2020年06月21日

あられ酒


「あられ酒」は、

霰酒、

と当てる。

みぞれ酒、

ともいう。

奈良名産の混成酒、蒸米と米の麹とを入れた味醂、麹が霰のように浮いて見えるのでいう、

とある(岩波古語辞典)が、

糯米(もちごめ)の麹または霰餅を入れて密封し、熟成させた混成酒(広辞苑)、
あられ餅を、焼酎につけて干すことを数回繰り返してから、味醂の中に入れて密封・熟成させた酒(デジタル大辞泉)、
糯米の粕、溶化せずして交(まじ)る(大言海)、

ともあり、結局、酒のなかに、

糯米の麹、
か、
あられ餅、
か、

を浮かしたもの、

ということになるが、

奈良特産のみりんの名。白いかすが混じっているのを、あられに見立てていう(精選版日本国語大辞典)、
もろみが白く残るのでこの名がある(世界大百科事典)、

ということなのではないか。もろみ(醪・諸味)とは、醤油・酒などを作るために醸造した液体の中に入っている、原料が発酵した柔らかい固形物のことである。とすると、敢えて、浮くようにして、妙趣を出そうとした、ということもあるかもしれない。たべもの語源辞典は、

小さく砕いたかき餅を焼酎につけては引き上げて乾かし、これを繰り返して霰をつくり、味醂に入れて密封醸成させた、

という説と、

酒の中に糯米の糀(こうじ)を浮かべたもの、のし餅をつくってから、細かく刻んで焼酎につけ、乾燥することを繰り返し、霰をつくり、酒に加える、

の二説あるとする。どちらも、自然に出た浮遊物ではなく、意識的に「あられ」を浮かべた、ということになる。その由来は、

慶長年間(1596~1615)に、奈良在住の町医者糸屋宗仙(一説には酒造家浅田某という)が、猿沢の池面にあられが降るようすを見て創案したという。製法は、のし餅を細かく刻み、それを焼酎に浸し漬けては乾燥させ、これを繰り返してできるあられ様のものを酒に加える、

とある(日本大百科全書・たべもの語源辞典)。ただ、たべもの語源辞典は、その時期を、

寛永年間(1624~44)、

とし、

猿沢池畔の酒造家浅田某が、池の水に霰が落ちて浮遊するのを見て思いつき、それを真似て作った酒に、霰酒という名を付け、明正天皇に献じた、

とする別説も載せる。明正天皇は、元和九年(1624)~元禄九年(1696)の在位なので、寛永年間ということになる。しかし、多聞院日記の天正三年(1575)一二月一八日に、

十後よりあられ酒樽一つ可二調下一之由被二申上一了、

とあり、あるいは、「あられ酒」は、その由来よりもっと古くからあった可能性はぬぐえない(精選版日本国語大辞典)。その「あられ」は、

糯米の粕、溶化せずして交(まじ)る、

であったのではないか。それに「あられ」を意識的に混ぜた手柄はあるにしても。

あられ酒.jpg


現在も奈良で売られている「南都霰酒(あられ酒)」は、

かき餅、またはもち米を薄く伸ばしてからあられのように切ったものを、焼酎に漬けては引き上げて日に干し、これを数回くり返した後、上みりんとともに瓶に入れ、密封して20日ほど熟成させたもの、

とあるhttp://www.kitora.com/harusika-araresake.htm。その由来には、

起源は慶長時代(1610ごろ)の師走半ば、漢方医絲屋宗仙という人が春日大社へ参詣の帰路、猿沢池の水面に俄(にわか)に降ってきた霰(あられ)がポツポツと落ちて沈んで行く様子を見て、この面白さを風流人であった彼は、医師の立場からも、百薬の長である酒に、この風情を生かせないものかと工夫したのが始まりであるという説が伝えられえています、

とあるhttp://nara-shokubunka.jp/yamato/16-02.html、とか。

「あられ」が文献に名が見られるのは江戸時代のはじめごろからであるが,日本料理ではこまかいさいの目に切ったものをあられと呼んだらしく(世界大百科事典)、のし餅や海鼠(なまこ)餅を切って作ったので,井原西鶴の「武道伝来記」(1687)には、

搔餅(かきもち),霰餅(あられ)をきざみゐしが、

という表現が見られる(仝上)、とある。「犬子集」(寛永)に、

玉よりもさけになしたき霰かな、

という句があり(大言海)、

爐びらきや 雪中庵のあられ酒(蕪村)、
旬のゑらぶみぞれふる夜のあられ酒(其角)、

の句もあり、「あられ酒」は、冬の季語である。

「あられ酒」は、みりん酒の一種なので、料理用のイメージが強いが、江戸時代の人々は薬用として、また高級な甘美酒として愛飲していたらしく、みりんと焼酎を混ぜたものを、上方では「柳陰(やなぎかげ)」、江戸では「本直し」と呼び、井戸で冷やして暑気払いとして飲む習慣があったhttps://nara.jr-central.co.jp/kankou/article/0179、という。

なお、米菓の「あられ」については、「煎餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/468559673.htmlで触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:あられ酒 霰酒
posted by Toshi at 03:31| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月22日

あられ


「あられ」は、

霰、

と当てる。「霰」(漢呉音セン、慣用サン)は、「あられ」の意だが、白い賽の目状のもの、あるいは餅菓子のあられ餅の意で使うのは、わが国だけである。

「あられ」は、

水滴が付着して凍り、白色不透明の氷の小塊となって地上に降るもの、

の意である(広辞苑)。今日、「あられ」は、

雲から降る直径5mm未満の氷粒、

とされ、

5mm以上のものは雹(ひょう)、

として区別されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B0が、違いは大きさだけである。古くは、「雹」をも含めて、「あられ」といった(広辞苑)。また、

凍雨、

を含めて、あられと総称することもある(仝上)、らしい。

あられの粒.png

(あられの粒 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B0より)

「あられ」は、

雪あられ、
氷あられ、

に区別され、「雪あられ」は、

雪の周りに水滴がついたもので白色不透明。気温が0度付近の時に発生しやすく、

「氷あられ」は、

白色半透明および不透明の氷の粒。発生原理は雹と同じで、積乱雲内で発生する。ともに地面に落下すると、パタパタと音を立てる、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B0。単にあられと言った場合、雪あられをさすこともある(仝上)。

「あられ」は、

散(あら)くの語根を重ねて、あらあら、あららの約轉なるべし、

とするのが大言海、

あられとは、散(アラレ)なり、迸り散るの義なるべし、日本紀に、散の字、読みて、アラケと云ふが如き、是れなり(東雅)、

も同趣。日本語源広辞典の、

アラ(粗)+レ(接尾語)、

も関連する。「散(あら)く」は、

疎く、

とも当て(岩波古語辞典)、

粗(アラ)を活用せしむ、疎疎(アララ)になる意、

とあり(大言海)、

散(あら)ぶ、

という語もある。「あら(粗・疎)」は、

こまか(濃・密)の対、

で、

アラアラ(略・粗)・アラク(粗)・アライミ(粗忌)・アラキ(粗棺)などのアラ。物がバラバラで、粗略・粗大である意を表す。母音交替によってオロと転じ、オロカ・オロソカの形で使われる、

とある(岩波古語辞典)。ただ、蛇足ながら、

荒、

と当てる「あら」は、

にき・ニコ(和)の対、

で、

アラカネ(鉄)・アラタマ(璞)・アラト(磺)ノアラで、物が生硬・剛堅で、烈しい、

意を表し、「粗」と当てる「あら」とは起源は別であったが、後に、「荒」一字で両義を意味するようになった(岩波古語辞典)、とある。

小さい粒状の氷塊がパラパラと降るさまは、確かに、

粗、

あるいは、

あらあら、

の感じである。

あられの天気記号(日本式).png

(あられの天気記号(日本式) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B0より)

なお、あられ餅(霰餅)の「あられ」については、「煎餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/468559673.htmlで触れた。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:あられ
posted by Toshi at 03:31| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

霜を履んで堅氷至る


「霜を履(ふ)んで堅氷至る」は、

堅き氷は霜を踏むより至る、

ともいう。

霜を見て氷を知る、

という言い方もあり、

葉落ちて天下の秋を知る、

と似た意味になる。

「霜を履んで堅氷至る」は、

霜が降りる時期になれば、やがて厚い氷が張る寒い冬がやってくる。少しでも災いの兆候が現れれば、やがて大きな災難がやってくることにいう、

とある(広辞苑)。物事には前兆がある、という喩えに使われる。また、

前兆を見たら、次に来るものに対してあらかじめ備えよ、

という意でもある(故事ことわざの辞典)。易経・坤が出典である。

霜を履みて堅氷とは、陰のはじめて凝るなり、その道を馴致すれば、堅氷に至るなり、

とある(易経)

(初六は)陰気の初めて生ずる時、その勢いはなお微弱であるが、放置すればやがて強勢になるから、早くにこれを警戒せねばならぬ。たとえば初めて霜を履む季節ともなれば、やがて堅い氷の張る時がやって来ることを予想すべきである、

と説く(仝上)。易は、

陰陽、

の二爻(こう)であり、これを重ねること三にして、

乾、兌(だ)、離、震、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)、

の八卦をなす、とある(易経)。爻とは効(なら)い交わる意。天地の現象に効って互いに交わり、また他に変ずるの意味、とある(仝上)。八卦を、自然現象に配当すれば、

天、沢(たく)、火(か)、雷、風、水、山、地、

となり、性情に当てれば、

健(健やかに強く)、説(えつ よろこび)、麗(付く)、動、入、陥、止、順、
となる(仝上)。

易に太極あり、これ両義を生ず、両義は四象を生じ、四象は八卦を生ず、

とあり、陰陽二爻から、八卦を組み合わせて、六十四卦三百八十四爻をもって、あらゆる一切の事物の現象の性体及びその作用をみようとする。そこには、天地の理から、神明の情、一身の修養、処世の要諦まで余すところなく含んでいるのだという(仝上)。

陰陽は無限の変化、

である。その変化作用を説こうとする。

一陰一陽、これを道と謂う、

と。陰となり陽となり、また陽となり陰となる無限の変化の原理を取り出して、その実相を説明するのである。

易は天地と準う。故に能く天地の道を弥綸(びりん もれなく包み込む)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す、この故に幽明の故を知る。始めを原(たず)ね終わりに返る、故に死生の説を知る、

とある。

霜を履んで堅氷至る、

もまたそうした卦のひとつである。

「霜」は、「露」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458783261.htmlで触れたことと重なるが、

霜は露の発生と同様,地表面が冷却することででき,その付近の温度が 0℃以下のときに霜となる。このとき気温は地表から 1.5mの高さではかっているため,気温が 3~4℃でも,地表面付近は 0℃以下となり霜ができる場合がある、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

木の枝や地表より高いところにできる霜を樹霜といい,窓ガラスの内側にできる霜を窓霜(霜華)という、

ともある(仝上)。霜の形は、

雪の結晶と同じく六方晶系である。代表的なものには針状、羽毛状、樹枝状、板状、柱状、コップ状などがあるが、形のはっきりしない無定形のものが多い、

ともある(日本大百科全書)。これをメタファに、

かしらに霜をいただく、

というように白髪をいうこともある。これは、

霜毛、

というように「霜のように白い」という漢字の意味や、

星霜、

という漢字の含意から来たのかもしれない。

「霜」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、

会意兼形声。「雨+音符相(縦に向かい合う・別々に並び立つ)」。霜柱が縦に並び立つことに着目したもの、

とある(漢字源)ように、「霜」の字は、どうやら、「霜柱」から作られたもののようであるが、別説は、

霜柱.jpg


形声文字です(雨+相)。「天の雲から水滴がしたたり落ちる」象形と「大地を覆う木の象形と人の目の象形」(「木の姿を見る」の意味だが、ここでは、「喪(ソウ)」に通じ(同じ読みを持つ「喪」と同じ意味を持つようになって)、「失う」の意味)から、万物を枯らし見失わせる「しも」を意味する「霜」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1974.html。個人的には、霜柱から来たとするのがいい気がする。確かに予兆と考えると、霜の気がしないでもないが、

霜を履んで堅氷至る、

は、霜柱にこそふさわしい気がするが、如何であろうか。

地面に張った霜.jpg

(地面に張った霜 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9Cより)

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
高田真治・後藤基巳訳『易経』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:31| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月24日

雲居


「雲居(くもゐ)」は、

雲井、

とも当てる。

「居」は居座る意、

なので、

「井」は当て字、

とある(広辞苑)。

高積雲.jpg


「雲居」は、

雲が居るほど高いところ、

すなわち、

大空、

の意であり、「雲の居る」ところは、すなわち、

雲、

の意ともなり、たとえば、

雲居隠り、
雲居路、

の「雲居」は、ほぼ「雲」の意であるが、さらに、それが比喩的に、

遠くまたは高くてはるかに離れているところ、

の意となり、

雲の上、

の意で、

宮中、皇居、

を意味する。万葉集の、

神の御面(みおも)と継ぎ来る那珂の港ゆ船浮けて我が漕ぎ来れば時つ風雲居に吹くに沖見ればとゐ波立ち辺(へ)見れば……、

は、「空」の意である。同じ、

雲居なる海山越えてい行きなば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも

は、「はるかに離れた」という意になり、古事記の、

はしけやし我家(わぎへ)への方よ雲居立ち来も、

は、「雲」の意であり、「南殿の花を見てよみ侍りける」とある、

春ごとの花に心はそめ置きつ雲居の櫻我を忘るな(玉葉)、

は、「宮中」を指す。

大言海は、「雲居」を、

雲の集(ゐ)るところの義(仙覚抄)、即ち、中空(なかぞら)の意、万葉集、「三船の山に、居雲(ゐるくも)の」或は、雲揺(くもゆり)の約(地震を、なゐと云ふも、根揺(ねゆり)の約)、雲の漂うところの意、

と説く。「ゐ」は、

居、
坐、

と当て、

立ちの対、すわる意、類義語ヲル(居)は、居る動作を持続し続ける意で、自己の動作ならば卑下謙遜、他人の動作ならば蔑視の意が籠っている、

とある(岩波古語辞典)が、

琴頭(ことがみ)に來ゐる影姫珠ならばわが欲る珠のあはび白珠、

とある「ゐる」は、

(雲・霞・人・舟などが)動かずに同じ場所にじっとしている、

という意(岩波古語辞典)で、ニュートラルに思える。

集(ゐ)る(仙覚抄)、
雲揺(くもゆり)の約(大言海)、

とするまでもなく(日本語源大辞典)、

雲の居(ゐ)る場所、

でよさそうである。

なお「雲」については、「くもる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459727462.htmlで触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:雲居 雲井
posted by Toshi at 03:32| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2020年06月25日


梅雨、

とあてる「つゆ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458783261.htmlは触れたことがあるが、ここでは、

露、

と当てる「つゆ」である。「露」は、

空気中の水蒸気が地物の表面に凝結してできる水滴。風のほとんどない晴れた夜,地物の表面温度が放射冷却で降下したとき発生する、

が(ブリタニカ国際大百科事典)、植物の葉や建物の外壁などで水滴となったもの。物に露が着くことを、

結露(けつろ)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2

葉の上の露.jpg

(葉の上の露 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2より)

「露」(漢音ロ、呉音ル、慣用ロウ)は、

形声。「雨+音符路」で、透明の意を含む。転じて、透明に空けて見えること、

とあり(漢字源)、「はかないもの」や「うるおいや恩恵」に喩えるし、露天のように、「さらす」意や、露見、暴露のように、「あらわれる」意でも使う。

和語「つゆ」も、「露」をメタファに、

涙、

わずかなこと、

はかないこと、

の意で使う。そのため、

つゆまどろまず、

というように、副詞で使う「つゆ」は、

ほんのわずか、

の意から、下に否定を伴って、

少しも、

の意で使うが、そこには、「はかない」「わずか」という「露」をメタファとしたことばの翳がある。

「つゆ」は、

液、
津、

と当てる、

汁、

の意の「つゆ」がある(大言海)。江戸語大辞典には、「つゆ」に、

(遊里語)祝儀、

の意で使い、

金銀曰花、又曰露、

とあるように(享保十五年・史林残花)、「花」ともいい、また、

すまし汁、

の意で載るのも、「汁」の意であるが、「つゆ」には、

水気、
湿り、

の意があり(大言海)、「露」とあてる「つゆ」の意と同じに意味を持つ。そのため、大言海は、「つゆ(露)」の語源を、

(シル、水気の意と)同じきか、或は云ふ、粒斎(つぶゆ)の意にて、圓くして浄きを云ふと、

とする。似た説に、

ツ(統)+ユ(斎・清浄なもの)、

として、清らかな水の玉の意、とするものもある(日本語源広辞典)。しかし、

斎、

と当てる「ゆ」は、

ユユシ(斎・忌)と同根。接触・立ち入りが社会的に禁止される意、

とあり(岩波古語辞典)、

イミ(忌)の約、

ともあるように(大言海)、

斎笹、
斎屋、

等々と、

名詞・動詞の上に冠せられて熟語とする、

ともある(仝上)。「つゆ」とは使い方も、意味の上からも、異和感がある。しかし、

ツイエル意(和句解・和語私臆鈔)、
ツユ(津弥)の義(言元梯)、

という他の説は、しっくりこない。ただ、

ツは丸い意、ユはただよわしの意(槙のいた屋)、

が少し気になる。

「ツ」は、「ツブ」の「ツ」と考えると、「独楽」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474857902.htmlで触れた「ツブ」は、「かたつむり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460441943.htmlで触れたように、

粒・丸、

と当て、

「つぶし(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」

とあり、「ツブリ(頭)」は、

「ツブ(粒)と同根」

とある。「ツビ」(粒)ともいい、「つぶ(螺)」は、

ツビ、

とも言い、「つぶら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.htmlで触れたように、「つぶら」の「ツブ」は、

粒、

と関わり、「ツブ」は、

ツブラ(円)、

と関わる。「粒」は、「ツビ」(粒)ともいい、

円いもの、

と重なり、「粒」「丸」「円」「螺」は、ほぼ同じと見なしたらしいのである。それなら、

ツブ→ツユ、

もありなのではないか、という気がしてならない。もちろん憶説だが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:
posted by Toshi at 03:38| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

安倍川餅


「安倍川餅」は、

安倍川のほとりの名物、

とあり、

搗きたての餅に黄粉や餡をまぶしたもの、また、焼餅を湯・密などにつけ、黄粉と砂糖でまぶしたもの、

とある(広辞苑)。たんに、

あべかわ、

とも言う(仝上)。転じて、

黄粉餅、

とも言い、さらに、

唐茄子のあべ川を食ふ上戸(文化十年・浮世風呂)、

というように、

茹でて黄粉まぶしたもの、

をも言うようになる(江戸語大辞典)。個人的な経験では、

焼餅を湯につけて、黄粉をまぶしたもの、

が、「安倍川餅」であった。確かに、

黄粉餅、

とも呼んだ。

歌川広重『東海道五十三次之内 府中 あへ川遠景』.jpg

(歌川広重『東海道五十三次之内 府中 あへ川遠景』 https://ippin.gnavi.co.jp/article-9574/より)

浮世絵にもあるように、安倍川付近で、東海道を上り下りする旅人に供した掛茶屋の名物だが、評判になったのは、天明年間(1781~89)から、らしい(たべもの語源辞典)。それは、

当時珍しかった砂糖を用いたから、

であるらしい(仝上)。たべもの語源辞典には、

搗きたての餅を臼の中から小さくちぎり、砂糖蜜を塗り、砂糖を等分に加えてつくったきな粉に少量の塩を加える。まぶして皿に盛り、その上から白砂糖を振りかけて出した、

とある。後に、

土産物に小豆の漉し餡でくるんだものができ、黒と黄の二色の安倍川餅になった、

とある(仝上)。東海道中膝栗毛(十返舎一九)にも、

ここは名にあふあへ川餅の名物にて両側の茶屋いずれも奇麗にはなやかなり、

とあり、

「五文どり」(五文採とは安倍川餅の別名)、

としてhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%B7%9D%E3%82%82%E3%81%A1、登場する。

茶屋女が名物餅を、

「あがりゃアレ」

と旅人に呼び掛けたため、旅人の話題になった(たべもの語源辞典)、とある

由来については、いくつかある。ひとつは、

慶安年間(1648~52)、東海道府中(静岡)、堤添川越町の弥勒院の仏弟子のひとりが、師僧の勘当をうけて還俗し、名を源右衛門と改め、河原で茶を出し餅を売り始めたのが起こり、

といい(仝上)、また別に、

慶安年間(1648~52)、徳川家康が井川笹山金山を御用金山として採掘させたころ、家康が巡検に赴いたとき、餅をつくって献上したものがあり、家康は大いに喜び、その餅の名を尋ねると、「金の粉が安倍川に流れますのをすくい上げまぶしてつくるので、金なこ餅と申します」と答えた。家康が気に入って、「安倍川餅」の名を貰った、

という(仝上)。東海道をたびたび往来したことのある八代将軍徳川吉宗はよく知っており,当時の御賄頭(おまかないがしら)の古郡孫太夫が駿河からもち米を取りよせて調進したところ大いに嘉賞されたと,江戸南町奉行でもあった根岸鎮衛(やすもり)がその著『耳囊(みみぶくろ)』に書いている(世界大百科事典)。

なお、お盆に安倍川餅を仏前に供え食べる風習のある山梨県などでは黄な粉と黒蜜をかけるらしいが、餅の形も基本的に角餅である。同じく安倍川餅と呼んでも、言っても静岡市内のものとは違う。この風習から派生した土産菓子が信玄餅であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%B7%9D%E3%82%82%E3%81%A1、という。

安倍川もち.jpg


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:安倍川餅 黄粉餅
posted by Toshi at 03:25| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月27日


「餡」には、いくつかの意味がある。例えば、

ゆでた小豆・白小豆・白隠元・うずら豆・ささげなどに、砂糖をまぜて、更に煮て煉ったもの、

という漉し餡・粒餡・つぶし餡などの種類のある豆類の他、

サツマイモ、栗などを煮て砂糖を加えて練ったもの、

も含め、いわゆる「あんこ(餡子)」といわれるものの意味がありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1

枝豆で作った豆打(ずんだ)、青豌豆(グリーンピース)で作った鶯餡(うぐいす餡)、

などもある(実用日本語表現辞典)。この他に、

うぐいす餡.jpg

(うぐいす餡 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1より)

饅頭や餅、中華点心の包子(餃子、焼売など)などの中に包み込むために調理した挽き肉、野菜などの具、
水またはだし汁に葛粉、片栗粉などのデンプン粉を加えて加熱しとろみをつけたもの。または、これに野菜や挽き肉などを加えたもの、

という意味、さらに、饅頭などから意味が広がったが、

中に包み込まれているもの、

という意味もある(広辞苑、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1)。

小豆餡(粒餡).jpg

(小豆餡(粒餡) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1より)

漢字「餡」(漢音カン、唐音アン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。臽(カン)は、おしこめる、くぼめて中に入れるの意。餡はそれを音符とし、食を加えた字、

とある(漢字源)。本来、「餡」は、

中に包み込まれているもの、

つまり、

詰め物、

を意味し、

金銀の細工物などに、内部に銅など籠めたるものを、アンヅメと云ふ、贋金などにも云ふ、此の如くつくりたるを、外部の金銀に就きてはテンプラと云ふ、コロモをかけたりと云ふなり、

とあるいい方(大言海)は、詰め物の意である。

『字彙』では餅の中の肉餡を指しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%A1

饅頭などの中にいれる肉や野菜など、

の意であった。「餡」の字には、日本語の「あんこ」の意味も、「葛餡」の意味も、ない。

日本へは聖徳太子の時代に中国から伝来したとされ、中国菓子で用いられる肉餡がその原形となっていると考えられている、

とある(仝上)。小豆を用いた小豆餡が開発されたのは鎌倉時代であるとされ、当初は塩餡であったが、安土桃山時代になって甘い餡が用いられるようになり、砂糖が用いられるようになったのは江戸時代中期からで高貴な身分に限られていた、

とされる(仝上)。餡には、

肉や野菜を用いる塩味系統、
と、
豆や芋などを用いる甘味系統、

があり、豆や芋を用いる餡も砂糖が普及するまでは、塩味のいわゆる塩餡であった、とある(仝上)。

「あん」は、

唐音、

とする(広辞苑)のが主流、大言海が、

餡(カン)の字の宋音、

とするのは、由来と関わる。

禅寺の調理より出たる語なるべし。鹽尻「餅、及び、饅頭の内に満つる物をアンと云ふ、餡の字なり、唐音はアンと云ふ、」、正字通「凡、米麪食物、坎(アナニシ)其中、實(ミタス)以雑味、曰餡」、支那にては多く肉類を入る、禅家にて、小豆に代へたるならむ、

とする。饅頭http://ppnetwork.seesaa.net/article/473566185.htmlで触れたように、

日本の饅頭の起源には二つの系統https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%85%E9%A0%ADがあり、ひとつは、

「臨済宗の僧龍山徳見が1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)に帰朝した際、その俗弟子として随伴してきた林浄因が伝えたとするものである。当初林は禅宗のお茶と食べる菓子として饅頭を用いる事を考えたものの、従来の饅頭は肉を入れるため、代わりに小豆を入れた饅頭を考案されたと言われている。その後、奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立てたことから、漢國神社内の林神社と呼ばれる饅頭の神社で、菓祖神として祀られている」

とあり、もうひとつの系統は、

「1241年(仁治2年)に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われる。円爾は辻堂(つじのどう)に臨済宗・承天寺を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われる。このときに茶屋の主人に書いて与えた『御饅頭所』という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にある。奈良に伝わった饅頭はふくらし粉を使う『薬饅頭』で、博多の方は甘酒を使う『酒饅頭』とされる」

とあるが、いずれも禅宗と絡む。大言海は、

「元代の音、暦應四年、元人、林浄因建仁寺第三十五世、徳見龍山禅師に従ひて帰化し、南都にて作り始むと」

と前者を採る。

「南都の饅頭屋宗二は、先祖は唐人なり、日本に饅頭といふ物を将来せし開山なり」

と、江戸前期の見聞愚案記にもある、と。たべもの語源辞典もまた、前者を採り、

「南北朝時代の初期興国年間(1340~46)、京都建仁寺の三五世徳見龍山禅師が、留学を終えて元から帰朝するとき、林和靖の末裔林浄因という者を連れて帰国した。この人が日本に帰化して奈良に住み、妻をめとって饅頭屋を開き、初めて奈良饅頭をつくった。浄因五世の孫に饅頭屋宗二(林逸)という。『源氏物語林逸抄』、饅頭屋本と呼ばれる『節用集』はこの人の著作である。宗二の孫紹伴は、菓子の研究に明に渡り、数年して帰ると、一時、三河國塩瀬村に住んでいたが、京に出て烏丸通りで饅頭をつくった。これが塩瀬饅頭である。(中略)紹伴は時の将軍足利義政に饅頭を献じたところ、将軍から『日本第一饅頭所』の看板を賜ったとされている」

としたとあるところから見ると、

唐音、

ではなく、

宋音、

の「アン」ではないか、と思われる。ただ、「菓子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474306504.htmlで触れた、倭名類聚抄に載る、

八種唐菓子(やくさからがし)、

のひとつ、

団喜(だんき)、

は、これより古く、

小麦粉を練った皮で巾着(きんちゃく)形の福袋をつくり、中に甘葛煎(あまずらせん)で調味した桂皮や数種の木の実を詰め、ごま油で揚げたもの、

がある(日本大百科全書)。今日の餡にはほど遠いが、中国の月餅を考えれば、団喜の中身はまさに餡の祖型であった、といえる(仝上)。京都には「清浄歓喜団」(亀屋清永)と呼ばれる団喜が(江戸時代中期以降に現在のように小豆餡を包むようになったので、当初の団喜とは異なるが)現存しているが、いまは、

小麦粉の生地で小豆餡を茶巾状に包み胡麻油で揚げたもの、

となっていてhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%8F%93%E5%AD%90、寺院に奉納される他、和菓子として市販もされている、という。

清浄歓喜団.jpg


なお、「あずき」については「豆」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473371197.html?1580864227で触れた。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:
posted by Toshi at 03:40| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

餡掛豆腐


「餡掛け」は、「餡」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475943050.html?1593196838で触れた「餡」の意味の、

水またはだし汁に葛粉、片栗粉などのデンプン粉を加えて加熱しとろみをつけたもの。または、これに野菜や挽き肉などを加えたもの、

を掛けた料理の意である。江戸語大辞典には、

葛溜(くずだまり)をかけること、またその料理、

と載り、

初鮭のあんかけ、

を引く(天保四年・壽御夢相妙薬)。「葛溜」とは、

くずあん(葛餡)、

の意である。「葛餡」について、

葛を入れてとろみをつけた餡。調味した出汁に葛粉を用いてとろみを出したもの。南禅寺蒸しなどの蒸し物や、煮もの(炊きあわせ)、茹でた料理、うどん(あんかけうどん・ 京都のたぬきうどん・のっぺい、等)やそば(あんかけそば)などにも用いられる。葛餡をかけた料理は、見た目に透明感があって品がよく見え、口当たりが滑らかで、料理の温かさを保つ効果もある。餡を下に敷いている場合もあり、その場合は敷餡とも呼ばれる、

とありhttps://japan-word.com/kuzuan、葛餡を用いた料理は、

冬瓜の葛あんかけ、
湯葉の葛あんかけ、
胡麻豆腐の葛あんかけ、

といった「~の葛あんかけ」と呼ばれる(仝上)、とある。

大言海に、「餡掛け」は載らないが、

餡掛饂飩、
餡掛豆腐、

が載る。「餡掛豆腐」について、

豆腐を好きほどに切りて煠(ゆ)で、葛餡をかけたるもの、古くはアンドウフとも云ひき。饂飩をおなじやうに製したるものを、アンカケウドンと云ふ、

と載る。江戸初期の『大草家料理書』に、

アンドウフと云ふは、二寸許に切りて、葛煮をして、皿に入れて、上に葛溜をかけて、

とある(大言海、精選版日本国語大辞典)、という。

「今出川豆腐」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475718816.html?1592505906でも触れたが、天明二年(1782)刊行の、豆腐を題材にした料理「豆腐百珍」に、「尋常品」の一つとして、

高津湯(こうづゆ)とうふ、

が載り、

絹ごしとうふを用い、湯烹して、熱葛あんかけ、芥子おく。又、南禅寺ともいふ、

とありhttps://ttms.exblog.jp/6672512/

大坂高津の廟の境内に、湯とうふ家三、四軒あり。其料に用ゆ豆腐家、門前に一軒あり。和国第一品の妙製なり。京師に南禅寺とうふあり。江戸浅草に華蔵院といふとうふあり、

と付言されている(仝上)。更に、「奇品」の一つとして、

縮緬とうふ、

が載り、

ところてんの突き出しに豆腐を入れて押し出し、茶碗蒸しの中に入れます。葛のあんかけとおろしわさびを添えます、

とあるhttp://www.toyama-smenet.or.jp/~tohfu/tofuhyakutin.html。江戸時代、夜に、

茶飯と葛かけ豆腐を売っていた、

とある(たべもの語源辞典)。いまは、

かつおぶしのだしを煮たてて味醂と醤油を加え、味かげんしたものに水どきした葛を杓子でだし汁にかきまわしながらときこむ。豆腐は、沸騰した湯の中に入れてゆで、網杓子ですくい上げて、椀に入れ、あんをかけて、上におろしたワサビを添えて出す、

が(仝上)、昔は、

餡豆腐、

と呼び、

湯煮した豆腐の上に葛だまりをかけて、ケシ・粉胡椒、胡桃の実を上置きした、

とある(仝上)。

豆腐の真ん中をさじですくいとって、その中に生卵を落とし込み、蒸して半熟程度にして「葛餡」をかけた「玉蒸豆腐」、

は、石川県の郷土料理、とある(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:餡掛豆腐
posted by Toshi at 03:28| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

飯鮨


「飯鮨」は、

飯寿司、
飯酢、

とも当て(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%AF%BF%E5%8F%B8)、

いずし、

あるいは、

いいずし、

と訓ます(たべもの語源辞典)。

飯(いい)はご飯で、御飯の鮨を飯鮨、

という。今日では、

飯を主とした押鮨(広辞苑)、
乳酸発酵させて作るなれずしの一種https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%AF%BF%E5%8F%B8
米麹、魚、野菜を樽の中に入れて漬け込み、乳酸発酵させたなれずしの一種http://takemoto-suisan.com/user_data/whats.php

等々を指すが、

古い時代、鮨は、自然に酢味をもたせた魚ばかりのものであった。その後、早ずしとか一夜ずしといって飯を使って鮨をつくるようになったが、これは発酵作用のために飯を利用したもので、食べるのはやはり魚ばかりであった、

とあり(たべもの語源辞典)、飯は、捨ててしまったのである。つまり、

動物の生肉を塩と合わせ、それを飯の間に漬け、数日たつと飯が発酵して酸味を生じたものを食べた。…飯は食べずに、肉だけを食用とした(日本食生活史)、

冬場、雪に閉ざされる北海道や東北地方の港町ならではの食べ物で、冬の保存食として年末やお正月には欠かせない郷土料理として食べられてきました。魚をどのように美味しく保存できるのか考えられ開発されたのが「飯寿し」ですhttp://takemoto-suisan.com/user_data/whats.php

等々とあるように、あくまで主役は、魚であった。

近江の鮒ずし、
北海道のニシンずし、

等々。『今昔物語集』にも、

「鮨売りの女が酔いつぶれて、売り物の鮨桶の中に嘔吐してしまったので、あわててかき混ぜてごまかした」
「三条中納言朝成は肥満に悩み、医師に減量法を尋ねたところ、『夏は水漬け飯、冬は湯漬け飯を召しあがればよい』と教えられた。そこで瓜の漬物や鮎の鮨をおかずに湯漬け飯を食べたが、食べる量があまりにも多いので結局痩せなかった」

等々の記述があり、飯部分を除去して食されていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8ことがわかる。のちには、飯(いい)も食べるすしができ、現在の飯鮨は、それである。

鮒ずしは、

日本古来の“鮓すし(なれずし)”の代表的一種、

古代から琵琶湖産のニゴロブナ(煮頃鮒)などを主要食材として作られ続けている滋賀県(近江国)の郷土料理である。今日では「ふなずし」「鮒鮓」「鮒鮨」「鮒寿司」「鮒寿し」などとも記し、「鮒寿司」が最も一般的となっている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AE%92%E5%AF%BF%E5%8F%B8

鮒寿司.jpg


「鮒鮓」「鮒鮨」「鮒寿司」「鮒寿し」「鮒寿司」等々と表記しているが、「鮒のなれずし」という特徴を的確に表せるのは「鮒鮓」、

である(仝上)とあるのは、「鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.htmlで触れたように、

「鮨」の字は

魚の鰭,
うおびしお,魚のしおから,

を意味し,我が国だけで,

酢につけた魚,
酢・塩をまぜ飯に,魚肉や野菜などをまぜたもの,寿司,

の意で使う。「酢」は,

塩・糟などにつけ,発酵させて酸味をつけた魚。たま,飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食,

の意で,「華南・東南アジアに広く行われた」(『漢字源』)物を指す。これは,

なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨),

と重なる。「酢」を「鮨」と同様の意味で使うのは,我が国だけである、という背景からと思われる。

表記については,『十巻本和名抄-四』に「鮨(略)和名須之 酢属也」とあり,「鮨」と「鮓」は同義に用いられていた可能性がある。ただし,飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で,魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、

