2020年01月22日

初夢


「初夢」は、

元旦の夜に見る夢、又、正月二日の夜に見る夢、
古くは、節分の夜から立春の明け方に見る夢、

とある(広辞苑)。

元旦の夜、

正月二日の夜、

では違い過ぎる。普通は、今日、

二日の夜、

ではないかと思うのだが、

「現代では、『元日、または2日の夜に見る夢』とか『新年最初に見る夢』とされていますが、実は諸説ありました。昔は立春を正月としていたため、『節分の夜から立春の朝』までに見る夢を初夢と呼びました。やがて、暦が変わると『大晦日の夜』に見る夢ということになり、その後大晦日は年神様をお迎えするために眠らない習慣が定着すると『元日の夜』に見る夢ということになりました。さらに1月2日が物事をはじめる日であるという考えから、『2日の夜に見る夢』も一般的になっていきました。」

とあるhttp://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/oshougatsu/hatsuyume/

つまり、

節分の夜から立春の朝に見る夢

大晦日の夜に見る夢

元日の夜に見る夢

二日の夜に見る夢

と変遷してきたことになる。鎌倉時代の山家集に、

「年くれぬ 春来べしとは 思ひ寝む まさしく見えて かなふ初夢」

とある。ここでは、節分から立春の夜に見る夢を初夢としている。この時代は、初夢に限らず、立春を新年の始まりと考えることが多かったからhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2、としている。

「暦上の元日を新年の始まりと考えるようになったが、単純に、大晦日から元日の夜に見る夢が必ずしも初夢とはならず、江戸時代には『大晦日から元日』『元日から2日』『2日から3日』の3つの説が現れた。『元日から2日』は、大晦日から元日にかけての夜は眠らない風習ができたことが理由とされる。『2日から3日』の由来ははっきりしないが、書初めや初商いなど多くの新年の行事が2日に行われるようになったのに影響されたためとも言われる。江戸時代後期には『2日から3日』が主流となったが、明治の改暦後は、『元日から2日』とする人が多くなった」

ともある(仝上)。江戸語大辞典では、既に、

正月二日の夜の夢、

という意味に変わっており、嬉遊笑覧には、

「いつにても節分の夜のを初夢とするなり、今江戸にて元旦をおきて二日の夜とするものは其故をしらず、晦日は民間には事繁く大かたは寐るものなし、この故に元旦の夜はいたくこうじていぬめれば、さるまじなひ事などは麁略にしたるよりの事にや」

とある(仝上)。面白いことに、大言海は、

元旦の夜の夢、

とし、

今は、正月二日の夜の夢とし、寶船の絵を枕の下に敷くことあり、若し悪夢を見るときは、其絵を水に流すとぞ、

とする。寛文年間の、佐夜中山集には、元旦として、

門松は今朝の初夢合はせ哉、

の句を載せる。大みそかの夜の夢を「初夢」としているようである。考えれば、もともと、

節分の夜から立春の朝までに見る夢を初夢、

といったのなら、

大晦日の夜から元日の朝に見る夢を初夢、

という方が、二日の夜よりは、自然なはずなのだが。

ところで、初夢は縁起良いものとして、

一富士二鷹三茄子、

と言われる。これは、

「江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった『駒込富士神社』の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として『駒込は一富士二鷹三茄子』と川柳に詠まれた」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2。この先は、所説あり、俚言集覧によると、

四扇五煙草六座頭、

としている(初夢については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2に詳しい)。

因みに、「節分(せつぶん、せちぶん)」は、

「各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは『季節を分ける』ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86。本来、季節の移り変わる時、つまり、

立春、
立夏、
立秋、
立冬、

を指したが、

特に立春の前日の称、

を言うようになり、この日の夕暮、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てて、鬼打豆をまいた(広辞苑)、とある。

「(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86。元旦は、旧暦で言うと、

朔、

つまり、

新月、

を言い、2020年で言うと、

1月25日、

が正月となる。立春は、

立春(りっしゅん)は、

二十四節気の第一、

で、2020年で言うと、

2月4日、

に当たる。立春と元旦は、年によってずれ、旧正月より早く立春が来るのを、

年内立春、

旧正月より後に来るのを、

新年立春、

というらしいhttps://jpnculture.net/kyushogatsu-risshun/。なお、正月と立春が重なる時が30年に一度くらいにあるらしく、それを、

朔旦立春、

という、とある(仝上)。新古今に、年内立春を詠んだ、

年のうちに 春は來にけり 一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ(在原元方)

という歌があり、(一月一日から節分まで)の一年を去年と言おうか、今年と言おうか、歌っている。

初夢 一富士二鷹三茄子.jpg

(「初夢 一富士二鷹三茄子」礒田湖龍斎 https://paradjanov.biz/art/favorite_art/favorites_j/3719/より)


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:初夢
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2020年01月23日

かがやく


「かがやく」は、

まばゆいほどきらめく。きらきら光る、光を放つ、

という意味をメタファにして、

生き生きとして明るさがあふれる、

意になったり、

名誉や名声を得て華々しい状態にある、

という意になったり、逆に価値表現が変わり、

(眩しい意から)。照れる、顔を赤くして恥ずかしがる、

意になったりする(岩波古語辞典、広辞苑、goo辞書)。「かがやく」には、

輝く、
耀く、
赫く、
曜く、
光く、
曄く、
煌く、
喗く、
焜く、
煌く、

等々、大漢和辞典には、34字も当て分ける漢字が載る。漢字は、「かがやく」のそれぞれが細かく分かれている。たとえば、

「赫」(漢音カク、呉音キャク)は、

「赤は『大+火』の会意文字で、火が燃え上がる時のあかあかとした色を示す。赫は『赤+赤』で、あかあかとほてるさまをあらわす」

と、燃え上がる火のかがやきを示し、「輝」(漢音キ、呉音ケ)は、

「会意兼形声。軍は丸く円陣を描いた軍営。輝は『光+音符軍』で、光の中心を丸くとりまいた光」

と、火の外を丸く取り巻いて光るさまを示し、「光」(コウ)は、

「会意。人が頭上に火を載せた姿を示す。四方に発散するの意を含む」

で、光りかがやく様を示し、「曜」(ヨウ)は、

「会意兼形声。翟は、きじが高く目立って尾羽を立てること。曜はそれを音符とし、日を加えた字で、光が目立って高くかがやくこと」

で、光が高く目立って輝くことを示し、「燿」(ヨウ)は、

「会意兼形声。翟は高く上がる意を含む。燿はそれを音符とし、光りを加えた字」

で、光が高く照り輝くことを示し、「喗」(キ)は、

「会意兼形声。『日+音符軍』。軍は丸く取り巻く意を含む。喗は、光源から丸く輪をなして四方に広がる光」

で、四方に広がる光を示し、「曄」(ヨウ)は、

「会意。『日+華(はなやか)』。はなやかにかがやくこと。炎はその語尾が転じた語で、曄と同系。また『白+華』の字でも書き表す」

で、赤々と、はなやかに輝く意を示し、「焜」(漢音コン、呉音ゴン)は、

「会意兼形声。『非+音符昆(もやもやとしてまるい)』」

で、光がまるい輪になってほんのりと輝く意を示し、「煌」(漢音コウ、呉音オウ)は、

「会意兼形声。皇は『自(はな)+音符王』かりらなり、偉大な鼻祖(開祖)のこと。大きく広がるの意を含む。煌は『火+音符抗皇』で、光が大きく広がること」

で、光が四方に大きく広がり明るいさまを示し、「燿」(ヨウ)は、

「会意兼形声。翟は『羽+隹(鳥)』の会意文字で、きじが尾羽を目立つように掲げること。擢(テキ 高く抜き揚げること)の原字。燿はそれを音符とし、火を加えた字で、火の光が高く目立ってかがやくこと」

で、高くかがやく火の光を示す(以上漢字源)。

ある意味、和語「かがやく」は、そのすべてを含めているといってもいい。そうなると、

鏡、

との関連が思い浮かぶ。しかし、「鏡」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473097972.html?1578947450で触れたように、「かがみ」の語源は、

「カガはカゲ(影)の古形。影見の意」(岩波古語辞典)

が有力とされた。「かがみ」は「かげ(影・陰・蔭)」は、

「古形カガの転。カガヨヒ・カグツチのカガ・カグと同根。光によってできる像。明暗ともにいう」

ともある(仝上)。「かぐつち(迦具土・火神)」は、

「カグはカガヨヒノカガと同根。光のちらちらする意」

であり、「かがよひ」は、

ガキロヒと同根、

で、

静止したものがキラキラと光って揺れる、

意である。「かぎろひ」の「ヒ」は「火」の意で、

揺れて光る意、

とある(仝上)。不安定な水鑑や銅鏡の映し出す映像を思い描くとき、この説は魅力がある、と考えた。確かに、「かがやく」と関連させて、

「赫見(かがみ)の義。鑑の初は、日神の御光を模して造れると伝ふ、古語拾遺に、八咫鏡に『鋳日像(ヒノミカタ)之鏡、(神代紀に同じ)初度所鋳不合意』。大倭本紀(釈紀所引)に、此御鏡を天懸(アマカカス)神となづくとあり、天赫(あまかがはす)なり」(大言海)

とする説があった。しかし、

かが(爀爀)、

を、

影(かげ)と通ず、

としている(大言海)ところを見ると、

かがやく、
かがよふ、
かがり(篝)、

の語根として、結局、「かげ(影)」も「かが(爀)」も同じことを言っていることになる。しかし「かがやく」は、近世前期まで、

カカヤキ、

と清音であった、とされる。とすると、「かがみ」との関連をすてて、

かかやく、

と清音の語源を考えるべきだろう。しかし、大言海は、

カガは、赫(かが)、ヤクは、メクに似て、発動する意。あざやく(鮮)、すみやく(速)、

と、鏡と同源の「赫」を採る。日本語源広辞典も、

カガ・カガヤ(眩しい・ギラギラ)+く(動詞化)、

同趣の説を採る。更に、他の語源説も、

カクエキ(赫奕)の転(秉穂録)、
カガサヤクの約言(万葉考)、

と「赫」とつなげる説が多い。

清音であることをのぞくと、やはり「かがみ」とのつながりが気になるが、濁点が落ちていた理由がつかめぬ限り、確定はつかない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2020年01月24日

おこし


「おこし」は、

粔籹、
興し、

と当てる。

糯米や粟などを蒸した後、乾かして炒ったものを水飴と砂糖で固めた菓子、

である(広辞苑)。胡麻・豆・胡桃・落花生・海苔などを加える、とある(仝上)。しかし、現在、

関東系の糒 (ほしいい) を水飴と砂糖で練り,箱に入れてさまし拍子木形に切ったもの、
と,
関西系の糒をひいた小米糒を飴と砂糖で練り,岩のように固くしたもの、

の二種がある(ブリタニカ国際大百科事典)、ともある。糒(ほしいい)とは、

米を一度煮たり蒸したうえで、天日に干した飯。乾(干)飯とも書き、「ほしい」「かれい(い)」、

である(日本大百科全書)。

米や麦を煎って膨らませることを、

おこす、

という、とある(たべもの語源辞典)。これが謂れのようである。大言海も、「興米」と当て、

オコシは、炒りて脹れおこしならむ、

とする。ただ、雍州(ようしゆう)府志(1684)は,

「炒った米を水あめで固く練ったところから引きおこして,板状,あるいは球状にするのでこの名があるとし,京都では二口屋(ふたくちや),虎屋のものがよい」

といっている(世界大百科事典)、とする説もある。

「おこし」は、古く、

おこしごめ、

と呼び,

興米、

と書いた(仝上)。

遣唐使によって輸入された唐菓子が原形、

とされている。『和名類聚抄』(和名抄)が、

粔籹(きよじよ)、

の字を当て、「おこしごめ」と訓ませ(日本大百科全書)、

「は蜜(みつ)をもって米に和し、煎(い)りて作る」

と製法を残しているが、糯米(もちごめ)を蒸し、乾燥させてから、炒(い)っておこし種をつくり、水飴(みずあめ)と砂糖で固めるという今日の製法とさして変わらない、古い原型を残している。

煎って膨らむことから、上述のように、「興米」の漢字も用いられ、『延喜式』には神前に供えられた記録も残されており、賞味する貴族がこぼれた破片を払う姿から、

粰𥹷

とも呼ばれた、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%93%E3%81%97

ただ、本来の粔籹は、李時珍の《本草綱目》によると、いまの「かりん糖」に近いものだったようである(世界大百科事典)、とある。

「おこし」は、長く、

おこしごめ、

と言われてきた。鎌倉時代中期の古今著聞集には、

「法性寺(ほっしょうじ)殿(関白藤原忠通(ただみち))、元三(がんざん)(正月1日)に、皇嘉門院(こうかもんいん)(藤原聖子。忠通の長女で崇徳(すとく)后)へまひらせ給(たまい)たりけるに、御くだ物(菓子)をまひらせられたりけるに、をこしごめをとらせ給て、まいるよしして、御口のほどにあてて、にぎりくだかせ給たりければ、御うへのきぬ(正装の上着)のうへに、ばらばらとちりかかりけるを、うちはらはせ給たりける、いみじくなん侍(はべり)ける」

とある。まさに「粰𥹷」である。南北朝時代末期から室町時代前期の成立の『庭訓往来』も、室町時代から近世初期の成立の『猫の草子』も、江戸時代初期の料理書『料理物語』も「おこし米」を使っているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%93%E3%81%97#cite_note-tousyouzi-3

江戸時代初期には庶民の菓子となっているが、『料理物語』に、

「よくいにん(ハトムギの種子)をよく乾かし、引割米のごとくにし」

とあるように、素材もハトムギやアワなどの安価なものが使われた。

雑兵はおこしのような飯を食い(宝暦10年(1760)「川柳評万句合」)

の句がある。このおこしは、ばらつきやすい、いわゆる、

田舎おこし、

の類で、これに対し、大坂の「津の清(つのせい)」が

粟(あわ)おこし、

を改良した

岩おこし、

は、火加減に妙を得た堅固な歯ざわりで評判をとった。今日では大阪の岩おこしをはじめ、東京・浅草の雷おこし、福岡の博多(はかた)おこしなど、名物おこしの数は多い。そして、ほとんどのおこしが適度の堅さを保つ菓子となった(日本大百科全書)、とある。

あわおこし.jpg



江戸で「おこし」を売り始めたのは、美濃国地知の知行所に五十石を領していた徳之山五兵衛だという(たべもの語源辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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書評;
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ラベル:興し 粔籹 おこし
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2020年01月25日

小倉


「小倉」は、

京都市右京区の小倉山付近一帯の古称、

であるが、

小倉餡 (あん) の略、

であり、

小倉汁粉の略、

である。「小倉汁粉」は、

小倉餡で作った汁粉、

である。ふつう、

こしあんを用いたものを御膳汁粉(関西では「汁粉」)、
皮をとらぬ粒あんのものを田舎汁粉(関西では「ぜんざい」)、
砂糖煮のアズキ粒をこしあんに加えたものを小倉汁粉、

と呼ぶ、とある(世界大百科事典)。この辺の微妙な違いはよくわからないが、「餡」は、

「つぶあん(粒餡)」小豆をなるべく皮を破らないよう裏ごし等をせず豆の形を残した餡。柔らかく煮上げて渋を切り、その生餡に甘味を加えて練り上げる。
「つぶしあん(つぶし餡)」小豆を潰すものの豆の種皮は取り除かないもの。
「こしあん(漉し餡)」小豆を潰し布等で裏ごしして豆の種皮を取り除いたもの。
「小倉あん」つぶし餡やこし餡に蜜で煮て漬けた大納言を加えて加工したもの。煮崩れしにくい大納言種の小豆の粒餡と粒の小さい普通小豆のこし餡を混ぜたものが本来の小倉餡であるが、近年では粒餡の事を小倉餡と言う場合も見受けられる。

と分けるらしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1。このほか、

「つぶあんの小豆のつぶをつぶして皮を取り除かないものをつぶしあんといいます。見た目がよく似ているので、このつぶしあんのことを小倉あんと呼ぶことがありますが、本来はまったく別ものです」

ともあるhttps://zexy-kitchen.net/columns/314

ただ、「小倉汁粉」の説明が

小倉餡でつくった汁粉、

であるのはいいとして、微妙に違うのはどういうことか。たとえば、

「小倉餡で作った汁粉。または白餡の汁粉の中に、蜜煮にしたあずきや隠元豆を粒のまま入れたもの」(精選版日本国語大辞典)
「みつ煮にしたあずきをあとから加えるなどして、あずきの粒の形が残るように作った汁粉。田舎汁粉をいうこともある」(和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典)

等々。しかし、小倉餡は、

「漉餡に皮を切らないように蜜煮した大納言小豆を混ぜたもの」

である。この「小倉」は、

「809年頃に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を、現在の京都市右京区嵯峨小倉山近辺で栽培し、和三郎という菓子職人が砂糖を加え煮つめて餡を作り御所に献上したのが発祥とされる」

という説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1が、

小倉山峯のもみじば心あらば今ひとたびのみゆきまたなん(藤原忠平)

にちなんで、粒餡を紅葉に縁のある鹿の子模様に見立てて、「今ひとたびのみゆき待つ」と美味をたたえたもの、とする説もある(たべもの語源辞典)。

ただ、小倉餡といえば大納言である。

「その後、小豆の栽培地が(嵯峨小倉山近辺から)丹波地方などに移り品種改良も進んで古来の小豆『小倉大納言』は亀岡でわずかに残るだけとなっていたが、近年になって嵯峨小倉山の畑で栽培も行われるようになった。二尊院境内に『小倉餡発祥之地』の碑がある」

