2020年06月06日

架空問答(中斎・静区)


大塩中斎については、「万物一体の仁」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475454613.html?1591380773で触れたが、大塩平八郎中斎は、天保八年(1837)二月一九日(三月二五日)に門人と共に蜂起する。その檄文に曰く、

四海こんきういたし候ハゝ天禄ながくたゝん、小人に国家をおさめしめば菑害并至と、昔の聖人深く天下後世、人君人の臣たる者を御誡被置候ゆヘ、東照神君ニも、鰥寡孤独ニおひて尤あはれみを加ふへくハ是仁政之基と被仰置候、然ルに茲二百四五十年太平之間ニ、追々上たる人驕奢とておこりを極、太切之政事ニ携候諸役人とも、賄賂を公ニ授受とて贈貰いたし、奥向女中之因縁を以、道徳仁義をもなき拙き身分ニて、立身重き役ニ経上り、一人一家を肥し候工夫而已ニ智術を運し、其領分知行所之民百姓共へ過分之用金申付、是迄年貢諸役の甚しき苦む上江、右の通無躰之儀を申渡、追々入用かさみ候ゆへ、四海の困窮と相成候付、……。

洗心洞箚記―大塩平八郎の読書ノート〈上〉 (タチバナ教養文庫).jpg

洗心洞箚記―大塩平八郎の読書ノート〈下〉 (タチバナ教養文庫).jpg

しかし、その日、中斎は、その高弟であり最愛の愛弟子宇津木靖を惨殺せしめた。宇津木靖、字は共甫。通称は矩之丞,。静区(セイオウ)と号す。静区は全力で中斎を諫めた。その思想的対立を、架空の問答としてまとめてみた。ただ、素人の悲しさ、二人の思想を十分理解し得ていたかどうかは、些か覚束ない。乞う、ご憫笑。。。

大塩平八郎像.jpg


静区 「予想もしないことです。先生が、左様な事を仰せ出されるとは、」

中斎 「米価暴騰し、飢餓のため道々には行き倒れが満ちている、大阪だけで、この月四十人もの餓死者が出ているというのに、町奉行は措置を過ち、豪商豪農の義捐は捗らず、あまつさえ、なけなしの大阪の米を江戸へ廻米し、あろうことかわずかの米を買いに来るものを捕縛している、これを座視するに堪えようか。いたずらに人禍を怖れ、ついに是非のこころをくらますは、もとより丈夫の恥ずるところ、しかして何の面目ありて聖人に地下に見(まみ)えんや、ゆえにわれまた吾が身に従わんのみ。」

静区 「そのお言葉、先生のお言葉とは思えませぬ。災いを救い民を恤(すく)うは官自ら、それをおこなうべきことです。その位にあらざれば、その政を謀らず。だかこそ、孔子も孟子も、ご自分を容れられる君子を求めてさまよわれたのではありませんか。先生は矩を越えられるのか。」

中斎 「民の好むところを好み、民の悪(にく)むところを悪む。それをみずからが実践せずして、完成することにはならぬ。万物一体の仁とは、かようなものではないか。でなければ、手をつかねてただ上に進言し続ければよいのか。その間に、幾人の民が死んでゆくか考えてみたことはないのか。聖徳の君子の出現を待つゆとりはない。」

静区 「ならば、それなら、建議をもって、奉行をただすべきことです。それを豪戸を屠って民を済う、さようなやり方では、かえって民に禍をもたらすだけではありませんか。」

中斎 「何度建議に及んだことか、それに対して奉行の跡部山城守がどんな仕打ちをしたか、隠居の身なれば、控えよと申し、これ以上強いて言に及べば、強訴とみなすと、みどもを脅し、乱心扱いしおった。あまつさえ、蔵書を売った資金を元に、ひとり一朱の施行をするにさえ横槍を入れ、鴻池屋や他の豪商に救民救済の資金借り入れをした件についても、鴻池らを恫喝して沙汰闇にさせおった。みどももかつて、同役のものどもに、こう予言いたしたことがあった。一体太平の世が打ち続き天下一統奢侈増長、役人共は奸曲所業のみいたし、もはや天道にも御用済みの時代になっている。七八年のうちには大凶作が到来し、世上難儀必至、されば今のうちより御手当てなされたく、そのやり方はかくかくしかじか、そのように凶作の備えができていれば、間に合うと申し上げ、そうしないと、摂津、河内、和泉、播磨の民は飢饉に及び、難渋必至と、ことを分け、たびたび上疏致したが、寸分もお取上げにならず、役人共はおのが身上を肥やすのに汲汲といたし、民の難渋を顧みない。そのとき、みどもはこう申してやった。数年のうち大凶作到来、万民飢餓に及び候わば、やむをえず天道に代わって、諸人を救い、奸曲の役人共に目に者を見せてやると、役人共を睨みつけてやった。いま、そのときがきたまでではないか。」

静区 「だからと申して、彼等豪商を襲うとは、一揆と同じではありませぬか。先生は、百姓衆の暴発を、政(まつりごと)の危機とみておられたのではなかったのですか。」

中斎 「建議をつづけても、その建策をお取上げにならねば、座して、死にゆく民を見守るのか、それとも建策を取り上げぬ山城守を陰で罵るだけでよいのか。」

静区 「それがわれらの分です。」

中斎 「分とな。むろん、天子、諸侯、大夫は天下国家に責任がある。庶人は身を修め、家を斉(ととの)えることしかできぬ。ならば学問は、天子諸侯大夫にのみに属すのか。そうではないことをわたしは教えてきたはずだ。修身はすべてのものに不可欠で、誰ひとりそこから逃れることはできぬ。では修身とは何か。孝を親に尽くすは、即ち身を修めるの根本であろう。これを家、国、天下の礎におけば、斉、治、平の功はおのずとなる。修身を通して、斉家、治国、平天下に連なっていく。庶人であっても、修身を通して、庶人から天子まで連なるのだと。それぞれが、その得たるところで、分を尽くすとは、そういう意味であったはずだ。」

静区 「庶人が身を謹み、用を節することが孝であり、それが治国平天下に関わることは確かです。しかしそれは、公儀を恐れて法度を守り、身無病に手足強健なるように養生することに第一義があったはずです。」

中斎 「飢える民を前に、さようなことを言っておられようか。死にゆくものに訓点を教えて何の役に立つか。さようなことがわれら孔孟学の道なのか。そうではあるまい。」

静区 「そうあるべきです。乱など、もってのほかです。子曰く、その人となりや、孝悌にして、上を犯すことを好む者は少なし。上を犯すことを好まずして、乱をおこすことを好む者は未だこれあらざるなり、とあります。先生は乱を起こすことを好まれるのであれば、上を犯すことを好むのであり、それは孝悌に反します。」

中斎 「上を犯しているのは、この天災、飢饉に苦しむ民を見て見ぬふりをし、民の悲嘆をよそに、老中のいいなりに、江戸廻米をきめた跡部山城であり、役人どもではないか。それこそ、上を犯すに等しい振る舞いではないのか。君子の善に於けるや、必ず知と行と合一す。小人の不善に置けるや、亦た必ず知と行と合一す。而して君子若し善を知りて行わずんば、則ち小人に変ずるの機なり。その見本のようなものであろうが。」

静区 「まったく何も救恤策をとられていないのではありませぬ。備蓄米を開きもしましたし、豪商の施行もなされています。責めるばかりでよろしいのか。人を責めずみずからを責める、と仰せになったのは先生ではなかったですか。」

中斎 「確かに奉行所では、八月救民への廉売をした、しかしそれでも買えないものが多数おり、九月になってついに無料で配布をはじめた。何か、このていたらくは。世上の実情がみえておらぬ。たしかに、鴻池、加島屋、住友などから義捐金をつのり、十月二百文ずつ配った。幸い米価はいったん下がりかけたのだ、その頃。そこに、江戸廻米だ、元の木阿弥どころか、なんのためのお救米だったのか。このちぐはぐぶりはどうか。しかも、義捐金は、三年前の三分の二ぞ、飢饉は、三年前の比ではないというに。だからみるに見かねて、みどもが、直接鴻池らに掛けあい、救済資金借り入れについて了承を取ったのだ。たかが隠居の身でそれができたのなら、奉行が本気でやれば、もっと大きなことができたはずではないか。なのに、それをさえ、山城守は、与力の隠居にすら、莫大な金子を貸し遣わすとならば、江戸から御用金の申し渡しがあった場合は、有無を言わさぬぞ、と鴻池らを脅して、みどもとの約束を反故にさせおった。民に目を向けておらぬ、江戸の兄、老中、水野越中しか見ておらぬのだ、山城守は。」

静区 「新、不新を君父に責めず、親しむの功夫(実践修養)をおのれに責むれば、則ち心を尽くし、性を尽くす大学問なり、と申されたではありませぬか。おのが力の足りなさを責むるべきです。」

中斎 「たわけたことを申すな、京から、米の買出しにきただけで入牢させられたものが、一杯おるのだぞ。惣嫁(そうか)というものを存じておるか、わずか三十二文で家のため、妻や娘が春をひさぐという、十六文でそばが食えるのにだぞ。質屋は質流れが続き、閉店に追い込まれ、売り払うものがなくなった貧しい民は、女房や娘が路傍で春をひさぐしかないのだ。奉行所がしたことはそれを取締っただけだ。毎日毎日四十人もの行き倒れがでておる、そんな中での江戸廻米だ、何が将軍宣下の儀式のためか。この未曾有の大飢饉のさなか、米が不足しているのに、わずかの米を取り上げられて、どう生きよと申すのか。矩之允、そう申すなら、なぜ、だれひとり諌めぬ、上様を、水野越中守を、奉行の跡部山城守を、諌めぬ。誰か一人でも諌めたか、飢えたる民に鞭打つ所業を、唯々諾々と忠実に遂行するばかりではないか。それがそちの申す分か、一体どこに治国がある。」

静区 「そのことに異論はありませぬ。しかし民の楽しみは吾の楽しみであり、民の好むところを好み、民の憎むところを憎むとは、先生ご自身ではなく、政をつかさどるものの心構えのはずではありませぬか。そのように、民を観るべしと。」

中斎 「民の楽しみは吾の楽しみであり、民の好むところを好み、民の憎むところを憎む、それはただ心の中でのことか。飢え死にしていくものを前に、何も為さぬのが仁か。行倒れ、死なんとする民を、吾が身の如く悲しまぬ仁などあってよいのか。日用応酬のこと、皆格物なり、豈只書を読み、物理を窮めて然る後、之を格物と謂うと云わんや。頭の中だけで考えるのをやめよ、矩之允。」

静区 「いえ、そのために事をなすべき立場のものをどう動かせるかが、われらの務めであり、仁であり、孝悌であるべきです。」

中斎 「そうではない。おのれを省みて、おのれの良知に問う。善であれば、狂者のごとく進み取る。悪であれば、狷者のごとく、拒否する志なければ、恥というべし。毎日書物を読み理をかたっても、似非君子にすぎぬ。」

静区 「先生は君主でも大夫でもありませぬ。小人をして国家を為(おさ)めしむれば菑害(さいがい)並び至る、この飢饉に、突然来りて暴を為すと仰せではなかったですか。それは政を預かるものへの戒めであったはず。それを先生みずからが、直接一揆を企てるのは、まさに突然来たりて暴を為すことそのものではありませぬか。」

中斎 「そうではない。夫れ人の嘉言善行は即ち、吾が心中の善にして、而て人の醜言悪行は亦た、吾が心中の悪なり。是の故に聖人は之を外視する能はざるなり。斉家治国平天下は一として心中の善を存せざるなく、一として心中の悪を去らざるはなし。一揆に立ち上がる民も、わが心中の悪であり、おのれの責任で鎮圧せねばならぬ。同じく飢えに苦しむ民も我が心中の苦しみであり、おのれの責任で救わねばならぬ。それが万物一体の仁だ。飢えに苦しむ民と一体になり、その苦しみになり代わって、挙兵し、災害を引き起こす小人を誅するまでじゃ。」

静区 「ご承知のはずです。それは、その立場にある者が、なすべきことを十分になしておらぬ、奉行を、ご公儀を責めておられるだけではないですか。君や父やあるいは他者に責任転嫁することなく、自分が民に親しむの功夫を為したかどうか、自分自身を責めるところからはじめなくてはならぬ。父や君、あるいは一人の民も革新していないものがあれば、自分の民を親しむ功夫が十分ではなく、ひいては明徳を明らかにする功夫も十分ではない。先生自身がそう仰せではなかったですか。」

中斎 「重ねて申すが、万物一体の仁からすれば、百姓一揆や打ちこわしをする民も、また我が心中の悪であり、おのれの手で鎮圧しなくてはならない。しかしまた同時に、飢えて苦しむ民の苦しみもまたおのれの心中の苦しみであり、おのが責任において救わねばならぬのだ。草木瓦石にいたるまで、それが死に、折れ、こわれるという生意の喪失に無関心でありえず、我が心が傷む。この感傷はこころの痛みであり、躰の痛みである。なぜなら、天地間の万物はわが心中のことであり、我の分身である。他人や民衆はもとより、草木瓦石にいたるまで、天地間の万物をすべてわが心中のこととして、それを突き放さず、自分のこととして受け止める。だからこそ、見捨ててはおけぬ。民をおのが分身とみなし、痛痒、饑寒、好悪、苦楽において民と一体となる。民の痛痒はおのが痛痒である。民の飢えはおのが飢え、おのが苦しみ、万物一体の仁とはかようなものであらねばならぬ。いま、まさに、眼を開き天地を俯仰してみれば、壤石は吾が肉骨なり、草木は吾が毛髪なり。雨水川流は吾が膏血なり。雲煙風籟は吾が呼吸吸嘘なり。日月星辰の光は吾が両目の光なり。春夏秋冬の運は吾が五常の運なり。太虚は吾がこころの薀なり、人は七尺の短躯にして天地と等しいのだ。」

静区 「故に血気ある物は、草木瓦石に至るまで、其の死を視、其の摧折(さいせつ)を視、其の毀壊を視れば、則ち吾が心を感傷せしむ。もと心中の物たるを以っての故なり、と。しかしだからといって、乱を起こすことは、上を犯す、としかいいようがありません。」

中斎 「よいかな、学は固よりおのれの心を正しくし、おのれの身を修む。然れどもおのれの心を正しくし、おのれの身を修るのみを以て学の至りと為すは、蓋し大人の道に非ず。夫れ心外の虚は、皆吾が心なり。即ち人物は心の中に在り。其の善を為し悪を去るも亦た身の事にして、而して善を為すも亦た窮まり無く、悪を去るも亦た窮まり無きなり。であればこそ、古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す。其の心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、まず其の知を致す。知を致すは物を格(ただ)すに在り。この言葉も、そちにとっては、単なる知識をえればよい、というだけに終わるのであろう。」

静区 「それが先生の申される孔孟学徒の役割です。その理非を問い、曲直を正すために、かくあらねばならぬ心構えのはずです。一家の主の意は一家の人々に、一国の主の意は一国の人々に、天下の主の意は天下の人々に及ぶ。ひとたび意が誠でないなら、一家麻痺し、一国の人、天下の人の意が誠ではなく、家は斉(ととの)わず、国は治まらず、天下は平かではなくなる。自分の心の動きが天下の政につながっている、と。」

中斎 「いたずらに人禍を怖れ、ついに是非のこころをくらますは、もとより丈夫の恥ずるところ、しかして何の面目ありて聖人に地下に見(まみ)えんや、ゆえにわれまた吾が身に従わんのみ。どこまでもすれ違いかの。」

静区 「先生のおっしゃる誠意慎居は、心の奥底のどんな隠微な悪も見逃さず、あらゆる事柄に一瞬も怠らぬ克己の内省であるべきもののはずです。功夫(実践修養)とは、格物致知の上にも貫かれ、それによって五倫の道は真のものとして蘇り、日用人倫あらゆる事柄が、功夫の場となる。明徳親民もと一事だから、功夫は一己の道徳に終始できない。一人の民とも隔絶し、一人の民をもその所をえないならば、それは民を親しむの功夫がいまだ不十分であるばかりでなく、おのが明徳も明らかでないことになる。そう仰せになった主旨の結果が、乱民となることでしょうか。それは先生の孔孟学の破綻でなくてなんでしょうか。わが言葉に耳を傾けていただけないならば、師弟の義永く絶たんと存じます。どうして乱民に従えましょうや。」

中斎 「それもよかろう、しかしの、矩之允よ、子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すことあり。おのれは関知せずと言うばかりでは、仁とはいわぬのだ。」

静区 「先生、百歩譲りましょう。身を殺して以て仁を成すときなのだと致しましょう。しかし、心太虚に帰し、湯武の勢い、孔孟の徳あるもののみ救民のための天誅を為しうる。先生は、孔孟の徳ある者と、うぬぼれるのですか。」

中斎 「格物して後に知至る。知至りて後に意誠なり。意誠にして後に心正し。心正しくて後に身修まる。身修まって後に家斉う。家斉いて後に国治まる。国治まりて後に天下平らかなり。だが、天下が平かでなければ、いかがすればいいのか。国が治まっておらねば、いかがすればいいのか。それ故家が斉わず、身修まらず、意誠ならず、知至らずならばいかがするか。まず物を格(ただ)さねば、知を至らすことはできまい。では、物を格すとはどういうことか。意念のあるところ、直ちにその不正を去って、もってその本来の正しさを全うし、あらゆるとき、あらゆる場所において、天理を存するようにすることだ。よいか、わたしのいう致知格物は、わが心の良知を事事物物に致すことである。わが心の良知を致すのが致知であり、事事物物にその理をえるのが格物である。よいか、致知とは、知識を磨いたり、心構えを正すだけではだめなのだ。知を実現しなくてはだめなのだ。良知を致さずんば、則ち仁は決(かなら)ず熟せざるなり、とはその意味でなくてはならない。だからこそ、事に非ざるもの無し、と。是れ真の格物なり。故に王公より庶匹に至るまで、日用応酬の事は、皆格物なり。豈只に書を読み物理を窮めて、然る後に之を格物と謂うといはんや。」

静区 「君子の善に於けるや、必ず知と行と合一す。小人の不善に置けるや、亦た必ず知と行と合一す。而して君子若し善を知りて行わずんば、則ち小人に変ずるの機なり。先生は小人の合一ではないと言い切れますか。」

中斎 「儒者の学問の目的は、経世である。その根本は無欲でなくてはならぬ。孟子にいう、志士はいつも溝壑(こうがく)にあるを忘れざる、と。世を捨てて、隠棲するのも儒者の生き方だ。徹頭徹尾、政(まつりごと)に関わり続けようとする道もあろう。しかしみどもはそれを取らぬ。座して、死者がみちみちるのを、手を束ねて見守るだけはできぬ。それが天意にかなう行為と信じたら、みずから、そのために身を忘れ、家を忘れ、妻子眷属を捨てて兵を起こさざるをえない、そういう仁もある。身を安きに置かんと要(もと)むるは、即ち人情なり。然れども其の情に任すれば、即ち与に道に入るべからず。故に大人は斃れて後休む。故に斃れざるうちは其れをして善をなし、其れをして悪を去らしむ。便ちこれ功夫なり。」

静区 「先生は、かつてこういっておられた。良知の学は天下に亡びて伝わらず。只だ其の伝はらざるや、人亦た聖賢の域にのぼるを得ずして、皆酔生夢死の場に擾々(じょうじょう)たり。豈に悲しむべきに非ざるか。若し先覚者有らば、万死を犯すも疾(すみや)かに告げざるを得ざるなり。嗚呼、後の世に当たりて、先覚するものは抑も誰ぞや。吾れ未だ其の人を見ざるなり。噫。いま先生は先覚者になりたるご所存か。」

中斎 「矩之允、もうよかろう、夜も更けた、後は明日にしょうぞ。」

中斎は、ついに静区(矩之允)の諫言を論破できなかったように見える。その答えが、静区を惨殺せしめることであった。それは、おのれが磨き上げてきた学問の破綻そのものでもあった。というより、その学問の桎梏を断ち切らねば、そもそも崛起は成り立たなかったのである。それを象徴するのが、中斎の最愛の愛弟子静区であった。それを断ち切ることが、儒者であることをやめ、反乱者として立つ、その深い淵を飛び越えることであった。それほど、その深淵は、大きく隔たる。しかしそれをせねばならぬほど、目の前の、飢饉と困窮の人々への、大塩のやむにやまれぬ思いの深さは大きかった。静区を斃すことで、おのれに残る儒者の軛を断ったのだと、僕は思う。

平八郎と格之助の墓.jpg


参考文献;
宮城公子『大塩平八郎』(ぺりかん社)
王陽明『伝習録』(中公クラシックス)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
金谷治訳注『大学・中庸』(岩波文庫)
大塩平八郎『洗心洞箚記』(たちばな教養文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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