「ぶっちょうづら」は、
仏頂面、
と当てるが、
仏頂顔(ぶっちょうがお)、
ともいう。「仏頂」だけでも、
仏頂面、
の意味になるが、
仏の頭頂、仏の肉髻(にっけい)、
の意味と、
仏頂尊(ぶっちょうそん)の略、
の意味がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。「肉髻」は、
仏・菩薩の頭の頂上に隆起した、髻髻(もとどり)の形のような頭頂の隆起、
を指す(仝上)。仏が備えているという優れた姿・形の32の特徴を言語によって数え上げた、
三十二相(さんじゅうにそう)、
のひとつに、肉髻(にくけい)を示す、
頂髻相(ちょうけいそう)、
がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%9B%B8)。
(肉髻 精選版日本国語大辞典より)
「仏頂尊」とは、
仏の頭頂の功徳である智慧を仏格化した最勝の尊で、胎蔵界第三院釈迦院に属する白傘蓋仏頂、除蓋仏頂などの五仏頂尊および大転輪などの三仏頂尊、その他の総称、
とある(仝上)が、肉髻を独立した仏として神格化したものも仏頂尊と呼ぶようである。たとえば、如来の胎蔵界(金剛界と対)三部(仏部・蓮華部・金剛部)の徳を表す「三仏頂」は、
広大仏頂(こうだいぶっちょう)、
極広大仏頂(ごくこうだいぶっちょう)、
無辺音声仏頂(むへんおんじょうぶっちょう)、
とされ、また、如来の五智を表す「五仏頂」は、
白傘蓋仏頂(びゃくさんがいぶっちょう)、
勝仏頂(しょうぶっちょう)、
最勝仏頂(さいしょうぶっちょう)、
光聚仏頂(こうしゅぶっちょう)、
除障仏頂(じょしょうぶっちょう)、
とされる(http://tobifudo.jp/newmon/jinbutu/bucho.html)、とか。
(和歌山・根来寺大伝法堂、手前から尊勝仏頂、大日如来、金剛薩埵 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%8B%9D%E4%BB%8F%E9%A0%82より)
この「仏頂」つながりで、「仏頂面」の語源として、
仏頂尊の恐ろしい顔から、(岩波古語辞典)、
仏頂尊の厳めしい顔から(日本語源広辞典)、
仏の顔は年中変らないところから出た(隠語大辞典)、
等々、「仏頂尊」に絡めた説がある。しかし、いくらなんでも、
仏頂尊の面相は知恵 に優れ、威厳に満ちているが、無愛想で不機嫌にも見えることから、
という理由(語源由来辞典)は、信仰心のかけらも感じられない。仏の面との関りで、
ブッチョウシュ(仏頂珠 仏の眉間にあるしろい巻き毛)の義。指ではじいても動かないところから(松屋筆記)、
面をふくらませ、螺髪(仏の頭髪の縮れちた巻き毛)を見るようであるというたとえから(物類称呼)、
というのもあるが、ともに、
仏頂面、
と当て持した後から生れた、後付けの説ではないか。その他、
不承面の転訛(大言海)、
不貞面の訛り(上方語源辞典=前田勇)、
もあるが、
仏頂は仏頂尊の略とも「ふて」「不承」の訛りともいうが、あるいは付会あるいは音訛無理、
というのが妥当だろう(江戸語大辞典)。
ブッチョウ(膖脹)の促呼か(上方語源辞典=前田勇・江戸語大辞典)、
という説もある。「膖脹」は、
ボウチョウ、
と訓む。つまり、
ボウチョウ→ブッチョ→ブッチョウ、
と転訛したという説である。これも、仏教とつながり、「膖脹」は、
白骨観・膖脹(ぼうちょう)血観(けつかん)、
など三十種禅観(坐禅観法)の一つ(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%A6%85%E7%B5%8C)とある。
正直のところ、どれかということは手に余るが、「仏頂」と絡ませたのは、後付けだとしか考えられない。「仏頂」とふてくされ顔とはつながらない。それなら、意味の上から、転訛に無理はあるが、
ふくれっ面→ふっちょう面、
か、
ぶうたれ面→ぶっちょう面、
か、
むっと面(「むっと顔」というのはある)→ぶっちょう面、
か、
むっつり面→ぶっちょう面、
等々と擬態語からの転訛の方が納得がいくのだが。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95