2020年11月25日

佃煮


「佃煮」は、

江戸佃島で製造したのでこの名がある、

という(広辞苑)。

醤油と砂糖で甘辛く煮付けた日本の食べ物。とりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを煮染めたものをこう呼ぶ。シソやゴマなどを加えることもある、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%83%E7%85%AE、保存食品である(広辞苑)。

佃島は、

墨田川の河口にある小島。寛永年間(1624~44)摂津国西成郡佃村の漁民が江戸幕府に招かれて移住したことから、「佃島」の地名になった。江戸時代は漁師が多く、白魚がとれた、

とある(日本語源大辞典)。シラウオは、

伊勢湾から品川沖へ移したもので、この漁業権を与えた、

という(たべもの語源辞典)。

毎年暮れから春先へかけて佃島沖でシラウオがとれ、さらに二月ごろになると墨田川へ上ってきた、

のだという。佃島の漁師は、

家康のお蔭で白魚漁ができるというので家康の命日の一月一七日には「おみき流」をした。この行事をするとベラという魚が白魚に変わるといった。そしてその魚の頭には家康の紋である葵がついている、

と言い伝えた、とされる(仝上)。家康とのかかわりについては、背景に、

本能寺の変が起きた時、徳川家康はわずかな手勢と共に堺にいた。家康は決死の覚悟で本拠地の岡崎城へと戻ろうとしたが、神崎川まで来たところで川を渡る舟が無く進めなくなった。そこに救世主のごとく現れたのが近くの佃村の庄屋・森孫右衛門と彼が率いる漁民たちで、手持ちの漁船と、不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食として用意した。気候の悪い時期に人里離れた山道や海路を必死に駆け抜けねばならない一行にとって、この小魚煮がどれだけ身を助けてくれたか。その結果、家康らは生きて岡崎に戻ることができた。後に家康が江戸に入った時、命を救ってくれた摂津・佃村の漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与えたのである、

という伝承があるhttp://www.kanehatsu.co.jp/oishisaikiiki/020/。真偽はともかく、

江戸時代、徳川家康は名主・森孫右衛門に摂津国の佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の腕の立つ漁師を江戸に呼び寄せるよう言い、隅田川河口・石川島南側の干潟を埋め立てて住まわせた、

ことは確からしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%83%E7%85%AE。佃島の漁民は、

悪天候時の食料や出漁時の船内食とするため自家用として小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて常備菜・保存食としていた。雑魚がたくさん獲れると、佃煮を大量に作り多く売り出すようになったといわれ、保存性の高さと価格の安さから江戸庶民に普及し、さらには参勤交代の武士が江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため全国に広まったとされる、

とあ(仝上)、

小雑魚を煮詰めて自家用の惣菜にし、余剰を市販した(飲食事典=本山荻舟)、

と同一説をとるものもあるが、

佃の漁師は、大きい魚は将軍家をはじめ諸大名に納めたが、自家用に小雑魚を醤油で煮詰めることを考えついた。値段も安いし保存もきくので近隣にも売り始め、江戸から国に帰る大名が江戸土産として持ち帰るようになった。それで全国的に知られるようになった、

とする説もあり(たべもの語源辞典)、それを、

佃島で、四手網でとった魚をすぐに船の上で煮たものをいう(俚言集覧)、

とする説もあり(仝上)、それを、

安政五年(1858)に青柳才助が創始し、才助は佃島の塩煮から「佃煮」と名付けたとされる、

と個人に帰す説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%83%E7%85%AE。この説は、

江戸城籠の口、銭亀橋の下に、佃島の漁師が二隻ずつ繋留したが、夜中には篝(かご)を置いて網をおろした。これを捨篝(すてかご)といった。とった小魚を呉服橋の稲荷新道にいた青柳才助という者が、安政五年(1858)の春ころから煮込んで小商売(こあきない)を始め、これを佃煮と呼んだ、

ともされる(たべもの語源辞典)。もともとは、

漁師の常備食であり保存食となっていたもので、雑魚や貝類を塩で煮つけたものであった、

とされる(仝上)が、「醤油」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471986028.htmlの由来、また「砂糖」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474151591.htmlの普及等々から見ても、最初は「塩で煮つけた」ものと思われる。その意味で、それを後々醤油で煮つけた者がいたということはあり得る気がする。

その他、佃島漁師由来ではないとする説には、

文久二年(1862)に浅草瓦町の鮒屋佐吉が創始したとし、佐吉は、それまで塩煮であった佃煮を独自な改良(種類ごとの素材に分け、当時高級であった醤油を初めて使用するという斬新な発想)のもと現在の佃煮の原型を創り出した、

日本橋の伊勢屋太兵衛が創始した、

あるいは、

大阪・住吉明神を江戸・佃島に住吉神社として分霊したが、その祭礼では雑魚を煮詰めたものを供えていた(醬油煮説と塩煮説がある)、その住吉神社に雑魚を煮詰めたものを「佃煮」として供えたことに由来する、

等々があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%83%E7%85%AE

佃煮と似たものに「しぐれ煮」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471476208.htmlがある。

生姜を加えた佃煮の一種、

であるが、本来は、

「蛤のむき身に生姜を加え、佃煮にしたもの」

を指す(たべもの語源辞典)。生姜が入っているのが特徴になる。

イカナゴの佃煮.jpg


参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:佃煮
posted by Toshi at 04:49| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする