2019年10月25日

附喪


「つくも」に当てる、

九十九、
江浦草、

については、

「九十九」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471056963.html?1571773759
「つくも」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471076361.html?1571860326)、

で、それぞれ触れた。「つくも」に、

附喪、

と当てると、

付喪神、

の意である。

Hyakki-Yagyo-Emaki_Tsukumogami_1.jpg

(『百鬼夜行絵巻』(室町時代)の付喪神 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9Eより)


しかし「妖怪」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163408.htmlで触れたように、「付喪神」は当て字で、

「九十九」(つくも)、

を指すらしい。だから、

九十九茄子、

と書き、

松本茄子、
富士茄子、

とともに天下三茄子の一つとされる茶入れの名となっている。で、最も評価が高いそれは、松永弾正(久秀)所持により、

松永茄子、

とも呼ばれる。

「つくも」は、

付藻、
江澤藻、
江浦草、
作物、

などとも書くhttps://meitou.info/index.php/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%AB%AA%E8%8C%84%E5%AD%90、とある。「付喪」は、

「室町時代の御伽草子系の絵巻物『付喪神絵巻』に見られるものである。それによると、道具は100年という年月を経ると精霊を得てこれに変化することが出来るという。『つくも』とは、『百年に一年たらぬ』と同絵巻の詞書きにあることから『九十九』(つくも)のことである」

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E、「つくも」で触れたように、やはり、『伊勢物語』の、

百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくもかみ我を恋ふらし面影に見ゆ、

由来するらしい。つまり九十九は、

「長い時間(九十九年)や経験」
「多種多様な万物(九十九種類)」

等々を象徴し,九十九髪と表記される場合もあるが,「髪」は「白髪」に通じ,同様に長い時間経過や経験を意味し,

「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」

の意味を表すとされる。

日本の民間信仰において,長い年月を経て古くなったり,長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に,神や霊魂などが宿ったものの総称で,荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍をもたらし,和(な)ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸をもたらすとされる。

「付喪」自体,長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り,人が大事に思ったり慈しみを持って接すれば幸をもたらし,でなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる。ほとんどが,現在に伝わる妖怪とも重複する。

つまりは,親しみ,泥んだものや人や生き物が,邪険にされて妖怪と化す,というわけだ。どうもそれはものや生きもの側ではなく,こちら側の負い目や慙愧の念に由来する影に思える。確か,花田清輝が,

「煤払いのさい、古道具たちが、無造作に路傍に放り出されるということは、彼らにとって代る新しい道具類のどんどん生産されていたことのあらわれであって、室町時代における生産力の画期的な発展を物語っている」

と書いたように,こちらの都合によるものらしい。だから,捨てられたものは,妖怪に化す。

百鬼夜行とは、

百器夜行、

なのである。

その付喪神を名に負ったのが、前述の「九十九茄子」、

九十九髪茄子、

ともいう大名物・漢作、唐物茄子茶入である。

付藻茄子、

とも呼ばれる。この茶入は、

002_img_01.png

(唐物茄子茶入 付藻茄子 http://www.seikado.or.jp/collection/clay/002.htmlより)


「古来この茄子茶入は『つくもがみ』と呼ばれていた。漢字では『九十九髪』もしくは『付喪神』と表記し、前者の漢字をあてる場合は老女の白髪を意味する。また、後者の漢字をあてる場合は古い器に霊が宿った妖怪を意味する。前者の場合『伊勢物語』の一節「百年に一年足らぬつくもがみ我を恋ふらし面影に見ゆ」から、完全な形を意味する百に対して石間(部分的に釉薬がかからず、土の部分が見えたようになっている部分を指す)が欠点で『百』至らぬ『九十九』という意味で名付けられた。また、後者の場合は二つある石間が両目のようであったからと解されて名付けられた。また、付物・作物の字をあてることもある」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%AB%AA%E8%8C%84%E5%AD%90#cite_note-4。村田珠光が、

九十九貫で購入した、

という伝承があり、それも「つくも」と命名された由来と結び付けられている。この茶入、なかなかその伝来は、また一つの歴史になっている。

「当初は足利義満が所有しており、…その後足利家が所有していたが足利義政により山名是豊に与えられ…その後伊佐宋雲の手に渡り朝倉宗滴(朝倉教景)が五百貫で購入した。後に宗滴から越前小袖屋に質入れされ、1558年に松永久秀が一千貫にて入手する。その後、1568年足利義昭を奉じて上洛した織田信長へ…九十九髪茄子に吉光を添えて献上した。織田信長没後、本能寺の焼け跡から拾い出された九十九髪茄子は豊臣秀吉に献上された。しかし、秀吉は焼けて釉薬の輝きが失われた九十九髪茄子を好まず、有馬則頼に与えた。有馬則頼の没後、九十九髪茄子は大坂城に戻されるが、1615年大坂城落城の際に再度罹災する。徳川家康の命により藤重藤元・藤厳父子が大坂城焼け跡から探し出し、破片を漆で継ぎ合わせて修復を行った。家康は修復の出来映えの褒美として藤元に九十九髪茄子を与えた。以後、藤重家に伝来した」

とある(仝上)。1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られ、現在は、静嘉堂文庫美術館所蔵となっている。

ちなみに、松本茄子は、

「今井宗久から織田信長に献上され、その後信長から宗久に下賜され、信長の死後、宗久から豊臣秀吉に献上し秀吉が所有することになった。また、徳川家康の命令により藤重藤元・藤重藤厳父子によって大坂城焼け跡から掘り出され、修復の後、藤重藤厳が拝領し藤重家が代々所蔵する」

https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E8%8C%84%E5%AD%90が、1876年(明治9年)に岩崎弥太郎が譲り受け、やはり静嘉堂文庫美術館が所蔵する。富士茄子は、

当初は足利義輝が所有しており、京の医師、曲直瀬道三が拝領し祐乗坊に与えた[2]。その後織田信長がこれを召し上げたが再び道三に戻り、道三から豊臣秀吉に献上され、秀吉から前田利家に与えられ、以後、前田家が所有した[2]。別の説では、京都から東国公方に渡り、茄子茶入に縁のある今川氏から京都に環流し、後に前田家に入った」

https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%8C%84%E5%AD%90、ある。

参考文献;
花田清輝『室町小説集』(講談社)
阿部正路『日本の妖怪たち』(東書選書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする