2020年03月10日

望蜀


「望蜀」(ぼうしょく)は、後漢書(岑彭(しんぽう)伝)に、

人苦不知足、既平隴復望蜀

とあるのに由来する。

ひとつの望みをとげてさらに上を望むこと、
たるを知らないこと、

の意とされる(広辞苑)。

隴を得て蜀を望む、
望蜀の願、

という言い方もする。「隴(ろう)」は、

中国の地名。甘粛省南部、隴山の西の称、

蜀は、

今の四川省、

とされる。後漢書には、

帝……勅彭書曰、両城若下、便可将兵南撃蜀虜、人苦不知足、既平隴、復望蜀。毎一發兵、頭鬚為白

とある(大言海)。李白も、古風詩で、

物苦不知足、得隴又望蜀

と書くほど知られた逸話だ。

光武帝肖像.jpg



千石取れば万石羨む、
思う事一つ叶えばまた一つ、

も似た意味である。光武帝は、

王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。廟号は世祖。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%AD%A6%E5%B8%9D。「隴を得て蜀を望む」の他にも、

志有る者は事竟に成る」、
柔よく剛を制す、

などの言葉を残している(仝上)。一度滅亡した王朝の復興を旗印として天下統一に成功した数少ない君主とされるが、「漢委奴国王」の金印を倭の奴国の使節にあたえた皇帝としても知られる(仝上)。

この逸話は、他にも、隴の地方を手に入れ、さらに蜀を攻めようとしたとき、曹操が司馬懿(しばい 仲達)に答えた言葉としても知られる。

晋書(しんじょ)』宣帝紀には、司馬懿は益州(えきしゅう)(=蜀)を狙うべきだと曹操に進言した。それに対して曹操が、

人苦不知足、既平隴復望蜀、

と言い、その進言に従わなかった、という。この曹操の言葉は、光武帝の言葉を借りている。ただ、光武帝は、

わたしは隴を平定したうえに、さらに蜀の地を望むのである。ただ戦をするたびに、髪の毛が白くなる、

と歎きつつ、蜀を討つことを命じているのに対して、曹操は、戒めとして言ってる。

司馬懿.jpg



司馬懿は、魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた。字は仲達(ちゅうたつ)。西晋が建てられると、廟号を高祖、諡号を宣帝と追号された。『三国志』では司馬宣王と表記されている。曹操は、司馬懿に対して「司馬懿は誰かに仕えるような男ではない」と常に警戒していたとされる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%87%BF

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:48| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする