2019年09月18日

屁の河童


前に触れた,

朝飯前(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470157206.html?1568660734),
お茶の子さいさい(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451394732.html),

と似た言い回しに,

屁の河童,

という言い方がある。

河童の屁,

とも言う。

何とも思わないこと,
へいっちゃら,
たわいもないこと,
全く容易でなんともないこと,

等々という意味で使う。この語源は,

木端の火の転訛,
水中でする屁,

の二説がある。「木っ端」説を採るのは,

「屁の河童は木っ端の火(こっぱのひ)という慣用句からきている。木端(木の屑)の燃える火は火持ちしないことから、たわいもないこと・はかないことを木っ端の火といった。これが訛って河童の屁となり、更に転じて屁の河童となった」(日本語俗語辞典)

「『木っ端の火』は語源が定まっているため,『木っ端の火』の転化説が妥当である」(語源由来辞典)

「『屁』は誰の屁であるにせよとるにたりないものであるが、なぜわざわざ想像上の動物である河童に託したのか疑問が残り、水中で出す屁なので勢いがないなどという、苦し紛れの解釈もなされている。一方で、すぐに消えてしまう『木くずについた火』という意味の『木っ端の火』が訛った言葉であるとの見解もあり、どちらかというとそのほうが説得力がある」(笑える国語辞典)

「『木(こ)っ端(ぱ)の火(あっけないこと、たわいのないこと)』がなまって『河童の屁』となり、『屁の河童』と転じたものという」https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-29-5-0001.html

と,ネットで拾う限り,「木っ端」説が大勢である。しかし,語源説は,いままでいろいろ調べた経験で,理屈ばったもの,辻褄を合わせようとするものは,大概付会と相場が決まっている。訳の分からない河童を採ったことの方に,意味がある,と僕は思う。「水中の屁」説は,

「『河童の屁の倒語』です。水中の屁はたわいなく消える,たわいない意です。転じて,たやすい意」(日本語源広辞典)

「河童の屁は水中でするので勢いがないところから」(故事ことわざ辞典)

と,印刷媒体がこれを採る。注目すべきは,「故事ことわざ辞典」が,

物事がたやすくできること,

味も香りもないこと,無味乾燥なこと(多くはうまくない茶にいう),

どっちつかずの中途半端な人間に喩えるのに用いることば,

という意味の変化を述べていることである。

「木っ端の火」では,たやすいことは,意味として見えるが,

無味乾燥,
どっちつかず,

の意味は見えない。無味乾燥の用例として,

気軽さは佐吉かっぱの屁を呑ませ(雑俳・柳多留),

が載る(故事ことわざ辞典)。理屈ばった語源説を,僕は採らない。

河童の屁,

は,河童でなくてはならない。

木っ端の火,

では面白くもおかしくもあるまい。

Kappa_water_imp_1836.jpg

(享和元年(1801年)に水戸藩東浜で捕まったとされる河童 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%AB%A5より)


たやすいことを言うのに,

屁でもない,

という言い回しもある。その屁と河童を繋げたところがミソではないか。河童にとって屁でもないという意の,

河童の寒稽古,

という似た言い回しもある。やはり,河童の屁は,

河童の屁,

でなくてはなるまい。

朝がへりつくづく思やかっぱの屁(金升・柳多留)

という川柳もあるが,江戸語大辞典に,

河童のおなら,

とも載る。ぬるい出がらし茶を,

かっぱのおならといふ茶だ(寛政十一年・品川楊枝),

という用例もある。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:屁の河童
posted by Toshi at 04:19| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする