2020年06月30日

一夜鮨


「一夜鮨」は、

いちやずし、
ひとよずし、

と訓ませるが、

ひとばんずし、

とも言う(大言海)。広辞苑には、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、
塩・酢でしめた魚と熱い飯を交互に重ね、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、
塩・酢でしめたすし飯にのせて、重しをかけて一夜で作った鮨、

の三種類が載る。「なれる」は、

熟れる、

と当て、

熟成して味がよくなる、

意である。ただし、「熟れ鮨」は、かつては、魚の保存の為なので、飯は捨てた。

「一夜鮨」は、本来は、

一夜でなれずしになる、

という意味の、

一夜鮨、

で、昔の鮨は、

魚類を塩に漬けて久しく貯えて置き、自然に酸味の出てくるのを待った、

からである。「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html?1593370222で触れたように、「鮨」の字は

魚の鰭,
うおびしお,魚のしおから,

を意味し,我が国だけで,

酢につけた魚,
酢・塩をまぜ飯に,魚肉や野菜などをまぜたもの,寿司,

の意で使う。「酢」は,

塩・糟などにつけ,発酵させて酸味をつけた魚。たま,飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食,

の意で,「華南・東南アジアに広く行われた」(『漢字源』)ものを指す。これは,

なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨),

と重なる。「酢」を「鮨」と同様の意味で使うのは,我が国だけである。

スシのスは酸であり,シは助辞である。すなわち「すし」とは「酸(ス)シ」の意である。古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくる。これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために,飯を加えて漬けるようになったのは,慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで,江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり,散らしや握り鮨が生まれる、

としており(たべもの語源辞典)、また、表記については,

『十巻本和名抄-四』に「鮨(略)和名須之 酢属也」とあり,「鮨」と「鮓」は同義に用いられていた可能性がある。ただし,飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で,魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、

ともある(日本語源大辞典)。

つまり、「一夜鮨」は、昔の「なれずし」の製法と、酢をつかったものとの両義があるようなのである。広辞苑に載る三種のうち、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、

が古い形になる。

元来酢は鮒にあれ、鮎にあれ、其魚と飯とをまぜて、二三日或いは四五閒も経て、なれて食するものなるを、一夜にてなれて食するより云ふ、

とある(大言海)のは、その意味である。「酢」は、飯の中に魚介類を入れて漬ける「鮨」を指す。

江戸時代後期『嬉遊笑覧』には、

ムカシの酢は、飯を腐らしたるものにて、みな、源五郎鮒の酢の如し、早鮨とも、一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の酢を苞に入れ、焼火に炙りて、おもしを強くかくる、又は、柱に巻つけて、しめたるもよし、一夜にしてなるるといへり、

とある。寛永二〇年(1643)刊行の『料理物語』は、「一夜ずし」の仕様を、

鮎をあらひ、めしを常の鹽かげんよりからうして、うほに入れ、草づとにつつみ、庭に火をたき、つととともにあぶり、その上を、こもにて二三返まき、かの火をたきたる上におき、おもしを強くかけ候、又、柱に巻きつけ、強くしめたるもよし、一夜になれ候、

と書く。蕪村の句に、

夢さめてあはやとひらく一夜鮓、

とある。

つくりはじめて一日くらいで食べられる酢、

の意で、

はやすし、
なまなり、

とも言う(たべもの語源辞典)、とある。ただ、

「生成の鮨(鮓)」とは、十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもの、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、飯を食べる今日の鮨とは異なることに注意しなくてはならない。しかし、「早すし」は、酢を用いるようになって以後の「すし」をも指すので、何に対して早いかの意が、少し変わる。ここで「一夜ずし」は、

なれずし、

に対して言っている。

時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かう、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、やがて、1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになり、幕末の、岡本保孝『難波江』に、

今江戸にある酢は、延宝の頃、御医師の松本善甫と云ふもの新製なり、されば、世に松本酢と云、彦根の鮒の酢、尾州の鮎の酢などは、魚と飯とをまぜて、五六日も経て食ふなり、吉野近辺にて粟の飯にて造る、二三ヶ月もかこはるるなり、これらの酢は、右より左には出来兼る故に、あきなふ者にあつらふるに、今日より幾日経て取りに来給へと云により、これをオジャレズシと云、松本酢は、直に出来故に、マチャレズシと云、又、早酢とも云なり、元来すしは、上件の如く、飯と魚とをまぜて置に、日数経れば、おのづから、酸味の出るものにて、酢を加へて製するものにあらず、鮨の字よりは、酢の字の方よろし、字書を観て知るべし、

とある(大言海)ので、まだ飯を食べる「鮨」ではなく「酢」である。ただ、この説は、

日比野光敏によれば「松本ずし」に関する資料は他になく、延宝以前の料理書にも酢を使った寿司があるゆえ「発明者であるとは考えられない」としている、

説もあるがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、誰が発明したかは別として、鮨に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司が誕生し、まさに、

早寿司(鮨)、

が生まれることになる(仝上)。この場合は、「一夜ずし」よりも早い、ということを意味になる。酢を用いるようになると、

魚は沖鱛ほどにひらりと大きく切って、二時間ほど酢につけておく。引き上げて水気がなくなるまで乾かし、飯をきれいにこしらえて、一段一段に並べ、おしをよくして、二、三日たったら出す。こしらえた翌日も食べることが出来る、

とあり(たべもの語源辞典)、飯を食べるスタイルになっている。

類聚近世風俗志.jpg

(喜田川守貞『類聚近世風俗志』 日本食生活史より)

寛延四年(1751)版の『増補江戸惣鹿子』に、

酒川酢、深川富吉町柏屋、御膳筐酢、本石町二丁目南側伊勢屋八兵衛、交ぜ酢、早漬、切漬其外御望次第、

と見える。「混ぜ酢」というのは、起こし酢のことで、

五もく酢、

であり、「早漬」は、

一夜酢、

の変化したもの(日本食生活史)、とあり、既に、飯を食べるものに変わっている。

安永(1772~80)の頃になると、「笹巻」が現れる。「笹巻ずし」とは、

切酢を笹の葉にぐるぐる巻いて押した酢、

であり、長くおいても、飯がかたくならないで、魚が変色しないという特徴があった(仝上)、とされる。

文政七年(1824)には、魚の骨を毛抜きで抜いた、

毛抜酢、

が登場する。

一つずつ笹の葉に巻いて売り、

笹巻酢、

と称した、とある(仝上)。

「妖術という身で握る鮓の飯」『柳多留』(文政一二年〈1829年〉)が、握り寿司の文献的初出である。握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」華屋與兵衛とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎とも言われる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8

にぎりずし、

が登場することになる。

江戸三鮨(えどさんすし)、

というのは、江戸時代に江戸で名物として謳われた、

毛抜鮓(けぬきすし)、
與兵衞壽司(よへえすし)、
松が鮨(まつがすし)、

を指すがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%B8%89%E9%AE%A8

毛抜鮓(けぬきすし)は、

押し鮓や馴れ鮓の形態を色濃く残した、笹の葉で巻いた押し鮓の一種で、保存食とするため飯を強めの酢でしめてあるのが特徴、

だが、他の二つは、「握り酢」である。

與兵衞壽司(よへえすし)は、

文政年間(1818 -~30)に、上方風の押し寿司と異なる江戸前の握り寿司を考案、すしにワサビを使った、

松が鮨(まつがすし)は、

玉子は金の如く、魚は水晶のようだと、その華麗な色彩感がたちまち評判となり、権家の進物品として引っ張りだことなった。やがて江戸中で最も贅沢な寿司であると謳われ、『嬉遊笑覧』は、握り寿司の考案者は堺屋松五郎だとしている、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E4%B8%89%E9%AE%A8。幕末の『守貞謾稿』には、京阪にては、

方四寸許の箱の押しずしのみ。一筥四十八文は鳥貝のすし也。又こけらずしと云は鶏卵・やき鮑・鯛と並に薄片にして飯上に置を云。価六十四文一筥凡十二に斬て四文に売る。又筥ずし飯中椎茸入る、飯二段のになりたり、又浅草海苔巻あり、巻ずしと言、飯中椎茸と独活を入る、京阪の鮨普通以上三品を専とす。而も異制をなす店も希に有之、又鮨には梅酢漬の生姜一種を添る、

とあり、江戸では、幕末期、多種多様な握り鮨がつくられ、『守貞謾稿』には、

今製に握り酢也、鶏卵焼・車海老・そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮長のまま也、以上大略価八文酢也、其中玉子巻は十六文許、添之に新生姜の酢漬姫蓼(ひめたで)等也、又隔等には熊笹を用い、又酢折詰などには酢上に……熊笹を斬て置之飾とす、京阪にては隔にはらんを用ひ、又添物には紅生姜と言て梅酢漬を用ふ、

とある(日本食生活史)。

歌川国芳『縞揃女弁慶 松の鮨』.jpg

(歌川国芳『縞揃女弁慶 松の鮨』 握り寿司と押し鮓が描かれている https://edo-g.com/blog/2015/11/sushi.htmlより)

江戸末期の『江戸自慢』には、

江戸の鮓は握りて押したるは一切なし、調味よし、上方の及ぶ處にらず、価も賤(やす)し、

とある(仝上)。なお、

「すし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html
「いなりずし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469221526.html

については、触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:41| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする