2020年07月20日

べったら


「べったら」は、

べったら漬の略、

の意である(他に、こんにゃくの味噌田楽を指す意もあるらしいが)。「べったら漬」は、

大根を塩と糠で下漬けをし、麹・砂糖などで漬けたもの、

の意で、

浅漬(あさづけ)、

である(広辞苑)。「浅漬」には、広く、

野菜を糠や薄塩で短時日漬けること、またその漬物、

を指し、

当座漬、
早漬、
一夜漬、
即席漬、

とも言うが、

べったら漬、

をも指す。

べったら漬.jpg


近世、大根漬の一種で、生干しの大根を甘塩であっさり漬けたもの、

を指し、女房詞で、

あさあさ、

京阪では、

あっさり、

東京では、

べったら、

といった(たべもの語源辞典)、とあるが、大言海は、

あさづけ、

を、

京阪にて大根、茄子などの漬物の名、

とあり、守貞謾稿も、

鹽麹に、生大根、生茄子、瓜の類を漬けたるを、京阪にて浅漬と云ひ、

とあり、さらに、大言海は、この「浅漬」は、

東京にては、大阪浅漬と浅漬大根と別つ、

としている。京阪で、「浅漬」といっているものと「浅漬大根」とは別物、ということである。

陰暦10月19日のえびす講の宵宮にべったら市が、日本橋旅籠町、人形町、小伝馬町、通油町にかけてたった。もとは、翌日のえびす講の支度に必要な土製・木製の恵比寿大黒・打出の小槌・かけ鯛・切山椒などを売った市であるが、いつのころからか安くてうまいといわれる浅漬大根を売る店がふえた、

とある(たべもの語源辞典)。織物商人が集まって市を立てていたものに、

周辺の農家でとれるダイコンを麹と飴(あめ)で加工して売り出したのが始まり、

といわれている(日本大百科全書)。浅漬売りは、

いずれも白シャツ紺の腹掛けに向こう鉢巻という威勢のいいいでたちで、町の両側にずらりと店を並べ、粕のべったりついたままの浅漬大根を売った、

とあり(仝上)、その売り子が、

女性客の着物の袖に「べったらだべったらだ」とはやしがら米麹をつけようとして売るのがスタイルだった、

とあるhttps://agri.mynavi.jp/2017_10_24_9154/し、また別に、

きれいな着物をきた人たちが、縄でしばった浅漬をぶら下げて帰った。若者たちはたわむれて、わざと「べったら、べったら」といいながら女の着物につけようとする。売り手も「べったらべったら」と呼びながら売った。べったりと麹などが人々につくから、

ともある(たべもの語源辞典)が、いずれにしても、「べったらだべったらだ」とはやしたことから、この市を、

べったら市、

というようになり、べったら市で売られる浅漬を、

べったら漬、

と呼ぶようになった(仝上)らしいが、べったら漬け発祥の例祭の市が、

べったら市、

という名前に変わったのは、明治頃からとされるhttps://agri.mynavi.jp/2017_10_24_9154/ので、あくまで、

えびす講、

であった。

この「べったら」の由来には、

べったりの転(広辞苑)、
べちゃべちゃ、べたべた(擬態語)+漬物(日本語源広辞典)、
麹がべたつくところから(擬音語・擬態語辞典)、
麹がべとべとしていることからhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B9%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E6%BC%AC
麹でべたべたしているところから(日本大百科全書)、

等々、大根を漬けた麹の付いている感触からきている、とみるのが妥当のようだ。少し違うが、

大根を薄塩と麹で浅漬けするとき、べったらべったらと手で打ちながら漬けるから、

とする説(たべもの語源辞典)、

漬けた大根の表面に漬け床の米麹がベタベタついていたから、

とする説https://agri.mynavi.jp/2017_10_24_9154/もある。

大根のおいしくなるのが冬なので、陰暦のこの時期はおいしかったが、明治以降陽暦で催すので、

本来のうまさは味わえない、

ともある(たべもの語源辞典)。江戸時代、

浅漬は大根を塩に糀(こうじ)を混ぜて漬け、50日ばかりで出した、

とある(たべもの語源辞典)が、

ダイコンは皮の筋目が残らないよう厚く皮をむき、塩で下漬けしたあと麹で本漬けにする。麹はぬるま湯で溶いて保温し、固めの甘酒にして用いると甘味が強くなる。下漬けしたダイコンは麹、砂糖をふりかけながら漬け込み、重石(おもし)をする。5日目くらいから食べられ、15日くらいが食べごろ、

ともある(日本大百科全書)。これを、

浅漬大根、

と呼ぶのは東京で、そのため、べったら市には、

関西の品もきた。浅漬大根を関西地方ではべったら漬といったので、これが江戸に入った、

という説もある(たべもの語源辞典)。大言海には、べったら市にて売る浅漬大根を、

関西地方にてはべったらづけなどと云ふ、

とあり、江戸では、

浅漬大根、

というのが本来のようだから、

関西由来、

という説には一理ある。大言海によれば、べったら市は、

くされ市、

とも言い、

元は専ら、掛鯛を売りしなるべし、遠く伊勢より來る鹽鯛にて、周期れば腐れと云ふ、

とある。江戸語大辞典にも、

夷講で蛭子神を祭るに必要な小宮・神棚・三方・小桶・俎板の類、また神前に供える掛鯛などを売る。この掛鯛が、もと伊勢から来たもので臭気があったので、この称がある、

とある。「蛭子神」は、『古事記』の国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流された、

のを指すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%B3。流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。

『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い、

とある(仝上)。えびす講の「祭神」である。「掛鯛」というのは、

正月あるいは恵比須講に小ダイを二尾腹合わせにして、口と鰓に藁を通して結び、神棚の前または下に掛ける、

ことをいう(季語・季題辞典)。

こう考えると、「べったら」が、関西由来の言葉というのは、あながち的外れではないのかもしれない。

「えびす講」は、江戸時代の、

宝田恵比寿神社例祭の市に遡る、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B9%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E6%BC%AC。その由来は、馬込勘解由の碑http://www.viva-edo.com/kinenhi/nihonbasi/bettara.htmlに、詳しいが、宝田神社は、

慶長十一年(1606)の昔四百十余年前、江戸城外宝田村の鎮守様でありました。徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村(現在鳥居内楓山付近)の転居を命ぜられましたので、馬込勘解由(かげゆ)と云う人が宝田村の鎮守様を奉安申し上げ、住民を引率して此の地集団移転をしたのであります。馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時、三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので、平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申し上げたのが今日に至った、

とあるhttps://www.nihonbashi-edoya.co.jp/bettara/history.html。そして、

宝田恵比寿神は商売繁昌、家族繁栄、火防の守護神として、崇敬者は広く関東一円に及び毎年十月十九日の「べったら市」二十日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行われます、

と(仝上)。守貞謾稿には、

十月十九日夜江戸大伝馬町、腐市、

とある(江戸語大辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 03:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする