説。

アツはアタル(当),シは退く(和句解),
アツシ(熱)と同じく,火にアツル(当)から出た形容詞(国語の語根とその分類=大島正健),
アツ(当)と関連があるか(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

擬声説。

「喝」Atの語尾を添えて形容詞化したもの(日本語原学=与謝野寛)
手を火に付けて,アアと驚き,手をツツーと引くことから生じた(本朝辞源=宇田甘冥),
熱烈な熱火に対する自然の叫び声。転じて,暑気の強いこと,意思の烈しいこと,疎からず濃いことなどにアツという(日本語源=賀茂百樹),

外来説。

梵語か(和訓栞),

外来説には,

アイヌ語の「火(ape)」やタガログ語の「火(apoy)」またはインドネシア語の「火(api)」に関係がある,

とする説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13147599383)もある。

その他,

アツシキ(厚如)の意。衣服を厚く感じるのは暑いから(名語記),

というのもあるが,「あつい(厚)」と「あつい(暑)」は,アクセントも異なり,別語とみられる(日本語源大辞典)。

ナツ(夏)の転(言元梯),

というのもあるが,「夏」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465263567.html?1555702514)で触れたように,夏の語源説に「あつい」があり,これでは堂々巡りになる。

結局はっきりしないが,「火」が古くから人類にあるのであれば,

アツ,

は,意外と,

擬声,

なのではあるまいか。とすると,やはり,

火,

と関わっている,とみてよさそうに思えるが。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル:あつい 暑い 熱い
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2019年04月22日

あつい


「あつい」は,

厚い,

と当てる「あつい」である。

熱い,
暑い,

とは,

「アクセントが異なるうえ,語源も関連づけにくいため」

別語と考えられる(日本語源大辞典)。

篤い,

と当てる,「病が,篤い」の「あつい」は,かつて,

アヅシ,

とも言ったらしい(岩波古語辞典)が,

「アツユの轉。連用形しか文献に見えない」

あつ(篤)い,

という言い方もあったらしい(岩波古語辞典)。

容態が重くなる,

意だが,

「中世にはすでに難解な語だったらしく,古写本の本文にアツカヒと訂している本もある」

ほど使われていない。「あつゆ」は,

あつえひと(篤癃),

しか載らず,

「アツエはアツ(篤)に自発のユ(見ユ・肥ユ。映ユなどのユ)の付いた語。おのずと病が篤くなる意。『癃』は病の重い意」

とある。しかし「あつゆ」は,

「熱(アツ)を活用す」

とあり(大言海),「篤し」は,

「(暑い・熱いの)語の活用を変じて(著(いちぢる)き,いちじるしき。喧(かまびす)き,かまびすしき),ただ病の重ぐなる意となれるなるべし(類聚名物考)。悶熱(あつか)ふ,あつゆ,あつしるなども同趣也,説文『人疾甚曰篤』。」

とある(大言海)のを見ると,「篤い」は,「熱い」「篤い」からの転化という見方もできる。漢方では,

「寒けのする病を寒といい,発熱する病を熱という」

とある(漢字源)のとも関わるかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「アツ(厚い・篤い)は,主題とするものが『集まり重なる』意の『アツ』」

と,

篤い,

厚い,

を同源とするが,上記に見たように,「厚い」の語源としてはともかく,「篤い」の語源は別と掌考えるべきだろう。他には,

アツル(当)から出た形容詞。当てた物が重なったさまをいう(和句解・国語の語根とその分類=大島正健),
アツムルシキ(集如)の義。ツムの反ツ。シキの反シ(和訓考・名言通),
アツム(弥積)の約(言元梯),
イヤツミシ(弥積如)の義(日本語原学=林甕臣),
アメツチ(天地)の略伝(和語私臆鈔),

等々ある。どうも多くは,

集む,

と関わらせる。「集む(める,まる)」は,

厚(あつ)の活用か(長むる,広むる),

としている(大言海)ので,「集む」と「厚い」は重なる気配である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「アツ(厚くなる・重なる)」+ム」。厚と集が同じアツの語源。同じ物質がどんどんむ集まると厚くなるという語が生まれ,人がどんどん多くなり厚くなると,集まるという語がうまれた,
説2は,「ア(接頭語)+積む」,

あ,積む,

は,『大言海』も挙げる,和訓栞の説だが,面白いが,如何であろうか。しかし,

集む,

厚い,

がかなり重なり,それが,

積む,

とも意味が重なるようである。そう見ると,

面の皮が厚い,

の意味は,なかなか厚みが増す。

「厚」(漢音コウ,呉音グ)の字は,

「会意。厚の原字は,髙の字をさかさにした形。それに厂(がけ,つち)を加えたものが厚の字。土がぶあつくたかまったがけをあらわす。土に高く出たのを高といい,下にぶあつくたまったのを厚という。基準面の下にぶあつく積もっていること」

「篤」(トク)の字は,

「会意兼形声。竹は周囲を欠けめなくとりまいたたけ。篤は『馬+音符竹』。全身に欠けめのない馬のことをいい,行き届いた意」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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スキル事典;
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ラベル:篤い 厚い あつい
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2019年04月23日

奇跡


G・ヤノーホ『カフカとの対話』を読む。

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この本は,奇跡のように思える。当時17歳だった青年が,父親の労働者障害保健局の同僚だったカフカにあったのは,カフカの死の四年前,僅か二年ちょっとの期間である。しかしもただそれだけではこの本はなり立たない。17歳ながら,ちょっと文学の才気のある青年であったこと,カフカが彼をいつくしみ,真正面から応答していること,そしてなにより彼自身が抜群の記憶力と,記録癖があったことがなければ,成り立たない。しかも,この本が上梓されるにも,数々の苦難を経て,ほとんど諦める程の状況にあった。この本が出版されたこと自体もまた,奇跡であった。

著者は,第二次大戦と戦後の動乱のチェコスロバキアで,しかし,何とかこの本を上梓はすることが出来た。それにわれわれは感謝しなくてはならない。カフカの肉声が,しかも若い後輩との真摯な会話の中に,写し出されているのである。

カフカの遺構を出版したマックス・ブロートと,カフカ晩年を支えたドーラ・ディマントも,この対話を讀むと,

「フランツ・カフカが目の前にいて話しているような印象を受ける」

と語っているように,その体験を文字に写した著者の筆力のたまものでもある。ブロートは,さらに,初めて手記を見た時の印象を,

「あの手記は,私の忘れ難い友の本質的な相貌を―一部私の知らなかった委細をも含めて―感動的に甦らせてくれました」

と書き,その上梓に尽力する。

著者は,「日本語版によせて」で,こう書いている。

「私は今日,私に対する運命の厚意というものを自覚しています。私は困難な青春の暗澹たる一時期に,フランツ・カフカの知遇を得たのであり,私がただ一人で―よきにつけ悪しきにつけ―この時代のなかをよろめきつづけて来たそのすべての年月を通じて,彼の善意と生への献身とを私の伴侶としてきたし,単なる意志の力で我がものとすることの叶うものでもない。フランツ・カフカの言葉は,私にとって,時代の混乱を切りぬけるよすがでもあり,困難きわまる状況にあって私の力となる,友愛の手でありました。私はだから,この私のカフカとの対話を文学とはみなさない。それは信仰告白であり,内なる光の遺産であり,はたすべき課題なのです」

17歳の青年が,晩年のカフカと遭遇した奇跡は,彼自身にとっても巨大な財産であったようである。記録をうしない,ほぼ出版を諦めた時も,恐らく彼を支えたものはカフカとの体験であった。カフカは,彼の両親の離婚をめぐる難局で,彼に,

「忍耐は,すべての状況に対する特効薬です。われわれは,すべてのものと共振し,すべてに身を捧げ,しかも落着いて忍耐強くなければなりません。(中略)曲げたり,折ったりということはあり得ない。自己克服に始まる,克服という行為があるのみです。これは避けるわけにはいかない。この道を逃れるならば,必ず破滅が待っています。忍耐強くすべてを受入れ,成長しなければなりません。不安な自我の限界は,愛によってのみ打ち破られる。私たちの足もとにかさこそ音をたてる枯葉の向こうに,すでに若い新鮮な春の緑を見,そして忍耐し,待たねばなりません。忍耐こそ,すべての夢を実現させる真の,唯一の基盤です」

と語る。この真摯な語りかけを書き残されたこともまた奇跡である。彼自身は,この言葉を,こう受けとめたのである。

「これが,ドクトル・カフカが私に撓まぬ思いやりをもって植付けようとした,彼の生活信条であった。そしてその信条の正しさを彼は私に,あらゆる言葉,あらゆる手振り,あらゆる微笑とその大きな眼の輝き,そして労働者傷害保険局における永年の勤務によって確信させたのである。」

その後の父親の自殺,カフカの死,第二次大戦後の未決監への無実の収監という難局の中でも,その遺産は生きつづけたのだろう。それにしても思う。若くして,巨大な精神と遭遇することは,彼の人生にどんな巨大な翳を落したものか,と。

彼にとっては,カフカは,

「私という人間の掛替えのない本質を庇護する防壁なのである。彼は,その善意と思いやりと気取りのない誠意をもって,氷に閉ざされた私の自我の展開を促し,見守ってくれた当の人である」

という。だから,

「死後出版された作品」

を知らないし,読まないのである。

「わたしには,作家フランツ・カフカの小説や日記を読むことはできない。彼が私に疎遠であるためではない。彼があまりにも身近に思えるからである。青春の混迷とそれに続く内的外的な苦難,経験によって余すところなく打砕かれた幸福の観念,突然に襲い来った公権剥奪とそのため日増しに増大する内的外的の孤独化,こうした私の灰色の,心労と不安に破れ果てた日常そのものが,私を,忍耐と苦悩の人ドクトル・フランツ・カフカに固く結びつけていた。彼は私にとっては文学現象などというものではなかったし,今もその事情は変わらない」

フランツ・カフカを直に知り,頻繁に語り,その語り,振舞いに接してきた彼にとって,

「彼の書物より偉大」

な影響を,しみとおるように受けとったのである。彼は,ただ書く。

「わたしにはフランツ・カフカの書物を読むことはできない。彼の死後はじめて出版された遺稿を学ぶことに依って,私の内部に響いているその人となりの魅惑の余韻が弱まり,疎遠となり,ことによると失われてしまうことを怖れるからである。(中略)遺稿を讀むことによって,私のドクトル・カフカに対して取返しのつかない距離が生じはしまいか,私はそれを怖れるのである。何故なら,…フランツ・カフカは私にとって,抽象的で超個人的な文学現象ではないからである」

彼のカフカ像は,

「『変身』『死刑宣告』『村医者』『流刑地』,そして―私の知っている『ミレナ―への手紙』の作家は,すべて生けるものに対する首尾一貫した倫理的責任の告知者であり,プラーハの労働者傷害保険局の勤務に縛られた一役人の,一見平凡な役所生活において,最も偉大なユダヤの預言者たちの地上を蔽いつくす底の神と真実への憧憬とも紛う,あくなき灼熱の焰を降らせた一人の人間なのである。」

あるいは,彼は,わずか二年の間に,この世得るべきすべてを得てしまったのかもしれない。それもまた,奇跡に等しい。

参考文献;
G・ヤノーホ『カフカとの対話』(筑摩書房)

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2019年04月24日

積む


「つむ」という和語に当てる漢字には,

集む,
詰む,
摘む,
抓む,
積む,

等々がある(この他にも,切む,齧むもある)。ここでは「積む」を取り上げてみるが,「摘む」は,「爪」と関わるので,除外できるとしても,上記のいずれかと,語源が重なりそうな気がする。直感的には,

集む→詰む→積む,

といった意味の流れがある気がするが,「積む」は,

「数あるもの,量るものを一まとめにうず高く重ねて置く意。類義語カサネは,ものを,その上その上と順序をもって置く意」

とある(岩波古語辞典)。「詰む」は,

蔵む,

とも当て,

「一定の枠の中に物を入れて,すき間・ゆるみをなくす意」

とある(岩波古語辞典)。「詰む」には,

集(つど)う,

の意味があり(大言海),「集む」は,

あつむ(集)の約,

とある(大言海)ので,「詰む」と「集む」はつながるようである。

「集」(漢音シュウ,呉音ジュウ)の字は,

「会意。もとは『三つの隹(とり)+木』の会意文字で,たくさんの鳥が木の上にあつまることをあらわす。現在の字体は隹を二つ省略した略字体」

とある(漢字源)。「詰」(漢音キツ,呉音キチ)の字は,

「会意兼形声。吉(キツ)は,口印(容器のくち)の上にかたいふたをしたさまを描いた象形文字で,かたく締めるの意を含む。結(ひもで口をかたくくびる)が吉の原義をあらわしている。詰は『言+音符吉』で,いいのがれする余地を与えないように締め付けながら,問いただすこと。また,中に物をいっぱいつめこんで入口をとじること」

とある(仝上)。日本語にある,

間を詰める,

というような間を狭める,意は元々ない。また「江戸詰」という「詰める」の用法も,「大詰め」というドンヅマリの意も,元々持っていない。

「積」(漢音セキ,呉音シャク)の字は,

「会意兼形声。朿(シ セキ)と,とげの出た枝を描いた象形文字で,刺(さす)の原字。責はそれに貝を加えて,財貨の貸借が重なって,つらさや刺激を与えること。積は『禾(作物)+音符責』で,末端がぎざきざとしげきするようにぞんざいに作物を重ねること」

とある(仝上)。

「つむ」(積む)は,他動詞としては,

置いてあるものの上に重ねて置く,

意だが,自動詞としては,

重なって次第に高く積もる,

意となる。「つむ」の語源は,他の辞書にはあまり載らないが,『日本語源大辞典』は,次のように挙げる。

上に先の伸びる意のツム(積)は,伸びるのを阻んで切る意のツム(摘)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏),
ツモルの約(名語記・類聚名物考),
アツムの略(和句解・日本釈名・類聚名物考),
ツム(集群)の義で,一箇ずつ重ねる意からツ(箇)の活用語化(日本語源=賀茂百樹),
一点一個の義のツから(国語溯原=大矢徹),
ツはテ(手)の轉。手で重ね上げる意から(国語の語根とその分類=大島正健),
ツメキ(築目)の義(名言通),
トム(富)の転か(和語私臆鈔),
ツ-ウム(産)の約(国語本義),
タム,マス(名語記),

正直,是非を判別する根拠はない。しかし,へ理屈,こじつけ,語呂合わせは,経験的に無理筋な気がしている。まっとうで,らしく思えるのは,

アツムの略,

ではあるまいか。

集むの略,

だからこそ,

積む,
集む,
詰む,

の意味の重なりと一致する。もちろん素人の臆説である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:積む 集む 詰む
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2019年04月25日

摘む


「つむ」という和語は,

集む,
詰む,
摘む,
抓む,
積む,
切む,
齧む,

と当て分けているが,

摘む,

とあてる「つむ」は,

抓む,

とも当てる。

指先または詰め先で挟み取る,
つまみ切る,

意であるが,転じて,

ハサミなどで切り取る,刈り取る,

意でも使うし,

爪先や箸で取る,

意にも使う。更にそれに準えて,

摘要,

の意にも広げる。

「摘」(漢音テキ,タク,呉音チャク)の字は,

「会意兼形声。帝は,三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は,それに口を加えた字。摘はもと『手+音符啻』で,何本もの指先をひとつにまとめ,ぐいと引き締めてちぎること。」

とあり,「指先をまとめてぐっとちぎる,つまむ」意である。

「抓」(漢音ソウ,呉音ショウ)の字は,

「会意兼形声。爪(ソウ)は,指先でつかむさま。抓は『手+音符爪』で,爪の動詞としての意味をあらわす」

で,「つまむ,つかむ」意である。

「つむ」(口語つまむ)は,

つま(爪)を活用させた語,

である(広辞苑第5版)。

「指の先で物を上へ引っ張り上げる意。転じて,植物などを指の先で地面から採取する意」

ともある(岩波古語辞典)。「つま(爪)」は,

「ツマ(端)・ツマ(妻・夫)と同じ。『つめ』の古形。複合語として残る」

とあり,「つま(爪)音」「「つまさき(爪先)」「つまづき(爪突き 躓き)」「つまぐる(爪繰る)等々に残る。

大勢は,

ツメ(爪)の活用語化(国語本義・国語溯原=大矢徹・大言海),
ツマ(爪)を活用させた語。指の先で物を上へ引っ張り上げる意(岩波古語辞典),
ツマメ(爪目)の義(名言通),
爪で毟る意か(和句解),

と,「ツメ」または「ツマ」に関係づける。異説は,

つむ(積む)と同源,

とし,

上に先の伸びる意の〈積ム〉のを,阻んで切る〈摘ム〉から(続上代特殊仮名音義=森重敏),

とする説がある。つまり,「積む」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465341125.html?1556046435)で触れたように,

集む→詰む→積む,

の先に,

集む→詰む→積む→摘む,

と意味を拡げたという意である。面白いが,少し理屈に傾き過ぎではあるまいか。やはり,その語意から見ても,

ツマ(爪),

の動作から来ている,

爪ム,

でいいのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:摘む 抓む
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2019年04月26日

スミレ


「スミレ」は,

菫,

と当てる。「菫」(漢音キン,呉音ゴン)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符僅(キン 小さい)の略体』で,小さい野菜」

とある(漢字源)。「スミレ」の意ではあるが,「とりかぶと」の意でもあり,「むくげ(槿)」の意でもあり,「菫菜(キンサイ)」というと,セロリを意味する(仝上)。

「『スミレ』の名はその花の形状が墨入れ(墨壺)を思わせることによる、という説を牧野富太郎が唱え、牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とは言えない」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%AC)。

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「スミレ」の名は,それ以前にもあったはずで,

墨入れ(墨壺)を思わせる,

という文献でもあったのだろうか。

春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来(春の野にすみれ摘みにと来しわれそ、野を懐かしみ一夜(ひとよ)寝にける)山部赤人

山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利(山吹(やまぶき)の、咲きたる野辺(のへ)の、つほすみれ、この春の雨に、盛りなりけり)高田女王

茅花拔 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波(つばな抜く、浅茅が原のつほすみれ、今盛りなりわが恋ふらくは)大伴田村大嬢

の他に長歌が一首のみ(https://art-tags.net/manyo/eight/m1449.html)と,少ないながら,「須美礼」とある。因みに,「つぼすみれ」(都保須美礼)は,ごく小型で、長く茎を出し、白い花をつける,「スミレ」の一種。

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万葉集期に,「スミレ」と「ツボスミレ」が区別されているほど,すでに知られた花であった。「墨壺」は,

「日本では、法隆寺に使われている最も古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があり、この時代から使われていたとされる。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%A3%BA)ほどで,あったとしても一般的ではないのではあるまいか。

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しかし,「墨壺」ではなく,

「花の形,墨斗(スミツボ)の墨芯(すみさし)に似たれば,墨入筆(スミイレフデ)など云へる,略ナラムカト云へる」

とある(大言海)し,『日本語源広辞典』は,それを引き継ぎ,

「墨入れ(筆)の音韻変化」

とする。どうやら,音からきたもののようである。

スミイレフデ(墨入筆)→スミレ(大言海・千草の根ざし),
スミイレ(墨入)→スミレ(日本語原学=林甕臣),

のようである。しかし,筆指は,

「墨さしは、一端がヘラ状、反対側が細い棒状になっています。墨汁を付けて、ヘラ状の側で線を、棒状の側で記号、あるいは文字を書くのに使用します。墨壺、朱壺と共に用いられます。
材質は竹でできています。ヘラ状の側は巾約10〜15mm、先端から約1〜2cmの深さまで縦に薄く割り込みをいれ、ヘラ先の部分を斜めに切り落としています。この部分を曲尺などに沿わせて線を引きます。熟練者は、割り込みを30〜40枚位に極めて薄くいれるといいます。」

とあって(https://www.dougukan.jp/tools/tools_01_02),ペンナイフのように薄いモノだ。どこを指して,「スミレ」が「墨指」に似ているとしたのだろう。墨壺の「池」と呼ばれる墨の入っている部分か,あるいは,墨を蓄える墨入れと、筆を収納する棹部分からなる「矢立」なら,何となく花の形が似ていなくもないが。

tools02-04.jpg



他に,「ツボスミレ」の略,という説(名言通)もある。これ自体,

壺墨入の略(大言海),

とあって,堂々巡りに陥る。納得しかねるが,他に,

スは酸の義。ミレはニレの転で,楡のように滑るところからか(東雅),
ソミレ(染)の義(言元梯),
子供たちが 「相撲 (すまひ)とれ、相撲とれ」と、はやし立てて遊んだ。その「相撲とれ」の転訛(和泉晃一),

という説しかない。ただ,

「花の形が大工道具の『墨入れ(すみいれ・墨壺)』に似ていることからこの名があるとされる。ほかに、古くは春の野に出て若菜を摘む習慣があり、すみれもその若菜の一つとされ、『摘入草(つみいれぐさ)』の『つみれ』が『すみれ』に変化したとする説もある。」

とあり(http://yain.jp/i/%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%8C),

つみいれぐさ→つみれ→すみれ,

説なら,消去法ながら,なんとか納得できる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
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ラベル: スミレ
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2019年04月27日

つまびらか


「つまびらか」は,

詳らか,
審らか,

と当てる。もともと清音で,

つまひらか,

だったらしい。

つばひらかの転,

ともある(大辞林)。

「つばひらか」の音変化。古くは「つまひらか」

ともある(デジタル大辞泉)。

つまひらか→つばひらか→つまびらか,

ということか。

「ツバヒラカの轉。鎌倉時代にはツマヒラカと清音」

とある(岩波古語辞典)ので,

つばひらか→つまひらか→つまびらか,

なのかもしれない。「つばひらか(審らか・審らか)」は,

平安時代,漢文訓読に用いられた語,

とある(仝上)ので,一般化して,

つばひらか(平安時代)→つまひらか(鎌倉時代)→つまびらか,

と,転訛したとみていいようだ。

「詳」(漢音ショウ,呉音ゾウ)の字は,

「会意兼形声。羊は,欠けめなく姿の整ったひつじ。詳は『言+音符羊』で,欠けめなく行き届いて論じることをあらわす」

とある(漢字源)。「審」(シン)の字は,

「会意。番(ハン)は,穀物の種をたにばらまく姿で,播(ハ)の原字。審は『宀(やね)+番』で,家の中に散らばった細かい米粒を,念入りに調べるさま」

とある(仝上)。

「つまびらかに」は,

委曲(ツバラニ)に通ず,

とある(大言海)。「つばらに」は,

詳,
委曲,

と当て,

つまびらかにと同じ,

という(大言海)。『岩波古語辞典』は,「つばら(委曲)」は,

ツバヒラカと同根,

とし,

つばらか(委曲か),
つばらつばらに,

という言い回しがあった,とする。

つばら,
つばひらか,

の,「つば」はどこから来たのか。『日本語源広辞典』は,

「ツバラ(詳・委曲)+ヒラク(開く)」

と,

詳しく開いていく,

意とする。「つばら(委曲・詳ら)」は,

ツはヒトツフタツ(一箇一箇)のツ,ハラはハラハラ(散々)のハラの意,

とする(大言海)。「つばらかに」は,万葉集にもある古い言葉で,

つばらに,
つぶさに,
つぶつぶに,

と同義で,「つばらつばらに」は,

ツバラツバラは,つぶつぶ(委曲)の転音に,ラの接尾語を添えたるもの。重ねて意を強くする,

とある。つまり,「つばら」の「つば」は,

粒,

とする(大言海)。「つば」を,

ツブラ,

とする(日本語源=賀茂百樹)のも,「つぶら」は,「粒」なので同趣になる。

ツバは先鋭の意のムツマの転(日本古語大辞典=松岡静雄),

とみると,「つばらかに」は,

つまびらか,

と重なってくる。現に,「つばら」を,

ツマビラカの略,

と見る説もある(冠辞考・万葉考)。だから,「つまびらか」は,

ツバヒラケシのバがマに変化したツマヒラカニが元になった語。ツマは詳しくの意で,ヒラは開くの意(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

とする説もある。「ツバヒラケシ」は「ツバヒラカ」の形容詞形なので,「つまびらか」と「つばらか」とは重なってくることになる。「つばら」「つばらか」は古い言葉なので,

ツバラカの転,

とする説(国語の語根とその分類=大島正健)もあり,

つばら(つばらか)→つばひらか(平安時代)→つまひらか(鎌倉時代)→つまびらか,

と,もともとあった「つばら」が出発点とみてみたが,どうであろか。

「ひら」は,

開く,

とする(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦,日本語源広辞典,和訓栞)のに従ってみる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;
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2019年04月28日

かまびすしい


「かまびすしい」は,

喧しい,
囂しい,

と当てる。

やかましい,
さわがしい,

意である。「喧」(漢音ケン,呉音コン)の字は,

「形声。『口+音符宣(セン・ケン)』。口々にしやべる意。歡(=歓。口々に喜ぶ)と縁が深い」

とある(漢字源)。「囂」(ゴウ,キョウ)の字は,

「会意。『口四つ+頁(あたま)』

とある(仝上)。いずれも,がやがやとさわがしい意である。

「かまびすしい」の,

「カマは,カマシ(囂)・ヤカマシのカマ同じ。古くは,シク活用。中世以降ク活用」

とあり(岩波古語辞典),

かまみすし,

とも言うとある(仝上)。「かまし」は,

囂し,

と当て,「やかましい」の意で,

「カマはカマビスシ・ヤカマシのカマと同じ」

として,

「『あま,かま』という慣用句の存在からも,古くはク活用であった可能性が高い」

とある(仝上)。「ク活用」とは,語尾が

く(未然形)く(連用形)し(終止形)き(連体形)けれ(已然形)

と変化する。因みに,シク活用は,

しく(未然形)しく(連用形)し(終止形) しき(終止形)しけれ(已然形)

と変化する。

どうやら,

かまびすしい,

やかましい,

かしましい,
も,

すべて,

かま(囂)し,

に端を発している気配である。「かま(囂)し」は,

「カマは,騒がしき音なるべし,カヤカヤ(ガヤガヤ)と通ず(名義抄『硍,カマ,カマナリ(字鏡ニ,硍ハ石聲,雷聲,鐘聲なりとあり)』)。カマシカマシと重ねて,カマカマシとなり,略して,カシカマシとなり(わたかまる,わたまる),又略して,カシマシとなる。カマビスシとも云ふは,カマビスカシの略(名義抄『囂,ヒスカシ』),ヤカマシと云ふは,彌(いや)カマシの略なり」

と,その転訛を説明している(大言海)。「かまびすし」は,

カマシ→カマビスカシ→カマビスシ,

という転訛した,ということになる。

カマシカマシ→カマカマシ→カシカマシ,

の転訛はすっと落ちるが,

カマシ→カマビスカシ,

は,少しスッキリしない。しかし,「かまし」の「かま」は,

擬音,

から来ているということを前提にして,

「カマシ(騒がしい音)+ビシ(きしむ音)+シ」

とする(日本語源広辞典)説も成り立つ。確かに,これだと,

カマシ→カマシ+ビシ→カマビスカシ,

と,不連続がつながる。しかし「ビシ」と人の声以外がはさまるのは,如何であろうか。

「カマシ」からの変化の流れが見えないからだろうか,

釜の中で煮えくりかえるように人が集まり騒ぐさまをいうところから,,カマは釜の義,ビはブリの約,スは集まるの義。またカミは獣類が食を争ってかみあうのにたとえ,カマはカミアの約(国語本義),
ガタビツシの義(言元梯),

等々というのはどうだろ。やはり「かまし」を中心に,

かまし,
やかまし,
かしまし,

というの言葉の周囲に,

かまびすし,

もあるとみていいのではないか。「やかましい」「かしましい」は,別項に改める。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
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2019年04月29日

かしましい


「喧しい」は,

かまびすしい,

とも訓ませるが,

やかましい,
かしましい,

とも訓ませる。「かしましい」は,

喧しい,
囂しい,

と当てるが,どちらかというと,

姦しい,

とあてることが多い。「姦」(漢音カン,呉音ケン)の字は,

「会意。女三つからなるもので,みだらな行いを示す。道を干(オカ)す意を含む。奸(おかす)と同じ」

とあり,「姦」に,「かしまし」と,やかましい意に訓ませるのは,我が国だけのようである。

「かまびすしい」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465403211.html?1556391840),

で触れたように,「かま(囂)し」に端を発しである。「かま(囂)し」は,

「カマは,騒がしき音なるべし,カヤカヤ(ガヤガヤ)と通ず(名義抄『硍,カマ,カマナリ(字鏡ニ,硍ハ石聲,雷聲,鐘聲なりとあり)』)。カマシカマシと重ねて,カマカマシとなり,略して,カシカマシとなり(わたかまる,わたまる),又略して,カシマシとなる。カマビスシとも云ふは,カマビスカシの略(名義抄『囂,ヒスカシ』),ヤカマシと云ふは,彌(いや)カマシの略なり」

と,その転訛を説明している。「やかましい」の項では,

「噫喧(あなかま)しの轉と云ふ,或は云ふ,彌喧(やかま)しの義」

としている。大言海説では,「やかまし」は,

噫喧(あなかま)し→やかまし,
彌囂(いやかま)し→彌喧(やかま)し→やかまし,

と,いずれも感嘆詞を付けた,いうことになる。ただ,「あな」は,

「広く喜怒哀楽の感情の高まりに発する声。多ぐ下に形容詞の語幹だけが来る。中世以後次第に,『あら』にとってかわられた」

とある(岩波古語辞典)が,「いや」は,感嘆詞もあるが,「彌」と当てた,

「イヨ(愈)の母音交替形。物ごとの状態が無限であるさま。転じて,物事の状態が甚だしく,激しくつのる意」

の,「弥増しに」とか「彌栄え」の「いや」のようである。「彌々」で,ますます,の意になる。

「やかなし」は,

「イヤ(彌)かまし(囂)の轉」(岩波古語辞典),
「アナ+カマシイの音韻変化」「アナ+カマビスの音韻変化シ」(日本語源広辞典),

と,イヤかアナかにわかれるが,何れかになるようである。「イヤ」は,

イヤカマシキ(彌囂)の略(俗語考),
ヤカマカシ(彌囂)の義(言元梯),
イヤカマビスシ(彌囂)の義(名言通・日本語原学=林甕臣),
ヤカマシ(彌喧)の義(俚言集覧・和訓栞),

「アナ」は,

アナカマシ(噫喧)の轉(和訓栞),

「ヤ」を呼びかけのヤとし,カマを喧とする(異説まちまち・勇魚鳥・国語の語根とその分類=大島正健),

もある。「かまし」を強調する意では,同じであろうか。これをみても,かまびすし,やかまし,は紛れあっているのがわかる。

「かしまし」は,

カマシカマシ→カマカマシ→カシカマシ→カシマシ,

とするのが大言海説であるが,『日本語源広辞典』も,

「カマ(喧し)+カマ(喧)+シ」

の変化とし,「カマシカマシ→カマカマシ」が逆になって,

カマカマシ→カマシカマシ→マ音脱落→カシガマシ→ガ音脱落→カシマシ,

とするが,大言海説の方が自然ではあるまいか。

カシガマシの略(菊池俗語考),

もあるので,

カマシカマシ→カシガマシ→カシマシ,

といった転訛なのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2019年04月30日

畳む


「畳む」は,

折り返して重ねる,
積み重ねる,

という意味だが,それをメタファに,

心の中に秘めておく,
閉じて引き払う,
始末する(日葡辞典に,「イエ,また,シロヲタタム」と載る),
(重ねてつぼます)すぼめる,
いじめる,弱らせる,
(結末をつける意から)手ひどくいためつける,殺す,

等々と,意味の外延が広い。『江戸語大辞典』を見ると,

分散になる,破産する(百万両の身代今たたむ事なれば)天明元年・見徳一炊夢),
足腰立たぬようにやっつける,殺す。無頼の徒の用語(「エゝ面倒な,畳んで仕舞へ」文化十二年・婦身噓),

と載るのみで,

分解して片づける,

意が室町末期にある(「会所急ぎ畳み申すとの事候」天正十九年・北野社家日記)が,「破産する」という意は江戸期から使われ始めたのではないか。

「たたきのめす」という言い回しは,

無頼の徒の用語,

というあるように隠語的な用例のようである。

さて,「たたむ」は,

タタヌ,タタナハリと同根,

とある(岩波古語辞典)。「たた(畳)ぬ」は,

タタナヅク,タタナハルと同根,

とあり,

たたむ,

意である。「たたな(畳)はる」は,

タタヌ(畳)と同根,

で,

より合い重なる,

意であり,「たたな(畳)づく」は,

タタヌ(畳)と同根,

重なり合う,

意であり,「畳む」は,上代,

畳ぬ,

であり,それに関連して,

たたなづく,
たたなはる,

という言葉があったと見ることが出来る。

くりたたぬ(繰り畳ぬ),

という言葉があり,

引き寄せて畳む,

意である。「たたむ」は,

「タタ(叩と同根)+ミ・ム(折り重ね)」

とし,

叩いて折り重ねる,

意とする(日本語源広辞典)のは如何であろうか。「たた(叩)く」の「たた」は,

「タタは擬音語。クは擬音語・擬態語を承けて動詞を作る接尾語」

とある(岩波古語辞典)。「轟く」「そよぐ」「騒ぐ」など類語がある。積み重ねたり,折り重ねたりに,「叩く」は必要だろうか。別に項を改めるが,「たたく」の「た」は,「て」の古形で,

他の語の上について複合語をつくる,

とある(岩波古語辞典)。「手玉」「他力」「手枕」「手挟む」等々。「たたむ」は,

タワム(撓)の義(言元梯),
タタアム(平編)の約(国語本義),
タカタカメ(高々目)の義(名言通),

と,「畳む」状態を示す方がまだいいのではないか。あるいは,

たた,

は,

楯,
縦,

の意である。関係あるのだろか。

「畳(疂・疊・疉)」(呉音ジョウ,漢音チョウ)の字は,

「会意。『日三つ,または田三つ(いくつも重なること)+宜(たくさん重ねる)』で,平らにいく枚もかさなること。宜の中の部分はもと多の字であり,ここでは多いことを示す」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)

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