2020年10月11日

独自の領域空間


村井章介『アジアのなかの中世日本』を読む。

アジアのなかの中世日本.jpg


「マージナル」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477185272.htmlで触れた村井章介『中世倭人伝』の背景になる時期と重なり、「海の民」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476761366.htmlで触れた田中健夫『倭寇―海の歴史』や、「倭寇」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476674773.htmlで触れた竹腰輿三郎『倭寇記』でいう、前期倭寇と言われる時期を中心に、中世日本の、本土の中心から離れた、辺境地域の倭人たちの世界を、「アジア」という広がりの中で、多角的に洗い出している。

「ここでわたしがしつらえた《アジア》というステージに登場する役者は、けっして国家だけではない。たとえば倭寇のように、国際関係を背景から規定するとともに、国家のわくを超えた地域の担い手となり、一面では国家の規制力によってゆがめられる、そういった人間集団も、主役に名をつらねている。またアイヌや琉球人のように、独自の国家を所有した有無はあるにせよ、結果的には日本の国家に呑みこまれてしまった民族集団が、自己を形成する過程も、重要なだしものだ。このように日本の中世は、国家のわくぐみを相対化し、《可能性としての歴史》を構想するのに好適な素材に恵まれている。
 そしてこの素材にとりくんだ背景には、現代に生きるわれわれが、国家利害をすべてのうえにおく思考からいかに脱却し、アジア諸民族や国内の少数民族との関係をどう自覚的に創造しうるか、という問題関心があった。」

と著者は、全体の編集意図を整理している。

面白いのは、南北朝から、室町、戦国時代と、国内政権が分散的、拡散的で、中央集権的な国家ができるまでの間、周辺は、倭寇に代表されるような人々が、朝鮮半島や中国沿海部、フィリピン、インドシナ半島と、広い領域に、他国に強い影響を与え続けていたことだ。その人々は、「倭人」とされるが、その、

「《倭》とは本来日本の同義語ではなく、《倭種》とは西日本のみならず、江南から山東半島、朝鮮半島南部にかけての大陸沿海部にも分布する、海洋民的な性格の人びとのこと」

なのである。

その一つのモデルを、著者は、

「列島内の一部分が、内海を通じて列島外の一定地域と結ばれ、こうして国境を超えたひとつの地域、たとえば私が『環シナ海地域』とよぶような地域が登場します。こうなりますと地域の登場は、列島中央の国家権力から発する求心力に抗して、国家的統合を相対化する遠心力として作用するでしょう。ここで措定された『地域』とは、伝統的な海外交渉史の主要概念である『国交』や『貿易』が線で表象されるとすれば、面で表象される点に特徴があります。そして地域を面たらしめているものは、それ自体多彩な要素からなるところの交渉の担い手たちであり、かれらが展開する多様で多面的な活動そのものだといえます。具体的に申しますと、中国人海商、倭寇、琉球人などがこの担い手でありまして、かれらは、それぞれの出身の国家に対しては相対的に『自由』にふるまい、自由な分だけ『地域』への帰属意識をもっていた、と考えられます。」

と書く、その《面としての地域》は、倭寇の、あるいは倭寇を装う集団の活動地域と重なっていく。そして、この問題意識は、ともすると中世を、武士の世界と見る見方への反論になりえるのである。たとえば、

「従来日本の中世を前進させたものとイメージされてきたのは、武士=在地領主、およびかれらが結集した権力である幕府であったが、これら《武》の勢力が力をふるいえたのは、《文》に対して先進的だったからではなく、むしろ中国文明を中心とする東アジア世界のなかで、日本のおかれた辺境性にもとづいている。『自力救済』や『寄せ沙汰』にみられるように、暴力とコネが一貫して紛争解決の手段だったのが日本の中世の特徴であって、この未開性にくらべれば、『武人より文人、武勇よりは安穏に価値を見出す東アジアの世界観』にそれなりに従うべきところがあったのではないか」

と。それは、「脱亜入欧」という今日までつづく考え方に通底するアジア蔑視への痛撃となり、それは、何処か、幕末期の勝海舟http://ppnetwork.seesaa.net/article/476090186.htmlや横井小楠http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163207.htmlhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/388163208.htmlの描いていた世界観と通底するものがある。

さて、その意味で中央の「日本」から離れた周辺での、幅広い世界像を描いている点で、

Ⅲ 中世日本列島の地域空間と国家、

が出色である。「周辺」とは、中央から見た場合、

異域、

であり、

化外、

であり、

ケガレの地、

であり、

鬼の住処、

であり、中央から、

「皇都→畿内→外国(げこく)は浄から穢へと段階的に移行する同心円構造をなしていた」

のであるが、しかし、

「周縁の人びと境界の往来者にとって、異域はもはや鬼のすみかではなく、あらたなもうひとつの《文明》であった。異域に人力のおよばざる鬼ではなく、自己と種々のちがいはあるにせよ人間を発見するとき、それはもはや異域ではなくなり、それと自己とをへだてる境界の性格も変わってくる。」

それを著者は、

海上の境界という観念の出現、

と特徴づける。著者はそのモデルを、

環日本海地域、

東シナ海地域、

に見出す。前者は、

十三湊を中心に、北海道のアイヌ、沿海州、高麗までの日本海地域、

になる。後者は、

倭寇活動地域、

と重なる。しかし、その時代は、十六世紀後半の秀吉の統一で終わりを迎える。その決算が、

文禄・慶長の役、

であるが、

「国内戦争の論理をそのまま延長したものであり、朝鮮の自主性を徹底的に無視し朝鮮人民に甚大な損害をもたらした暴挙であった……。そこには、中世を通じて温存されてきた、朝鮮を日本に服属すべき国とみなす観念の反映をみてとることができる。」

それは、そのまま、武の政権の明治政府の行動へとつながり、今日までその禍根は尾を引いている。

参考文献;
村井章介『アジアのなかの中世日本』(校倉書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:40| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする