2020年07月08日

黍団子


「黍団子」(きびだんご)は、

黍の実の粉で作った団子、

である(広辞苑)。大言海には、

もちきびの粉に、米の粉をまぜ、水に捏ねて、まろめて蒸したるもの、

とある。

黍餻、

とも当てる(大言海)。

きびだんご (黍だんご).jpg


この「餻」(コウ)は、「糕」とも書き、

餌(ジ)、

と同じであり、

もち、だんご(粉餅)、

の意である。「餈」(シ)は、

むちもち、もち米をむして搗きたるもち(稲餅)、

とある(字源)。「餅」(漢音ヘイ、呉音ヒョウ)は、中国では,

小麦粉などをこねて焼いてつくった丸くて平たい食品,

つまり、「月餅」の「餅」である。「もち米などをむして,ついてつくった食品」に「餅」を当てるのは,我が国だけである。

餻、
餈、

も「モチ」のことである(たべもの語源辞典)。ために、江戸中期の「塩尻」(天野信景)には、

「餅は小麦の粉にして作るものなり、餈の字は糯(もちごめ)を炊き爛してこれを擣(つ)くものなれば今の餅也、餻の字も餅と訓す、此は粳(うるしね)にて作る物なり」

とあり、江戸後期の「嬉遊笑覧」(喜多村信節)にも、

「餅は小麦だんごなり、それより転じてつくねたる物を糯といへり。だんごは餻字、もちは餈字なり。漢土にて十五夜に月餅とて小麦にて製することあり、よりて『和訓栞』に餅をもちひと訓は望飯(もちいひ)なりといへるは非なり、『和名鈔』に「糯をもちのよねと云るは米の黏(ねば)る者をいへり、是もちの義なり。故にここには餻にまれ餈にまれもちと云ひ餅字を通はし用ゆ」

とある(たべもの語源辞典)。つまり、「餅」が本来、小麦粉で作ったものであることをわかっていて、日本の糯米でつくるモチの借字として「餅」の字を使った、という経緯があり、結構あいまいではあった。

昔、麦粉や黍などの雑穀の粉を蒸してついた食物は「餅(べい?)」と称していたという考察が、江戸期の暁鐘成の随筆にある。またこれによれば今の餅は、本来「餐」と呼ばれていたという、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8D%E5%9B%A3%E5%AD%90のも、曖昧な使い方の故ではある。「五平餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474063861.htmlは、「餅」といっているが、

粳米(うるちまい)飯を半搗き、

にしたものである。だから、

団子http://ppnetwork.seesaa.net/article/475567670.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.html

の違いは、

米の粒のまま蒸して搗いたものをモチ(餅)、
粉をこねて丸めたものをダンゴ(団子)、

とする説(たべもの語源辞典)もあるが、

「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉を使うが、餅は餅米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」など様々な謂れがあるが、粉から用いる餅料理(柏餅・桜餅)の存在や、餅米を使う団子、うるち米で餅を作れる調理機器の出現、更にはハレの日の儀式に団子を用いる地方、団子と餅を同一呼称で用いたり団子を餅の一種扱いにしたりする地方もあり、両者を明確に区別する定義を定めるのは困難である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90

「黍団子」の早期の用例として、『山科家礼記』に、長享二年(1488)三月一九日に、

黍團子、

の記述があり、室町末期の日葡辞書にも、キビダンゴは、

黍の団子、

と定義されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8D%E5%9B%A3%E5%AD%90、らしい。

キビの穂.jpg


「黍」(ショ)の字は、

会意。「禾(イネ科の作物)+水または雨」。水気を吸収して育つ作物をあらわす。一説に暑(ショ)と同系で、暑いさなかに育つからともいう、

とあり(漢字源)、「きび」の意だが、

北中国では主食にし、飯・かゆをつくり、酒を醸すのに用いた、

ともある(仝上)。

日本へは、アワ、ヒエ、イネなどよりも遅く渡来したと考えられている、

らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%93が。『万葉集』にも、

梨棗(なしなつめ)黍(きみ)に粟(あは)嗣(つ)ぎ延(は)ふ田葛(くず)の後(のち)も逢はむと葵(あふひ)花咲く、

等々とあり、古くから親しまれてきた。古代中国の草本書『食物本草』にも、

味は甘く性質は温で毒はない。気を益し、脾臓や胃の働きを助ける作用がある、

とある(仝上)とかで、多く、

実をそのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりする。キビは米と一緒に1、2割の割合で混ぜて炊飯されたりもされ、米飯よりも甘みと少しのほろ苦みが加わる、

とあり(仝上)、炊きたてのモチ黍をすり鉢に入れてついたものは黄色い餅になり、それを丸めると黍団子となるのである(仝上)。

和語「きび」は、

黄實の轉(大言海・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・東雅・名言通・和訓栞・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子・風土と言葉=宮良当壮・日本語源広辞典)、

とするのが大勢で、

マキミ(眞黄実)の上略(日本語原学=林甕臣)、
「黄米」の別音ki-Miの転音(日本語原学=与謝野寛)、

も、黄色ということに着目しているのは同じである。万葉集に、

きみ、

と訓んでいたことは確かなので、

Kimi→kobi、

の転訛なのだろう、と思われる。

吉備団子(きびだんご).jpg

(吉備団子(きびだんご) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%A3%E5%AD%90より)

ところで、

吉備団子、

と当てられる団子菓子は、嘉永・安政(1848~60)頃に現れる。岡山藩の茶人家老伊木三狼斎が勧めて、吉備津彦命を祀る吉備津神社の境内の茶店で売らせた(たべもの語源辞典)、とある。これは求肥http://ppnetwork.seesaa.net/article/473642635.htmlにきびの粉をまぜた菓子である。安政六年(1859)に江戸浅草で「日本一きび団子、昔屋桃太郎」の看板で黍団子を売り出したものがあったらしい(仝上)。

昔は黍で覆われた食品だったかもしれないが、現在に至る改良製品は、餅米の粉を混ぜて求肥を作り、これを整形して小さく平な円形(碁石形)に仕上げる、

全く別物であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%A3%E5%AD%90

ただ、吉備津神社と黍団子という食べ物の間には、17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていたらしいのであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8D%E5%9B%A3%E5%AD%90。細川幽斎(1610年没)が「備中吉備津宮にて詠める」と詞書で前置きした狂歌、

神はきねがならはしなれば先づ搗きて団子にしたき吉備津宮かな、

があり(寛文6年(1666)『古今夷曲集』)、

餅雪や日本一の吉備だんご、

という句もある(慶安4年(1651)『崑山集』)。ただ、桃太郎が与える「きびだんご」は、

元禄の頃までは「きびだんご」ではなく「とう団子」等だった、

とされる(仝上)。元禄頃(1688~1704)は「とう団子(十団子)」の他、「大仏餅」「いくよ餅」も出てくるという(仝上)。つまり、桃太郎と黍団子が結びつくのは、江戸も中期以後、元文頃(1736)だという。

犬に「きびだんご」を与える桃太郎.jpg

(犬に「きびだんご」を与える桃太郎。英訳Momotaro(1886)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8D%E5%9B%A3%E5%AD%90より)

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:黍団子
posted by Toshi at 03:46| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする