2019年10月12日

豆腐


「豆腐」は、中国名をそのまま日本訓みしたもの。白壁に似ているので、女房詞で、

おかべ、

ともいう。豆腐をつくるときの皮は、老婆の皺に似ているので、

うば、

と言い、転じて、

ゆば(湯婆)、

と言い、豆腐の粕を、

きらず、

というのは、庖丁を用いなくても刻んだから、という。

おから、

である(たべもの語源辞典)。豆腐は、『本草綱目』では、

「紀元前二世紀前漢時代の淮南王(わいなんおう)で優れた学者でもあった劉安によって発明されたとしている」

とか。この人は、学者・文人を集めて著書を編纂させているが、その中の『淮南王万畢術』に、豆腐の製造方法が記述されている、という。しかしこの本は現存しない(仝上)。ただ、この時代に大豆はまだないとする説もあり、

「一説には豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期であるともいわれている。実際、6世紀の農書『斉民要術』には諸味や醤油についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上『豆腐』という語が現れるのは10世紀の『清異録』からである。唐代には北方遊牧民族との交流によって、乳酪(ヨーグルト)、酪(バター)、蘇(濃縮乳)、乳腐(チーズ)などの乳製品が知られていた。豆腐は、豆乳を用いた、乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたと考えられている」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90

日本へは、

「遣唐使によるとする説が最も有力とされるが、その一員でもあった空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとする説もあるなど様々な説がありはっきりとしていない。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に『唐府』という記述がある」

とか(仝上)。室町中期、文安元年(1444)の『下学集』に、豆腐という語が載っている(たべもの語源辞典)、らしい。

当初は、寺院の僧侶等の間で、次いで精進料理の普及等にともない貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572年)になって、ようやく全国的にもかなり浸透した。製造も奈良から京都へと伝わり、次第に全国へと広がっていき、本格的に、庶民の食べ物として取り入れられるのは、江戸時代となるhttp://www.zentoren.jp/knowledge/history.html。ただ、「慶安御触書」には、

「豆腐はぜいたく品として、農民に製造することをハッキリと禁じています。 その家光の朝食には、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、昼の膳にも擬似豆腐(豆腐をいったんくずして加工したもの)などが出されていた」

らしく、ようやく庶民の食卓に普段の日でものぼるようになったのは、江戸時代の中頃、それも江戸や京都、大阪などの大都市に限られていたhttp://www.tofu-as.com/tofu/history/01.html、らしい。

「江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった。豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。『豆腐値段引下令』に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった」

らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90。ちなみに、江戸で初めて絹ごし豆腐を売ったのは、いまだに続いている老舗「笹の雪」である。価格統制にかかわって、『守貞謾稿』によると、豆腐屋与八を表彰した「豆腐売り」の記事がある。

「豆腐売り 三都とも扮異なく,桶制小異あり。
 京阪豆腐一価十二文、半挺六文、半挺以上を売る。焼豆腐・油揚げ・とうふともに各二文。江戸は豆腐一価五十余文より六十文に至り、豆腐の貴賎に応ず。半挺あるいは四半挺以上を売る。価半価・四分の一価なり。焼豆腐・油揚げ・豆腐各五文。けだし京阪豆腐小形、江戸大形にて価相当す。また京都にては半挺を売らず、一挺以上を売る。
 因に記す、天保十三年二月晦日、江戸の市中に令す。江戸箔屋町豆腐屋与八、豆腐価廉に売る故に官よりこれを賞す。古来、豆腐筥制、竪一尺八寸・横九寸なるをもってこれを製す。これを十あるひは十一に斬り分けて一挺と号けるを例とす。与八のみこれを九挺に斬りて価五十二文に売る。他よりは四文廉なり、云々。当時価五十六文にて、与八のみ形大にして五十二文に売る故にこれを賞す。」

http://www.manabook.jp/aji-essay-toufu.htm

「天明二年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されており、また様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商販売もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得て一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90が、

「『一里腐屋』という『振り売り』が街の中を売り歩きます。売り声を出して売り歩くのですが、豆腐屋さん独特の笛は時代がもっと下ってからのようです。一豆腐屋さんの声が聞こえると『一丁おくれ』というふうに買っていました」

とあるのでhttp://www.glomaconj.com/joho/edojuku1.htm、少なくとも、ラッパは明治以降のようである。

「関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が『音が“トーフ”と聞こえる』ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90

「振り売り」とは、ざる、木桶、木箱、カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで売り歩いたので、こういう。

棒手振り(ぼてふり)、

とも言い、

油揚げ、鮮魚・干し魚、貝の剥き身、豆腐、醤油、七味唐辛子、すし(図2)、甘酒、松茸、ぜんざい、汁粉、白玉団子、納豆、海苔、ゆで卵など食品、

ほうき、花、風鈴、銅の器、もぐさ、暦、筆墨、樽、桶、焚付け用の木くず、笊、蚊帳、草履、蓑笠、植木、小太鼓、シャボン玉など日用品や子供のおもちゃ、

金魚、鈴虫・松虫などの鳴き声の良い昆虫、錦鯉など愛玩動物、

相撲の勝負の結果を早刷りにして売る「勝負付売り」、

等々を売り歩いたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E5%A3%B2

summer_gourmet11_l-thumbnail2.jpg

(『守貞謾稿』江戸時代の豆腐売り、京阪と江戸では異なった https://edo-g.com/blog/2017/08/summer_gourmet.html/summer_gourmet11_lより))


「豆腐」の「腐」を嫌って、「根ぎし 笹乃雪」では、9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「腐る」という字を用いることを嫌って

豆富、

と表記し、それが広まったが、中国でも「腐」を避け、

菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)

等の異名があったとある(『豆腐百珍』)。しかし「腐」は、

「腐るという意味だけでなく液状のものが固形状になったやわらかいもの、という意味」

もあり、そこからきているhttps://j-town.net/tokyo/news/localtv/269715.html?p=all

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする