「物色」は、
室内を物色する、
というように、
多くの中から探し求める、
意で使うが、漢語由来であり、文字通り、
物の色、
の意味であり(字源)、菅原道真の漢詩文集では、
物色と人情と計会すること愚かなり、
と(菅家文草)、
風物景色、
の意で使っている(広辞苑)。万葉集の、
さを鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 玉と見るまで 置ける白露、
という大伴家持の歌の後記に、
右のものは、天平十五年癸未秋八月に、物色を見て作れりなり、
と注がある。この「物色」は、現物の気色を見て作ったという意となる。
書言字考節用集には、
色目、
とある(大言海)ので、
物の色、動物の毛色、自然の景色、
等々を指していたと思われる。
しかし「物の色」は、
仲秋之月、……命宰祝循行犠牲、視全具案、芻豢(スウカン)、瞻肥瘠、察物色、
とあり、「芻豢」とは、
「芻」は草を食べる畜類。「豢」は穀物を食べる畜類、
で、牛、羊、豚、犬など、人間が飼育して、食用や労役などに用いる家畜の意(精選版日本国語大辞典)であるが、
体格が揃っているかをみて、草と穀物の食べ方を検討し、肥えているか痩せているかを調べ、毛色を見る、
意になる(https://kenbunroku-net.com/kotoba-20201116/)らしい。で、ここでは、「物色」は、物の色は色でも、
犠牲(となる動物)の毛の色、
の意となる(大言海)。これが「物色」の語源とする説もある。
しかし、この意味が、転じて、『後漢書』嚴光傳に、
帝令以物色訪之、後齊國上言、有一男子、披羊羹釣澤中、帝疑其光、……遣使聴之、三反而至、
とあり、
人相書にて人を求める(大言海)、
人相書または容貌によってその人を探すこと(広辞苑)、
意になり、『唐書』李泌傳の、
肅宗即位、靈武物色、求訪會、泌亦自至、已謁見、陳天下所以成敗事、帝悦、
という、
任ずべき人物を探す、
意となる(大言海)。ここから、
尹喜が老子を物色して求めて著させたぞ(史記抄)、
というように、
探し求める、
意まではひと続きである。戦国期の永祿一三年(1570)には、
「信玄者、去一六、集人数、急速出張之由申候、雖然、境目至于今日、物色不見得候」(上杉家文書・北条氏康書状)
と、物事の様子、特に、戦(いくさ)の様子、
の意でも使われている。
「物色」の「物」(漢音ブツ、呉音モツ・モチ)は、
会意兼形声。勿(ブツ・モチ)はいろいろな布で作った吹き流しを描いた象形文字。また水中に沈めて隠すさまともいう。はっきりと見分けられない意を含む。物は「牛+音符勿」で、色合いの定かでない牛。一定の特色がない意から、いろいろなものをあらわす意となる。牛は、ものの代表として選んだにすぎない、
とある(漢字源)が、別に、
会意兼形声文字です(牜(牛)+勿)。「角のある牛」の象形と「弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)から、清められたいけにえの牛を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「もの」を意味する「物」という漢字が成り立ちました、
とあり(https://okjiten.jp/kanji537.html)、
会意形声。「牛」+音符「勿」。勿は「特定できない」→「『もの』の集合」の意(藤堂)。犂で耕す様(白川)。古い字体がなく由来が確定的ではない、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9)。「物」は、
植物、
動物、
鉱物、
の三別の「物」を指す(漢字源)。もし、特に「牛」と絡めない、ということに意味があるとすると、語源に、
生贄の牛、
と限定する説には意味がないことになる。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:物色