2020年09月22日

萩餅


「萩餅」(はぎのもち)は、

糯米(もちごめ)に粳米(うるちまい)を混ぜて炊き、軽く搗いて丸め、餡または、黄粉などをつけたもの、

をいう(たべもの語源辞典)、とある。

おはぎ、
はぎもち、
萩の花、
かいもち(掻餅)、
ぼたもち(牡丹餅)、

等々ともいう(仝上)。「萩餅」「萩の花」と「萩」に絡めるのは、

煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲き乱れるさまに似るので、

いうが、「おはぎ」というのは、

萩の餅をいう女房詞から、

である(仝上)。「ぼたもち」は、

牡丹の花に似ているから、

である(仝上)。和漢三才図会に、

「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」

とある。「かいもち」は、「かきもち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476005605.htmlで触れたように、

掻餅、

と当て、

カイモチヒ(掻餅)の音便、

で、

かきもち、
とも、
かちもち、

とも呼ぶが、幕末の『守貞謾稿』には、

かい餅(もちひ)は牡丹餅、

とある。

掻練(かいねり)の餅、

だから、とする(たべもの語源辞典)。「ぼたもち」とは、

よく搗かぬ餅、

つまり、

掻き練った餅、

だから、という意味である(たべもの語源辞典)。「ぼたもち(牡丹餅)」は、

米を半分潰すことから「はんごろし(半殺し)」と呼ばれることもある、

ものでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1、昔は「ぼたもち」のことを、

かいもちひ(掻餅)、

と呼んでいた(仝上)故であるが、安永八年(1778)の『屠竜工随筆』に、

萩のことを「ぼた」というから、「ぼたもち」とは「はぎもち」ということだ、

とある(たべもの語源辞典)。

ぼたもち.jpg


また、「萩餅」は、

きたまど(北窓)、
よふね(夜船)、
となりしらず(隣不知)、
ほうがちょう(奉加帳)、

という別名もある(仝上)。

夜船とは、いつの間にツク(着)、北窓はツキ(月)知らずと、いずれも「搗(つく)」にかけた洒落である。隣不知は音がしないから隣でも知らない意で、奉加帳とは、寄付を求める奉加帳はツク(付)家もありツカぬ家もある意、

とある(仝上)。駄洒落である。

ただ、「萩餅」「牡丹餅」を萩の花や牡丹の花と考えるのは間違いとする説もある。

ハギとかボタンというのは「米・飯」を意味する言葉ではないかという説がある。正しくは餅といえないものであるから、ハギとかボタとつけたというのである、

とある(仝上)。

確かに、「餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.html、で触れたように、「餅」(漢音ヘイ、呉音ヒョウ)は、中国では,

小麦粉などをこねて焼いてつくった丸くて平たい食品,

つまり、「月餅」の「餅」である。「もち米などをむして,ついてつくった食品」に「餅」を当てるのは,我が国だけである。

餻、
餈、

も「モチ」のことである(たべもの語源辞典)。「餻」(コウ)は、「糕」とも書き、

餌(ジ)、

と同じであり、

もち、だんご(粉餅)、

の意である。「餈」(シ)は、

むちもち、もち米をむして搗きたるもち(稲餅)、

とある(字源)。江戸中期の「塩尻」(天野信景)には、

「餅は小麦の粉にして作るものなり、餈の字は糯(もちごめ)を炊き爛してこれを擣(つ)くものなれば今の餅也、餻の字も餅と訓す、此は粳(うるしね)にて作る物なり」

とあり、江戸後期の「嬉遊笑覧」(喜多村信節)にも、

「餅は小麦だんごなり、それより転じてつくねたる物を糯といへり。だんごは餻字、もちは餈字なり。漢土にて十五夜に月餅とて小麦にて製することあり、よりて『和訓栞』に餅をもちひと訓は望飯(もちいひ)なりといへるは非なり、『和名鈔』に「糯をもちのよねと云るは米の黏(ねば)る者をいへり、是もちの義なり。故にここには餻にまれ餈にまれもちと云ひ餅字を通はし用ゆ」

とある(たべもの語源辞典)。つまり、「餅」が本来、小麦粉で作ったものであることをわかっていて、日本の糯米でつくるモチの借字として「餅」の字を使った、という経緯があり、結構あいまいではあった。だからといって、もともと曖昧に使っていた「餅」を、わざわざ厳密に餅でないからと、別の言葉を当てるのはどうだろうか。

そのほか、「ハギの餅」「ボタの餅」が「米・飯」の意とする説には、

蒙晤語・満州語や台湾のツアリセン族パイワン族の語、インドのボンベイ地方の語、マルワラ語などで、ボタに似た語、

が「飯」を意味し、

台湾のプレワガン語・ブーヴァン語、またマレー語、

などがハギに似た語で「米」を意味する(たべもの語源辞典)、とある。確かに、米や飯の由来を加味すると、一利なくもないが、わざわざ「米」とする必要はなく、「団子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475567670.htmlで触れたように、穀類の粉を水でこねて小さく丸めて蒸し、または茹でた「団子」と「餅」の区別は、

米の粒のまま蒸して搗いたものをモチ(餅)、
粉をこねて丸めたものをダンゴ(団子)、

とする(たべもの語源辞典)説もあるが、

「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉を使うが、餅は餅米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」など様々な謂れがあるが、粉から用いる餅料理(柏餅・桜餅)の存在や、餅米を使う団子、うるち米で餅を作れる調理機器の出現、更にはハレの日の儀式に団子を用いる地方、団子と餅を同一呼称で用いたり団子を餅の一種扱いにしたりする地方もあり、両者を明確に区別する定義を定めるのは困難である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90。つまり、実に日本的に、あいまいに「餅」と言い表していたものが、「糯米」であるかどうかで厳密に言い変えるとは思えない。

また、別に、「ぼた餅」について、

ボタ米を用いて作った餅であるところから。ボタ米は、にごから脱しきらないわら屑交じりの米をいう(ことばの事典=日置昌一)、
ぼた餅は豚の肉を使ったのが暗に代わったもの(たべもの語源辞典)、
「うははぎもち」(嫁菜をまぶすか、つき入れたもの)が訛って「おはぎ」になった(仝上)、

等々という説がある(日本語源大辞典)。ボタモチの「ボタ」は、

ボタ山のボタと同じく「かす」の意ととり、秋に落穂を拾って、それでつくったのがボタ餅、

であるとする説(たべもの語源辞典)である。この説には、些か根拠がある。元禄の頃(1695年前後)に、

「民家の食にして貴人の食するば希なり。杉折には詰め難く晴れなる客へは出し難し」

とあり、

もともと下品なものであったとする(たべもの語源辞典)もので、

「うはぎもち」や「落穂」説も考えられる、

とする(仝上)。「おはぎ」が上品なものになったのは、幕末からである、という(仝上)。

ところで、「おはぎ」と「ぼたもち」を区別する説がある。

春から初夏にかけては「牡丹餅」、
秋に作るのが「おはぎ」、

というのがある(日本語源大辞典)。この説は、たとえば、

ぼたもちは江戸時代に春のお彼岸に食べられていたもの。砂糖は貴重だったため、あんこは塩味で作られていましたが、江戸時代中期になると砂糖の入ったあんこが広まっていきました。一説には小豆を牡丹の花に見立てたことから、「ぼたんもち」と呼ばれていたのが「ぼたもち」に変わったとも言われています。一方のおはぎは、秋のお彼岸に食べられていました。秋の七草のひとつである萩の花と小豆の形状が似ているため、「おはぎもち」と呼ばれていたのが「おはぎ」に変わったとされています、

とありhttps://www.kanro.co.jp/sweeten/detail/id=789

ぼたもちは牡丹の花のように大きな丸い形で作られ、おはぎは萩の花のように細長い俵型のような形状で作られていた、

とされている(仝上)。

外側を覆うあんこもぼたもちはこしあん、おはぎは粒あんという違いがありました。秋に収穫したばかりの小豆は皮が柔らかく、そのまま皮も潰して食べられるため、秋のおはぎには粒あんが使われていました。しかし、ぼたもちを作る春には皮が固くなってしまっているため、皮を取り除いたこしあんが使われていた、

というのがその根拠である(仝上)。諸説あるので何とも言えないが、この季節性には、

春 牡丹餅 牡丹の花が咲く季節、すなわち春の彼岸に、神仏や先祖への供物とされた小豆餡の様子を、牡丹の花に見立てた、
夏 夜船 ぼたもちは、もちと作り方が異なるため、音を出さずに作ることができ、隣に住む人には、いつ搗いたのか分からないので、「搗き知らず」→「着き知らず」、
秋 御萩 牡丹餅と同じく、小豆餡の様子を秋の彼岸の時期に咲く萩の花に見立てた、
冬 北窓 月を知らない、つまり月が見えないのは北側の窓から、「搗き知らず」→「月知らず」、

と使い分けていた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1他)ことからも、言えるとする。

その他、「ぼたもち」と「おはぎ」の違いについて、

春のものは「ぼたもち」、秋のものは「おはぎ」と名前が異なっているだけである、
春なるを牡丹餅(糯米を主とす)、秋なるを萩の餅(粳米を主とす)、
東京では春秋ともに「おはぎ」と呼ぶ、
もち米を主とするものが「ぼたもち」、うるち米を主とするものが「おはぎ」である、
餡(小豆餡)を用いたものが「ぼたもち」、きな粉を用いたものが「おはぎ」である、
こし餡を使ったものをぼたもち、つぶ餡や煮た小豆そのままを使ったものをおはぎ(逆の場合もあり)、
サツマイモを使った物をぼたもち、餡を使ったものをおはぎ、
二口程度で食べられる小さいものをおはぎ、それより大きいものをぼたもち、
地域によって、もち米で作られているのは「ぼたもち」、主にうるち米を使っているのは「おはぎ」と呼んでいる、

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1https://www.kanro.co.jp/sweeten/detail/id=789・大言海・日本語源大辞典他)諸説あるが、「ぼたもち」と「おはぎ」の区別は次第に薄れているような気がする。

もともとは、

物日の食物として作られた、

とある(日本昔話事典)ように、

祭日、祝日など特別な日、

に作られた。

原型はもち米と小豆を炊いたもので作られていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1ので、「あずき粥」と関わるのかもしれない。「あずき粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473475996.htmlは、

小豆をこめにまぜて炊いた粥、

の意(広辞苑)で、小正月を祝って神に供え、人も祝ってこれを食べた。ために、

十五日粥、

とも、

また、望(もち)の日(陰暦十五日、満月の日)の節供なので、

望粥(もちがゆ)、

ともいう(たべもの語源辞典)。一年の邪気を払うものとして食べ、

さくらがゆ、

ともいう(仝上)。粥に小豆を加えたのは、

赤は陽の色で、小豆の粥は、この赤い色を食べて、冬の陰気を陽徳で消させる、

という意がある(仝上)とされるが、

「小豆を入れて煮た粥。普通の白粥と違って赤く染まるので、その色に呪力を認め、屋移りや旅立ちに災異除(よ)けとして用いられた」

ともあり(日本大百科全書)、

「小豆が持つ赤色と稲作民族における呪術が結び付けられて、古くから祭祀の場において小豆が用いられてきた。日本の南北朝時代に書かれた『拾芥抄』には中国の伝説として、蚕の精が正月の半ばに糜(粥)を作って自分を祀れば100倍の蚕が得られるという託宣を残したことに由来するという話が載せられている。
中国においては、古くは冬至の際に小豆粥が食せられた。後にこの風習が発達して12月8日には米と小豆ほか複数の穀物や木の実を入れた「臘八粥」(ろうはちがゆ)というものが食せられ、六朝時代の中国南部では1月15日に豆粥が食せられた(『荊楚歳時記』)。これが日本に伝わって1月15日すなわち小正月の朝に小豆粥を食するようになったと考えられている」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E7%B2%A5、中国由来である。

正月十五日に小豆粥をつくって天狗を祀り、これを食べれば疫病にかからないという中国の俗信からきた、

ともある(たべもの語源辞典)。漢名では、

紅調粥、

というとか(たべもの語源辞典)

なお、「あずき」については、「豆」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473371197.html?1580864227触れたし、「餡」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475943050.htmlでも触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:27| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする