2021年01月05日
大福餅
「大福餅」は、
中に餡を包んだ餅菓子、
で、
大福、
ともいう。この起源は、
うずら餅、
とされる。
「うずら(鶉)餅」は、室町後期、
丸くふっくらして、餅皮がすく、中の餡は赤小豆に塩を入れただけの形の大きいもの、
で、
丸くふっくらしている様子がウズラに似ているから鶉餅とよばれた、
あるいは、
ウズラの腹がふくれていること、
そう呼ばれたが、
餅が大きくて食べると腹がふくれるので、
はらぶと(腹太)餅、
とも呼ばれた(たべもの語源辞典)、とある。「うずら餅」は、
これを焼いたり、焼印を押したりしたものを鶉焼と呼んだ。塩味のあんをたっぷり入れ、丸くふくらんだ形にしていた、
とある(世界大百科事典)、塩餡で「あんびん」とも称した、とある(日本大百科全書)。こんにちでも、
京の街の餅屋では道明寺を使って表面がブチブチとなっている餅菓子をうずら餅といいます。鶏の羽を取り去った皮の表にはその穴のあとが凹凸になっています、
と(https://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_8_12a.html)、「うずらもち」と名づけたものがあるが、かつてのものと同じかどうかはわからない。
その後、明和八年(1771)に、江戸小石川箪笥町のお玉(おたよとも、お福ともいわれる)という後家が、はらぶと餅の形を小づくりにして、餡の中に砂糖を加えたものを、
大腹餅(だいふくもち)、
として売り出し、のちに、「大腹餅」の「腹」は佳字の「福」に書き換えられ、
大福餅、
となった(たべもの語源辞典・語源由来辞典他)、とされる。
宝暦現来集(1831)は、
おた福餅、
としたとする(https://www.ishizakisyouten.com/column/1378/・世界大百科事典)。大福の両面を鉄板で焼いたものを、
焼き大福、
というが、昔は焼き大福を、
大福餅、
焼かないものを、
生(なま)の餡餅、
といった(日本大百科全書)、とある。
餅まんじゅう、
とも呼ばれたらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A6%8F)。
寛政年間(1789‐1801)にいたって流行し、寛政紀聞には、江戸の町には毎夜、
籠の内へ火鉢を入れ、焼き鍋をかけ、その上に餅をならべて焼いた大福餅売の姿が見られた、
とあり(たべもの語源辞典・世界大百科事典)、
寒い夜など、温かい大福餅が喜ばれた、
という(たべもの語源辞典)。
大ふくもち、あったかい、
と売り声をあげたとある(享和二年(1802)綿温石石奇効報条)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95