2020年09月01日

口取


「口取」(くちとり)は、

馬の轡を取ってひくこと、またその人、

の意で、

くちつき、
くちひき、

とも言い(広辞苑)、

うまつき、

とも言う(大言海)。人を指す場合、

馬丁(ばてい)、

の意である。

口は、轡なり、

とある(仝上)。

口取.bmp

(馬の口取 精選版日本国語大辞典より)

正確には、

馬の差縄(さしなわ)を引いて前行する役目。諸差縄(もろさしなわ)は左右から両人で、左を上手(かみて)として上位の官人が担当して引くのを例とする。片差縄(かたさしなわ)は一人で轡鞚(くつわずら)を握って前行する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「口取」は、別に、

口取肴の略、

で使われる。「口取肴」(くちとりざかな)は、もとは、

本膳料理の最初に座つき吸物と一緒に出す、かちぐり・のしあわび、こんぶの類を盛ったもの、

を、

口取物、

といったとある(たべもの語源辞典)が、後には、

きんとん、蒲鉾、その他魚肉や鳥肉などを甘く煮て盛り合わせたもの、

を、

口取、

というようになる(仝上)。江戸時代、

広蓋(ひろぶた)や硯(すずり)蓋に盛られた、

とあり(百科事典マイペディア)、硯蓋に出される料理は、

きんとん、羊羹、寒天菓子等の甘味類(料理菓子、口取り菓子とも呼ばれる)、あるいは蒲鉾、牛蒡や小魚の佃煮といった保存の利く食物が多く、これらは賓客が持ち帰る慣わしであった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%86%B3%E6%96%99%E7%90%86

「口取」というのは、

盛られた料理を小口から(端から)取ったので、小口取肴、それを略して、「口取」としたもの、

である(仝上)。

小口から切って取り分ける肴(さかな)、

という意味で酒の「肴」を指す、本膳料理の用語である。「本膳料理」は、「懐石料理」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471009134.htmlで触れた。宗五大草紙(そうごおおぞうし)(1528)には,

初献(しよこん)に雑煮,二献に饅頭(まんじゆう),三献に吸物といった肴(さかな)で,いわゆる式三献(しきさんこん)の杯事(さかずきごと)を行い,そのあと食事になって,まず〈本膳に御まはり七,くごすはる〉とあり,一の膳には飯と7種のおかず,以下二の膳にはおかず4種に汁2種,三の膳と四の膳(与(よ)の膳)にはおかず3種に汁2種,五・六・七の膳にはそれぞれおかず3種に汁1種を供するとしている、

ように、本膳料理の基礎は、

一汁三菜、「菜(さい)」は副食物のことを指す。一汁三菜の内容は、飯、汁、香の物、なます、煮物、焼物であり、飯と香の物は、数えない、……菜の数は、かならず、奇数である。日本において、奇数を陽とし、偶数を陰とする思想があり、奇数をめでたいものとすることによる、

とあるhttp://hac.cside.com/manner/6shou/14setu.html。本膳は「本膳料理の体系」http://hac.cside.com/manner/6shou/14setu.htmlに詳しい。

大言海には、

勧盃(けんぱい)の時に、先ず出す取肴、熨斗鮑、昆布、勝栗の類、

とある。「勧盃(けんぱい)」は、

まわし飲みではなく,各人の盃に長柄の銚子で酒がつがれ飲むのが,一度の勧盃(けんぱい)であった。勧盃あるいは三献はあくまで儀礼であり,これを宴座(えんのざ)、

と称した(世界大百科事典)。これは「三献」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474358804.htmlで触れた。近松の「心中万年草(しんじゆうまんねんそう)」にもあるように、

土器を三宝に,口とりは熨斗(のし),昆布、

見えるように,かちぐり,のしアワビ,コンブといった祝儀のさかなに始まったものが、やがて饗膳が儀礼的なものから楽しみ味わうものへと変化し,会席料理などが出現するに及んで,食味主体に趣向をこらした料理が用いられるようになった、とみられる(世界大百科事典)。

何処にも記述がないので、憶説になるが、この「口取」の、

勝栗,熨斗鮑,昆布、

は、「カチグリ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471158742.htmlで触れた、武家の、

出陣式、

の、

勝栗、打鮑、昆布、

と重なるのは偶然とは思えない。武士が出陣の際、

勝栗・熨斗(のし)・昆布、

の三つを肴にして、門出を祝った(たべもの語源辞典)。「熨斗」は、元来長寿を表す鮑が使われていた。

熨斗鮑(のしあわび)、
あるいは、
打鮑(うちあはび)、

が原型である。「熨斗鮑」は、

「鮑の肉を、かんぺう(干瓢)を剥ぐ如く、薄く長く剥ぎて、條(スジ)とし、引き延ばして干したるもの。略して、のし。儀式の肴に代用し、祝儀の贈物などに添えて飾とす。(延長の義に因る)。長きままにて用ゐるを、ながのしと云ふ。古くは、剥がずして、打ち展べて用ゐ、ウチアハビなどとも云へり。アハビノシ、カヒザカナ」

とある(大言海)。厳密には、出陣時は、

うちあはび、

とされる。「打鮑」は、

「古へは打ち伸(の)して薄くせり。薄すあはびとも云ひき」

として、

「今、ノシアハビと云ふ」

とあり、

ただ打ち延ばす、
か、
薄く剥ぐか、

の違いのようだ。

出陣の肴組.jpg

(出陣の肴組 武家戦陣資料事典より)

もともと「本膳料理(ほんぜんりょうり)」は、

室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式、

で、

「南北朝時代には公家の一条兼良の往来物『尺素往来(せきそおうらい)』において本膳・追膳(二の膳)・三の膳の呼称が記され、『本膳』の言葉が出現する。また、室町時代には『蔭涼軒日録』長禄3年(1459年)に正月25日に将軍足利義政が御所において御煎点(ごせんてん)を行った際の饗膳が記されて」

おり、

「室町時代には主従関係を確認する杯を交わすため室町将軍や主君を家臣が自邸に招く『御成』が盛んになり本膳料理が確立した。本膳料理の確立に伴い、室町時代から江戸時代には『献立』の言葉が使用され、饗宴における飲食全体を意味した」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%86%B3%E6%96%99%E7%90%86のであるから。

最初の「口取肴」とは代わり、宴会料理では、口取が最初に運ばれたが、きんとん・紅白蒲鉾・鯛塩焼・杏の砂糖煮、鶏肉と野菜のうま煮、姿海老などの美しいものでお膳をにぎやかしたが、客はこれには箸をつけない。これは、当初の「口取」の習わしそのものを引き継いでいる。これらは折箱に入れられて土産になった、

とある(たべもの語源辞典)。この「口取肴」が、別の料理に変化し、口取代わりをつめたものが、

口代わり、
とか
口替、

という料理になる。で、代わりに酒の肴になるものとして

海、山、里の物を少量ずつ盛り合わせた料理、

を少量ずつ一皿に取り合わせたものを、その場で食べるための「口代わり」が出されるようになった。今日では、この「口代わり」を「口取り」ということもある、

という(世界の料理がわかる辞典)。

口取は、今日のおせち料理にも残り、

口取り肴は饗膳のなかでも最初に食べる料理なので、重箱のいちばん上の「一の重」に、縁起がいいとされる奇数(5品、7品、9品)の料理が詰められます。おせち料理の口取りには、紅白かまぼこ、栗きんとん、昆布巻き、伊達巻き、魚の甘露煮などの甘めの料理が一般的です、

とありhttps://gurusuguri.com/special/season/osechi/spcu-1511_11/?__ngt__=TT10ebbcb17004ac1e4aed6a3FIq3Um2tXQkF_n_n-L4qr、「祝い肴三種」も口取りの一種とされる。関東圏では、

黒豆・かずのこ・田作りの三種、

京都をはじめ関西では、

黒豆・かずのこ・たたき牛蒡、

とされる(仝上)。

なお、茶席で出される、

口取菓子、

は、

客が席に着いたとき、器にもって出す菓子のことをいう(たべもの語源辞典)らしいのだが、

茶請け、

なので、茶席で、

まんじゅう、羊かん、蒸し物に添えて出す煮しめ物、

をいう(世界の料理がわかる辞典)ともある。たとえば遠州流では、

初釜で主菓子に紅白のまんじゅうを用いるが、これに干瓢の煮しめを結んだものを添える、

という。これを指す。「口取」は、

口取り肴(ざかな)ともいい、本来は甘味の菓子をさしますが、現在では口代わりと同じ意味で使われることが多く、松花堂弁当や大徳寺縁高の中に入れる場合もあります、

とありhttps://oisiiryouri.com/kuchidori-imi/、これだと、

口直し、

の意味になっている気がする。

文政七年(1824)刊の『江戸買物独案内』には、

両国薬研堀(やげんぼり)の川口忠七,下谷大恩寺前の駐春亭,向島の平岩,真崎(まつさき)の甲子屋ほか多くの店が会席料理を称している。献立には多少の変遷,異動があったように思われるが,最初に蒸菓子を出して煎茶を勧め,そのあと酒のコースに入って,まず味噌吸物,つづいて口取肴(くちとりざかな),二つ物,刺身,茶碗盛(ちやわんもり)またはすまし吸物が供され,それから一汁一菜と香の物で飯となるものだったようである。口取肴はいまいうところの口取,二つ物は甘煮(うまに)と切身の焼魚で,それぞれ別の鉢に入れて供された、

とあり(世界大百科事典)、江戸後期の守貞漫稿によると、天保初年(1830)ごろから会席料理がはやったとあり、

天保初め比(ころ)以来、会席料理といふこと流布す。会席は茶客調食の風をいふなり。口取肴など人数に応じてこれを出して、余肴の数を出さず。その他肴もこれに准(じゅん)ず。前年のごとく多食の者はさらに余肴これなく、腹も飽くに至らず。しかして調理はますます精を競へり。今世、会席茶屋にて、最初煎茶に蒸菓子も人数限り、一つも多く出さず。口取肴も三種にて、織部焼などの皿に盛り、これも数を限り余計これなし。口取肴の前に坐付味噌吸物、次に口取肴、次に二つ物といひて甘煮と切焼肴等各一鉢、次に茶碗盛人数一碗づつ、次に刺身、以上酒肴なり。膳には一汁一菜、香の物、

とあるhttps://www.kabuki-za.com/syoku/2/no276.html。浴室も準備され、余肴は折り入れて持ち帰りにし、使い捨ての提灯も出すなど、京坂にくらべ江戸の会席料理屋の良さを挙げている(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:口取 口取肴
posted by Toshi at 04:29| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする