2020年11月24日

賽銭


「賽銭」は、

祈願成就のお礼として神仏に奉る賽物(さいもつ)の錢、

の意(広辞苑)か転じて、

神仏に参詣して、幣帛(ミテグラ)の代へて奉る錢、

の意となる(仝上・大言海)。「賽物」は、

お礼参りのしるしに神仏に供えるもの、
または、
祈祷の時の供物(くもつ)、

を指す(広辞苑)。その供物のひとつが、

賽銭、

ということになる。

「賽」(サイ)は、

形声。「貝+音符塞(サイ)の略字体」

とあり(漢字源)、「神から服を授けられ、そのお礼としてまつりをする」「むくいる」という意味である(仝上)。「賽」を、

賽は投げられた、

のように、

さいころ、

の意で使うのはわが国だけである。中国では、

骰子(トウス)、
色子(シアイツ)、

という(仝上)。

賽銭、

は、

日本で作られた和製漢語か、

という説(日本語源大辞典)があるが、「賽銭」は、

参詣して神仏に奉る錢、

とあり(字源)、中国語のようだ。

賽銭箱.jpg


「賽銭」は、

サンセン(散錢)の義(志不可起)、

とあるように、「賽銭」は、

香花錢、

ともいう(大言海)、とある。これは、

香銭(こうせん)、

のことかと思うが、

仏前に香のかわりに供える金銭、

の意である(精選版 本国語大辞典)。これを、

散錢(サンセン)、

ともいう(大言海)のは、

寶前に、銭を撒き散らすに似て、散米(サンマイ うちまき)と、同趣なるべし、

とある(仝上)。江戸後期の松屋筆記に、

聖福寺佛傳記に、銭幣之獻、材木之奉、……按ずるに、これ、今日の賽銭也、

とある。錢が、他の賽物に代えられたのである。「散米」は、

うちまき、
くましね、

ともいう(大言海)。「うちまき」は、

打撒、

と当て、

打撒米(ウチマキヨネ)の略、

とあり(仝上)、

陰陽師の祓いに、粿米(カシヨネ)を撒き散らすこと、禍津比(マガツビ)の神の入り来むを、饗(あ)へ和めて、退かしむるなりと云ふ、

とあり、

魔物の心を和める意味で米を撒き散らすこと、

とあり(岩波古語辞典)、

節分の夜の豆撒きはこの名残り、

ともある(仝上)。それが、

神仏に供える米、

の意(仝上)に転じたものと思われる。「くましね」は、

糈(岩波古語辞典)、
糈米(大言海)、

と当て、和名抄には、

糈米、和名久万之禰(くましね)、精米、所以享神也、

とある(岩波古語辞典)。大言海は、だから、

精稲(クハシシネ)の転ならむ、

とする。

神に供える精米、

つまり白米、である。略して、

くま、

敬称して、

おくま、

といい、

御洗米(おせんまい)、

の意である(大言海)。「うちまき」と「くましね」は、由来は真反対だが、転じて、

神への供物、

となった。

お米を白い紙でつつむ、
あるいは、
洗った米を紙に包んで供える、

おひねり、

もこの流れの中にあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%BD%E9%8A%AD。それが、

錢、

に代えられた、とみていい。

金銭が供えられるようになったのは中世以降であり、庶民に貨幣経済と社寺への参詣が浸透しはじめた時期である、

とある(仝上)。ただ、

賽銭は願いを聞いてもらう対価ではない、

とする説もあり、日本書紀の「罪を素戔嗚尊に負わせ、贖罪の品々を科して差し出させた」というところから、

自身の罪を金銭に託して祓うとする説(浄罪箱)
と、
賽銭箱に硬貨を入れる音で罪祓う(鈴と同じ)

とする説がある(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:46| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする