2019年09月15日

幕藩体制の確立


藤野保『新訂幕藩体制史の研究―権力構造の確立と展開』を読む。

img158.jpg


徳川にとっての故地三河,遠江・駿河から,秀吉によって,旧北条領地へ移封されて以降,関ヶ原,大阪の役を経て,幕藩体制を確立していくプロセスを,家康―秀忠―家光―家綱―綱吉―家宣―家継,と初期三代と,その一門の将軍から,紀州から入った吉宗までを,精緻にたどった大著である。

本書は,中村孝也『徳川家康文書の研究』中の,

「寛政重修諸家譜を逐一検討するだけでも,関東入国当初における諸将士分封の状況は一層明らかになり,徳川氏家臣団の成立過程・その性格・その構成などを知ることができると思ふけれども,今は其の暇がない。よつてただその志向だけを記しておく」

という言葉を導きに,各藩別の家臣団の成立過程を検討してきた著者が,それを徳川家に当てはめ,

徳川幕藩体制の綜合研究,

に足を踏み込んだ,研究成果である(はじがき)。そして,本書の狙いは,第一に,幕藩体制成立の基礎過程として,

「一方において,太閤検地等の基礎過程に関する豊かな個別研究の成果の上にたって,これを太閤検地施行段階および幕藩体制第一段階における政策構造との有機的関連のもとに統一的把握を試みるとともに,他方において,検地帳が存在する当該地域の検地施行者たる,あるいは個々の幕藩法令を発布する幕府権力および相互に政治条件が異なり,かつ一定の独自性を有する個別大名権力を幾つかの段階に区分しつつ,具体的分析を行なうことによって,権力と政策構造および政策施行の結果を示す小農民の存在形態を総合的に理解し,さらに幕藩体制第二段階への身通しをたてようとするものである」

とする。第二段階とは,吉宗の時代が,各藩の定着にともない,分権化がすすみ,幕藩体制の転換点と目されることをいっている。

さらに,本書は,幕藩体制成立の政治過程として,

「戦国大名徳川氏が近世大名へと発展し,さらに全国統一者として,あるいは前史として徳川氏自身の三河以来の発展過程を追及するとともに,徳川氏の覇権確立以降のいわゆる幕政史においては,徳川幕府権力の拡大過程が,実は徳川一門=親藩・譜代大名の創出・増強の過程であるという理解の上にたって,徳川幕府権力拡大の各段階に応じて,それら徳川系譜大名の創出・増強の過程を,徳川幕藩体制確立との関連において詳細に検討し,かつ幕府機構の整備過程を幕閣内部の権力後世を通じて分析し,各段階における幕政の意義・内容を究明しょうとする」

徳川一門=親藩・譜代大名の創出・増強の過程と表裏一体なのは,改易・転封であるが,それは,

「一方において,幕藩封建社会における封建的ヒエラルヒーの形成が,将軍の大名に対する。大名の家臣に対する圧倒的優位という形で出現する事態を具体的に検討し,終局において幕藩領主的土地所有権が将軍へ帰属する事態を明らかにするとともに,他方において,この編成原理が将軍の外様大名に対する改易・転封を通じて遂行される徳川一門=親藩・譜代大名の全国への転封・配置という形で現象する事態を明らかにしつつ,それが徳川幕府権力拡大の各段階に応じて,具体的に如何なる形をとりつつ如何に遂行されるかを精密に検討し,かつそれを通じて幕府と諸大名が『幕藩体制』のなかで如何に定位せしめられるか,大名類別(旧続大名・織豊大名・親藩・譜代大名)に全国的展望を試み,それが諸大名の土地所有構造および7発展段階差に如何なる影響をおよぼしたかについて」

解明している。いわば,殆どの大名が,植え替え可能な鉢植化するということは,大名家臣もまた,主の転封にともなって鉢植化していくことを意味する。その移封・転封を通して,豊臣体制から,漸次織豊系大名が消され(改易),かわっって,一門が配置されていくことになる。

更に,幕藩体制成立に伴う,流通過程についても分析をし,

「第一に,徳川幕藩体制の確立過程を貨幣の統一・確立の視角から問題とし,戦国大名の貨幣鋳造に系譜を引く近世大名の独自の貨幣鋳造および領内流通,その結果としての独自の領内地域市場が,幕府の貨幣鋳造の独占による統一貨幣の流通によって,漸次それに代位され,その結果,幕府の掌握する全国市場に連携していく過程として把え,これを農民的貨幣経済の前進のなかで把握し…,藩の再生産構造から追求し,第二に,徳川幕藩体制確立との関連において領主的商品流通機構を問題とし,(一)諸大名城下町の形成過程についての全国的展望を試みつつ,これを幕藩領主的土地所有の展開の視角から分析して,その地域差と分業関係の進展度を明らかにし,(二)特に地域差については,譜代小藩(非領国型)と外様大名(領国型)を具体的に比較検討しつつ,(中略)統一権力との対応関係から分析し,さらに近世大名領相互の地域差・発展段階差から,全国諸藩の再生産確保条件の相違と全国市場に対する対応の仕方を追及し,第三に,幕府の都市および門閥商人に対する諸政策を検討しつつ,貿易・市場をめぐる幕藩間の対抗関係
を追及し,鎖国を契機として諸藩の再生産確保条件が,幕府の流通機構に従属せしめられていく過程を明らかにしょとする」

と,その狙いは,権力構造成立過程を中心に,農民政策,流通政策にまで及ぶ。

その過程の分析は,著者自身が,

「寛政重修諸家譜の全面的分析を志向し…ついで徳川実紀・藩翰譜・譜牒余禄・寛永諸家系図伝等の分析に入り,数百枚におよぶ大名カードを作成する一方,御触書集成・徳川禁令考・御当家令条・徳川十五代史等から幕府の法令を,各藩法令集・県郡市町村史等から藩の法令を検索して,これを時代別に配列し,同じ題名を持つ三上参次・栗田元次ぐ両氏の『江戸時代史』を片手に,戦後の活発な社会経済史に関する個別研究を片手に,それらの成果を検討批判しつつ」

書き上げたというように,確かに,関東移封から,家康・秀忠,家光,家綱,綱吉,家宣,家継と続く政権下の,諸大名の改易,減封,移封,転封は,聖地を極める。

しかし,本書末尾で,吉宗時代に触れる中で,その画期とも言える変化について,

殿様は当分之御国主,田畑は公儀之田畑,

という,

「徳川幕府体制確立期における大名領主の封建的土地所有に対する思想の変革を意味する」

と述べる。つまり,徳川幕府が,諸大名を意のままに,鉢植え化できるのは,

天下の土地は,公儀のもの,

という考え方に基づくはずである。秀吉は,全国の土地を,一旦収公し,その上で,旧領を安堵したり,家康を関東に入封したり,政宗を仙台に移封したりした。一番問題なのは,徳川家康は,ただ秀吉の収公の延長線上で,

田畑は公儀之田畑,

としたのか,それとも,秀吉が天皇の権威に依拠したように,天皇に依拠したのか,それとも,全く別の考えに基づくのか,本書では,その徳川幕藩体制の権力の根拠が,僕が読んだ限り,明確ではなかった。

確かに,徳川政権の強化のために,たとえば関ヶ原後,六十八名の徳川一門・譜代大名を創出し,全国に配置しているが,それを遂行しうるのは何に基づいているのか。

大名を改易し,一門大名を増やしていくことは,権力の行使ではあるのだが,その細部が精緻に解き明かされるほど,それを可能にするものは何なのか,ただ徳川氏が相対的に強大であったので,それに従わざるを得なかったということだけでは納得できない何かが残る。鉢植化した大名は,仮にその領地の統治を認められているだけだとして,それを認めさせる徳川政権の権威はどこからくるのか,という問いに代えてもいい。そこが自明のまま議論が進められているように思えたのは,素人の僻目だろうか。たとえば,専門用語でいえば,

将軍の強力な土地所有権=全封建土地所有権,

とある。しかしそれは何に基づくのか。軍事的に秀吉のように,全国を制圧したわけではない。まだ大阪の役の前,

「徳川氏の覇権確立以降において,九州の大名領主相互間の争いが秀頼に持込まれ,その裁定に片桐且元・黒田長政が当たっていることは,西国諸大名がなお徳川氏の権力外にあったことをしめしている」

とある。このとき,秀頼の権威は何に基づくのか。大阪の役後,徳川に移った権威は,何に基づくのか。これは,僕には,大事なことに見えるが,専門的には,一笑すべき問いなのか。

参考文献;
藤野保『新訂幕藩体制史の研究―権力構造の確立と展開』(吉川弘文館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:18| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする