2019年06月21日

狗奴国


「狗奴国」は,

くぬのくに,
くぬこく,
くなのくに,
くなこく,

と訓ませることが多い。魏書の中の魏書東夷伝倭人条(略して魏志倭人伝)に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国の名である。倭人伝には,邪馬台国の

「南には狗奴国がある。男子を王と為し,其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D。邪馬台国は,

「斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である」

が境界線であり,その南にある。通常,

「(景初)八年、太守に王頎が到官。倭の女王の卑彌呼と狗奴國の男王の卑彌弓呼は元より不和で、倭は載斯・烏越たちを郡に遣わし、互いに攻擊している状態を説明した。」

と卑弥呼の死後,狗奴国と邪馬台国は交戦したことがわかる(仝上)。倭人伝の記述,

「女王国の東,海を渡ること千余里,復國あり,皆倭種」

の記事は,後漢書倭人伝の,

「女王国より東,海を渡ること千余里,狗奴国に至る。皆倭種といえども女王に属せず」

と重なる。この「狗奴国」は,邪馬台国の東にあることになる。つまり,「狗奴国」は,

魏志倭人伝では,邪馬台国の南,
後漢書倭人伝では,邪馬台国の東,

にあることになる。

邪馬台国の南というので,狗奴国を,

肥後国球磨(くま)郡の地,
菊池(きくち)郡城野(きの)郷,
九州の熊襲 (くまそ) 説,

などに比定するほか,

古くは本居宣長の伊予風見郡河野郷説,
三宅米吉の毛野国説,
笠井新也の熊野説,

等々は,東に基づくのかもしれない。ここでどこにあるかを論ずる気はないが,「狗奴国」の「狗奴」は,

くぬ,
くな,

と訓ませるのが正しいのか。「狗」は,

漢音は,コウ,
呉音は,ク,

である。「奴」も,

漢音は,ド,
呉音は,ヌ

である。「くぬ」「くな」となぜ訓み習わしていたのか分からないが,いずれも,呉音の訓みである。しかし,魏は漢音ではないのか。とすると,魏志倭人伝では,漢音で,

コウド,

と訓ませていた可能性がある。日本語の語源は,

「邪馬台国が北九州に在ったか,それとも近畿大和に在ったかは歴史上の謎であるが,この問題を語源的に考察すると,北九州説に軍配があがる」

と断定する。

「二つの『狗奴国』はこれまでクナ国と呉音で読まれていた。漢・魏は北方の国だから当然,漢音でコド国と読むべきである」

とし,こう推測する。

「日本側で『異なる国。他国。別国』という意味でコト(異)国といったのを,中国側で『狗奴国』で表記したとみられる。つまり,固有名詞(国名)ではなくて二つの狗奴国は普通名詞だったと思われる。
 邪馬台国の南方の異国は熊襲国であり,東方渡海の地の異国は熊襲国であり,東方渡海の地の異国は大和朝廷の勢力圏を指すものである」

と。ふたつの「狗奴国」が国名でなく,普通名詞とすると,東と南に別々に「狗奴国」と名づけたとしても不思議ではない。

この熊襲は,件のヤマトタケルミコトが女装して,『日本書紀』に熊襲の八十梟帥(やそたける)を殺したとされる,熊襲につながる。

少なくとも,慣性のように「呉音」訓みにしたがって考えているかぎり,視界は開けない。なぜこんな当たり前のことを疑わなかったのだろうか。

Yamato_Takeru_at_16-crop.jpg

(女装するヤマトタケル(月岡芳年画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%ABより)


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posted by Toshi at 03:44| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする