2020年05月20日

ちぎっては投げ。。。


粉川哲夫編『花田清輝評論集』を読む。

花田清輝評論集.jpg


本書は、編者粉川哲夫氏が、

「1949年刊行の『二つの世界』から、遺著となった1974年刊の『箱の話』にいたる九冊の著書から、二九篇のエッセーを選び、ほぼ発表年次順に並べたもの」

であるが、それは、

「花田清輝の文体の多様さや思考の飛躍のあざやかさが端的に表れているものを優先した」

と「解説」で記す。理由は、

「花田清輝にとって、文体は、つねに『内容』と深く結びついているのだが、花田清輝の世界の魅力に接するには、『内容』からよりも文体から入る方がこの作者の流儀にかなっていると思うからである」

としている。そのせいか、僕には、『復興期の精神』『鳥獣戯話』『小説平家』『室町小説集』等々のフィクションに比べると、いまひとつのれなかった。大庭みな子氏が、いつも「くっ、くっ、くっ、」と笑いながら愛読した、というほどの切れ味を感じられなかった。

思うにそれは、編者言う、

「花田清輝の文章は、ことごとく、政治的・文化的な状況に触発されながら書かれている。文壇青磁から国際政治まで、書の文化からテレビ文化までのあらゆる日常的現象から刺激を受けながら、彼が『乱世をいかにいきるか』で言った『ちぎっては投げ、ちぎっては投げ』という批評活動」

の、肝心の文脈を共有できないからに違いない、という気がした。その点、フィクションは、そもそも共有できる文脈の上で展開されるのだから、格段に違うのかもしれない。それと、フィクションの中では、記憶で書くので間違っているかもしれないが、『鳥獣戯話』の中に、れっきとした史書にまぎれて偽書(『逍遥軒記』だったか)を史書の如くに引用して、煙に巻いていたようなことは、現実相手にはむつかしいせいかもしれない。

その中では、1959年刊行の

「柳田國男について」

は、出色であると思った。柳田國男の姿勢を、

前近代的なものを否定的媒介にして、近代的なものを超えようとする、

態度とみる。それはまた、花田自身の方法論とも重なる。だから、

「わたしは、どちらかといえば、柳田史学よりも柳田民俗学に―柳田民俗学によってあきらかにされたわが國におけるさまざまな芸術のありかたに、ヨリ多く興味を持つ。なぜなら、わたしには、それらの芸術のありかたを否定的媒介にしないかぎり、近代芸術をこえた、あたらしい革命芸術のありかたは考えられないからである」

と書いている。それは柳田國男が『藁しべ長者と蜂』で、

「國の文芸の二つの流れ、文字ある者の間に限られた筆の文学と、言葉そのままで口から耳へ伝えていた芸術と、この二つのものの連絡交渉、というよりも、一が他を育み養ってきた経緯が、つい近頃まで心附かれずに過ぎた。昔話のやや綿密なる考察によって、始めて少しずつ我々にわかってきたのである。いわゆる説話文学に限らず、歌でもことわざでも、もとは一切が口の文芸であり、今でもまだ三分の一はそうだ。現にカタリモノなどは、活字になってもなおカタリモノと呼ばれている。即ち少しも筆を捻らぬ人々の隠れたる仕事のあと始末だったのである。それが文人を尊敬するの余りに、悉く椽の下の舞になってしまった。読者という者の文芸能力を無視して、大衆はアレキサンドル大王の兵士の如くでどこへつれて行って討死させてもよいもののようになった」

と述べているのに触れて、

創造者としての大衆の主体性を過小評価、

しているとして、かつての「芸術大衆化論争」を批判しているのだが、それは、今日死語に近いので省くとして、柳田が、

「活字文化以前の視聴覚文化と、以後の視聴覚文化とのあいだにみいだされる対応」

に着眼し、

「前者を手がかりにして後者を創造することによって、活字文化そのものをのりこえていく」
「民間説話などに代表されるかつての視聴覚的表現を手がかりにして、ラジオやテレビなどの未来の新しい視聴覚表現をつくりだし、文学的表現の限界を突破していく」

という問題意識は、半世紀たった今日、確かに、今日、ネットやゲームを含めたデジタル映像文化や漫画が活字文化を凌駕しているのを見るとき、たぶん花田清輝が想定したものとは違ったものになっているはずである。花田の想定した「のりこえ」像はわからないが、活字文化は、(活版印刷の時代の)「活字」という言葉自体が死語になりつつあるのを考えると、最早文字単独で世界をつくる文学以上のことが、視聴覚、あるいは視聴触覚で、表現できる、それが技術的に可能になっているということははっきりしている。そのコンテンツが、活字文化のそれを超えているかどうかは別だが。

花田は、この中で、桑原武夫の、

「日本文化のうち西洋の影響下に近代化した意識の層があり、その下に封建的といわれる、古風なサムライ的、儒教的な日本文化の層、さらに下にドロドロとよどんだ、規定しがたい、古代から神社崇拝といった形でつたわるような、シャーマニズム的なものを含む地層がある」

を紹介しているが、分解して見せた文化地層の、最下層のどろどろした地層こそ、柳田が探求し続けた世界である。今日でも、表層の積み重なりがあろうとも、突然何かの折に吹き出てくるようなマグマとして、あることは確かである。

2020年の春、コロナ禍の最中、疫病よけに効くとされる妖怪「アマビエ」がネットを中心に注目を集めたのも、文化地層の底からの蘇りの気配ではある。

アマビエの出現を伝える瓦版.png

(アマビエの出現を伝える瓦版(弘化3年(1846)4月中旬(5月上旬) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%93%E3%82%A8より)

しかし、そのマグマは、あるいは、視聴覚化した瞬間、例えば、鳥山石燕『画図百鬼夜行』や、水木しげるの『妖怪事典』のように見える化した瞬間、怖くもなんともなくなるということはある。そこに文学の可能性は、僕は残っているし、それは口承文芸と共通する、想像力に依拠した文脈だと感じているのだが。

ところで、もうひとつ本書で取り上げておきたいのは、

「ダイダラ坊の足跡」

ので触れている、南方熊楠である。その巨人ぶりは、今や知らぬ人はいないが、

「日本の学者、口ばかり達者で、足が動かぬを笑い、みずから率先して隠花植物を探索はすることに御座候」

と言いつつ、馬にけられて膝関節を痛めながら、歩くのを諦めぬ姿を書き記す花田には、イロニーも、皮肉もない。珍しいことである。

最晩年、遺著に納められた「箱の話」に、

ひるがえって考えるならば、ここに、こうして立っているわたし自身が、無数の先祖の『生きている墓』であって、べつだん、かれらは、石でつくった、墓らしい墓を欲しがってはいなかったのかもしれないのだ」

とある。それは服部之総の、

「子供のない夫婦はあるが、父と母をもたぬ子供はいない。そうだとすれば、鼠算というものは、子供に関するかぎり不確実であるが、祖先に関するかぎり確実にふえていくものである」

を受けてのものだが、不思議と印象深い。、

なお花田清輝の作品については、

「鳥獣戯話」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470946114.html
「復興期の精神」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472034541.html
「小説平家」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470800504.html

についてそれぞれ触れた。

参考文献;
粉川哲夫編『花田清輝評論集』(岩波文庫)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:33| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする