2021年01月17日
たまふ
「お年玉」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/479319063.html?1610655746)で触れたように、「たまふ」は、
賜ふ、
給ふ、
玉ふ、
等々と当てる。「たまふ」には、
目下の者の求める心と、目上の者の与えようとする心とが合わさって、目上の者が目下の者へ物を与えるという意が原義、転じて、目上の者の好意に対する目下の者の感謝・敬意を表す、
(目下の者に)お与えになる、
(慣用句として「いざ~賜へ」と命令形で)是非どうぞ、是非~してください(見給へ、来給へ)、
意の他動詞(岩波古語辞典)と、それが、
タマ(魂)アフ(合)の約か。(求める)心と(与えたいと思う)心とが合う意で、それが行為として具体的に実現する意。古語では、「恨み」「憎しみ」「思ひ」など情意に関する語は、心の内に思う意味が発展して、それを外に具体的行動として表す意味を持つ、
助動詞として、動詞の意味の外延を引きずって、
天皇が自己の動作につけて用いる。天皇は他人から常に敬語を使われる位置にあるので、自分の動作にも敬語を用いたもの、
として、
~してつかわす(「「労(ね)ぎたまふ」)、
意と、さらに、
~してくださる(「いざなひたまひ」)、
と、目上の者の行為に対する感謝・敬意をあらわし、また、
~なさる(「位につきたまふ」)、
と、広く動作に敬意を表す(仝上)使い方をする。助動詞「たまふ」は、
元来、ものを下賜する意で、それが動詞連用形(体言の資格をもつ)を承けるように用法が拡大されて、「選び玉ヒデ」「御心をしづめたまふ」などと用い、奈良時代以後ずっと使われた。そこから、相手の動作に対する尊敬の助動詞へと転用されていったものと考えられる。つまり相手の動作を相手が(自分などに対して)下賜するものとして把握し表現したのである。
平安時代になると、単独の「たまふ」よりも一層厚い敬意を表す表現として、……使役の「す」「さす」「しむ」と、「たまふ」とを組み合わせる形が発達した。「せ給ふ」「させ給ふ」「しめ給ふ」という形式…である。それは、「~おさせになる」という、人を使役する行為を貴人が下賜することを意味し、その意味で使われた例も多く存在する。しかし、貴人自身の行為であっても、それを侍者にさせるという表現を用いることによって単に「~し給ふ」と表現するよりも一層厚い敬意を表すこととになったものである、
とある(仝上)。
さらに、「たまふ」には、
タマフの受動形。のちにタブ(食)に転じる語、
である下二段動詞として、
(飲み物などを)いただく、
主として自己の知覚を表す動詞「思ふ」「聞く」「知る」「見る」などの連用形について、思うこと、聞くこと、知ること、見ることを(相手から)いただく意を表し、謙譲語、
として、
伺う、
拝見する、
等々の意としても使う。尊敬語(下さる)の受け身なのだから、謙譲語(していただく)になるのは、当然かもしれない。
「たまふ」と同義に、
たぶ(賜)、
たうぶ(賜)、
がある。「たうぶ」は、
「たまう」あるいは「たぶ」の音変化で、主として平安時代に用いた、
とあり、訛ったものと想像がつく。「たぶ」を、大言海は、四段動詞「たまふ」は、
だぶの延、
その助動詞用法には、
たぶの転、
とする。しかし、
たまふ(tamafu)→たぶ(tabu)、
はあり得ても、その逆はあり得ないのではあるまいか。つまり、「たぶ」は、
たまふの転、
である(岩波古語辞典)。
さて、「たまふ」の語源は、岩波古語辞典は、前述の通り、
タマ(魂)アフ(合)の約か、
とする。「タマ」を魂とする説には、
タマフル(魂+振る)(日本語源広辞典・日本の敬語=金田一京助)、
がある。あとは、「た」を、「手」の古形「た」とするもので、
タ(手)マフ(幣)で、手土産をもってものを頼む意が本義(日本語源学の方法=吉田金彦)、
タマフ(手間触)の義(言元梯)、
がある。さらに、
タマ(玉)の動詞化(山口栞)、
タマウ(玉得)の義(柴門和語類集)、
と「たま」とするもものがある。「たま(玉・珠)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462988075.html)で触れたように、「玉(珠)」は、
タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、
とある(岩波古語辞典・日本語源広辞典)。つまり「魂」の「たま」と「玉」の「たま」は、同源である。とすると、「たまふ」の「たま」は、そのいずれかと見ていい。
「たま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462988075.html)で触れたことと重なるが、
本来「たま」は「魂」で、形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが、
丸い石、
を精霊の憑代とすることから、その憑代が「魂」となり、その石をも「たま」と呼んだことから、その形を「たま」と呼んだと、いうことのように思える。
その「たま」は、単なる球形という意味以上に、特別の意味があったのではないか。とすると、
タマ(玉)の動詞化、
が最も近い気がする。しかし、例によって、『日本語の語源』は、音韻変化から、
アフ(合ふ)は「みんな……しあう」という意で、複数のものの動作をあらわす補助動詞であるが、支配者が庶民の生活苦を助けるために食料を分け与えることをタベアフ(食べ合ふ)といった。ベア[b(e)a]の縮約でタバフ・タマフ(給ふ)に転化した。食料を分配する支配者の恩恵に対する感謝の気持ちはおのずから尊敬の念となり、「与ふ」「授く」の尊敬動詞が成立した。(中略)
受身形を作ったナル(為る)を補助動詞として用いたタマヒナル(給ひ為る)は、ヒナ[h(in)a]の縮約でタマハル(賜る)になった「受く」「もらふ」の謙譲語であり、「与ふ」「授く」の尊敬語でもある。
また、タマフ(給ふ)のマフ[m(af)u]を縮約するときには、タム・タブ(給ぶ)になった、
と説明する。
タマフ(給ふ)のマフ[m(af)u]を縮約してタブ(給ぶ)になった、
はあり得るかと思う。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95