「弁当」は、
外出先で食事するため、器に入れて携える食品、またはその器、
を意味し、転じて、
外出先で取る食事、
の意になった(広辞苑)。「弁当」自体に、「器」の意味があるので、
弁当箱、
というのは、重複した使い方になる。
「弁当」は、
行厨(こうちゅう)、
厨傳(ちゅうでん)、
簞食(たんしょく)、
乾飯(かんぱん)、
破籠(はちょう)、
樏子(るいこ)、
等々の類語がある(日本類語大辞典)、らしいが、和語では、
餉(かれい)、
で、
餉、
乾飯、
とも当てる(岩波古語辞典)。「かれい」は、
乾飯(かれいひ)、
の略で、
旅などに携行した干した飯、
転じて、
携行食糧、
にもいう(広辞苑)。その容器は、「餉(かれい)」を入れる「笥」(け)」で、
餉笥(かれいけ、かれいげ)、
で、
樏子、
とも当てる(仝上)。「わりご」である。「わりご」は、
破子、
破籠、
樏、
割子、
割籠、
等々とも当てる(仝上)。平安頃は、昼弁当を
昼養(ひるやしなひ)、
といった(たべもの語源辞典)。宇治拾遺に、
「奈島の丈六堂の辺にて昼破籠を食ふに」
と載り、「破籠」(わりご)を用いた。
「たべものを入れる器で、その中にしきりがある。割ってあるから『わりご』と呼んだ。今日の折箱のように手軽なものであったから、竹笥(たけささえ 酒・茶・などを入れる物)とともに使い捨てにされたものである。この破子に飯・菜を盛って出したのが弁当」
とある(仝上)。「わりご」は、
「ヒノキなどの白木を折り箱のようにつくり,中に仕切りをつけ,飯とおかずを盛って,ほぼ同じ形のふたをして携行した。古くは携行食には餉 (かれいい),すなわち干した飯を用い,その容器を餉器 (かれいけ) といったが,『和漢三才図会』には『わり子は和名加礼比計 (かれいけ),今は破子という』」
とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、
「平安時代におもに公家の携行食器として始まったが,次第に一般的になり,曲物(まげもの)による〈わっぱ〉や〈めんぱ〉などの弁当箱に発展した」(百科事典マイペディア)
らしい。「弁当」の初出は、江戸初期の『老人雑話』(江村専斎)に、
「信長の時分は辨当と云物なし、安土に出来し辨当と云物あり」
とある(大言海)が、これは、
「安土城作事の時、食事の配当に弁ずる」
者の意味であったとする説もある(日本語源広辞典)。また、江戸中期の『翁草』(神沢貞幹)には、
「安土に出来て弁当と云ふ物有り、小さき内に諸道具をさまる」
とある(仝上)し、江戸後期の『和訓栞(わくんのしおり)』にも、
「昔はなし、信長公安土に来て初めて視(み)たるとぞ」
とある。織田信長が安土城普請で、大ぜいの人にめいめいに食事を与えるとき、食物を簡単な器に盛り込んで配ったが、そのとき、
配当を弁ずる意、
と
当座を弁ずる意、
で、初めて弁当と名づけた(日本大百科全書)ということらしい。しかし、ただ江戸後期の『松屋筆記』には、
「宗二が節用集(饅頭屋本節用集、明応五年(1496)十一代足利義澄のころ)に弁当あれば室町の代の製にて、信長よりも以前の物也」
とあるので、嚆矢は、時代が少し遡るかもしれないが、室町末期の『日葡辞書』には、「bento」が弁当箱の説明で記載されている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E5%BD%93)ので、この時代には、弁当という器物ができて、それに納められるたべものが一般的に弁当とよばれるようになった(たべもの語源辞典)、ということのようである。
では、この「べんとう(べんたう)」の由来は何か。
岩波古語辞典は、
便当、
と当て、
「不便の対。『便道』『弁当』などは当て字」
とし、
便利なこと、
豊かで不自由のないこと、
の意とし、
弁当、
と当て、
外出などの時、食物を入れて携行する容器、またその食物、
とする。「便利」な意味から、「弁当」として使われた、という趣旨らしい。日本語源大辞典も、
「『弁当』の意は、その由来を中国南宋ごろの俗語『便当』に求めることができる。日本でも『便利なこと』の意で中世の抄物などに用いられている。『便利なこと→便利なもの→携行食』といった意味の変化によって生じたと考えられる」
としている。
「『便道』『弁道』などの漢字も当てられた。『弁えて(そなえて)用に当てる』ことから、『弁当』の字が当てられ、弁当箱の意味として使われた」
と考えられる(語源由来辞典)。
辨えてその用に当てる意。弁当の飯の略(柳亭記)
も同趣である。大言海は、
「面桶(めんとう)の轉。面桶(めんつう)に同じ。漢呉音の別なり」
とするが、
「『飯桶(めしおけ)』を意味する『面桶(めんつう)』を漢音読みした『めんとう』から『べんとう』になったとする説もあるが、歴史的仮名遣いは『べんたう』なので考え難い」
ようである(語源由来辞典、日本語源大辞典)。
(弁当と酒を携えて花見を楽しむ江戸時代の人々。歌川広重「江戸名所 御殿山花盛」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E5%BD%93より)
江戸時代になると、弁当はより広範な文化になり、旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。
「腰弁当とは、おにぎりをいくつかまとめたもので、竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした」
もので(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E5%BD%93)、「幕の内弁当」は、江戸時代に始まった。
「能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べていたため、『幕の内弁当』と呼ばれるようになったという説が有力である」
とある(仝上)。江戸時代になり弁当は大いに発達し、容器もいろいろくふうされてきた。提重(さげじゅう)というような豪華なものもできたが、一般には漆器、陶器、木箱などの弁当容器が使われた(本大百科全書)。
(葛飾北斎 「冨嶽三十六景 東海道品川御殿山ノ不二」 桜の花の下で弁当を広げ、宴に興じる三人が描かれている https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai038/より)
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95