という経緯も無視できまい。

「小倉あんの味のポイントとなる大納言は、この小倉山周辺で取れる品質のいいものが最適とされていました。小倉山で取れた大納言を使った餡だから、小倉あんというわけです。」

https://zexy-kitchen.net/columns/314。ただ、単に地名由来というより、

「餡は、蜜煮にした大納言小豆をこしあんに混ぜて『鹿の子』に見立てた」

という見方(日本語源広辞典)も、なかなか捨てがたい。小倉山という大納言の産地と、鹿の子に見立てたとの、共に背景にある、と見たい気がする。

因みに、「餡」(漢音カン、唐音アン、呉音ゲン)は、

「会意兼形声。臽(カン)は、おしこめる、くぼめて中に入れるの意。餡はそれを音符とし、食を加えた」

とあり、中国の唐音が語源と見られる。

饅頭などの中に入れる、甘いものや野菜など、

の意だが、「餡かけ」のように使い方は、わが国だけのようである。

「『餡』はもともと詰め物の意であり、『字彙』では餅の中の肉餡を指すとしている。日本へは聖徳太子の時代に中国から伝来したとされ、中国菓子で用いられる肉餡がその原形となっていると考えられている。小豆を用いた小豆餡が開発されたのは鎌倉時代であるとされる」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1。大言海が、

「禅家にて小豆に変へたるならむ」

としているのは、このことであろう。

なお、小倉餡から小倉は小豆となったためか、小豆を使ったとき、広く、

あずきを使う料理やお菓子の総称、

となり、

小倉羹(小倉餡のようにつくった中に煮た寒天をまぜ、粒の小豆を入れて固める)、
小倉玉子(まんじゅうを卵のようにつくって煮小豆を詰める)、
小倉田楽(油揚の一方を切って煮小豆を詰めて付け焼きにする)、

のように、小豆が加えられると、その名がついている(たべもの語源辞典)。

小豆餡(粒餡).jpg

(小豆餡(粒餡) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1より)


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:小倉
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2020年01月26日

おのれ


「おのれ」は、「二人称」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.htmlで触れたように、

オノ(己)+レ(接尾語)

で,「レ」は,「ワレ(我)」や「カレ(彼)」の「それ(其れ)」の「レ」と同じである(大言海、岩波古語辞典)。

「おのれ」は、名詞で、

自分自身,

を指すが,代名詞に転ずると,

一人称、

で、自分自身を指すが、卑下していうことが多い、

とある(岩波古語辞典)。さらに、二人称に転じ、

目下の相手、または相手をののしっていう、

意になる。室町末期の日葡辞書には、

ヲノレメ、

と載る。大言海には、

汝のおのれと云ふより転じて、対称の代名詞にも用ゐる、

とある。さらに副詞に転じ、

ひとりでに、自然に、おのずから、

の意となる(これは、「おのずからとみずから」http://ppnetwork.seesaa.net/article/415685379.htmlで触れた)。

更に転じて、

おのれ、なんのこれしき、

とか、

おのれ、よくも騙したな、

というように、

物事に対してみずから励ますときや、怒りや悔しさを表す感嘆詞としても使われる。

「おのれ」を、

オノ+レ、

とする、この「オノ(己)」は、また、「おのれ」と同様、一人称の、

であり、二人称の、

おまえ、

の意であり、

驚きあやしんでいう感嘆詞、

としても使う。万葉集に、

針袋取り上げ前に置きかへさばおのともおのや裏も継ぎたり

とも詠われる(岩波古語辞典)。この「おの」は、

アナ(己)の母音交替形、

とし、

感嘆詞アナの母音交替形、

とする説(岩波古語辞典)は、「アナ(己)」は、「あながち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/430713882.htmlで触れたように、

アナ(オノレの変化)+勝ち、

であり、

オノ(己)の母音交替形。アナガチのアナに同じ。日本書紀神代巻に「大己貴」を「於褒婀娜武智(おほあなむち)」と訓注しており、「己」をアナと訓む。母音アが脱落するとナ(汝)になる、

とし、同じ二人称「うぬ」は、

オノの轉、

とする。しかし、大言海は、「うぬ」を、

オノレの略轉、

とする(日本語の語源も同じ)。「うぬ」は、「おのれ」「おの」とほぼ同じ意で、

自分自身、
二人称。相手をののしっていう語、
相手の言葉や態度に憤慨したときに発する語(「うぬ、失敬なやつだ」)、

と意味が重なる。「おのれ」が、「オノ+レ」なら、

onore→unu、

よりは、

ono→unu、

と「o→u」転換と見ていいのではないか。貶め度が高まる。「うぬぼれ(己惚れ)」の「うぬ」である。

一人称「おの」は、

おれ、
おら、

一人称「うぬ(己)」は、

うら、

にも転じる。「おら」は、

おのれ→おのら→おいら→おら、

と転じたと大言海はする。「おら」は、一人称で、

自分自身、

を指し、仲間や目下の者とざっくばらんに話す時に用いられる。「俺」「己」「乃公」などと当てる。

男性が用いるぞんざいな言い方の語であるが,近世江戸語では町人の女性も用いた、

とある(大辞林)。さらに、二人称として、

下位の者に対して,また相手をののしる時に用いる、

とあり、「爾」「儞」と当てる。

上代から中古へかけてはもっぱら二人称として用いられた。中世以降,一人称として用いられるようになり,特に近世以降は一人称の語として一般化した。これは貴賤男女の別なく用いられたが,近世末期以降は,女性には一般に用いられなくなった、

ともある(仝上)。

二人称「おのれ(汝)」は、

おどれ、
おんどれ,
おんどりゃあ,

と、さまざまに転訛しつつ、より罵り度を上げていく。「おどれ」「おんどれ」は、

河内言葉。やれ言うたんはおんどれやないかい。「われ」と同様、威嚇語としても使う。西日本では「おどれ」「おどりゃあ」「おんどりゃあ」が多い、

とある(大阪弁)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:おのれ
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2020年01月27日

われ


「われ」は、「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384と似た意味の転化をしている。「われ」は、

我、
吾、
余、
予、

等々と当て、一人称の、

自分自身を指す、

言葉で、

おのれ、
あれ、
わたくし、

の意であるが、中世以後、その人自身の意で、

自分、

そして、二人称に転じて、相手を呼ぶ、

「われは又いづかたよりいづ方へおはする人ぞ」(百座法談聞書)

というように、

そなた、

を指し、後世、相手を卑しめて、

「いつわれがおれに酒をくれたぞ」(狂言・乞聟)

と、

なんじ、
なれ、

の意で使われることが多い、とある(大言海・岩波古語辞典・広辞苑)。

一人称「われ」は、古く、

わ、

といい、

「埴生坂わが立ちみれば」(記紀歌謡)
「しきたへの衣手離(か)れて玉藻なす靡きか寝(ね)らむわを待ちがてに」(万葉集)

と使われたが、平安時代には、「わが」という形以外にはほとんど使われなくなった(岩波古語辞典)、とある。この「わ」も、一人称とともに二人称に使われ、

「おのれ(汝)は何事を言ふぞ、わが主の大納言を高家に思ふか」(宇治拾遺)

と、

親しんで、また相手を卑しめ軽んじて呼ぶ語としてつかい、それを接頭語に、やはり、

「わおきなの年こそ聞かまほしけれ」(大鏡)

と、親愛、または軽侮の意で、

わ(我)君、
わ(我)殿、
わ主(ぬし)、

等々と使う(岩波古語辞典)。この「われ」の意は、

あれ(吾)、

とも使うが、これは、

「ワレ(ware)の語頭wが脱落した形か。平安時代以後はほとんどつかわれず、僅かに慣用句の中に残存する」

とある(岩波古語辞典)。これと、同じ意の、

あ(吾、我)、

との関係はどうなっているのだろう。大言海は、

「漢語我(ア)と暗合、朝鮮語の古語にも、アと云ふとぞ」

と、中国語由来をほのめかしているが、岩波古語辞典は、

「アは、すでに奈良時代から類義語ワ(我)よりも例が少なく、用法も狭い。平安時代になると、『あが』という形をいくつか残すだけで、アは主格や目的格などの場合には使われない。アとワとは、『あが衣(ころも)』『わが衣(きぬ)』などと、似た対象にも使ったが、アは、多くの場合、『あが君』『あが主(ぬし)』など親密感を示したい相手に対して使い、ワは『わが大君』『わが父母』など改まった気持ちで向かう相手に冠する語。転じて、軽蔑の意も表す」

としている。「われ」の転訛「あれ」は「あ」とは、由来を異にする言葉のようである。

「われ」は、

本語は、ワなり、レは添えたる語。…吾(あ)れ、彼(か)れ、誰(た)れも同趣。漢語ウリ(我)」

とある(大言海)。「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384で触れた、

オノ(己)+レ(接尾語)

と同じである。「れ」は、「ら」の項に、

「代名詞を承けて、場所・方向の意を表す」

とある(岩波古語辞典)。

いはた野に宿りする君家人のいずらと我を問はばいかに言わむ(万葉集)、

のように「ら」になったり、

かれ、
われ、
それ、

と「れ」となったりする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:われ
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2020年01月28日

こそあど


「こそあど」は、代名詞の、

これ(此)・それ(其)・あれ(彼)・どれ(何)、

を指し、事物、

これ・それ・あれ・どれ、

方角、

こちら(此方)・そちら(其方)・あちら(彼方)・どちら(何方)(こっち・そっち・あっち・どっち)、

場所、

ここ(此処)・そこ(其処)・あそこ(彼処)・どこ(何処)、

と、話し手との関係によって近称・中称・遠称・不定称に分類され、代名詞以外も、形容動詞、

こんな・そんな・あんな・どんな、

副詞、

こう・そう・ああ・どう、

連体詞、

この・その・あの・どの、

等々がそれぞれ、

「こ」系で近称を、
「そ」系で中称を、
「あ」系で遠称を、
「ど」系で不定称を、

と、指示系列に整理されている。これを佐久間鼎(かなえ)は、

〈こそあど〉の体系、

と呼んだ(日本大百科全書)、とされる。この、近称とか遠称は、単に空間的・時間的な距離が問題なのではなく、

「こ」は話し手の勢力圏にあること、
「そ」は聞き手の勢力圏にあること、
「あ」は両者の勢力圏の外にあること、

を示すものとされ、心理的・感情的な価値表現を含めている。距離にも、たとえば、

視界に入っているかどうか、
上の方にあるか下の方にあるか、
上流か下流か、山の上か麓かなど地理的な情報、
近づいているか遠ざかっているか、横切るのかなどの動きの情報、

等々も使い分けられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E7%A4%BA%E8%AA%9E、とある。

「これ」は、

是、
之、
此、

と当てるが、

コ(此)+接辞レ、

で、「かれ」「あれ」「それ」「だれ」「いずれ」どれ」皆同じ組立てになる(大言海)。「ラ」は、

「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384
「われ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html?1580070619

で触れたように、「代名詞を承けて、場所・方向の意をあらわす」接尾語である。「これ」は、

「かれ」「あれ」と対、とある(岩波古語辞典)が、本来的には、

こ(此)、

で、

空間的・時間的心理的的に話し手に近いものを指す(仝上)。「か(彼)」「そ(其)」に対す(大言海)。

「それ」は、

ソ(其)+接辞レ、

で、「ソ(其)」は、

代名詞シと同根、

とある(岩波古語辞典)。万葉集に、

老人(おい)も女(おみな)童児(わらは)もシが願ふ心(こころ)足(だら)ひに撫で給ひ治め給はば

とあり、

「ソは、ソで終止する用法があるが、シには終止の用法はない。シは下に連体助詞ガを従えるが、ノを従えることはない」

とある(岩波古語辞典)。

「あれ」は、

彼、

と当てる。

あ(彼)+助辞レ、

これの対、

だが、「あ」は、用例が少なく、主として「あは」の形で使われた。

雲立つ山をアはとこそ見れ(大和)

この古形は、「か」で、「あれ」は、

「奈良・平安時代に多く使われた遠称の代名詞カレの轉。話し手に属さない遠い、また不明の、明示すべからざる物事・所・時・人などを指す。平安中期に会話に使われ始め、中世に、次第にカレに取って代わった。後世、意外の気持ちを表明する感動詞にも使う」

とある(岩波古語辞典)。「カレ」は文語として残ったようである(仝上)。日本語源大辞典は、このことを詳しく、「かれ」は、

「①三人称(他称)の代名詞として上代から存在するが用例は少なく、事物・人ともに指示した。『かれ』も含めてカのつく指示語は、コの付く指示語から分化したものといわれる。②上代では、アの付く指示語はみえないが、遠称の『かれ』をはじめカの付く指示語はわずかながら見られ、平安時代になると例がかなり多くなる。この時期、『これ』と『かれ』が対偶的に用いられた例が多くみられる。③カの付く指示語は、平安時代に成立したア系の指示語に、中世以後は次第に取って変わられてゆき、『かれ』も近世では文語調の代名詞としてやや堅苦しい表現のみに用いられ、口語としては使用されなかった。④明治以後、西欧語の三人称男性代名詞の訳語として、口頭語に用いられるようになった。明治以前は、人を指示する場合、男女を問わなかったが、明治以降に同じく訳語として定着していった『彼女』との間で、次第に男女の使い分けをするようになったと考えられる」

とする。

カレ→アレ→カレ、

と先祖返りしたが、性別を持たないわが国の言葉に、性別というものをもたらしたことになる。

ただ、「かれ」について、日本語の語源は、

「カル(離る)の連用形カレ(離れ)が遠称代名詞のカレ(彼)・カ(彼)になったが、[k]を落としてアレ(彼)・ア(彼)になった。また、カレシトコロ(離れし処)の省略形のカシコ(彼処)はアシコ・アソコに転音した。カノカタ(彼の方)の縮約形のカナタ(彼方)はアナタに転音した。」

と音韻から分解して見せている。接尾語「レ」は、今日まったく意味が辿れないが、語原を探ると、

カル(離る)→カレ(離れ)→アレ→ア、

となるとしているので、「これ」「それ」の「れ」も、元々は、何か(たとえば、「こる」「そる」といったような)動詞の意味をもっていた可能性はある。しかし、日本語の語源も、「かれ」以外は、辿れていない。あるいは、大野晋の言うとおり、二音節語までは分析が可能だが、ヤマトコトバの一音一音に個々の意味を割り付けようとする所謂「音義説」には限界があり、日本語の音の結合の仕方についての考え方をまったく変えなければならなくなる、としている(日本語をさかのぼる)所以かもしれない。

「どれ」は、その日本語の語源が、

イズレ(何れ)→どれ、

という転訛を示しているように、

イズレの転(岩波古語辞典)、
イズレのイが省かれて、ヅがドに転じたるなり(大言海)、

とある。「どれ」も、

ど(何)+レ

であるが、「ど(何)」は、

アドのアが脱落した形、

汝(な)をドかも為(し)しむ(万葉集)、

とする(岩波古語辞典)説と、

イヅレのヅの転(大言海)、

とに分かれる。

イヅレ→イドレ→ドレ、

と転じた(小学館古語大辞典、日本語源広辞典)ともあり、「あど」は、岩波古語辞典も載せておらず、こちらの方が分がある。

「こそあど」を探ってみると、和語が文字を持たないからこそ、話し手からの距離が、明確に示される必要があったことが、よくわかってくる気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
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2020年01月29日

ごまめの歯ぎしり


「ごまめの歯ぎしり」とは、

力のない者が、いたずらに苛立ったり悔しがったりすることのたとえ、

であるが、

鰯(いわし)はもともと弱い魚であるが、その上からからに干されているのだから、何もできないという意味であるhttps://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-10-7-0002.html

鱓(ごまめ)の歯軋りは、そんな弱い魚が歯軋りしてくやしがっている様子を言い、くやしがってもどうにもならないという意味である。ゴマメをよく見ると、目を見開き、歯をくいしばって歯ぎしりしているようにも見える(笑える国語辞典)、

等々とある。似た諺に、

家鴨(あひる)の木登り、
蟷螂の斧、

がある。「ごまめ」は、

鱓、
古女、
五万米、
五真米、

等々と当てる。

小形のカタクチイワシ(片口鰯)の乾燥品、

で、

田作、または田作り(たづくり、たつくり)、

と同一視されるが、正確には、

ごまめは田作りと同じものとして扱われているが、本来、田作りよりやや小さいものを『ごまめ』と呼んでいた、

ともある(語源由来辞典)。確かに、

小型のカタクチイワシの素干し(百科事典マイペディア)、
片口鰯(かたくちいわし)の幼魚を干したもの(由来・語源辞典)、

とある。大言海は、

鯷(ひしこ)、

としている。「鯷」(ひしこ)は、

ひしこいわし、

で、

カタクチイワシの別名、

とあるが、大言海は、「ひしこいわし」は、

鰯に似て小さく、別種なり。背は蒼黒にして、腹部は白く、度朝四寸許り、…賤民の食とす。鮮なるは味好し。多くは乾してタツクリとなす、一名セグロイワシ、

としている。主として、主として関東地方で呼んでいるらしい。多くは、カタクチイワシの別名、とするが、厳密には違うようだ。毛吹草(正保)に、

「干小鰯(ほしこいわし)、世にこれをゴマメ、又コトノバラと云ふ」(ホシコはヒシコの轉音)、

とある(大言海)。たべもの語源辞典は、

「(田作りより)小さいものを塩をつけずに干したしろぼしを『ごまめ』といい、また『ひしこ』ともいう。『ひしこ』は『ほしこ』(干小鰯)の『ほ』と『ひ』は通音なので、『ほしこ』が『ひしこ』になった。『ひしこ鰯』というのは、イワシの生魚の名称であるが、ほしこにするイワシというので名づけられた。それで、ひしこイワシを略して、ひしこと呼ぶ場合は、生魚のことになる。干したものは『ごまめ』という。」

と、説いている。

ごまめ.jpg



「ごまめ」は、小さく、弱い者の代名詞で、

ごまめの魚(とと)交じり、
ごまめでも御頭つき、

等々と諺に使われる。

田作(たづくり)、

といったのは、

昔イワシが肥料とされたため(百科事典マイペディア)、
ほしか(干鰯)同様に田畑の肥料にしたため(世界大百科事典)、
イワシは田畑の肥料として使われたことから(笑える国語辞典)、

等々とする説が多いが、

「農夫が田植のときには、最も多くこれを御馳走として。田植の祝肴として用いる」

ため(たべもの語源辞典)のようである。豊年満作を祈って農民が食べ出したというのが正確である。

「ごまめ」は、女房詞では、

ことのはら、

といった。これは、

小殿原(ことのばら)、

で,小さな殿方たちというしゃれた隠語(世界大百科事典)であるらしい。尾頭付きという意味であろうか。

「小形のカタクチイワシを水洗後、莚の上にばらまき、1日数回転がしながら干し上げる。油が少なく、体表面が銀白色に輝き、頭や尾がとれず、形が崩れていないものが良品。油焼けしたり、油のにじみ出たものは不良品である」

とされる(日本大百科全書)。

大言海は、「ごまめ」を、

「ごまめ鰯(和漢三才図絵)と云ふが、成語なり。ゴマメは細羣(こまむれ)の約にて、清音なるを、祝賀の供に、御健全(ごまめ)に言寄せて、濁音となれるならむ。春盤(ホウライ)に、小殿儕(コトのバラ)と云ふは、小さくて積むこと多き子の意なるべく、数子を、賀肴とすると、同意なるべし。田作(たつくり)と云ふは、田の肥料(こやし)とするに就きての名にて、亦、祝賀の意あり。合類節用集(元禄)『気形門、韶陽魚(コトノバラ)』(左訓「ゴマメ」)、韶陽魚は海鷂魚にて、大、小、甚だ異なり、箋注和名抄『韶陽魚、古米、下総本、古下、有萬字』、名義抄『韶陽魚、コメ、コマメ』、本草和名『鱓、魚甲、古女、一名、衣比』、常に、ゴマメに、鱓の字を用ゐるは、此の誤用なり」

とする。「ごまめ」は、

こまむれ(細小群)のむれをちぢめてめといった、

とたべもの語源辞典もいう。語源由来辞典も、

「ごまめは『こまむれ(細群)』の『むれ』が略されたもので、古くは『こまめ』と呼ばれた。『こ』が『ご』と濁音化されたのは、体が丈夫なことを意味する『まめ』(忠実)に接頭語の『ご(御)』が付いた『ごまめ(御忠実)』に言い寄せたものと思われる。」

同趣の説である。「ごまめ」は、田作りとも呼ばれるように、

「田畑の豊穣や子孫繁栄の象徴としてもありがたがられている。つまり、『縁起がいいから』」

と(笑える国語辞典)、縁起物として正月のおせち料理、祝い肴として欠かせないものとされている。しかし、それには、

「昔、天皇が貧乏になられて、頭つき一尾と献立にあっても魚を求められない時代に、頭つきの魚で一番安いゴマメ一尾を皿にのせて飾ったという故事より、お目出度い儀式に用いられる魚となった」

という異説もある(たべもの語源辞典)。

なお、「いわし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460405863.htmlについては、すでに触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
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2020年01月30日

尖端


大岡昇平他編『青春の屈折下(全集現代文学の発見第15巻)』を読む。

青春の屈折下.jpg


現代文学の発見、

と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、

青春の屈折、

と題された、二分冊の後半である。収録されているのは、

野間宏『崩壊感覚』
武田泰淳『異形の者』
井上光晴『ガダルカナル戦詩集』
久坂葉子『ドミノのお告げ』
安岡章太郎『ガラスの靴』
中村真一郎『天使の生活』
吉行淳之介『驟雨』
石原慎太郎『処刑の部屋』
深沢七郎『東京のプリンスたち』
大江健三郎『叫び声』
山川方夫『愛のごとく』
黒田三郎『ひとりの女に』
岸上大作『意志表示』
寺山修司『田園に死す』
大島渚『青春残酷物語』

である。戦前にほぼ、十八、九歳以上であったものと、それより若かったものとでは、たぶん格段の差が出る気がしている。戦争体験のあるものとないものとの差、と言い換えてもいい。

野間宏『崩壊感覚』
武田泰淳『異形の者』
井上光晴『ガダルカナル戦詩集』

に、

安岡章太郎『ガラスの靴』
中村真一郎『天使の生活』
吉行淳之介『驟雨』

を加えた、戦後派作家と、いわゆる第三の新人を一つにくくるのは、乱暴かもしれないが、1930年前後生まれが画期に思える。それ以降の、

大江健三郎『叫び声』
山川方夫『愛のごとく』
石原慎太郎『処刑の部屋』

とは格段に作風が変わると見えた。後世になってみると、そう見える。そして、

大江健三郎『叫び声』

が、数段に、頭抜けている。明らかに、健三郎が、日本文学の新しい地平を切り開いている、ということが、こうして同時期の、他の作家と比べてみると歴然としていることに、僕は驚いた。若い頃、この文体が苦手で、難渋した記憶がある。しかし、今日、改めて読み直してみると、この文体が、時代を切り開き、今やこういう表現が、当たり前になってしまっている、ということにも気づかされる。それほど、この文体もまた、画期であった。

他の作品と比べてみると、はっきりしているが、たとえば、

山川方夫『愛のごとく』
石原慎太郎『処刑の部屋』

と比べてみても、作品世界の構造の大きさ、奥行き、射程の長さ、すべてにおいて、そのスケールが全く違う。他の作品、

山川方夫『愛のごとく』

は、ちょっと例外として、今日、それを読んでもほとんど感動もしない。むしろ、古さを覚える。しかし、

大江健三郎『叫び声』

は、朝鮮戦争前後という時代背景を別にすれば、その内容は、いまだ、今日の日本の状況をも射止めている。射程の長さとは、そういう意味だ。

ダリウス・セルベゾフ(癲癇を病むアメリカ人退役兵)、
虎(日系移民とアフリカ系アメリカ人との混血)、
呉鷹男(日本人と在日朝鮮人の混血)、
僕(日本人の大学生)、

という人物構成そのものが、何かを象徴し、その関係性は、今日の日本をも射抜いている。小説とは、

何を描くか、

ではなく、

どう描くか、

とは、文学の方法(作法ではない)を指す。明確な方法意識のある作家とそうでない作家との差は、時間がすっかりそのメッキを洗い流してくれるという見本のように思う。ただ、第四章だけ、「僕」という語り手を外しているように見える。それだけ呉鷹男をクローズアップしたいという意図かと思うが、結構を崩したようで、ちょっと気になった。

石原慎太郎『処刑の部屋』
大島渚『青春残酷物語』

は、よく似た内容の作品だが、懸命に時代に追いすがろうとするように見えて、あまり好ましくない。石原慎太郎は、いつか時代に取り込まれ、大島渚は時代に追いつかれ、追い抜かれ、晩年の、

愛のコリーダ(1976年)、
愛の亡霊(1978年)、
御法度(1999年)、

は、時代の背中を見ているような位置にいることに気づいていない滑稽さがあった。

山川方夫『愛のごとく』

については、「古井論」http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htmで触れたことがある。

参考文献;
大岡昇平他編大岡昇平他編『青春の屈折下(全集現代文学の発見第15巻)』(學藝書林)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
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2020年01月31日

まめ


「まめ」は、

忠実、

と当てる、

まめによく働くね、

の「まめ」である。当てた字の通り、

まごころがあること、まじめ、誠意、本気、

という意味である(伊勢物語「心もまめならざれば」)が、

労苦をいとわずよく勤め、働くこと(「まめに働く」)、

生活の役に立つこと、実用的(大和物語「車にてまめなるものさまざまにもてきたり」)、

の意味がある(広辞苑)が、今日は、「まめに働く」という意味がほとんどのようである。「誠実」の意味から、「勤勉」の意は広がるが、「実用的」の意味は、少し乖離がある。岩波古語辞典には、

(浮ついたところがなく)誠実、実直、まじめ(古今集「まめなれど何ぞは良けく刈るかやの乱れてあれど悪しけくもなし」)、
忠実(書紀「此の神また忠誠(まめ)ならず」)、
(趣味的・装飾的でなく)実用的(今鏡「まめなる物など乞ひ給ひて、車に積みて」)、
(身体が)達者、丈夫(方丈記「心、身の苦しみを知れれば、苦しむときは休めつ、まめなれば使ふ」)、

と意味が載る。この「実用的」の意味なら、「実直」「誠実」の意味の外延に入りそうである。「達者」は、「勤勉」とつながりそうである。

江戸語大辞典には、「まめ」には、

忠実、勤勉、息災、健康、

の意味しか載らない。こまめに働く人の意の、

まめじん(忠実人)、

言い回しが載っている。

岩波古語辞典には、この語源として、

マメヤカ・マメダチ・マメマメシなどのマメ。実意・誠意のある意。マ(真)とメ(目)の複合語か、

とある。「まめだち」は、

まじめな考え方、ふるまい(源氏「この君の、いたうまめだちすぎて」)、
まじめな顔をする(遊仙窟「いつはりて色を収め、まめだちて曰はく」)、

の意であり、「まめまめし」は、

いかにも本気である(枕草子「思ふ人の、人にほめらるるはいみじう嬉しきなど、まめまめしう宣うふもをかし」)、
まったく実用的である(源氏「花散里なども、をかしきさまのはさるものにて、まめまめしきすぢを思し寄らぬ事なし」)、

の意であり、「まめやか」は、

実意をもっているように感じられるさま、「まめ」よりはやや度合いのゆるい場合に使う、

とあり、

(浮気ではなく)誠実なさま(源氏「大方の人がらまめやかに、あだめきたる所なくおはすれば」)、
本当であること(源氏「まめやかには、おぼし知るところもあらむかし」)、
本格的であること(源氏「雪いたう降りてまめやかに積りにけり」)、
実用向き(源氏「をかしきやうにも、まめやかなるさまにも心寄せつかうまつり給ふ」)、

と、「まめ」の意味をなぞっている。

大言海は、

真実(まみ)の転かと云ふ、

とするが、意外とこれに類する説は多く、

マミ(真実)の転(名語記)、
マミアエ(真実肖)の義(日本語原学=林甕臣)、
真実の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、
マミ(正身)の義(言元梯)、

等々。更に、「真」の字に関連させて、

真の義か(古今集注・俚言集覧)、
マは真の義、メはヘに通じ、フリの義(三部仮名鈔言釈)、
ミ(実)の転マ(真)から生じた語(国語溯原=大矢徹)、

という説もある。その他、

マジメの略(関秘録)、
マジメ(真面目)→マメ(忠実)(日本語の語源)、

とする説もある。意味から見ると、

マジメ→マメ、

はあり得るが、断定しかねる。日本語源広辞典は、

ママ(随)の音韻変化、

とするが、

上長の意のママニ随行することから、

との説明は、少し、「まめ」の用例から外れている。意味から考えると、

マジメ(majime)→マメ(mame)

と少数音節の脱落(日本語の語源)の例と見るのが、今のところ妥当かもしれない。似た例は、

ナツゴシ(夏越し)の祓い→ナゴシ(名越)の祓い、
おもしろい→おもろい、
のりこと(宣り詞)→のりと(祝詞)、
やっこ(家つ子)→やっこ(奴)、

等々、脱落例は多い(日本語の語源)。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:忠実 まめ
posted by Toshi at 05:32| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする