2021年01月03日
遠い
「とおい(とほし)」に当てる、「遠」(漢音エン、呉音オン)は、
会意兼形声。「辶+音符袁(エン 間があいて、ゆとりがある)」、
とあるが(漢字源)、
会意形声。「辵」(=道、行く)+音符「袁」、「袁」はゆったりした衣服(藤堂)、死者の服の襟を開け玉を胸元に置いた様で死出の旅立ちをいう(白川静)、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%A0)、
会意兼形声文字です(辶(辵)+袁)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「足跡の象形と玉の象形と身体にまつわる衣服のえりもとの象形」(衣服の中に玉を入れ、旅立ちの安全を祈るさま(様)から、「とおざかる」の意味)から、「とおくへ行く」を意味する「遠」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji212.html)。
近の対、
であり、
距離・時間の距りが大きい、
意である(漢字源)。「辶」は、
元は「辵」という漢字だった。これは彳(道の形)と止(足の形)からなり、道を行くという意味、
であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B5%E9%83%A8)、「遠」にも、
遠ざかる、
意もある。
和語「とほし」は、
近しの対、
で(大言海)、
関係が切れてしまうほど相手との間に距離がある意。空間的にも時間的にも、心理的関係にも用いる。類義語ハルケシは、両者の中間に広々とした何もない空間が広がって存在する意、
とある(岩波古語辞典)。
「遠い」は、その語感から、
ト(外)+多し、ト(外)が語根で、中心から外方向へ隔たる意(日本語源広辞典)、
トは外、ヲシは多い(和句解)、
というのがあり得る。しかし「ト(外)」の対は、
内(うち)、
奥(おく)、
であり、むしろ、
自分を中心にして、ここまでがウチだとして区切った線の向こう。自分に疎遠な場所という気持ちが強く働く所。時間に転用されて、多くは未だ時の至らない以前を指す。類義語ホカは、はずれの所、ヨソは、無縁・無関係の所、
とある(岩波古語辞典)ので、距離としての遠近よりは、区域の親疎に重きがある。「うち(内)」は、
古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また、囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挟まれている間のところを指したのに相違していた。古くは、「と(外)」と対して使い、中世以後「そと」また「ほか」と対する、
とある(仝上)。とすると「と(外)」は、少し語源からはずれる。他には、
トホル(通)に通う(和訓栞)、
というのもある。現に、「通る」の語源を、
トホアル(遠有)の義(名言通)、
と、「とほし」とからめる説もある。しかし、「通る」は、
一方から他方に届く、
あるところを過ぎて、先へ進む、
という経過を示し、距離を意味するわけではない。ちなみに、逆の「近い」の語源は、
手所(ちか)しの義、手の届く所、着くに通ず(大言海・言元梯・国語溯原=大矢徹)、
チ(手)+カ(所)+い(形容詞を作る接尾語)で手の届くこと(日本語源広辞典)、
ツキカシ(著付)の約(和訓集説)、
チは小の意で、小距離の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
チ(小)+カ(所)+い(形容詞を作る接尾語)で小さい道のりの所の意(日本語源広辞典)、
と、「手」や(隔たりが)「小」と絡める説がある。「手」でいうと、
手近、
手掛かり、
という言葉もある。それとの関連で言うなら、
手の届かないところから、トホはテホ(手欲)の義(国語溯原=大矢徹)、
トホクはテホコ(手隔所)の義(言元梯)、
等々がある。しかし「て(手)」の古形は、
た、
である。
たなごころ(手(た)の心)、
たばさむ、
等々に残っている。「とほし」の語源で言うなら、ひとつは、この「て」の古形「た」と絡めるのがありえるし、もうひとつ、「すくな(少・小)」の対でいうと、「おほき(大)」がある。
「おおき(大)」について、
もとオホシ(大・多)の連体形として、分量の大きいこと、さらに、質がすぐれ、正式、第一位であることをあらわしたまた、オホキニとして、程度の甚だしさもいった。平安時代に入ってオホシの形は数の多さだけに用い、量の大きさ、偉大などの意はオホキニ・オホキナルの形で表し、正式・第一位の意はオホキ・オホイの形で接頭語のように使った、
とあり(岩波古語辞典)、「おほし(大・多)」は、
オホ(大)の形容詞形。容積的に大きいこと、また、数量的に多いこと、さらに、立派、正式の意。平安時代に入ってオホシは数量的な多さにだけ使い、他の意味にはオホキニ・オホキナルの形を用いるように分化し、中世末期からはオホイ(多)とオホキイ(大)との区別が明確になった、
とある(仝上)ので、この元となった、
数・量・質の大きく、優れていること、
の意の「おほ(大)」と絡めることも可能である。
結句、結論が出ないのだが、和語の成り立ちを推測するなら、「た(手)」の、
ア(a)→オ(o)→イ(i)、
と、
タ(ta)→ト(to)→チ(ti)、
の母韻交替の範囲なのかもしれない。とすると、「近い」の語源説、
チ(手)+カ(所)+い(形容詞を作る接尾語)で手の届くこと、
と絡めて、何れも、「手」を語幹とする、
tikasi、
tohosi、
という変化ということになるし、「近い」の語源説、
チは小の意で、小距離、
チ(小)+カ(所)+い(形容詞を作る接尾語)で小さい道のりの所の意、
と対比しつつ、
「オホ(大)」の、
oho→tho、
という音韻変化がありえるなら、「オホ」の形容詞化と考えられるのだが。勿論憶説である。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95