2020年06月10日


「茶」(通音チャ、唐音サ、漢音タ、呉音ジャ)の字は、

会意兼形声。もと「艸+音符余(のばす、くつろぐ)」。舒(くつろぐ)と同系で、もと緊張を解いてからだをのばす効果のある植物。味はほろ苦いことから、苦茶(クト)ともいった。のち、一画を減らして茶とかくようになった、

とある(漢字源)。「ちゃ」と訓むのは、中国語の字音である。当たり前だが、

朝鮮半島でも「チャ」と発音しますし、ロシア語やチェコ語やアラビア語の「チャイ」も、中国の「チャ」が語源です。一方、欧米では「tea(ティー)」と言い……、ドイツ語では「テー」、フランス語では「テ」です。これも中国語が語源なのです、

とあるhttps://onoen.jp/column/column_97.html。「茶」は中国発祥なのである。その「茶」を、

『茶経』には「茶」「檟(カ)」「蔎(セツ)」「茗(メイ)」「荈(セン)」の5種の名が挙げられているが、他に当て字もあって、それらも合わせると10種以上の字が使われていた。「茗」に関しては、現代中国語でも茶を総称する「茗茶」という言い方が残っている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6

「チャ」の訓みについて、

タ(茶)は、拗音化して「チャ」になった。子音交替[ts]をとげるときには「サ」になった、

と音韻変化を説くものもある(日本語の語源)が、慣用的に、

チャ、

と発音するものが、日本語化したとみていいのではあるまいか。

日本人は、中国音チャを、大和言葉のように日常語として使っています。茶を点てるは、抹茶を泡立てる意です。茶の子は、茶菓子のことです。色彩の「茶色」も、同語源で、「茶を煎じた色」が語源、

とある(日本語源広辞典)。

日本の茶の木.jpg

(秋に花咲く、日本の茶の木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6より)

「茶(ちゃ)」は、

チャノキの葉や茎を加工して作られる、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6、それは、

ツバキ科の常緑低木で、中国南部(四川・雲南・貴州)の霧の多い山岳地方の原産、

とされる。ただ、

日本にも原生していた、

とある(たべもの語源辞典)。

「茶」の初出は、天平元年(729)に、

本朝聖武帝天平元年 召百人僧於内裡 而被講般若 第二日 有行茶之儀(茶経詳説)

とあり、聖武天皇が、

百人の僧を内裏に召して般若経を講せしめた折、行茶(ぎょうちゃ)と称して茶を賜った、

という(仝上)。「行茶」の儀とは,

お茶を行じること、

でありhttp://unsui.net/gyoucha/

人に茶を進める、

ことであるhttp://www2u.biglobe.ne.jp/gln/88/8831/883102.htm

お茶を飲むことも大切な修行の一つである、

という意味が込められているhttp://unsui.net/gyoucha/、とある。

引茶(ひきちゃ)の儀、

とも言われるhttp://www2u.biglobe.ne.jp/gln/88/8831/883102.htm、とある。

磚茶.jpg

(磚茶(たんちゃ/だんちゃ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E8%8C%B6より)

すでに、この時期、「茶」が渡来していたことになる。ただ、

天平時代に中国から渡ってきた茶は、磚茶(たんちゃ/だんちゃ)で、磚(たん)という中国の煉瓦のような形をしていて、削って用いた、

とある(たべもの語源辞典)ので、これもそうかもしれない。

その後、延暦二四年(805)に、最澄が唐から帰朝の折も、大同元年(806)の、空海帰朝の折も、茶の種をもってきた(仝上)、とされる。弘仁六年(815)、嵯峨天皇は、

畿内・近江・丹波・播磨等に茶を植えさせた、

とある(日本後紀)。この年、近江行幸の際、崇福寺の大僧都永忠が茶を煎じて天皇に奉ったとある(類聚國史)し、弘仁年間(810~824)の『文華秀麗集』の「錦部彦公光上上人山院ニ題スル詩」に、「緑茗を酌(く)む」とあり、既にこの時期、喫茶がおこなわれていたことがわかる(仝上)。この時期、茶は、

薬、

として好まれていた(日本食生活史)が、平安末期には、奈良時代から続いていた貴族や僧侶の間で行われていた喫茶が途絶え(仝上)、鎌倉時代になって、また復活する。

栄西が宋に二度留学し、そのいずれかの折に茶の実を持ち帰って、筑前の背振山に植えた。その実のあまりを明惠(高弁)がもらって、山城國栂尾(とがのお)に植えた。これが栂尾の茶の起こりであると伝えられている。また宇治にも植えたので、宇治茶の起源となった、といわれている、

とある(仝上)。栄西は、『喫茶養生記』をあらわし、中国の製茶法を伝え、

茶の葉を朝つんで、これをあぶり、あぶる棚には紙をしき、その紙が焦げないように火であぶり、竹葉をもってかたく口を封じた瓶にいれてたくわえる、

と述べ(仝上)、さらに茶を喫する法についても、

一寸四方ほどの匙に二、三匙茶を入れて、極熱の湯で飲む、

としている(仝上)。「吾妻鏡」にあるように、栄西は、実朝が二日酔いでなやんでいたとき、茶を差し上げた、とあるように、やがて喫茶は、上下一般に流行するようになるが、あくまで妙薬として受け入れられていった、と思われる。鎌倉末期にも、茶の会が行われているが、元弘三年(1332)の『花園院御記』には、

近臣らが喫茶の勝負をやるのに賭け物を出して、茶の味の識別をして当てる会をしている、

との記述があり、この茶会は、

茶味の識別を争う、

ものであったが、茶の産地も増え、鎌倉末期には喫茶の風が僧侶・公家・武家から、庶民にまで広がっていく(仝上)。その主体が、武家に移るとともに、南北時代、新興大名層の間に、

茶寄合(闘茶会)、

という賭け事の茶会へと引き継がれていく。東山時代になって、足利義政が、

東山の東求堂(とうぐどう)に四畳半で茶の湯を友とした、

ように、書院での心静かに威儀をただして喫茶為る風に簡素化されたものが生まれ、これが、

村田珠光、

の「茶道」の確立につながっていく。それは、

一休宗純に参禅して体得した禅の精神と「下々の茶」つまり庶民の茶の風儀とを総合した茶道、

という、

庶民風の茶の湯、

を創り上げる(仝上)。珠光の茶は、利休の談話筆記と伝わる『南坊録』に、

四畳半座敷は珠光の作事なり、真の座敷とて鳥子紙の白張は杉板のふちなし天井、小板ぶき宝形造、一間床なり、(中略)書院の飾物は置かれ候へども、物數なども略ありしなり、

とある。武野紹鴎、千利休と、これを日本的な「茶の湯」が大成されていく。茶は、

中国、
朝鮮、

にもあるが、

茶の湯、

は、

静寂枯淡の趣をもつ、禅的な人生観がこの趣味の中にとりいれられ、

まったく日本独自のものとなった(仝上)。珠光・紹鴎・利休の、

わび・さび、

については、「わび・さび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471270345.htmlで触れた。

抹茶を点てる様子.jpg

(抹茶を点てる様子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6より)

なお、茶道については、

「茶」http://ppnetwork.seesaa.net/article/406853639.html?1589162318
「茶の湯」http://ppnetwork.seesaa.net/article/396593854.html
「古田織部」http://ppnetwork.seesaa.net/article/435235025.html

茶事については、

「茶事」http://ppnetwork.seesaa.net/article/405435166.html
「点前」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471647299.html

茶道具については、

「茶道具」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163135.html

で、それぞれ触れた。その他、「茶」に関わるものとして、

「茶番」http://ppnetwork.seesaa.net/article/435545540.html
「お茶の子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451394732.html

また「茶」に、本来の「茶」の字にはない、わが国に独特の、

茶とも思わず(人を馬鹿にして軽んずる)、
茶にする(はぐらかす)、
茶に受ける(冗談事として応対する)、
茶に掛かる(半ばふざけている)、
茶に為る(相手のいうことをはぐらかす、愚弄する)、
茶に成る(軽んずる、馬鹿を見る)、
茶を言う(いい加減なことを言う)、

といった使い方をする、

からかう、
ちゃかい、
いい加減なことを言う、

意味の使い方があるが、その「茶」については、

「お茶を濁す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453997241.html
「茶目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453974476.html
「茶々を入れる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/440686901.html
「臍で茶を沸かす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441330515.html

等々で触れたおいた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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