2020年12月05日
ニンジン
「ニンジン」は、
人参、
と当てる。「ニンジン」(人参)は、
オタネニンジン(御種人参)、
を指し、
朝鮮人参、
を言う(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3・大言海)。または、
高麗人参、
とも言い、
ウコギ科の多年草。
いわゆる「ニンジン」の漢名は、
胡蘿蔔(こらふ・こらふく)、
という。現在でも中国では胡蘿蔔と記述している(仝上)。「胡蘿蔔」とは、
「すずしろ」(ダイコンの異名)のことであり、「胡」は外来であることを示している。(胡麻=ゴマ・胡椒=コショウ・胡桃=クルミ・胡瓜=キュウリなども同様)、
とある(仝上)。この「ニンジン」は、
セリ科、
で、
セリ(芹)ニンジン、
ハタ(畠)ニンジン、
ナ(菜)ニンジン、
八百屋ニンジン、
等々という(広辞苑・仝上)。大言海は、「ニンジン」を、
人参、
と当てるものと、
胡蘿蔔、
と当てるものとに項を分けて記載する見識を示している。前者は、いわゆる、
朝鮮人参、
で、
根に頭、足手、面目ありて人の如きを最上として名あり、
とし、別名、
カノニケグサ、
熊膽(クマノイ)、
とし、こう記す。
一茎直上し、梢に三枝を分かち、枝ごとに五葉を生ず、うこぎ(五加)の葉の如し、皆鋸葉あり、年久しきは、数枝、数葉に至る。枝の中に一茎を生じ、其梢に細小花、簇り生ず、五弁にして淡緑色なり。中に白蕊あり、亦うこぎの花に似たり。花後に、実を結ぶ。形圓くして緑に、秋冬に至り、紅に熟す。根を薬用とす、
と。10世紀前半成立の『和名類聚抄』では、和名を、
加乃仁介久佐(カノニケ草)、
と表記している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%8D%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3)。これを、
御種人蔘、
というのは、
八代将軍徳川吉宗が対馬藩に命じて朝鮮半島で種と苗を入手させ、試植と栽培・結実の後で各地の大名に種子を分け与えて栽培を奨励し、これを敬って「御種人参」とよぶようになったといわれる、
とある(仝上・大言海)。
今日の「ニンジン」は、
東洋系ニンジンと西洋系ニンジンに大きく分けられ、東洋系は細長く、西洋系は太く短いが、ともに古くから薬や食用としての栽培が行われてきた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3)。「ニンジン」は中央アジアの原産で、
西洋系ニンジンの原産地は小アジア、
東洋系ニンジンの原産地は中央アジア、
といわれ、原産地のアフガニスタン周辺で東西に分岐し、世界各地に伝播した、とされる(仝上)。東洋系ニンジンは、
中国元の時代(1271~1368)に西方から伝わり、
胡蘿蔔、
と呼ばれ、日本伝来はそれ以降で、寛永年間(1624~44)の『清良記』(1628)、『多識編』(1631)に記載されているところから、1600年頃と推定される(日本語源大辞典・たべもの語源辞典)。「多識編」には、
胡蘿蔔、今案世利仁牟志牟、
とあり(仝上)、当初その葉が芹に似ていることから、
セリニンジン、
と呼ばれた(仝上)。日本に伝わると、短い期間で全国に広まり、江戸時代の農書に、
菜園に欠くべからず、
とあるほどになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3)。江戸時代に栽培されていた品種は東洋系が主流だったが、江戸時代後期に西洋系ニンジンが伝わり、明治期に入ると欧米品種が次々と導入され、東洋系ニンジンは栽培の難しさから生産量が減少し、戦後は西洋系品種が主流になっている、とある(仝上)。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95