とあり(日本語源大辞典)、また、

スシのスは酸であり,シは助辞である。すなわち「すし」とは「酸(ス)シ」の意である。古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくる。これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために,飯を加えて漬けるようになったのは,慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで,江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり,散らしや握り鮨が生まれる、

とあり(たべもの語源辞典)、

最も古い表記は「鮓」で、元々は塩や糟などに漬けた魚や、発酵させた飯に魚を漬け込んだ保存食を意味した漢字であるため、発酵させて作るすしを指し、馴れずしが当てはまる。「鮓」の漢字は、鯖鮓や鮎鮓、鮒鮓などで使われる、

ともあるhttps://chigai-allguide.com/%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E3%81%A8%E9%AE%A8%E3%81%A8%E9%AE%93/

平安時代中期に制定された延喜式には、西日本各地の調としてさまざまななれずしが記載されているが、

アユやフナ、アワビなどが多いが、イノシシ、シカといった獣肉のもの、

も記述されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%81%97、とある。

ミサゴ.jpg


大言海の「すし」の項を見ると、

古へ、飯と鹽とにて魚を蔵し、酸味を生ぜしめたるもの、即ち源五郎鮒の酢の如し。又、魚介の肉に鹽を加へおき、数日を歴て、自然に酸味を生じたるもの、即ちみさご酢の如し、

とあり、「鮨」の古形、「酢」を示している。「みさご酢」というのは、みさご(鶚)という鳥は、

其捕りたる魚を、海上の巌の間、又は、深山の巌陰に貯へ、宿を経しめて食とす、みさご酢と云ひ、鹽、醤を加へずして食ふべく、味、人の作れる酢の如し、

という(大言海)伝説があり、

ミサゴが貯蔵した魚が自然醗酵し、酢漬けのような状態になって旨味が増したものを人間が見つけて食したのが寿司の起源である、

ともされ、そのため、

みさご鮨の屋号、

を持つ寿司屋は全国に少なからず点在するhttps://washimo-web.jp/Report/Mag-Misagozushi.htmのだとか。

「なれずし」は、

北陸以北の日本海側と北海道の寒い地域に集中した分布圏がみられる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%AF%BF%E5%8F%B8ように、

冬の保存食、

の性格がよく出ているが、「飯鮓」の語源は、

飯鮓(いいずし)の転訛、
魚鮓(いおずし)の転訛、

の二つの説がある(仝上)ようだ。ただ、

日本のなれずしは、弥生時代に稲作が渡来したのと同時期にもたらされたものとする見解があるが、これは飯に漬けて発酵させるという製法から米に結び付けて説明されており、明証があるわけではない、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%81%97ように、米とつなげるのは後で、

魚鮓(いおずし)、

の転訛で、後に、

飯酢、

と当て、

飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで,江戸末期に酢飯のほうが主材、

となるようになって(たべもの語源辞典)、

飯鮨、

と当てたのではないか、と思われる。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:飯鮨 飯寿司 飯酢
posted by Toshi at 03:50| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2020年06月30日

一夜鮨


「一夜鮨」は、

いちやずし、
ひとよずし、

と訓ませるが、

ひとばんずし、

とも言う(大言海)。広辞苑には、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、
塩・酢でしめた魚と熱い飯を交互に重ね、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、
塩・酢でしめたすし飯にのせて、重しをかけて一夜で作った鮨、

の三種類が載る。「なれる」は、

熟れる、

と当て、

熟成して味がよくなる、

意である。ただし、「熟れ鮨」は、かつては、魚の保存の為なので、飯は捨てた。

「一夜鮨」は、本来は、

一夜でなれずしになる、

という意味の、

一夜鮨、

で、昔の鮨は、

魚類を塩に漬けて久しく貯えて置き、自然に酸味の出てくるのを待った、

からである。「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html?1593370222で触れたように、「鮨」の字は

魚の鰭,
うおびしお,魚のしおから,

を意味し,我が国だけで,

酢につけた魚,
酢・塩をまぜ飯に,魚肉や野菜などをまぜたもの,寿司,

の意で使う。「酢」は,

塩・糟などにつけ,発酵させて酸味をつけた魚。たま,飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食,

の意で,「華南・東南アジアに広く行われた」(『漢字源』)ものを指す。これは,

なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨),

と重なる。「酢」を「鮨」と同様の意味で使うのは,我が国だけである。

スシのスは酸であり,シは助辞である。すなわち「すし」とは「酸(ス)シ」の意である。古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくる。これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために,飯を加えて漬けるようになったのは,慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで,江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり,散らしや握り鮨が生まれる、

としており(たべもの語源辞典)、また、表記については,

『十巻本和名抄-四』に「鮨(略)和名須之 酢属也」とあり,「鮨」と「鮓」は同義に用いられていた可能性がある。ただし,飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で,魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、

ともある(日本語源大辞典)。

つまり、「一夜鮨」は、昔の「なれずし」の製法と、酢をつかったものとの両義があるようなのである。広辞苑に載る三種のうち、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、

が古い形になる。

元来酢は鮒にあれ、鮎にあれ、其魚と飯とをまぜて、二三日或いは四五閒も経て、なれて食するものなるを、一夜にてなれて食するより云ふ、

とある(大言海)のは、その意味である。「酢」は、飯の中に魚介類を入れて漬ける「鮨」を指す。

江戸時代後期『嬉遊笑覧』には、

ムカシの酢は、飯を腐らしたるものにて、みな、源五郎鮒の酢の如し、早鮨とも、一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の酢を苞に入れ、焼火に炙りて、おもしを強くかくる、又は、柱に巻つけて、しめたるもよし、一夜にしてなるるといへり、

とある。寛永二〇年(1643)刊行の『料理物語』は、「一夜ずし」の仕様を、

鮎をあらひ、めしを常の鹽かげんよりからうして、うほに入れ、草づとにつつみ、庭に火をたき、つととともにあぶり、その上を、こもにて二三返まき、かの火をたきたる上におき、おもしを強くかけ候、又、柱に巻きつけ、強くしめたるもよし、一夜になれ候、

と書く。蕪村の句に、

夢さめてあはやとひらく一夜鮓、

とある。

つくりはじめて一日くらいで食べられる酢、

の意で、

はやすし、
なまなり、

とも言う(たべもの語源辞典)、とある。ただ、

「生成の鮨(鮓)」とは、十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもの、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、飯を食べる今日の鮨とは異なることに注意しなくてはならない。しかし、「早すし」は、酢を用いるようになって以後の「すし」をも指すので、何に対して早いかの意が、少し変わる。ここで「一夜ずし」は、

なれずし、

に対して言っている。

時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かう、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、やがて、1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになり、幕末の、岡本保孝『難波江』に、

今江戸にある酢は、延宝の頃、御医師の松本善甫と云ふもの新製なり、されば、世に松本酢と云、彦根の鮒の酢、尾州の鮎の酢などは、魚と飯とをまぜて、五六日も経て食ふなり、吉野近辺にて粟の飯にて造る、二三ヶ月もかこはるるなり、これらの酢は、右より左には出来兼る故に、あきなふ者にあつらふるに、今日より幾日経て取りに来給へと云により、これをオジャレズシと云、松本酢は、直に出来故に、マチャレズシと云、又、早酢とも云なり、元来すしは、上件の如く、飯と魚とをまぜて置に、日数経れば、おのづから、酸味の出るものにて、酢を加へて製するものにあらず、鮨の字よりは、酢の字の方よろし、字書を観て知るべし、

とある(大言海)ので、まだ飯を食べる「鮨」ではなく「酢」である。ただ、この説は、

日比野光敏によれば「松本ずし」に関する資料は他になく、延宝以前の料理書にも酢を使った寿司があるゆえ「発明者であるとは考えられない」としている、

説もあるがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、誰が発明したかは別として、鮨に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司が誕生し、まさに、

早寿司(鮨)、

が生まれることになる(仝上)。この場合は、「一夜ずし」よりも早い、ということを意味になる。酢を用いるようになると、

魚は沖鱛ほどにひらりと大きく切って、二時間ほど酢につけておく。引き上げて水気がなくなるまで乾かし、飯をきれいにこしらえて、一段一段に並べ、おしをよくして、二、三日たったら出す。こしらえた翌日も食べることが出来る、

とあり(たべもの語源辞典)、飯を食べるスタイルになっている。

類聚近世風俗志.jpg

(喜田川守貞『類聚近世風俗志』 日本食生活史より)

寛延四年(1751)版の『増補江戸惣鹿子』に、

酒川酢、深川富吉町柏屋、御膳筐酢、本石町二丁目南側伊勢屋八兵衛、交ぜ酢、早漬、切漬其外御望次第、

と見える。「混ぜ酢」というのは、起こし酢のことで、

五もく酢、

であり、「早漬」は、

一夜酢、

の変化したもの(日本食生活史)、とあり、既に、飯を食べるものに変わっている。

安永(1772~80)の頃になると、「笹巻」が現れる。「笹巻ずし」とは、

切酢を笹の葉にぐるぐる巻いて押した酢、

であり、長くおいても、飯がかたくならないで、魚が変色しないという特徴があった(仝上)、とされる。

文政七年(1824)には、魚の骨を毛抜きで抜いた、

毛抜酢、

が登場する。

一つずつ笹の葉に巻いて売り、

笹巻酢、

と称した、とある(仝上)。

「妖術という身で握る鮓の飯」『柳多留』(文政一二年〈1829年〉)が、握り寿司の文献的初出である。握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」華屋與兵衛とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎とも言われる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8

にぎりずし、

が登場することになる。

江戸三鮨(えどさんすし)、

というのは、江戸時代に江戸で名物として謳われた、

毛抜鮓(けぬきすし)、
與兵衞壽司(よへえすし)、
松が鮨(まつがすし)、

を指すがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%B8%89%E9%AE%A8

毛抜鮓(けぬきすし)は、

押し鮓や馴れ鮓の形態を色濃く残した、笹の葉で巻いた押し鮓の一種で、保存食とするため飯を強めの酢でしめてあるのが特徴、

だが、他の二つは、「握り酢」である。

與兵衞壽司(よへえすし)は、

文政年間(1818 -~30)に、上方風の押し寿司と異なる江戸前の握り寿司を考案、すしにワサビを使った、

松が鮨(まつがすし)は、

玉子は金の如く、魚は水晶のようだと、その華麗な色彩感がたちまち評判となり、権家の進物品として引っ張りだことなった。やがて江戸中で最も贅沢な寿司であると謳われ、『嬉遊笑覧』は、握り寿司の考案者は堺屋松五郎だとしている、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%B8%89%E9%AE%A8。幕末の『守貞謾稿』には、京阪にては、

方四寸許の箱の押しずしのみ。一筥四十八文は鳥貝のすし也。又こけらずしと云は鶏卵・やき鮑・鯛と並に薄片にして飯上に置を云。価六十四文一筥凡十二に斬て四文に売る。又筥ずし飯中椎茸入る、飯二段のになりたり、又浅草海苔巻あり、巻ずしと言、飯中椎茸と独活を入る、京阪の鮨普通以上三品を専とす。而も異制をなす店も希に有之、又鮨には梅酢漬の生姜一種を添る、

とあり、江戸では、幕末期、多種多様な握り鮨がつくられ、『守貞謾稿』には、

今製に握り酢也、鶏卵焼・車海老・そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮長のまま也、以上大略価八文酢也、其中玉子巻は十六文許、添之に新生姜の酢漬姫蓼(ひめたで)等也、又隔等には熊笹を用い、又酢折詰などには酢上に……熊笹を斬て置之飾とす、京阪にては隔にはらんを用ひ、又添物には紅生姜と言て梅酢漬を用ふ、

とある(日本食生活史)。

歌川国芳『縞揃女弁慶 松の鮨』.jpg

(歌川国芳『縞揃女弁慶 松の鮨』 握り寿司と押し鮓が描かれている https://edo-g.com/blog/2015/11/sushi.htmlより)

江戸末期の『江戸自慢』には、

江戸の鮓は握りて押したるは一切なし、調味よし、上方の及ぶ處にらず、価も賤(やす)し、

とある(仝上)。なお、

「すし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html
「いなりずし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469221526.html

については、触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:41| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする