2020年08月07日

木強


「木強」は、

ぼっきょう、

と訓ます。中国語である。「強」は、一に、

彊、

に作る、とある(漢字源)。史記・張蒼傳に、

周昌、木彊人也、

とある(仝上)。しかし、

木彊(ぼっきょう)、

は、

ごつごつして柔和ならざる貌、

の意で使われたりする(仝上)。

心が木石のように一徹なこと、
飾り気がなく、剛直なこと、
無骨、

という意であり(広辞苑)、

まじめで堅苦しいさま、
きまじめ、
素直で言行に飾り気のないこと、

の意の、

生直(きすぐ)、

の意とも重なる(「生直」は「キスク」とも訓ませる)。

木強漢(ぼっきょうかん)、

と、

一本気で飾り気のない男、

の意で使う言い方もある。史記・周勃世家に、

勃為人、木強敦厚、高帝以為可屬大事、

とある(漢字源・大言海)。「敦厚」は、

とんこう、

と訓ませ、

誠実で、人情に厚いこと、

の意である。

周勃(しゅうぼつ)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将・政治家、

紀元前209年に劉邦が兵を起こした時、劉邦に従った。元々は沛で機織業をしており、葬儀屋を副業としていた。劉邦が漢王になると、周勃は武威侯となった。劉邦が漢中から出撃する際に先陣を務め、章平(章邯の弟)らを破った、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%8B%83、劉邦が死去に際し、

「漢王朝を長らく安んずるものは必ずしや周勃であろう」

と、皇后の呂雉に言い残したとされる(仝上)。

漢書・張蒼傳にも、

周昌、木強人也、

とあるが、師古注に、

言其強質如木石然、

とある(大言海)。

張蒼(ちょうそう)は、秦から前漢にかけての人、

書を好み律暦に詳しかった。秦においては御史となり、四方からの文書を司っていた。しかし罪があって逃亡し、故郷に帰っていたところ、沛公劉邦が陽武を通過し、張蒼は沛公の客となって南陽攻めに参加した、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%92%BC。張蒼は、

軍人や軍吏ばかりの劉邦の部下の中で珍しく書や律暦に詳しく、彼が中心となって漢が五行思想における水徳であることや、10月を一年の最初の月とするといった暦を定め、また調律を行い音楽を定めた、

とある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ぼっきょう 木強
posted by Toshi at 03:55| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする