2020年04月06日

日本人の食生活


渡辺実『日本食生活史』を読む。

日本食生活史.jpg


類書が少ないせいか、随分前(1964年)に上梓された本だが、新装版が出ている。本書は、「我が国の食生活史の時代変遷」を、以下のように、「便宜上区分して」、

自然物雑食時代(日本文化発生-紀元前後) 先土器・縄文時代
主食・副食分離時代(紀元前後-七世紀) 弥生・古墳・飛鳥時代
唐風食模倣時代(八世紀-一二世紀) 奈良・平安朝時代
 貴族食と庶民食の分離 奈良時代
 型にはまった食生活 平安時代
和食発達時代(一三世紀-一六世紀) 鎌倉・室町時代
 簡素な食生活 鎌倉時代
 禅風食の普及 室町時代
和食完成時代(一七世紀-一八世紀) 安土・江戸時代
 南蛮・シナ風の集成 安土・桃山時代
 日本料理の完成 江戸時代
和洋食混同時代(一九世紀-現在) 明治・大正・昭和の時代
 欧米食風の移入 明治・大正時代
 現代の食事 昭和時代

ほぼ一万年にわたる日本の食生活史である。

まず、先土器・縄文時代は、

「何千年にもわたる時代であって、北方系・南方系の両文化がわが列島においてたくみに混合調和している。…この時代は狩猟生活が中心であり、漁撈も行われ、自然物採集」

の時代である。

「日本語と同系統のものは琉球語だけである…。そして日本語がアルタイ諸言語や朝鮮語と同系であるとしても、それと分離したのは六・七千年より古いことであって、そのような太古に日本人の祖先が国土に渡り来たり、この国土で独自の発達をとげたものであると考えられる…。(中略)このように日本民族は単一の人種系統に属するものではなく、石器時代において多くの種族が渡来し混血が行われ、そこに南北両系統の文化が混合し、その後の歴史時代に入っても異質文化をたえず摂取してこれと同化した」

という特質は、ある意味、これ以降の日本の文化すべてに言える、今日まで蜿蜒と続く特色となる。

弥生・古墳・飛鳥時代は、

「金属器と稲作農業の登場によって、農耕が主な生業となり、食生活が安定し、そこに富の蓄積が始まり貧富の差を生じ、貴族と農奴階級が分離して氏族制度が完成する。特に朝鮮半島から仏教・儒教とともに種々の文化が輸入され、食生活も半島のそれを上流階級が模倣し、輸入した時代」

である。特に、紀元前三世紀ごろの、稲作のもたらした衝撃は、

日本史上のいかなる変革にも劣らぬ深刻なもの、

であった。

まず北九州の海岸地帯にはじまり、紀元前一世紀には近畿地方に入り、紀元三世紀の終わりごろには関東地方にもおよび、やがて縄文文化は消滅した、

と。

奈良・平安時代は、

隋や唐と正式に国交がひらかれ、その影響がいよいよこの時代にわが国の文化の様相にいちじるしく洗われる時代、

である。

「貴族階級は奢侈的な唐様食を取り入れることに熱心であった。庶民階級は……貧窮生活者が多く、食生活も粗食であった」

とあるが、孝徳天皇のころ、牛乳が登場し、天智天皇の頃には、官営の牧場をおいて、牛を飼育し、管理する乳戸が置かれ、煮詰めた「酪」(ヨーグルトの類)や「蘇」(バターとチーズをまぜたようなもの)があり、奈良時代、

毎年全国から蘇が朝廷に貢として送られ、乳戸からは毎日新鮮な牛乳がおさめられた、

という。平安時代になると、九世紀末以降遣唐使が廃止され、模倣から独自の文化になっていくが、

「貴族の生活は先規洗例を尊重し、故実と称して旧慣を反復する形にはまった形態となった。彼等の食膳は調味や栄養よりも、盛り合わせの美を尊重する、いわゆる見る料理を育成することになった」

とある。この形式的なものが、

日本食の性格を後世まで規制する源泉、

となったらしい。

鎌倉時代は、

「武士階級…の活動の原動力となったのは、簡素な食風ではあるが、玄米食と獣肉を自由に摂取し、その上に精進料理を加えた食生活であり」

そこに、

和食の完成、

の第一歩を踏み出し、和食発達の素地をつくった、

とされる。

室町時代は、

「喫茶を中心とする食文化が日常化され、末期になると西欧食品・砂糖が移入される。中国からは饅頭・豆腐が輸入され、味噌・醤油の調味料もでき」、

日本風の食品や食生活が発生・発展する、

時代となる。この時期、農業技術の改善・農作物の改良などによって、生産が向上、米のみならず、雑穀、野菜類も豊富になり、この時期、牛蒡・蕗・名荷・芋・胡瓜・里芋・山いもの他、

西瓜、
まくわ瓜、
葡萄、
蜜柑、

なども地方の名産品として現れてきた。この時期の特質は、

食事作法、

について、伊勢流、小笠原流などの流儀ができ、たとえば、飯の食べ方にまで、

「左先を一箸、右を一箸、向を一箸、三箸を一口に入て食ふ也、我が所にて向左右と喰ふ也」

といった具合(今川大雙紙)である。宴席についても、

式三献、
七五三膳・五五三膳・五三三膳、

といった、今日の会席料理や三々九度、駆けつけ三杯に残る作法が形式化された。

安土・桃山時代は、

てんぷら、
蒸留酒、
コンペイトウ、
カステラ、
ビスケット、

等々

中国・朝鮮・東南アジアおよび南蛮から作物・食品・調理法が輸入され、これが集大成されて、

江戸時代の和食完成、

の実現に至ることになる。そして、圧巻は、江戸時代である。

「町人が経済的に勢力を得るに至ったので、武士と町人との両階級の嗜好を入れた食生活が形成される。さらに、新たにシナ風・西欧風のものがとりいれられたために、元禄・化政期には」、

和食、

が完成することになる。

「食事回数の三回は上下の階級に普及し、菜食を主とし、獣食をしりぞけ、魚肉が重視され、精細な味覚と美しい食膳や、精進料理が尊重される」、

日本式の食生活、

が完成する。

居酒屋、
飯屋、

をはじめとする飲食店が出現し、江戸では、

屋台店、

も繁盛、今日の、

鮨屋、
うどん屋、
蕎麦屋、

等々はこの時期から始まる。江戸時代に出来た食生活、飲食店は、ほとんど今日につながっているのを強く印象付けられる。

さて、明治以降洋風化が浸透するが、現代で面白いのは、

学校給食、

である。学校給食は、

明治二十二年十月に山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で、仏教の慈善団体によって実施されたのが最初である。当時は貧困児童に対し就学奨励の意味から行われたものである、

それが全国に広まり、昭和七年には、國が直接学校給食を援助することをはじめ、

当時経済不況によって欠食児童が多くなり、これらの児童の体力低下を防ぎ就学を奨励するために実施された、

ものであり、十六年からは、

身体虚弱児・栄養不良児等に対して栄養を補給する目的から学校給食を開始した、

が、戦争で中断、戦後全校全生徒対象に改められ、今日に至っている。皮肉なことに、今日、その給食が唯一の栄養補給とする生徒が少なからずいる、という。日本は本当に豊かになったのであろうか。

参考文献
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:59| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする