2019年12月15日

ういろう


「ういろう」は、

外郎、

と当てる。

「ういろう」というと、歌舞伎の外郎売りの、

親方と申すは、お立ち合いの内に御存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原、一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して、円斎と名乗りまする。元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで、御手に入れまする此の薬は、昔、ちんの国の唐人、外郎(ういろう)という人、わが朝(ちょう)へ来たり、帝へ参内の折から、此の薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒(いちりゅう)ずつ、冠(かぶり)の隙間より取り出だす。依って其の名を帝より、透頂香(とうちんこう)と賜わる。即ち文字には、頂(いただき)、透(す)く、香(にお)いと書きて、とうちんこうと申す云々、

と続くセリフを思い出すが、これは、享保3年(1718)江戸森田座の「若緑勢曽我 (わかみどりいきおいそが) 」で二世市川団十郎が初演。外郎売りが妙薬の由来や効能を雄弁に述べる。

二代目市川団十郎.jpg

(歌舞伎十八番 外郎 二代目市川団十郎・勝川春章 https://www.benricho.org/kotoba_lesson/Uirouri/Nishikie/より)


しかし、「ういろう」には、

外郎薬、

外郎餅、

と、薬と菓子の二つがある。また、「ういろう」を売る「外郎売り」の略の意でもある。

ういろう、

は、唐音らしく、たとえば、

元の人、礼部 (れいほう) 員外郎 (いんがいろう) 陳宗敬が、応安(1368~1375)年中、日本に渡来し、博多に住んで創薬した薬。その子 陳宗奇は京都西洞院に移って外郎家と称し、透頂香 (とうちんこう) の名で売り出し、のち、小田原に伝えられ、江戸時代に評判をとる。痰の妙薬で、口臭を消すのにも用いる、

という薬の意味と、

菓子の名。米の粉・砂糖・葛粉などを混ぜて蒸したもの。元は黒砂糖を使い、色が透頂香に似る。山口・名古屋の名産、ういろうもち、

とある(広辞苑、デジタル大辞泉)。

「ういろう」(ういらう)とそのパッケージと説明.jpg

(「ういろう」(ういらう)とそのパッケージ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%86_(%E8%96%AC%E5%93%81)より)


戦国時代の1504年(永正元年)には、本家4代目の祖田の子とされる宇野定治(定春)を家祖として外郎家の分家(小田原外郎家)が成立し、北条早雲の招きで小田原でも、ういろうの製造販売業を営むようになった。小田原外郎家の当主は代々、宇野藤右衛門を名乗った、とあり、

「1539年(天文8年)に宇野藤右衛門は北条氏綱から河越城郊外の今成郷を与えられ、『小田原衆所領役帳』にも今成にて200貫465文を与えられた馬廻衆の格式で記載されるなど、小田原外郎家は後北条家から所領を与えられて御用商人としての役割を果たしたとみられている。後北条家滅亡後は、豊臣家、江戸幕府においても保護がなされ、苗字帯刀が許された。なお、京都外郎家は現在は断絶している」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%86_(%E8%96%AC%E5%93%81。外郎は、いまも、外郎家が経営する薬局で市販されているhttp://www.uirou.co.jp/kashi1.html

なお、歌舞伎十八番の一つ外郎売りは、

「曾我五郎時致がういろう売りに身をやつして薬の効能を言い立てるものである。これは二代目市川團十郎が薬の世話になったお礼として創作したもので、外郎家が薬の行商をしたことは一度もない」

という(仝上)。「外郎薬」の由来には、別説もある。

「大覚禅師(鎌倉、建長寺の始祖)が宋から来朝したとき、この薬を伝えたとも、大覚禅師に随行して宋からきた官人が京都に止まって、この薬を売り始め、宋音で外郎の『外』を『ウイ』と発音したのに始まる」

と(たべもの語源辞典)。

なお、「透頂香 」の「とうちん」は宋音、らしい。

小田原のういろう.jpg

(「東海道名所圖會」(竹原春泉斎)「外郎家」の店構え https://www.benricho.org/kotoba_lesson/Uirouri/Nishikie/より)


この、

ういろう餅、

の由来が、透頂香と重なるらしいのである。たとえば、

「陳外郎の子孫である外郎家がもてなしに使った菓子も評判となり「外郎」として広まったのだとか。また、外郎薬の口直しに用いた菓子だったからとか、薬の形や色に似た菓子だったから、「外郎」と呼ぶようになった、ともいわれています。」https://shokuiku-daijiten.com/mame/mame-802/

「陳外郎の子孫である外郎家がもてなしに使った菓子も評判となり「外郎」として広まったのだとか。また、外郎薬の口直しに用いた菓子だったからとか、薬の形や色に似た菓子だったから、「外郎」と呼ぶようになった、ともいわれています。」https://shokuiku-daijiten.com/mame/mame-802/

等々、ただ外郎薬に色が似ていただけでなく、外郎家とつなげ「菓子のういろうの名の由来については、この外郎家が製法を伝えたため」とする説さえある。

しかし、他方、

「ういろうもちの現在の製法は、室町時代に、周防山口の秋津次郎作が考えた」http://gogen-allguide.com/u/uirou.html
「美濃の高須に平屋と云へる外郎屋ありしが、当地袋町五丁目の餅屋水谷文蔵は、之と親戚なるを以て、其製法の秘を得、元治元年、試験的に売り始め、普通餅の製造の余業とせり、其後間もなく外郎発売を主としたり」(名古屋市史)、

等々、「ういろう」の名産地での創作の説がある。その「餅文総本店」のホームページには、

「名古屋に伝わったのは、尾張の御用商人だった初代の餅屋文蔵が二代目藩主徳川光友の知恵袋として仕えた明の国出身で書、医学、菓子の知識が深かった陳元贇から製法を教わったのが始まり」

とあるhttp://www.mochibun.co.jp/。この「陳元贇」が「外郎薬」の陳とつながるかどうかははっきりしない。しかし、

「天和二年(1682)八月来朝した朝鮮通信使饗応の献立の中に『外郎餅』がある」

とある(たべもの語源辞典)。山口・名古屋・広島・糸崎・小郡など、に外郎に似たものがある。無理に「外郎薬」の由来とつなげず、

「これが菓子の名になったのは、昔、『たん切り』という餅菓子があって、この『外郎』というたん切りの妙薬と色も形も似ていたからである」

とする(たべもの語源辞典)のが無難のようである。ただ、銀の粒の「外郎」薬からは、「ういろうもち」とどこが似ているのかは、ちょっとわからない。『東海道中膝栗毛』で主人公の喜多八が菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを買い、袋を開けると小さな粒で、それを食べてしまって苦い顔をする場面、ここでは明らかに銀の粒のようである。

小田原のういろう(株式会社ういろう).jpg

(小田原のういろう(株式会社ういろう) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%86_(%E8%8F%93%E5%AD%90)より)


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:26| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする