2020年01月09日

気っ風


柳家小三治『どこからお話ししましょうか‐柳家小三治自伝』を読む。

どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝.jpg


10代目柳家小三治の自伝、というか自分史語り、である。別に小三治(師匠、といちいちお断りしないが、その含意で書いています)の追っかけでもないし、落語通でもないので、あくまで通りすがりにちょっと読んだ感想を述べてみたい。

前に、広瀬和生『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』で、小三治に触れているがhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/405538611.html、それと重なるところが少なかった気がする。

まくらの小三治、

という異名があり、「まくら」だけを集めたわけでもなさそうだが、小三治のトークを録った『ま・く・ら』『もひとつ ま・く・ら』という書籍化されたものまである。たしか、

「まくら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/421083802.html

で触れたことと重なるが、

まくら、

は、その演目に合ったものをするが、基本的には、

演じる落語の演目に関連した話をする、
現代ではほとんど使われなくなった人、物、様子などの解説をする、

2種類が骨格で、それにいろいろまぶす結果、いろいろな話が加えられるらしい。小三治のように、

まくらだけで高座が終わる、

ということもあるが、そこまで行くと、本題に入らなくて(そこで終わらないで)、このまま続けてほしい、と(観客側が)いうほどの、まくら自体が、

エンターテイメント、

になっているからかもしれない。

「マクラは、噺の本題とセットになって伝承されてきているものが少なくない」

という。しかし、素人ながら、マクラの果たす役割は、ただ、

現実(この会場のこの時、この場)と噺の世界、

をつなぐ、

回路
というか、
異次元を開くまじない(「開けゴマ」みたいな)、

というだけではない気がする。もちろん、そういう意図があるにはあるが、僕は、いま、噺をしようとしている噺家その人が、その導き手で、その人の口先に乗って、一緒に噺の世界へ入って行くための、

協約関係、
というか、
共同作業関係、
というか、
同盟関係、
というか、

違う言い方をすると、

この(噺の)船頭の船に乗ってついて行っても大丈夫、

という見立ての位置づけにあるのではないか、という気がする。しかし、『ま・く・ら』に載る、

めりけん留学奮闘記、
玉子かけ御飯、
駐車場物語、

他の「まくら」をみると、巧まず飾らず、

どうだいこんな自分だが、

と、おのれ自身を自己開示して見せている感がある。ある意味、そこに、個性があり、人柄が出る。というより押し出す。独特の場づくりになっている。

さて『どこからお話ししましょうか‐柳家小三治自伝』である。このタイトルが、たまらなくいい。本書そのものの自然体を象徴する表現になっている。

その自然体の背後に、とてつもない努力の跡があるはずである。誰かが、

努力できるのも才能、

といった。それを随所でさりげなく語っている。読むうちに、我身を振り返って、思わず、背中に冷や汗が出る。身もだえするほど、脂汗が出る。とても評ずるどころではないのである。で、そんなところをピックアップしておくにとどめる。

お客さんに受けることについて。

「『粗忽長屋』をやってみると、最初からおしまいまで、お客さんに受けるための仕掛けが次々と出てくるんです。くやしいから全部受けようと思って、かなり完成させたんですけどね。そうしたら、師匠にピシッとやられた。噺ってものは最初ボソボソやってても、一番最後、ウワーって盛り上がっておしまいになるもんだ。お前の噺は最初から盛り上げ盛り上げしている。あれじゃあ、自分もくたびれ、客もくたびれちゃうじゃないか、と。(中略)全部うけようとしちゃあいけない。ちょっと受けたなと思ったら、次、ここは受けるはずだと思うところは受けないようにスーッと通り過ぎろとか、結構、技術的なことも言われましたね。それまでは全部受けさせていたんです。『お前のは受け過ぎだ。ただのまんだんになっちゃう。どういう噺か、なぜこの噺がおもしろいのかっていう、一番肝心なことをお前は飛ばしてしまう』って…。」

まくらが変化するきっかけについて。

「この対談(ナベサダとの)をやるまでの私は、高座では決まったマクラしかやらなかった。きちんと、どこからでも文句を言われないようにやっていた。だんだん、これでいいのかよって思うようになった。外側をつくろって、うまく聞こえるのは恥ずかしいことだっていうのは、その後、ほんとうに私のきほんですね。芸、芸術、人の生き方でもなんでも、いいじゃないの、つまずいたって。その人がなにをしようとしているのか、目指していることが素敵だったら、拍手したいよね。また、拍手できる人間になりたいと思う。それにはまず自分の側を取り去ることしかない。結局、そこに行き着いちゃった。」

「私のマクラがだんだん長くなったのは、ラジオの『小沢昭一的こころ』の影響もあるでしょうね。小沢さんの『明日のこころだあー』っていう言葉で番組が終わった途端、一緒にタクシーに乗っていた、私の師匠の小さんが『これが現代の落語っていうもんだよ』ってつぶやいたのを、私は忘れません。(中略)こういう切り口でいいんだ、っていう気持ちになったかもしれません。(中略)私のマクラはなんにでも影響受けてますね。いいと思うものはなんでもいいな、って首つっこんで行っちゃう。
 だから、(入船亭)扇橋がぐだぐだ言っているのを聞いて、私のマクラが長くなったっていうこともあるでしょう。若いころから、私よりマクラが長かった。(中略)主に自分のことなんでしょうけど、なにを言ってたんでしょうかねぇ。あいつはきっと、ほんとうのことを言ってたんでしょう。わざわざおもしろい、ギャグのようなものを並べて喜ばせようっていう漫談じゃなくて、『そんなんで、おもしれえのかよ』って思うんだけど、聞いているとなんかおもしろいような気がするんですね。だから、『こんなんでいいのかい』って私もやりだしたのかもしれません。そしたら、私のほうがながくなったちゃった。」

入船亭扇橋について。

「私が『千早ふる』っていう噺をやったときのことです。(中略)私がはなし終えて頭下げて高座をおりてくると、楽屋で障子越しに聞いていた扇橋がぽろぽろって涙をこぼして『落語ってかなしいね』って言ったんです。なにがかなしいってことは言わない。だけど、五年後ばったり出会う男と女の人生を考えると、『人生はかなしいね』ということにもつながっていくし、それを理解しながら、『噺の中に入り込んで、一生懸命はなしていくのはかなしいね』ということの、ひとつの美的表現かなあ。
 噺に出てくる人の心に寄り添わないと噺はできないって気づいたのかもしれない。それに、かなしさを笑いでまぎらしてしまおうっていう、落語そのもののかなしさっていうものもあるかもしれない。(中略)
 なんかあいつは、おれのそばにいた。なんだったんだろう。やっぱりおれのこと好きだったのかな。そう思うと、おれもあいつのこと好きだったんだねえ。まあ、困ったやつです。」

バイクから学んだこと。

「自分がいっぺんその中へ飛び込んでみると、暴走族がいいっていうわけじゃないけど、そうしなきゃならない人にはなにか理由があるんだって考え始めます。すると、世の中のどんな罪をおかした人でも訳があるんだろうって考える。人間が根本的に変わっちゃったんです。
 落語をやるときでも、そういう人間に変わっちゃった人の噺と、変わっていない人の噺では違うと思う。(中略)世の中の人を悪い人といい人に分けて、自分はいつもいい人の側にいる。その考えは違うなって思ってくると、落語も世間の人を見る目も変わってきた。
 そう見ようとするっていうより、そう見えちゃう。見えなきゃ、人間は理解できない。人間を理解できなきゃ、落語はできない。落語は、人生の、社会の縮図ですから。いつの間にか人が生きるということの根本までかんがえるようになる。」

「小言念仏」をめぐって。

「(金馬師匠の『小言念仏』からの)抜け道のひとつが、三枡家勝太郎さんです。そのやり方は、金馬師匠とはまったく違う。金馬師匠のは、エンターテインメント。いってみれば、シネラマを見ているような、会場中に小言をまき散らすようなやり方です。勝太郎さんのは、ほんとに高座の前にまあ多くても五人、三人ぐらいの家族がいるだけで、それに向かってぶつぶつぶつ言う。それ以上、声を遠くに張りはしない。その景色がおかしかった。
 私がとるのはこっちだなと思って、それをめざしてやったんですけとじ、結局は金馬師匠みたいな形になってきちゃった。そこがまことにくやしい。残念だ。(中略)ほんとうはもう誰も聞かないぐらいの声で、いちばん前の席の人に向って話しかける。いや、話しかけるっていうのがもう違う。話しかけちゃあ、いけないんですよ。」

古今亭志ん朝について。立川談志について。

「志ん朝・小三治」の落語会をやりたいっていうのは、会をやるひとたちにとってはひとつのステイタスだったみたいですけど、なかなか実現しないんです。志ん朝さんのとこへいっても。小三治のところへいっても、なかなかイエスって言わない。だれかがあるとき、マネージャーをやっていた志ん朝さんのカミサンに『どうして志ん朝さんは、小三治さんと一緒に会をやってくれないんですか』ってたずねた。そしたら『きっと、あの二人は芸が似てるから、二人ともいやなんでしょう』って言ったっていうんです。これは言い得て妙ですねえ。」

「みんなは志ん朝さんの口調に注目するけど、私は口調の奥にあるものを見ようとした。これは、だんだんその後になって気がついていくことですけど、芸の本域、芸の奥の院、神髄っていいますか、中身は結局、そこなんです。表面に表れているところより、その奥にあるものがなにかっていうことです。表面に見えているものだけで世間は評価して、感心したりしなかったり、で終わってしまうんだけど、そうじゃなくて、そのむこうにある奥でどんな会話を登場人物がしているのか。まあ、最後はそこじゃないですかねえ。そうすると、そこに演者の個性っていうものが、いつのまにか感じられるようになる。演者の個性が好きだからっていうんじゃなくて、その奥をのぞこうとしていると、いつのまにか演者の個性に動かされているっていう……ちょっと難しいですけど、これは。
 私はやっぱり口調じゃなくて、中に秘められている人柄、立場、そういうもので噺をしていかなきゃあ、人を動かんすことはできないんだなってことに、まあ、気づくことは気づいたんです。(中略)
 志ん朝さんは、若いころのテンポのいい口調のままでは、いつかいけなくなるだろうということに、晩年、ちょっと気がついてきたようでした。どうすればいいのかわからないけれども、これじゃダメだなってことを、感じ始めていました。それだけでも私は、えらいなと思いました。闘ってるなって。闘っていれば、そのうち答えがでてくるんですよ。闘わないやつにはなにも出てこない、と私は信じてるんですけどねえ。
 口調だけに頼らずにといっても、ほとんどかわらないんです。でも、なんか噺の中の人物のこころで噺を進めていくってことが見えてきた。(中略)
 談志さんには、これは言ってもわからないんじゃないかなあ。あの人を心底ひっくり返して説得しなきゃなんない。有名になりたいとか、議員になりたいとか、小三治になりたい、小さんになりたいって、そういうことがなかったら、あの人はとんでもない人になってましたね、あの先、どうなったんだろうって思いはあります。若いときから口調もしっかりしていたし、言うことや考えてることもはっきりしてたから、まともにやってまともにおもしろいひとだった。落語がおもしろいんですから。」

「青葉」をめぐって。

「受けるところは受けたいとか、短い間でわっと笑わせるとか、というもんじゃないんだということは、私がこの世界へ入ったころから言われてました。『そこがおかしいから笑うんじゃなくて、その前があるからおかしいんだ』っていうのは、いまだにこの世界に入ってきた人たちはわからないんでしょうか。…もったいないですねえ。
 伏線を敷くのも、順序だった言葉とか、そういうことではないんです。それより、自分のお庭のデザインなり、吹いてくる風の匂いなり、色なりがちゃんと見えていれば、自然にそういうものが噺に出てくる。そういうものがちょっと見えただけで、庭全体が見えてくる。そのためには、庭の設計図が自分の頭の中に出来てなきゃいけない。どこかへ行って『ここみたいなお庭かな』とか、ふだんからそういうものを拾い集めて、頭の中に入れておく。それを思い出そうとすると、その景色がふわー、ふわーって出てくる。(中略)
 ぽつ、ぽつって言ったなかで、そのぽつぽつの間を埋め尽くしていく景色がお客さんの頭の中に自然に広がっていけば、最高でしょう。お客さんと演者との間合いと間合いがうまく合ったら、そういう景色がみえてくるんじゃないですか。」

この話ぶりに見える気っ風が小気味いい。その人柄と心映えを映している。

本の帯に、こうある。

「噺家になってよかった。一歩、一歩……来ました。」

こう言いたい。

「噺家になってもらってよかった」

と。

参考文献;
柳家小三治『どこからお話ししましょうか‐柳家小三治自伝』(岩波書店)
野村雅昭『落語の言語学』(平凡社選書)
http://allabout.co.jp/gm/gc/207062/

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:32| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする